
2025.03.17
山行
今年初めての山行(五家荘)は3月2日、小雨の降る日だった。僕の山の守り神氏(本人にとっては迷惑だろうが…)から、福寿草の開花の情報が届いたのだ。九州の山地では福寿草の群生は珍しく、時期になると登山客で現地は賑わう。
八代市泉町・九連子(くれこ)は歴史のある集落だった。こんな山奥の谷間の地に全盛期は人口が増え、結果、土地を求め、兄妹家族は分家され山の向こうの球磨地域に移住して行った。村にある正覚寺(今は廃寺)の過去帳には、九連子の人々の詳しいルーツが記されてあったそうで、地域の民俗を研究していた僕の出身高校のN先生が過去帳の開示を求めたが断られたと残念がっていた。
僕が初めて白崩平で福寿草を見たのは2016年、そしてその帰りに雪道をさかのぼり岩宇土山に登り、帰路の途中に有名な子供を抱いたお地蔵さんを見た。このお地蔵さんは知る人ぞ知るお地蔵さんで、出会うためには相当な体力が必要な難所にある。僕はそのお地蔵さんの体に刻まれた、明治30年2月16日・久連子村の文字を読んだ。何故こんな急峻な山の中腹に子供を抱いた姿のお地蔵さんが祀られているだろうか。想像するに、正覚寺の過去帳を紐解けば多少の謎は解けたのだろう…と、つい学者気取りで思索にふけるのだけど。更に言えば久連子のお地蔵さんの表情は一般にみられるお地蔵様の顔でなく、素朴な人そのものの表情でもある。
しかし、その謎が解けたところで何になる。福寿草が咲く季節にお地蔵さんに出会い、当時への思いをはせ、手を合わせた僕だけの記憶。僕の記憶の中では福寿草とお地蔵さんは共にある。それだけでよいではないか。
雨の為、駐車場にも誰も居ない。朽ち果てた鳥居をくぐり、久連子神社の前に出る。古びた社殿の入口には結界が縄で編んであり、真新しい御幣が下がっている。山人の山の神様に対しての信仰心は厚い。明治時代になるまでは全国のお寺や神社は神仏混淆(習合)で同じ場所に同居しているのが一般的だった。明治政府の暴挙で強制的に神と仏は分離された。久連子踊りも念仏踊りの流れを汲むと言われ、この地に流れ着いた修験の影響を残しているのだろう。西の岩の尺間神社も修験道の流れを汲んでいる。ただ集落の奥に日露戦争で戦死された兵隊さんの像も祀られてあり、当時は仏様よりも「軍神様」の力が強かったのだろうとも思う。
今や集落自体が時の流れに朽ち果て、人の気配も少ない。以前、夏に久連子川でヤマメを釣り、上流へ釣上がっていると、川沿いの古民家の下では岩のくぼみにスイカやジュースが冷やしてあったが、その民家も雨戸が閉められ、誰も居ない。
最近、地方再生だの創生だの言い出す輩が増えて来たけど、お金が無くなるとみんなそうして騒ぎ出す。地方創生と言うのはどういう事か、僕は具体的に問いたいが、誰も答えることは出来ない。誰も答えられない事に、毎度毎度、お金をばらまくのはどういうことか。
小雨に洗われ、金色に輝く、透き通るうろこのような花弁。雨が降ろうが、晴れようが、誰かやってこようが、こまいが、谷間に身を寄せ、家族のように集まり、金色の花を咲かせる花たちよ。
お盆や仏事の時に死者の魂を鎮める為に踊られる、久連子(念仏)踊り。最近、なかなか見る機会が少なくなった。キーン、キーン、カーン、カーン、踊りの合間に強くたたかれる金色の鉦の音色は、福寿草の黄金の色と同じなのだ。
2024.12.31
人
12月27日付けの毎日新聞1面のタイトル。全国紙なので、当然国会やら外交などの硬めの記事が多いけど、時に極めて個人的なニュースを記事にしてくる。突然、ユニークな変化球が飛んで来る。(この出会いが新聞の良さなんだな)
80歳「忘れちゃうけど毎日新鮮」という衝撃的なタイトルの記事は、長野県上田市に住むアルツハイマー型認知症の女性Sさん(記事では実名)のインタビュー記事や、活動の紹介だった。Sさんは6年前に認知症に診断されたけど、おしゃべり好きで、認知症が集まるカフェ、子供食堂のボランティアなどの地域活動にもたくさん参加されている。
Sさん曰く「すぐ忘れちゃうからね、毎日が新鮮、それが認知症のいいところ」
彼女はもともと20年前から地域の仲間と認知症についての勉強会に参加して、自分が「認知症」に診断されたと仲間に打ち明けた時、仲間からは差別も偏見もなく「いずれ自分たちもなる」と受けいれられたそうだ。
僕のおじさん達もひどい認知症だった。家に閉じ込められ、おばさんの目を盗んで縁側の戸を開け、脱走。裏の竹林で筍、掘っていたり、徘徊し、コンビニで保護されたり。亡くなった後で聞く話は笑い話だけど、家族は大変だったろうと思う。
認知症については、脳の障がいが原因なので個人差が激しく、いろいろなパターンがあるのだろう。みんながみんな、Sさんのようには行かないのは当然の事で、まったく一人一人の発症後の事は分からない。認知症になるまでに「自分が発症したらどうなるか?」余りに不安だらけで怯えていれば、その前に精神的な病に陥るかもしれない。但し、Sさんの例を参考にすれば、発症するまでの環境(それまで社交的、おしゃべり好き)も症状に影響するのだろう。
