熊本県 八代市 泉町(旧泉村) 五家荘
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雑文録

2024.07.24

山行

前回の白鳥山から1か月以上も経ってしまった。山野草の達人Mさんのフェイスブック情報では、「フガクスズムシソウ」やら「ショウキラン」やらの、開花情報が紹介されていたけど、もう間に合わない。それでも、ダメもと、標高ゼロメートルの自宅を出たのが7月20日。(車の運転は町内限定免許ゆえ、家人の都合次第)もう真夏の山なのだ。標高1500メートル近い高地の峰越でも暑い。熱風が吹いている。緑の尾根道をドリーネを目指して歩く。気温がどんどん上がっていく。尾根の途中、ギボウシの着生したブナを見つける。緑の美しい葉を広げ夏空の下、白い茎を伸ばしている。茎の先には白いつぼみ。喜んでいいのか、開花はまだ。このこらが、鈴なりに一斉に開花する景色を想像するのも楽しい。

 

 

写真を撮った後、ドリーネ周辺でヤマホトトギスを探すが、すでに開花は終わり。残念ながら不思議な星の子は開花の時期を終えていた。ホトトギスには「ヤマホトトギス」と「ヤマジノホトトギス」の2種があり、見分けるのは簡単そうで難しいらしい。ユニークな花の形。上から星の形に垂れ下がった雄蕊(?)のスタイルは小さなメリーゴーランドに見える。なんと可愛いことよ。

折角来たのだからと御池あたりをうろつきまわる。数年前に山の守り神、Oさんに教えてもらった「フガクスズムシソウ」の着生したブナの大木が見つからない。(当然だけど…)それでも会いたい一心で森の中の苔むす大木を1本1本、訪ねて歩く。(また道に迷うわけにはいかぬが…)とうとう時間切れ、「ショウキラン」にも会えず失意のまま帰路に就く…。

と、途中のネットで保護された緑の茂みでカメラを構える同年代の夫婦。しばし情報交換するも、僕よりもはるかに山野草に詳しい。話していて己の無知が恥ずかしい。山鹿から来られたらしい。気前よく撮影中の蘭を教えてくれた。頭上の木の枝に咲く蘭の花も。

 

 

そして、フガクスズムシソウの件を話すと、「まだ、あの某所に咲いていますよ」とこれまた気前よく場所を教えてくれた。その某所に行くと、話の通り、ブナの古木に「フガクスズムシソウ」が茶色の花を咲かせていた。ただ暑さに参って元気がなかった…あと2週間、出会うのが早ければ!フガクスズムシソウは激減していて、今や貴重な花なのだ。ネットではスズムシソウ、ギボウシの詳しい写真、花の植生を分析、説明をされているサイトがあるが、今は再会できたことにまず、喜びを感じている。悪運の強い自分。花好きの夫婦に出会えたことは幸運だった。

 

 

何時来ても、五家荘の山には嬉しい出会いがある。もともとひねくれた性格の自分だけど、今回は、素直に出会いを喜ぶ性格の自分であった。

2024.06.11

山行

 

また白鳥山に行く。前回の雑文録にたいそうに「幻視行」なんてタイトル付けたが、その名のごとく、日常でもふんわり幻を視ている気分になった。今回は峰越ではなく、その途中のウエノウチ谷から、谷をさかのぼり御池、白鳥山頂を目指すルートをとった。これも数年ぶり。峰越からのルートは白い霧に包まれるルートだけど、ウエノウチ谷のルートは緑に包まれるルート。これまでの大雨の被害はないかと、恐る恐る沢の道の岩の上を歩く。一旦、谷に入るとそこは一気に新緑の中に体が溶けるような道となる。一瞬で、白鳥山の緑の世界に取り込まれるのだ。見渡す限り自然林の景色がひろがる。白鳥マジック。見あげると若葉と若葉が重なり合い、緑の影を織りなしている。

 

ただ残念なのは、これまでは苔むすブナの大木にはびっしり、緑の苔やギボウシなどの山野草が絡みつき、豊かな森の植生が見られたのに、今回は大風や大雨の影響なのかすっぴん。そういう景色は見られなかった。更に登り続けると、いつも休憩する谷の景色も一変、滝の上の大岩が崩落し、落差のある滝の景色が階段状の岩の落ち込みに変身していた。

