熊本県 八代市 泉町(旧泉村) 五家荘
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雑文録

2026.11.01

山行

 

僕には行きつけの秘密の川があり、最初発見した時は、宝物を見つけたように狂喜した。美しい緑の苔に覆われた深い淵があり、遡ると、沢山の岩から白い飛沫が立つ瀬の景色があり、その上を新緑の樹々が幾重にも覆うのだ。ウェダーを履き背中にカメラと重い三脚を背負い、腰まで川に浸かり流れを横切る。透明な足元の川底には丸い石が敷き詰められ、思いのほか流れは重く、足を取られそうになりながら対岸に渡る。岩をよじ登り、更に川上に登りながら三脚を立て渓流の写真を撮る。四季折々、たっぷり2時間写真を撮り、自分だけの時を楽しむ。これがカメラ、三脚ではなく、釣り道具を背負いヤマメを釣るのも楽しかろうとも思う。フライの釣り竿を振るにもちょうどよい川の幅、高さなのだ…しかし、野宿するならまだしも、そんな二刀流には時間が足らない。本来の僕の目的は春夏秋冬、この大好きな川の景色を撮る予定だったが、相手は自然。どうしてもタイミングが合わず、自分が満足できる写真が今も撮れないままだ。特に雪景色は行きつくまでが(当然、道路は凍結しているだろうし) 大変で諦めざるを得なかった。更に近年の大雨で、一時期、川の形相まで変わった時があった。ようやく斜面を降りて川に立つと、両岸の岩々はごっそり削り取られ、まるで重機が通ったあとのような景色に変貌していた。それでも自然の回復力は素晴らしく、数年後には上流から砂や岩が流れてきて斜面も斜面から土が流れ補修され、森の持つ魔法の力で元のような景色に修復されていた。

 

 

さて、いよいよ五家荘は紅葉の時期だ。去年は遅すぎて、葉は落ち、残った赤い葉も縮れた無残な景色だった。今年はどうか?10月18日に訪問した五家荘の我が秘密の川。去年は遅すぎとはいえ、今年は早すぎた。まるで夏のような景色で、樹々の葉は緑。紅葉の景色など、どこにも見られない。誰も居ない川に一人立つ。秋の日差しが寂しく、川面を照らす。物悲しくもあり、悔しくもあり。それでも撮影開始!川を横切ると、透き通った川底が見え、30センチくらいに育ったマダラ模様の山女魚が、すいすい足元に寄って来た。産卵期なのだろう。更に川底で足元を動かすと、岩の間から舞い上がる苔を食べに来たのか、何匹もの山女魚が後を付いてくる。サーッ、サーッと流れていく透明なひと時。目の前を黒い小さな鳥がスッと横切る。鳥は奥の岩のくぼみに飛び込み、身を潜める。久しぶりに見るカワガラスの姿だった。

最近、宮沢賢治の童話集を読んでいて、お話は当然、自然の山川を舞台にしたものが多く、その中で「やまなし」という童話が大好きになり、古本を探し通販で買ってしまった。(絵は遠山繁年氏)

 

小さな谷川の底を写した二枚の青い幻燈です。
(という、一行の詩から始まる物語)

 

「やまなし」は川の底に住む、蟹の兄弟のお話で、彼らの頭上を泳ぐ魚が、突然、カワセミに食べられたり、謎の生者「クラムボン」のうわさ話が在ったり、山奥の川底で起こる物語で、最後は二匹の頭上に、川上から果実「やまなし」が流れてくるお話なのだ。透明で、冷たくて、寂しい川の中の世界。それでも兄弟の二匹の蟹は仲良しで、好奇心いっぱいの彼らは、身の回りに起こる出来事に驚いたり、感心したりする。宮沢賢治の根っこには仏様への篤い信仰心が流れているのだろうけど、その信仰心がこの美しい、透き通った童話の中の、青い幻燈のような世界を創る。

最初にこの川を知った時、斜面の小道に酒ビンが置いてあり、これは川の神様に感謝の気持ちを表す、お供えと僕は思っていた。この美しい川にも神様が宿っているのだと。しかし、通うにつれだんだんゴミが放棄され、最近では神様のお供えどころか、山女魚釣りの途中、釣り人(密漁?) が残したゴミやビール缶、車の錆び止めスプレー缶などが目につくようになった。

 

 

「自然を守ろう」とかいう、自然を破壊して立派な看板を立てる輩には用心した方がいい。罪悪感のかけらも、何も感じない彼らには、そもそも自然の意味さえ理解できないのだ。最近の五家荘を案内する観光サイトの画像も意図的に着色されていて、これも残念。こんな色は自然の色ではない。どこ探してもこんな毒々しい紅葉の景色はないのだ。多分、五家荘に行ったことのない人が色付けしているのだろう。もしくは自然とは最も遠くにある人口知能「AI」の仕業なのか?

T氏の残り火 Ⅱ

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