「忘れちゃうけど毎日新鮮」というフレーズは、そんな恐怖心、猜疑心を和らげる、魔法のフレーズのように僕には聞こえた。
と、言うのも昨年の夏、どうも記憶が変だぞ…と気になり、隣の街の認知症専門の病院に検査に行った。家人からは、誰しも歳を取ると同じ症状がでるからそこまで、しなくてもいいと言われたけど。(診察を予約したはずの病院を早速間違え、受付で呆然自失)。みっちり2日に分けて認知症の検査を受け、結果は問題なしだったが、しかし、一緒に脳のCTを撮った時に、脳にちょっとした異変が見つかった。上からどんどん脳の輪切りの灰色の画像が変化していく中で、黒いどんよりとした影がはっきり映る。これは6年目前にクモ膜下のクリッピング手術を受けた時の脳のダメージと言う事で、クリップの周辺の脳にはっきりと灰色の影が映っていた。そして記憶を司る、海馬の画像。海馬は基本、左右同じ形なのだけど、僕の場合は形が違う。海馬の機能が認知症にも大きな影響を与えるらしい。ここ数年の僕の記憶の欠落の原因はこんなところにあったのかもしれない。
今年の秋に2度目目のCT検査を受ける。検査と合わせて認知症の検査もあった。どんどん間を置かずに質問してくる看護師の返答に焦る。ちょっとしたパニックで頭の働きが上手くいかない。診察日の日時、先生の名前、病院の名前…全部間違う。100から7を順番に引いて行ってください…これも答えられない。
ただ、診察の結果は問題なし…だった。日常生活には問題ないので無理をせずに暮らしていきましょう…と言われた。認知症と認められるには、もっと大きな症状が出ないと、認知症と診断されないわけなのだ…言い方を変えれば「気が付いたら認知症」の人でしか認知症ではないのだ。一旦、認知症になれば、正常な状態には回復しないのだけど。物忘れ…と認知症の中間に、行ったり来たりの中間点があるらしい。つまり僕のポジションは中間点。
ミスをしないように、日々を恐る恐る暮らす。ミスをしたことすら気が付かない。時間がかかる。相手の言う事が即座に理解できない。物事についての感覚が鈍る。そんな一年だったが、自然には癒される。林道を歩いていて頭上から聞こえる鳥の声に安堵する。足元に咲く、山野草の姿にも生気をもらう。写真のおかげで、細く伸びて途切れそうな触覚が揺れる。暮らしの中でも6匹の猫に刺激をもらう。彼らと同じ地平で生活している気がする。
ミスをしないように…と思ってもミスをするのだから仕方ない。(自分の都合の良いように考えると)すべて初めての事だからミスをしても仕方ないのだと思うようになった。最初から上手くいくはずはない。起床して自分に起こるすべての事は、自分にとって初めての事。新鮮な出来事なのだ。
そんな日々の中で目に留まったのが新聞の、80歳「忘れちゃうけど毎日新鮮」と言う記事だった。12月30日は僕の65歳の誕生日。つまり65歳「忘れちゃうけど毎日新鮮」となる。
毎日新鮮と言うのは、毎日出会いと、別れがある事。
出会いのときめき、別れの寂しさ。
今日、あなたと出会い、明日、あなたと別れる。
今年は10回しか、山に行けなかった。天候や災害の影響もある。冬になると、チエーンを巻き雪道を走り、凍り付く滝や樹氷の写真を撮り行ったが、今は行けない。今年1年の最後の写真を探していると、秋に撮った紅葉の写真があった。
赤い葉、黄色い葉、尖った葉、丸い葉、長い葉…
一枚、一枚の記憶の葉が折り重なっている写真が一枚あった。
森の小鳥たちよ、ありがとう。
そして、さようなら。
2024.11.24
山行
いつも、気になっていたのがハチケン谷の林道横を流れる、小さな滝…
…と言っても、自然の脅威が作り出した滝なのだけど。
ハチケン谷は崩落、修復、大崩落の繰り返しで、近年、林業用の道が出来て、京の丈山への登山口まで歩く事が出来るようになった。その林道を右に見て歩く時にいつも気になる滝の景色がある。左の山の斜面が崩落し、杉の木が川に横倒しになり、川をせき止め、上流から流れて来た流木が積み重なり間に岩が挟まれ、自然にできた小さな滝。
この滝の景色が美しいかどうかは、僕には判断できないが…どうしても写真に撮りたくなり川に降りてシャッターを切った。
不思議な事だ。写真を撮り終えても僕の記憶の中で、一本の細い水の筋が、バチバチと音を立てて流れ落ち岩を叩いている。
2024.11.24
山行
異常気象の影響だろう。自然も人間もおかしくなってきた。それでも五家荘の錦秋の景色を期待する。