しばし休憩、岩の間の小道に登ろうとしたが、緑の谷は一瞬にして白い霧に包まれ、風が吹き、小雨が降り始め雨脚が本降りに代わって来た。体が冷えてくる。このまま、御池まで登り詰めても仕方ない。運転役の家人も寒さで元気がないし、思い切って引き返すことにした。僕は遠距離の車の運転が出来なくなったのだ。不思議な事に、いつも気配を感じる森の神様の住まいが、穴の開いたまま、生気を感じる事が出来なかった。

また夏に来ます、山の神様。足元のタニキキョウだけが沈みがちな僕の心を慰めてくれた。

 

 

2024.06.06

山行

久しぶりに白鳥山に行った。樅木から峰越1480m(峠)を越え、宮崎の椎葉村に向かう車道が崩落し、長らく通行止めになっていたのがようやく解除されたのだ。ただ通行可能になったからと言って、荒れた道が整地されたのはともかく、崩落した場所は簡単な応急措置…というか、ほとんどが赤いコーンを立てただけの放置、ガードレールはだらんと垂れ下がり、谷底まで切り落ちて下を見るとぞっとする。そろり、そろり、なんとか車を山側に寄せて、進入禁止のロープすれすれに回避するような道ばかりなのだ。

白鳥山周辺に群生する芍薬の花の開花情報に誘われ、今年こそはと早起きし、頑張って山に向かった。峰越の登山口から尾根を伝い、芍薬の群生地に向かうルートにする。ところが、下界の天気予報は晴れにもかかわらず、峠に近くなればなるほど尾根には不気味な、もくもくとした濃い白雲が湧き上がり、まさかまさか、峠に着いた時は辺りは暴風と霧に包まていた。

連休でもあり、駐車場にはいくつものテントが張られ、数人の若い男子に出くわした。みんな山の雑誌から出て来たようなおしゃれな格好に半ズボンのいで立ち、ステイックを握りディパックを背負い、笑いながら順番にスタートした。あの格好では絶対寒いと思うのだけど。トレイルランなのか、走っているうちに体も温まると思って居るのだろう。後には、彼らと同じ今風の派手な登山ファッションで固めた老夫婦も続いた。みんなの姿はそうして、しゃわしゃわと湧き出した白い霧に包まれ、あっという間に姿を消した。

峰越登山口から白鳥山への尾根道は、それ程登り下りの激しいルートではなく、登山と言うより、僕にとっては山歩きと言った方が正しい。もちろん、その先の山に向かう人たちは登山なのだろう。天気が良ければ、しっとりとした湿り気のある小道で、歩きにくい岩もなく膝にも優しい。本来ならばこんな楽しい山歩きはないというルートなのだ。しかも、その先には、芍薬の白く清廉で、蓮のつぼみのような美しい群生が待っている。ただ今回のように突然、白い霧に包まれるのも白鳥山で、五家荘の山の中でも人気の山の分、たくさんの踏み跡もあり、その霧に包まれふと、踏み跡からはみ出すと、どれがどの道やら、一気に方角を失い、自分の居場所が分からなくなる危険な山でもある。ぐるりと見回してもうっそとした樹々の茂み、道を塞ぐ倒木の姿がある。白鳥山のやさしく白い鳥達は居なくなり、入れ替わり白い霧達がじわじわ忍び寄ってくる。気温は一気に下がり、風が吹くと、さらに体温が奪われる。7、8年前の5月に訪れた時はブナの木の根にいくつもの積雪があった。

今回久しぶりに歩いていて、尾根筋に根を生やしていたはずの倒木の多さに気が付いた。なんと悲しい事か。以前は巨木のまわりに、たくさんの苔やギボウシ、フガクスズムシソウなどがからまり、珍しい山野草の新芽が見られていたのに、その母なる巨木本体が倒れている姿があった。昔の豊かな森の記憶が、寂しい景色に上書きされる。森の小道を、花々を探して歩き、彷徨う、至福のひと時は過去のものか。海抜ゼロメートルの自宅から、2時間近くかけてやって来たのだから、先を急ぐのはもったいない。岩に腰を下ろし当たりを見渡す時間は僕だけのものにしたい。以前は先ばかり急いで歩いていた自分が、最近の山歩きでは遠くで物音が聞こえる度に立ち止まるようになった。