林道が崩落し、ただでさえ離合困難な崖っぷちの、細い道をこの時ばかりはと観光バスが行き来する。さすがに普通の観光バスのサイズでは道自体を通れないので、最近は小型の観光バスを超人的な技術でプロの運転手が操作する。毎年、紅葉の期間限定で、山域一帯が複雑な一方通行の規制となるのだ。今年は紅葉が例年より1週間遅れ、幸運にも一方通行の規制が解除された日に五家荘に向かった。通行規制が解除されたのはともかく、離合も出来ない車道で、両車、向かい合ってもお互いどうしょうもない悲しい景色を今回も目撃する。そう心配している自分も今回は坂道を50メートルバックしなければいけない羽目になる。左は落石で膨らみ、はち切れそうなネットで保護された岩壁。右はぼこぼこのガードレール。そのはるか下に谷が見える。その後どうなったのか…恐怖で思い出せないのだけど。
11月17日、いつもより早い朝飯を食い家を7時に出て山に向かう。まずの目的はしばらく訪れてなかった梅ノ木轟(滝)の吊り橋を越え、2本の滝を撮影する事にした。紅葉越しの滝の写真を一度撮って見たかった。
ところがどうだろう、梅ノ木の吊り橋が怖くて渡れない!ゆらゆらと橋が揺れるだけでも体が危険を感じ、硬くなり前に進まない!さすがに、僕の後ろにはスマホ片手の団体が迫る。奴らの眼前で這いつくばるような醜態は出来ないではないか。写真を撮るふりをして「どうぞどうぞ」と道を譲るがもう無理、吊り橋をあきらめ、他の場所を歩く事にした。
風景の写真も、山野草の写真と同じで、「目が合うと」撮りたくなる。誰も、選ばないような場所でも目が合い、我が琴線に触れる対象があればカメラを構える。なかなか上手く撮れなくてもそれでよい。コンテストに応募する為に写真を撮るわけではないので、結果に満足しなくても良い。その工程が楽しいだけなのだ。
車を走らせ、ふと小さな川の前で車を停め、辺りを物色する。すると、なんでもなさそうな河原に黄色い葉が積み重なって居た。あーこれは良い景色だ。何枚も写真を撮る。紅葉ではなく「ブナの黄葉」に彩られた川が流れている。僕の車を見て、何かありそうだと子供連れの家族が河原に降りて来た。
子供たちもその黄葉の景色の美しさに驚いている。しばらくすると風が吹き、なんと僕らの頭の上に黄色い葉が、カラカラ、バラバラと音を立てて降ってきた。子供たち落ち葉の吹雪に大興奮だった。
山の景色は急変する。あっという間に辺りはガスに包まれ白くなり、小雨が降って来た。残念ながら、もう写真を撮れる状況ではなくなってきた。
ただ小雨の方が、赤や黄の落ち葉の色がしっとりにじんで美しくなるのだ。足元を見るに、一枚一枚色づいた落ち葉で埋め尽くされている。もう今日の写真は中止だ。短い秋の道を、ゆっくり歩いて、辺りを散策して帰る。短い秋だったけど、今日一日、山に来れて、良かった。
一期一会の景色をシャッターで切り取る。また、風が吹くと落ち葉は飛散し、川に落ち流され消えて行く。振り返るとさっきの景色は何処かに消えて、もう見る事が出来ない。愛おしい景色よ。
2024年の秋が終わった。
2024.09.25
山行
植物園とは大げさな言い方だけど、五家荘に出かけると、植物との新鮮な出会いがある。山に居る間、小さな自然の植物園の中を、彷徨っている気分になることがある。
わずか、ほんのわずかの数時間…
今夏の夏の大雨で、登山道へ続く林道があちこちで崩壊し、おそらく復旧工事には年単位の期間が必要との悲しい知らせを聞いた。
五家荘の盟主、国見岳なぞ登山口まで続く林道が崩壊し、もう数年は経つ。林道の向こうに民家があるわけではないので修復工事が後回しになるのか、熊本県最高峰の山頂から広々とした九州脊梁の山々の景色を眺めることができない。山野草の宝庫、僕の一番好きな白鳥山への道路も夏前にようやく通行できるようになったのだが、又崩落し、通行が不能になったとの事。
唯一、僕に残されたのはハチケン谷周辺の登山道しかない。ハチケン谷と通じる「京丈山の山頂周辺にトリカブトが咲き始めたという情報を得て、運転役の家人に伝え、二人で山に向かう事になった。
ハチケン谷も過去は大崩落、修復、崩落の繰り返しだったが、近年は林業用の道路として道が平たくなり(もちろん舗装はされてない)、京丈山への登山口へ続く道となった。それでも時々、落石があり、ヒュッ!とこぶし大の石が風を切り、頭上の木々の葉をバサッと揺らす時があるので基本ヘルメットは必要。
いつもはその林道を歩くだけ、登山口でもうヘロヘロになり引き返すのだけど(何をしにきたのか) 今年こそはトリカブトを見に行こうと家人も同行となった。二人とも猛暑の中、すでにふらふらなのだけど。風も吹かず、足元が焼けるように暑い。そしていつものように登山口で力尽き、時は11時。コンビニおにぎりでの昼飯となった。
長い昼食。ようやくおにぎりでエネルギーが補充され、「もう帰ろうか」と言うに、家人は「トリカブトがどうしても見たい」と言う。
「カブトカニが見たい」「カブトガニ?」「トリカブトって何?」登山口の前で、二人の脳内は暑さで沸騰していた。「カブトガニって、海に住む、珍しいカニの事でしょうが!」「トリカブトって、てっきりその仲間かと」「山にカニが棲むのか!」
混乱を避け、議論を避けるため…僕らはすでにパンパンに硬くなった、ふくらはぎをさすり、ヘナヘナの体を起こし立ち上がり、久々に京丈山頂へ向かう事になった。深く暗い杉林の急坂を登り詰め尾根に出ると、右手に杉林、左手に自然林の林が広がる道になった。幾分か涼しくなり足元もしっとり腐葉土で歩きやすくなる。途中、雁俣山からの尾根道の分岐に出て山頂を目指す。
縦走してきた老夫婦と出会う。「もう少しで頂上ですよ」と奥さんが教えてくれる。「ではまた」と旦那さんがハチケン谷に向かう道を降りようとするが奥さんが止める。(男はつい調子に乗り大事な道を間違える)、以前、ハチケン谷からの林道で膝を傷めた苦い思い出があるから、二人は距離が長いけど雁俣山からの道を選んだそうだ。
それから息も絶え絶え、僕らは這いつくばるように山頂を目指す。登るにつれ辺りに苔むした石灰岩の塊が見え始め、怪しい景色に包まれてくる。少しガスが出て来て、周りを白いモヤで包み込み始める。ヒタヒタ迫る、五家荘おなじみの景色。しばらくすると、白いモヤは霧散し、木陰からぼんやり緑の人影が現れ始める。緑人(りょくじん)とも呼ぼうか…頭が突き出て両肩が丸く人影に見える緑人。そして、その肩の間から顔を出す、紫色の花が連なるタンナトリカブトの花の群生。
なんとも妖しく不思議な紫の花々よ。三脚を置きシャッターを切る。調べるに、猛毒「アルカロイド」の持ち主。わずか1グラムでも高い毒性がある。解毒薬はない。耳元でブンブンうなる蜂の羽音。花々を巡回し、長い舌を使い花の奥の蜜を集め、受粉を手伝う「トラマルハナバチ」達。彼らの性格はとても温厚で、何もしなければ、刺すことはないと聞いていた。トラマルハナバチ自体が絶滅危惧種に指定されている地域もある。
そして、更に妖しいのは、そんなトリカブトの高貴な紫の花の群生の中に、希望の星、清楚で柔らかい笑顔のアケボノソウの群生。なんと、奇異な取り合わせ。片や闇の女王、片や夜明けの希望の花、その間に咲く芍薬の熟した赤い実、黒い実の景色。
ピントさえ合えば何とかなる。あーだこうだ、構図を考えて写真を楽しむ余裕はない。圧倒的な存在感のある花々が目の前に咲いているのだ。トリカブトの奇怪な花の塊がいくつも風に揺れて迫ってくる。アケボノソウの星型の花びらが風に揺れ、甘くやさしい囁きで僕を夢の世界に誘う。その時その時、感じた感覚でシャッターを押す。その瞬間が現実と幻想の境界となる。じっくり撮影を楽しむ時間などない。そして家に帰り、撮った写真をあらためて眺め、花々の不思議さ美しさを味わう。
結果、京丈山山頂には行かず、その時間を惜しんで幻想世界を眺め帰路に就き、林道を降りる。
すでに、膝や太ももの筋肉がきしむのだが、某所で何か僕を呼ぶ声がする。その声に誘われ茂みを掻き分けると、なんと風に揺れる、ツリフネソウの群生地に出る。ツリフネソウはその名の通り、葉の下に花弁の姿が、船が釣り下がるような姿をしている。正確にはハガクレツリフネソウ…。本州では珍しい花らしい。
ツリフネソウは一年草で、独特の生き延び方をする。実が弾け、遠くに飛んで行くらしい。大体、川沿いに咲く花で川が増水したりすると、そのままの場所に根を生やしたら大きな被害を受けるので、あえて遠くに飛んで、落ちたところで根を生やし、花を咲かせる生き方らしい。美しくたくましい、花の旅団よ。
各花、各人、各様…咲き方、生き方があるものだ。
緑人は今日も森に眠る。
2024.09.04
山行
毎年毎年、記録的な暑さとエンドレスに話続ける、天気予報のアナウンサー。この人間のふりをした無感情ともいえる話し声の持ち主はご存じAIとやらの仕業なのか。この告知が暑さに拍車をかけるのだな。…深海では水温が急激に下がり続けているという情報もある。
自分でも寝る前に、目が覚めても、枕元のスマホをつい見てしまう。ガラクタ情報の掃きだめ。ここらで、もういい加減に見るのを止めようと決心しないと、残りの人生、噛みあわないピースの寄せ集めで、どんなジグソーパズルの景色が出来るのか。すでに頭の中は誰かの悪意のつぶやきで満たされてしまっている。仏壇に添えられるのは位牌ではなく電源の入らないスマホの黒いガラスの板になるかもしれない。
小説「限りなく透明に近いブルー」。この作品で、夜明け前の一瞬、街が限りなく透明に近い青い色に染まることを知った。(小説は読んで意味がさっぱり分からなかった)確かに下宿の窓の外の町の色が夜明け前、確かに一瞬、町の景色は青く見えたのだ。僕は少し感動した。
ここ数年、流石に60を過ぎて自然に早起きになった。新聞配達のバイクの音が近づいてきて、郵便受けに新聞がコトリと落ちる音が聞こえる頃、カーテンの外を見ると窓の外の景色が限りなく透明に近い青い景色だと気が付くようになった。そして、集落が目覚める前の静かな青い世界で、裏山の向こう、木のとっぺんで、一羽の鳥のさえずる声にも気が付いた。彼女(彼)は、本当に楽しそうに歌い、楽しそうにさえずる。耳をすます。キュルキュル、キュルキュル…、キラリキラキラ。悩ましい1日の始まりがほんの一瞬、その声でこころ救われる気分になる。