僕は夢想する。何本ものブナの巨木がもんどり打って倒れる。木々の葉が揺れる、枝がばきばき折れ飛び散る。鳥の黒い影が空に飛び立つ、鹿が跳ね起きる。何体も何体も、森を支える巨人、緑の巣があおむけに倒れて行く。そういう景色は想像できても、何故かその沈む音を聞くことができない。だから耳を澄ますのだろうか。この自然の森も死が近いのだろう。味気ない人工の森が足元まで迫っている。

 

 

峠から先行した老夫婦が引き還して来る。「芍薬はどこですか?」ヤマップのルート図が映る携帯を突き出す。携帯ではこの深山も小さく手の平に乗るサイズ、その地図では数センチで芍薬の群生地に着くはずだ。「あと1時間近くはかかりますが」五家荘で僕に道を聞くのは極めて危険だがね。夫婦は待ちきれず「帰ります」と言って山を下りて行った。

一瞬消えた白い霧が、また湧き上がって来る。白鳥山ではそんな景色が最高の景色でもある。ようやくドリーネの近くまで来る。ドリーネとはサンゴ礁が化石化しすり鉢状にへこんだた地形の名称。水に侵食されて奇岩が付き出したりしている。今は山の中でも古代ではここは海だったのだ。もともとはサンゴの白が、いまは緑の苔におおわれて、白鳥山のドリーネの景色は、巨大な白い像の背骨の群れが重なっているように見える。ドリーネの地形は鍾乳洞とも関係があるらしい。足元では丸く苔むす岩が転がり、小さな丘が出来てその岩々に白い可憐な芍薬の花が顔を出し始める。風が吹き、霧が晴れ、当たりを見渡すといくつもいくつも、両手で丸く手の平を合わせたような花弁が顔を出す、幻のような景色が見える。

柵で保護された、白い巨像のようなドリーネの森が見えて来る。リュックから三脚を出し、カメラを構えシャッターを押す。小道からはみ出し、岩の間に足を踏み入れ、芍薬を追いかけカメラを構える。踏み込んだ足元の枯葉の下に、空洞がありはしないか、時に恐怖を感じる事がある。石灰岩は硬そうでもろい。足を踏み込んで、ごぼっと空洞に落ちはせぬか。とっさにつかんだ岩が崩れ、自分が落ちた穴をふさぎはしないか。深い深い、岩の穴。助けを呼ぼうにも道から外れ、そう誰も気が付くはずはない。ドリーネの下には鍾乳洞がひっそり口を開けているのかもしれない。

 

 

白鳥山は謎の多い山でもある。ドリーネの横の湿地帯は御池と呼ばれ、雨乞いの行われた神聖な土地と言われていた。雨乞いが行われていた当時は今のような湿地ではなく、もっと深い沼地ではなかったか。今は泥で埋まっていても、場所により、深い穴が口を開いてはいまいか。雨乞いの神事は誰が行ったのだろう。椎葉から上がって来た修験者なのだろうか。

古代から神が降臨する場所は、磐座(いわくら)という岩場で、白鳥山の御池の磐座はこの大きなドリーネに注連縄(しめなわ)が張られ、自然の神、雨を降らす神を出迎えたのかもしれない。神秘の山、伝説に満たされた白鳥山。積み重なる歴史の山は昔、蒼い海底だった。

よく語り継がれる言い伝えで熊本側の話では山頂から5本の矢が放たれ、五家荘の地名になったと言われ、宮崎側からすれば、源氏の追っ手から逃れた平家の落人が山頂の白いドリーネの景色を見て、もはやこれまでと諦め自刃したとも言われる。この言い伝えは椎葉山一揆の悲しい伝承とも重なり、山人の暮らしの困難さはかなさを思わずにいられない。

五家荘の山で不思議なのは、国見岳、白鳥山と連なる烏帽子岳も、西の岩の尺間山、更に釈迦院まで修験の跡があるのに、これと言った石仏や摩崖仏の姿が見られない。地形や人口の少なさもあるのだろうけど、そういう仏様の姿は、時の流れに霧散したのだろうか。