これが一番鳥というものなのか。時間が立ち、辺りが明るくなるにつれ、次はカラスのしわがれ声に変わり、漁船の海を渡るエンジン音、トラックの走行音が混じって声は聞こえなくなる。最後はテレビの垂れ流される、今年の暑さは異常と言うエンドレスな天気予報の声。
五家荘の山道を歩くと、同じような鳥の声が頭上から聞こえて来る。山は彼らの物だから、人間に何も気をつかう事はない、最初は僕の足音に警戒し、しんと静かだが、僕の姿に慣れてくると、あちこちの木の茂みから歌う声、話す声が聞こえて来る。
僕がどうしても、独りで山に登るのは…そういう小鳥たちの声が聞こえなくなるからだ。集団で山に登ると、折角、自然の声を聴きに来ていても人の声を聴き、世間話に相槌を打っているうちに、何も聞こえなくなる。ところが一人で林道を歩いていると空虚で空騒ぎ、雑念だらけの僕の頭の中が、彼らのさえずりで、ほんのひと時だけ救われる。その為に僕は一人で山を歩くのだ。(運転役の家人は基本、車の中で本を読んでいる)
今年も猛暑の中、五家荘に向かう。目指すは栴檀轟の滝。この滝は、写真を撮るにはなかなか難しい滝でもある。誰もが撮り尽くした景色。夜に星空込みで写真を撮るか、滝つぼのすぐそばまで迫るか、半分、川に浸って水面すれすれでシャッターをきるしかないか…馬鹿な事を考える。(考えるだけで実行しない)
少し楽しみにしていたのが去年に撮った滝の手前の岩に咲いたギボウシ。残念ながらそこには、ギボウシの姿はなかった。ただ今回は違う岩の横でひっそり咲いている小さな花に会う事が出来た。ぱっと見るに「ネコノメソウ?」か?とも思ったが、フェイスブックのあるグループの人がこの子は「※マルバマンネンクサ」だと教えてくれた。気が付かないところで咲いている一輪の花。ほっと、心が救われる。
※学名は “Sedum makinoi Maxim.” 牧野万太郎博士が発見した花で学名にもマキノの名が付く。
さて、山の夜明けの色は青いのだろうか?僕には恥ずかしい過去があり、二度ほど山で夜明けを迎えたことがある。一回目は谷底の岩陰で、もう一回は崩落した林道で。何回、時計を見ても針は進まない。山の夜ははてしなく長く遠い。森の中の暗く重い闇が、僕の体を包み込む。分厚い闇の層からねっとり抜け出せないまま、ようやく眠りに落ちる。日が射し始め向こうの山で一番鳥の声が聞こえる。深い森の夜明け…そこは限りなく透明に近いブルーではなく乳白色。モヤのような白い色で森が包まれ、朝となった。
森は不思議なのだ。自分一人だけと思って居ても、誰かが居る。杉林の茂みの暗がり、廃道になり草生した小道の崖の上…白昼の林道を歩いていても、何かを感じる時がある。
最後に尺間神社に立ち寄る。尺間神社は五家荘最後の神秘・迷宮といえる場所だ。すでに急坂の参道は崩落、草におおわれ危険な状態。ふと見るに妖気がしっとり漂う、鳥居横の茂みにたくさんの白い蝶が優雅に舞っている。「白い蝶の群れ!」僕は思わず声を出してしまった。(知人から後で、ムクゲですよと知らされるが)真夏に舞う白い蝶の群れを僕は見たのだ。
滝と花の写真を撮りに来たのだが、白い蝶の写真を撮って帰る。
2024.07.24
山行
前回の白鳥山から1か月以上も経ってしまった。山野草の達人Mさんのフェイスブック情報では、「フガクスズムシソウ」やら「ショウキラン」やらの、開花情報が紹介されていたけど、もう間に合わない。それでも、ダメもと、標高ゼロメートルの自宅を出たのが7月20日。(車の運転は町内限定免許ゆえ、家人の都合次第)もう真夏の山なのだ。標高1500メートル近い高地の峰越でも暑い。熱風が吹いている。緑の尾根道をドリーネを目指して歩く。気温がどんどん上がっていく。尾根の途中、ギボウシの着生したブナを見つける。緑の美しい葉を広げ夏空の下、白い茎を伸ばしている。茎の先には白いつぼみ。喜んでいいのか、開花はまだ。このこらが、鈴なりに一斉に開花する景色を想像するのも楽しい。
写真を撮った後、ドリーネ周辺でヤマホトトギスを探すが、すでに開花は終わり。残念ながら不思議な星の子は開花の時期を終えていた。ホトトギスには「ヤマホトトギス」と「ヤマジノホトトギス」の2種があり、見分けるのは簡単そうで難しいらしい。ユニークな花の形。上から星の形に垂れ下がった雄蕊(?)のスタイルは小さなメリーゴーランドに見える。なんと可愛いことよ。
折角来たのだからと御池あたりをうろつきまわる。数年前に山の守り神、Oさんに教えてもらった「フガクスズムシソウ」の着生したブナの大木が見つからない。(当然だけど…)それでも会いたい一心で森の中の苔むす大木を1本1本、訪ねて歩く。(また道に迷うわけにはいかぬが…)とうとう時間切れ、「ショウキラン」にも会えず失意のまま帰路に就く…。
と、途中のネットで保護された緑の茂みでカメラを構える同年代の夫婦。しばし情報交換するも、僕よりもはるかに山野草に詳しい。話していて己の無知が恥ずかしい。山鹿から来られたらしい。気前よく撮影中の蘭を教えてくれた。頭上の木の枝に咲く蘭の花も。