気が付くと、足元にざわざわと緑のバイケイソウ群れが攻めて来た。こんな広く大きなバイケイソウの大群落は見たことがない。バイケイソウは、全草に有毒アルカロイドを含有し加熱しても毒は消えず誤食したら命の危険もあるそうだ。気温が上がるとバイケイソウの緑の葉からアルカロイドが発散されるのか、群生地のあたりは命の気配はなく、しんと静まり返っている。

 

 

こんな事を考えながら山に居ると峰越からドリーネまで、普通なら片道1時間少しの道のりを、たっぷり2時間以上かかってしまった。御池から先に進む意思は僕にはない。弁当を食べ帰路に就く。

尾根に倒れ、枯死した巨体の幹にギボウシ(?) の若葉が開いていた。ギボウシは緑の葉の間から茎を伸ばし、白いユリのような可憐な花を咲かせる。僕は山に咲くギボウシの花が大好きなのだ。巨樹の死体に芽生えた緑の若葉。これは希望なのか、絶望なのか。

 

 

2024.04.16

山行

3月末に五家荘の花の写真を撮りに行った。お目当てはカタクリの花なのだけど、満開の写真が撮れるかどうかは運次第。山も本格的な春の到来となる。今年は気候変動の影響か、山桜も満開であったり、すでに散ってしまったり、開花状態が色々。悲しいかな、年来の大雨で山道も荒れ、春になっても山の疲れも取れてない気がして、何か辛い気がする。(そう感じるのは僕だけか…)

今や僕の定番の散歩道はハチケン谷の周辺。時々、石が遠くの崖から音もたてず飛んで来るのでヘルメットは必携。気が付くと頭上の木の枝が揺れている。林に踏み入ると、ヒトリシズカが緑の葉を開き、シズカに開花。岩の影をこっそりのぞくと、コバイモ、ネコノメソウもこっそりと咲いている。左側の崖のむき出しの岩の間に咲く、タチツボスミレと目が合う。今回は何故かスミレの淡い紫色の集団にたくさん出くわした。

たかがスミレと言うなかれ、写真を撮るのと一緒に、その花の性質も調べると面白い。今回あんまりきれいに見えたので、以前買った本をあらためて読む。

 

不思議な事にスミレは2種の花を咲かせるそうなのだ。(全然知らんかったな)今の大きく紫に咲いた花を開放花と言い、いろんな虫を迎え入れ、(新しい遺伝子を得る為)受粉する仕組みになっている。花にある線の模様は蜜に至るルートを示す道標(みちしるべ)ならぬ蜜標と呼ぶそうな。

スミレの2段構えの術。なんと裏技がある。開放花が咲き終えた後、秋遅くまで、地味で目立たない、ストローのような閉鎖花を咲かせる。開放花でいろんな蜂や虫に「いろんな遺伝子、みんな集まれ!」と叫び、生き延びるための強い遺伝子を集め、閉鎖花では手堅く100%受粉し、スミレの遺伝子をキープ。低コストで子孫を残す仕組みになっている。

開放花、閉鎖花、どちらの実も熟すと裂けて、種を弾き飛ばし、実験では最大飛距離2メートル飛んだそうだ。更に更に、種には蟻に運ばせるためにエライオソームという甘い物質をつけ、更に種子を遠くに運んでもらう。植物は移動できないので、色々考えて、自分らが生存する為に、真剣に工夫をしているのだなとその本を読んで改めて感心した。研究者の熱意はすごい。スミレの語源は大工道具の墨入れ。つぼみの形が似ているから。

昔、ギンリュウソウの生態系を研究した人の論文を読んだことがある。その人は光合成をしない銀色透明の銀ちゃんの栄養素を誰が運ぶのか、数年間、這いつくばって研究した。(とんでもないオタク、その人、銀ちゃん以外、友達いないだろうな、多分)

…さて、肝心の「カタクリ」の花

 

 

某所で何とか撮影できたけど、カタクリの生態も不思議…というか、カタクリは耐えに耐えて、暗い木陰に花を咲かせるのだなと感心した。カタクリは春の妖精とも言われ、他の植物が開花する前に花を咲かせ光合成し、実が熟すと葉は溶け消え、種と球根が次の年の春まで地中でひっそり眠って過ごす。短期の光合成ではキチンと成長するには大変で、種から芽生えたカタクリの最初の葉は糸のような葉。翌年は少し広めの葉を広げ、球根にでんぷんを蓄え、7,8年後、ようやく葉を2枚だし開花するそうだ。(と、いうことはカタクリの研究者は少なくとも8年は研究を続けたわけだ)

花の中心近くの紫色のMの模様は虫に蜜のありかを示す蜜標。スミレと同じように、種子にはゼリー状の脂肪酸が付いていて、蟻に種子を運んでもらう。そのゼリーが運んでもらうためのオマケだそうだ。今年のカタクリは撮影のタイミングが遅く、ちょっと疲れた顔しか撮影できなかった。

 

カタクリの花園の近くの川沿いの小道を踏み進むと、ヤマメ釣りのフライフイッシングの二人組に会う。川は荒れ、以前ならヤマメが潜んでいた淵もなくなり、苔むす岩も流され、平坦で釣果はなしとの事。二人は山や川が荒れているのに嘆きながらも、川にゴミが不法投棄されている光景を嘆く。こんな小川の奥にゴミを捨てなくてもいいのにね。

 

山から下りて、自宅近くの漁村の海岸の近くの小道をぶらぶらする。海岸も牡蠣殻、漂着したごみ、ペットボトルが異臭を放っている。

その小道の脇には、スミレの花も、もちろんカタクリの花も咲いてはいないが、まだ名も知らない、野草がたくさん咲いていた。小さく尖がった黄色に、丸い紫、朱色に青色の点々の花たちが、春風にゆらゆら揺れている。

有名、無名…花には関係なし。みんな、みんな、花たちに春が来たのだ。

 

※勝手に引用、意訳しました。 参考文献 野に咲く花の生態図鑑 多田多恵子著 筑摩書房

2024.02.28

山行

五家荘の山の番人Oさんの

フェイスブック情報で

久連子(くれこ)の福寿草の開花が始まったよ

との情報があり

2月18日深山に春を告げる

金色の花に会いに行った。

 

頑張って午前中に着き、

這いつくばり、金色の花に

カメラを向けるけど、

何故かみんな機嫌が悪そうだ。

 

この子はどうだろう、この子は?

残念ながら、みんなそっぽを向いて

顔をしかめる。

 

たまに大きく花弁を開いた子もいるが、

顔中、冷たい水滴で覆われ

寒さに青ざめている。

 

花と花の間の、柔らかい土の上を

根を踏まぬようにそっと気を付けて歩く。

 

なかなか満足のいく写真が撮れない。

大体写真は自己満足なのだし、

誰かに喜んでもらうつもりで

写真を撮るわけでないのだけど。

 

小学生の頃、僕は校内の

写生大会でいつも特賞だった。

何故かと言えば、

大人がさぞ喜ぶような絵のかき方を

要領よく覚えたからだ。

 

だから終いには、

絵を書くことが

全然面白くなくなった。

 

先生は聞く、どうしたの?

急に絵が下手になって、

何があったの?

 

だから絵を書くのが

全然、面白くなく、

退屈になったからなのです、先生。

 

(そもそも小学校の6年間が長すぎる…

海沿いの道を2キロとぼとぼ歩いて帰るのだ)

 

結果、こうして下手な写真を撮るのも

自分が満足いくか、いかないかだけなのだ。

 

ただ今回だけは、

どうも花に嫌われているような気がした。

(大げさ) 僕は途方に暮れた。

土の上にへたり込み、ぼんやりする。

たいして動いても居ないのに、何だか疲れた。

 

時計を見るともう11時、昼前ではないか。

そうして、汗を拭い、空を見上げると

谷間にもだんだん明かりがもれてきた。

 

 

やわらかな春の陽ざしが、

久連子の谷、全体に射してくる。

 

ふと足元を見ると、

さっきまで不機嫌だった子が

金色に輝く花となり、

顔をもたげ嬉しそうだ。

 

あちらこちらの花たちも

一斉に光を浴びて輝きだす。

黄色い歓声があちこちで

聞こえる。

 

 

「春植物」と言われる彼らには

今、この瞬間しかないのだ。

 

もうしばらくすると、谷間にも

たくさんの花々、木々が生い茂り養分が奪われる。

 

今のうちに、太陽からの養分をため込まないと

生きてはいけない。

そして地中深く眠りに着く、春の妖精。

 

この花の家族たちは谷にやってきて、

どのくらいの時間が経つのだろうか?