そして、フガクスズムシソウの件を話すと、「まだ、あの某所に咲いていますよ」とこれまた気前よく場所を教えてくれた。その某所に行くと、話の通り、ブナの古木に「フガクスズムシソウ」が茶色の花を咲かせていた。ただ暑さに参って元気がなかった…あと2週間、出会うのが早ければ!フガクスズムシソウは激減していて、今や貴重な花なのだ。ネットではスズムシソウ、ギボウシの詳しい写真、花の植生を分析、説明をされているサイトがあるが、今は再会できたことにまず、喜びを感じている。悪運の強い自分。花好きの夫婦に出会えたことは幸運だった。
何時来ても、五家荘の山には嬉しい出会いがある。もともとひねくれた性格の自分だけど、今回は、素直に出会いを喜ぶ性格の自分であった。
2024.06.11
山行
また白鳥山に行く。前回の雑文録にたいそうに「幻視行」なんてタイトル付けたが、その名のごとく、日常でもふんわり幻を視ている気分になった。今回は峰越ではなく、その途中のウエノウチ谷から、谷をさかのぼり御池、白鳥山頂を目指すルートをとった。これも数年ぶり。峰越からのルートは白い霧に包まれるルートだけど、ウエノウチ谷のルートは緑に包まれるルート。これまでの大雨の被害はないかと、恐る恐る沢の道の岩の上を歩く。一旦、谷に入るとそこは一気に新緑の中に体が溶けるような道となる。一瞬で、白鳥山の緑の世界に取り込まれるのだ。見渡す限り自然林の景色がひろがる。白鳥マジック。見あげると若葉と若葉が重なり合い、緑の影を織りなしている。
ただ残念なのは、これまでは苔むすブナの大木にはびっしり、緑の苔やギボウシなどの山野草が絡みつき、豊かな森の植生が見られたのに、今回は大風や大雨の影響なのかすっぴん。そういう景色は見られなかった。更に登り続けると、いつも休憩する谷の景色も一変、滝の上の大岩が崩落し、落差のある滝の景色が階段状の岩の落ち込みに変身していた。
しばし休憩、岩の間の小道に登ろうとしたが、緑の谷は一瞬にして白い霧に包まれ、風が吹き、小雨が降り始め雨脚が本降りに代わって来た。体が冷えてくる。このまま、御池まで登り詰めても仕方ない。運転役の家人も寒さで元気がないし、思い切って引き返すことにした。僕は遠距離の車の運転が出来なくなったのだ。不思議な事に、いつも気配を感じる森の神様の住まいが、穴の開いたまま、生気を感じる事が出来なかった。
また夏に来ます、山の神様。足元のタニキキョウだけが沈みがちな僕の心を慰めてくれた。
2024.06.06
山行
久しぶりに白鳥山に行った。樅木から峰越1480m(峠)を越え、宮崎の椎葉村に向かう車道が崩落し、長らく通行止めになっていたのがようやく解除されたのだ。ただ通行可能になったからと言って、荒れた道が整地されたのはともかく、崩落した場所は簡単な応急措置…というか、ほとんどが赤いコーンを立てただけの放置、ガードレールはだらんと垂れ下がり、谷底まで切り落ちて下を見るとぞっとする。そろり、そろり、なんとか車を山側に寄せて、進入禁止のロープすれすれに回避するような道ばかりなのだ。
白鳥山周辺に群生する芍薬の花の開花情報に誘われ、今年こそはと早起きし、頑張って山に向かった。峰越の登山口から尾根を伝い、芍薬の群生地に向かうルートにする。ところが、下界の天気予報は晴れにもかかわらず、峠に近くなればなるほど尾根には不気味な、もくもくとした濃い白雲が湧き上がり、まさかまさか、峠に着いた時は辺りは暴風と霧に包まていた。
連休でもあり、駐車場にはいくつものテントが張られ、数人の若い男子に出くわした。みんな山の雑誌から出て来たようなおしゃれな格好に半ズボンのいで立ち、ステイックを握りディパックを背負い、笑いながら順番にスタートした。あの格好では絶対寒いと思うのだけど。トレイルランなのか、走っているうちに体も温まると思って居るのだろう。後には、彼らと同じ今風の派手な登山ファッションで固めた老夫婦も続いた。みんなの姿はそうして、しゃわしゃわと湧き出した白い霧に包まれ、あっという間に姿を消した。
峰越登山口から白鳥山への尾根道は、それ程登り下りの激しいルートではなく、登山と言うより、僕にとっては山歩きと言った方が正しい。もちろん、その先の山に向かう人たちは登山なのだろう。天気が良ければ、しっとりとした湿り気のある小道で、歩きにくい岩もなく膝にも優しい。本来ならばこんな楽しい山歩きはないというルートなのだ。しかも、その先には、芍薬の白く清廉で、蓮のつぼみのような美しい群生が待っている。ただ今回のように突然、白い霧に包まれるのも白鳥山で、五家荘の山の中でも人気の山の分、たくさんの踏み跡もあり、その霧に包まれふと、踏み跡からはみ出すと、どれがどの道やら、一気に方角を失い、自分の居場所が分からなくなる危険な山でもある。ぐるりと見回してもうっそとした樹々の茂み、道を塞ぐ倒木の姿がある。白鳥山のやさしく白い鳥達は居なくなり、入れ替わり白い霧達がじわじわ忍び寄ってくる。気温は一気に下がり、風が吹くと、さらに体温が奪われる。7、8年前の5月に訪れた時はブナの木の根にいくつもの積雪があった。