 

 

久連子に来たら、

一緒に寄るのが兵隊さんの像。

 

小さな坂を上った場所に、

日中戦争時、村から出征され

戦士された兵隊さんの姿を形作った

等身大の像が4体ある。

 

これらの像は昭和12年に建立され、

除幕式には村民200名が集まり、

戦果を讃え、死を悼んだと当時の新聞記事。

 

僕が兵隊さんらに会って10年近く。

毎年会う度にみんなの姿はほろほろと、

生まれ故郷の土の上に

零れ落ちて行くようだ。

 

背中の重たい背のう、

もう降ろされてもよいのに。

脇に立てかける銃剣も、刃がぼろぼろ。

それでもすっと背筋を伸ばし、

凛々しい顔で、

真っすぐ前を見つめている。

 

「人影もほとんどなくなりましたが、

今年も久連子の谷に春が来ました。

小さな谷間に、いつものように

金色の花が咲きましたよ。」

 

真昼の静寂。時間がとまる。

 

ふいに、向かいの山から

鹿の声が響き、また時間が動き出す。

 

2023.11.08

山行

 

ほぼ2か月ぶりに五家荘の山を歩いた。紅葉の時期である。カーラジオからは「八代市五家荘地区が今、紅葉の見頃の時期を迎えています」とニュースが流れているが、全然感情が伝わらず、まるでAIの音声のようだ。局アナは、毎年毎年同じ原稿を繰り返し読んでいるだけなのだろう。逆に、AIの方が人間よりも感情的な読み方をすると感じる時がある。

10月に博多で開催されたネットセミナーに参加し、話題のチャットGPTの話を聞く機会があった。(僕のような60を過ぎた老いぼれでも、指一本でパソコンのキーを叩きながら、通販サイトの運用を行っているのだ。)

その会場でチャットGPTの運用の実演をしたのも60近いおじさんだった。そのチャット君のすごいところは画面から何でも出してくれるところなのだ。そのおじさんがパソコンに向かい早口で指示を出す。「街路樹が紅葉した歩道を、若い女性が歩く」と言えば、それらしき女性がその指示通りに、紅葉した並木道を歩いている画像がモニターに出て来る。続けて、そのチャットオヤジが指示を出す。「街路樹の景色を浜辺に変えて、若い女性が歩く画像」と言えば数秒後、美しい浜辺を若い女性が歩いている画像が出て来る。周りのみんなは驚き「おー」と声を出しため息をつく。

だからどうした、と思う。

文章の加工力もすごい。今、僕が書いた文章を、「もっと女性に向けてかわいく書き直せ」「もっとニュース風に書き直せ」「10パターン、いろいろ書き直せ」と指示すれば数秒後、同じ意味の10パターンの書いた文章が表示される。

講演後、その手品師のおじさんの周りには人だかりができた。おじさんは、さも自慢げである。結果、その日の交流会の半分の時間は情報交換という本題から外れ、チャットGPTに乗っ取られてしまった。

 

 

自然の山に行き、どう感じるかは個々人の主観であり、何も感じない人が居てもいいし、どう感じるかは自由、勝手なのだ。僕の山歩きの効用は、頭がすっきりすること。美しい紅葉の景色に感動するより、山の精の澄んだ空気に、気分が落ち着きいやされる…そのことを「感動」と言ってもいい。写真を撮るにも絵葉書のような写真ではなく、そうでない景色を探してしまう。そうでない景色はどこにある?だから急いで登るよりも、出来るだけゆっくり歩き、登る事にしている。

今年の五家荘の山々は、また一段、疲れたように思う。繰り返す大雨、大風、気温差、崩落、川の氾濫…それでも紅葉の景色は美しいのだろうけど、山々は何か疲れているのだ。

いつもと違う、谷沿いの林道を歩くと杉林の奥の荒れた作業路に見慣れぬ赤い花が咲いている。「ホタルブクロ?」それにしては、その鈴のように連なる赤いつぼみは妖しく美しい。口先に水玉模様の重なりが見える。なんとも、虫を惑わしそうな怪しげな紋様。その子の名は「ジギタリス」。和名はキツネノテブクロ。知る人ぞ知る、毒を持った外来種。開花時期は6月前後で、すでに過ぎたはずなのに、今も赤々と花が咲いている。僕は五家荘でジギタリスを初めて見た。