今回久しぶりに歩いていて、尾根筋に根を生やしていたはずの倒木の多さに気が付いた。なんと悲しい事か。以前は巨木のまわりに、たくさんの苔やギボウシ、フガクスズムシソウなどがからまり、珍しい山野草の新芽が見られていたのに、その母なる巨木本体が倒れている姿があった。昔の豊かな森の記憶が、寂しい景色に上書きされる。森の小道を、花々を探して歩き、彷徨う、至福のひと時は過去のものか。海抜ゼロメートルの自宅から、2時間近くかけてやって来たのだから、先を急ぐのはもったいない。岩に腰を下ろし当たりを見渡す時間は僕だけのものにしたい。以前は先ばかり急いで歩いていた自分が、最近の山歩きでは遠くで物音が聞こえる度に立ち止まるようになった。
僕は夢想する。何本ものブナの巨木がもんどり打って倒れる。木々の葉が揺れる、枝がばきばき折れ飛び散る。鳥の黒い影が空に飛び立つ、鹿が跳ね起きる。何体も何体も、森を支える巨人、緑の巣があおむけに倒れて行く。そういう景色は想像できても、何故かその沈む音を聞くことができない。だから耳を澄ますのだろうか。この自然の森も死が近いのだろう。味気ない人工の森が足元まで迫っている。
峠から先行した老夫婦が引き還して来る。「芍薬はどこですか?」ヤマップのルート図が映る携帯を突き出す。携帯ではこの深山も小さく手の平に乗るサイズ、その地図では数センチで芍薬の群生地に着くはずだ。「あと1時間近くはかかりますが」五家荘で僕に道を聞くのは極めて危険だがね。夫婦は待ちきれず「帰ります」と言って山を下りて行った。
一瞬消えた白い霧が、また湧き上がって来る。白鳥山ではそんな景色が最高の景色でもある。ようやくドリーネの近くまで来る。ドリーネとはサンゴ礁が化石化しすり鉢状にへこんだた地形の名称。水に侵食されて奇岩が付き出したりしている。今は山の中でも古代ではここは海だったのだ。もともとはサンゴの白が、いまは緑の苔におおわれて、白鳥山のドリーネの景色は、巨大な白い像の背骨の群れが重なっているように見える。ドリーネの地形は鍾乳洞とも関係があるらしい。足元では丸く苔むす岩が転がり、小さな丘が出来てその岩々に白い可憐な芍薬の花が顔を出し始める。風が吹き、霧が晴れ、当たりを見渡すといくつもいくつも、両手で丸く手の平を合わせたような花弁が顔を出す、幻のような景色が見える。
柵で保護された、白い巨像のようなドリーネの森が見えて来る。リュックから三脚を出し、カメラを構えシャッターを押す。小道からはみ出し、岩の間に足を踏み入れ、芍薬を追いかけカメラを構える。踏み込んだ足元の枯葉の下に、空洞がありはしないか、時に恐怖を感じる事がある。石灰岩は硬そうでもろい。足を踏み込んで、ごぼっと空洞に落ちはせぬか。とっさにつかんだ岩が崩れ、自分が落ちた穴をふさぎはしないか。深い深い、岩の穴。助けを呼ぼうにも道から外れ、そう誰も気が付くはずはない。ドリーネの下には鍾乳洞がひっそり口を開けているのかもしれない。
白鳥山は謎の多い山でもある。ドリーネの横の湿地帯は御池と呼ばれ、雨乞いの行われた神聖な土地と言われていた。雨乞いが行われていた当時は今のような湿地ではなく、もっと深い沼地ではなかったか。今は泥で埋まっていても、場所により、深い穴が口を開いてはいまいか。雨乞いの神事は誰が行ったのだろう。椎葉から上がって来た修験者なのだろうか。
古代から神が降臨する場所は、磐座(いわくら)という岩場で、白鳥山の御池の磐座はこの大きなドリーネに注連縄(しめなわ)が張られ、自然の神、雨を降らす神を出迎えたのかもしれない。神秘の山、伝説に満たされた白鳥山。積み重なる歴史の山は昔、蒼い海底だった。
よく語り継がれる言い伝えで熊本側の話では山頂から5本の矢が放たれ、五家荘の地名になったと言われ、宮崎側からすれば、源氏の追っ手から逃れた平家の落人が山頂の白いドリーネの景色を見て、もはやこれまでと諦め自刃したとも言われる。この言い伝えは椎葉山一揆の悲しい伝承とも重なり、山人の暮らしの困難さはかなさを思わずにいられない。
五家荘の山で不思議なのは、国見岳、白鳥山と連なる烏帽子岳も、西の岩の尺間山、更に釈迦院まで修験の跡があるのに、これと言った石仏や摩崖仏の姿が見られない。地形や人口の少なさもあるのだろうけど、そういう仏様の姿は、時の流れに霧散したのだろうか。
気が付くと、足元にざわざわと緑のバイケイソウ群れが攻めて来た。こんな広く大きなバイケイソウの大群落は見たことがない。バイケイソウは、全草に有毒アルカロイドを含有し加熱しても毒は消えず誤食したら命の危険もあるそうだ。気温が上がるとバイケイソウの緑の葉からアルカロイドが発散されるのか、群生地のあたりは命の気配はなく、しんと静まり返っている。
こんな事を考えながら山に居ると峰越からドリーネまで、普通なら片道1時間少しの道のりを、たっぷり2時間以上かかってしまった。御池から先に進む意思は僕にはない。弁当を食べ帰路に就く。
尾根に倒れ、枯死した巨体の幹にギボウシ(?) の若葉が開いていた。ギボウシは緑の葉の間から茎を伸ばし、白いユリのような可憐な花を咲かせる。僕は山に咲くギボウシの花が大好きなのだ。巨樹の死体に芽生えた緑の若葉。これは希望なのか、絶望なのか。
2024.04.16
山行
3月末に五家荘の花の写真を撮りに行った。お目当てはカタクリの花なのだけど、満開の写真が撮れるかどうかは運次第。山も本格的な春の到来となる。今年は気候変動の影響か、山桜も満開であったり、すでに散ってしまったり、開花状態が色々。悲しいかな、年来の大雨で山道も荒れ、春になっても山の疲れも取れてない気がして、何か辛い気がする。(そう感じるのは僕だけか…)
今や僕の定番の散歩道はハチケン谷の周辺。時々、石が遠くの崖から音もたてず飛んで来るのでヘルメットは必携。気が付くと頭上の木の枝が揺れている。林に踏み入ると、ヒトリシズカが緑の葉を開き、シズカに開花。岩の影をこっそりのぞくと、コバイモ、ネコノメソウもこっそりと咲いている。左側の崖のむき出しの岩の間に咲く、タチツボスミレと目が合う。今回は何故かスミレの淡い紫色の集団にたくさん出くわした。
たかがスミレと言うなかれ、写真を撮るのと一緒に、その花の性質も調べると面白い。今回あんまりきれいに見えたので、以前買った本をあらためて読む。
不思議な事にスミレは2種の花を咲かせるそうなのだ。(全然知らんかったな)今の大きく紫に咲いた花を開放花と言い、いろんな虫を迎え入れ、(新しい遺伝子を得る為)受粉する仕組みになっている。花にある線の模様は蜜に至るルートを示す道標(みちしるべ)ならぬ蜜標と呼ぶそうな。
スミレの2段構えの術。なんと裏技がある。開放花が咲き終えた後、秋遅くまで、地味で目立たない、ストローのような閉鎖花を咲かせる。開放花でいろんな蜂や虫に「いろんな遺伝子、みんな集まれ!」と叫び、生き延びるための強い遺伝子を集め、閉鎖花では手堅く100%受粉し、スミレの遺伝子をキープ。低コストで子孫を残す仕組みになっている。
開放花、閉鎖花、どちらの実も熟すと裂けて、種を弾き飛ばし、実験では最大飛距離2メートル飛んだそうだ。更に更に、種には蟻に運ばせるためにエライオソームという甘い物質をつけ、更に種子を遠くに運んでもらう。植物は移動できないので、色々考えて、自分らが生存する為に、真剣に工夫をしているのだなとその本を読んで改めて感心した。研究者の熱意はすごい。スミレの語源は大工道具の墨入れ。つぼみの形が似ているから。
昔、ギンリュウソウの生態系を研究した人の論文を読んだことがある。その人は光合成をしない銀色透明の銀ちゃんの栄養素を誰が運ぶのか、数年間、這いつくばって研究した。(とんでもないオタク、その人、銀ちゃん以外、友達いないだろうな、多分)
…さて、肝心の「カタクリ」の花
某所で何とか撮影できたけど、カタクリの生態も不思議…というか、カタクリは耐えに耐えて、暗い木陰に花を咲かせるのだなと感心した。カタクリは春の妖精とも言われ、他の植物が開花する前に花を咲かせ光合成し、実が熟すと葉は溶け消え、種と球根が次の年の春まで地中でひっそり眠って過ごす。短期の光合成ではキチンと成長するには大変で、種から芽生えたカタクリの最初の葉は糸のような葉。翌年は少し広めの葉を広げ、球根にでんぷんを蓄え、7,8年後、ようやく葉を2枚だし開花するそうだ。(と、いうことはカタクリの研究者は少なくとも8年は研究を続けたわけだ)
花の中心近くの紫色のMの模様は虫に蜜のありかを示す蜜標。スミレと同じように、種子にはゼリー状の脂肪酸が付いていて、蟻に種子を運んでもらう。そのゼリーが運んでもらうためのオマケだそうだ。今年のカタクリは撮影のタイミングが遅く、ちょっと疲れた顔しか撮影できなかった。
カタクリの花園の近くの川沿いの小道を踏み進むと、ヤマメ釣りのフライフイッシングの二人組に会う。川は荒れ、以前ならヤマメが潜んでいた淵もなくなり、苔むす岩も流され、平坦で釣果はなしとの事。二人は山や川が荒れているのに嘆きながらも、川にゴミが不法投棄されている光景を嘆く。こんな小川の奥にゴミを捨てなくてもいいのにね。
山から下りて、自宅近くの漁村の海岸の近くの小道をぶらぶらする。海岸も牡蠣殻、漂着したごみ、ペットボトルが異臭を放っている。
その小道の脇には、スミレの花も、もちろんカタクリの花も咲いてはいないが、まだ名も知らない、野草がたくさん咲いていた。小さく尖がった黄色に、丸い紫、朱色に青色の点々の花たちが、春風にゆらゆら揺れている。
有名、無名…花には関係なし。みんな、みんな、花たちに春が来たのだ。
※勝手に引用、意訳しました。 参考文献 野に咲く花の生態図鑑 多田多恵子著 筑摩書房