 

 

自然環境の大変化がそうさせたのか。しばらくすると五家荘の森は赤いジキタリスの赤い花で埋め尽くされるのか?山が疲れたからこうなったのか。

嗚呼、そうだ…この景色は博多で見たチャットGTPが制作した、血の通わない継ぎはぎだらけの画像の匂いがする。そんな画像を見て「美しい!自然の景観!」と、みんなの壊れた脳は大きな拍手をするのだろうか。

 

2023.10.05

山行

 

NHKの朝ドラ「らんまん」が終わった。「らんまん」は日本の植物学の基礎を築いた牧野富太郎博士の史実を元に、博士の生涯をドラマ仕立てにした朝ドラなのだ。近年放送された朝ドラの中で、無理をしてストーリーを作らない、押し付けない、素直な内容だった。

 

僕が植物に関心を持ったのは、6年前、五家荘の山に入ってから。五家荘の山で見かける山野草はどうも下界のものとは違う…これは当然のことで標高1500メートルを超える場所に咲く花々と、下界の花々は植生がそもそも違うのだ…しかし五家荘にもツユクサがたくましくも咲いていた。植物音痴の僕は閉校になった小学校の空き地にも咲くツユクサの、丸い二枚の青い花びら、ちょっと化粧きつめの黄色いまぶた、宇宙人のような顔つきにも驚き感動し、カメラのシャッタ―を押していた。そしていつのまにか、町でも山でも、足元に咲くけなげな花たちを好きになった。初めて見る(その存在を知る)花々の事を「らんまん」の主人公、牧野博士と同じ「この子」と呼ぶようになった。「この子」はオタク同士の合言葉のようだ。園芸店で販売されている草花には、今もって何も感じないのだけど。

 

林道を歩いているうちに、気が付く「この子」

登りは全然気が付かなかったのに、帰りには何故がその存在に気が付く「この子」たち。

 

植物の研究者の中では、これまで気が付かなかった花の存在に気が付く事を、「目が合う」と言い方をするそうだ。

 

だんだん慣れてくると、岩の影でひっそり咲いている「この子」と目が合う。

「あー、君はこんなところにいたのか」もちろん返事はない。その花がきっかけにたくさんの群生やキノコを発見することもある。そんなこんなで、僕の山行は時間がかかるようになった。先を急がず、ぼちぼち歩いていると不思議に「この子」達と目が合うようになった。

 

五家荘の山の先輩たちの教えの影響も大きい。ただ、ネット時代の暗黙の了解で、珍しい花の居場所は絶対公開しないようになっている。どこで誰が見ているか分からないのだ。特別に教えてもらった場所はなおさら秘密厳守となる。五家荘の山野草も盗掘が絶たない。「五家荘図鑑」でも最初は花の名前や大まかな撮影場所を表記していたが、思い切って止めた。絶滅が危惧されている花たちは一旦、抜かれると、もう開花しない可能性が高い。気候変動が激しく、ただでさえ花たちの生活環境が厳しくなっていく中、自分の強欲の為に平気で盗掘する輩の無神経さは許せない。

 

春夏秋冬、五家荘の山はいろいろな表情を見せてくれるが、花も同じ。福寿草、カタクリの花ように季節の変わり目のほんのわずかな時期にしか咲かない花も多い。

 

僕が特に好きな花たちというと…

 

・オオヤマレンゲ

初夏の山頂近く。夏の青い空の下、木々の茂みの間から顔を出す、美しく高貴な白い花。大柄で大きな花弁の中から、魅惑的な瞳でじっと見つめられたら、誰もその瞳のとりこになるだろう。

 

 

・セリバオウレン

山の先輩Oさんから教えてもらった雪の結晶のような白い妖精。雪がまだ解けない杉林の暗がりを照らすように、線香花火のような、ちらちらした白い火花が飛び散っている。開花期間は短くなかなか出会う機会がない。

 

 

・アケボノソウ

この花をデザインした自然は天才だ。この水玉模様の造形美と色とりどりのバランスの取れた紋様は素晴らしい。林道を歩いていてふと目が合い、上から覗くとアケボノソウワールドに蜜を吸う蟻たちと彷徨いこむ。

 

 

・キレンゲショウマ

8月の「らんまん」では、キレンゲショウマが紹介されていた。(残念ながら番組は見れなかった) キレンゲショウマは山野草では珍しい黄色の花。硬くつぼんだ親指大の花はいつもうつむいていて、ようやく開花すると蜂がその固いつぼみの中へ入り、受粉する。

今や絶滅危惧種。宮崎県側の某斜面ではネットで保護されているが、僕の知る限り、五家荘ではたった一輪、自生している。これも山で、見知らぬ山人に指を差され、教えてもらった。苔むした倒木の上に、一人(一輪) 黄色い花が咲いている。倒木は斜面に係り、鹿も食べる事の出来ない高さにある。花を教えてくれた人は言った。「たまには、寄り道も面白いよ」

毎年、夏になると僕は決まってその谷に出かけ、キレンゲショウマの無事を確認しに行った。残念ながら、今年の夏は、その谷に向かう林道が崩落し、彼女の姿を見る事が出来なかった。

 

 

・ギボウシ

キレンゲショウマとほぼ同じ時期に開花するのが「ギボウシ」。平地でもギボウシは開花するのだけど、五家荘のギボウシはワイルド。巨木の枝の分かれ目に根を張り、濃い緑の葉を広げた中心からぐーいっと茎を伸ばし、白い花を咲かせる。山のギボウシは足元を探すのではなく、見上げるのだ。森を見上げ、山の神に吸い込まれるのだ。そのたくましさに僕は何時も圧倒された。この子も、一輪のキレンゲショウマと同じ谷に居るので、結果、今年も見る事は出来なかった。

 

 

今年は水害の影響で道路事情が最悪で、残念ながら、これらの花たちと会えない夏だった。仕方がない、時間があるので栴檀の滝に向かう。遊歩道横の川の水量が多く、滝や川の写真を撮ろうと思うが、なかなか思うような写真が撮れない。とうとう滝つぼの近くまで登って来た。滝の細かい飛沫でカメラのレンズもすぐに曇る。真昼なのに誰も居ない。一人ファインダーを覗くと、巨岩の上に一株の「ギボウシ」が咲いていた。滝の風圧に首を揺らしながらも立派な花を咲かせている。

 

 

山の草花はどこにも移動が出来ない。大雨で山が崩れ、川が氾濫しても。足元の土が揺らぎ、土砂もろとも自分の姿も谷底に崩れ落ちても。雨が降らず、日照りが続いても。それでも一輪の花を咲かせている姿がある。

 

一期一会、一輪の花。

 

五家荘の山に足を踏み入れなければ、一生、会う事の出来なかった、この子たち。

僕のこころは「らんまん」ではないが、君たちのおかげで、どんなにいやされたか。

 

最後のシーン。槙野博士がテレビを見ている僕の顔を覗き込み、目が合い、笑顔で

「おまん、誰じゃ?」と聞いて、話は終わる。

 

2023.06.23

山行

 

前回の2023年極私的山開きから、あっという間に時間が経ってしまった。

(6月18日)天気予報は曇りのち晴れ…

これはあくまでも下界の天気予報。朝7時過ぎに家を出て、山に向かえば向かうほど

雨脚は強くなる。重く暗い空…とても晴れそうにない。だが、もともと雨男の自分だし、今の時期なら寒くもない。優しい春の雨と覚悟を決め峠を越える。

例年なら白鳥山に行くところ、林道の復旧にはあと数年かかるとの情報もあり、山に登るのはお休み。写真を撮りに行くのが目的なのだ。たまには川に降りていつもと違うアングルから写真撮影という選択肢もあるけど、流石五家荘。ここぞというポイントにはヤマメ釣りの車が居る。景色が良さそうな川のあちこち、木陰にこっそり、さりげなく停めてある。僕も過去は下手な釣り人だったが、ヤマメにのぼせると、多少の雨でもひたすら竿を降るのだ。そんな時釣り人の背中を見ると(怒りで)白い湯気が出ている時がある。(そう簡単に釣れやしないし、なにしろ漁券が高すぎる。球磨川エリアは1日2千円もする!)

まったく雨も上がる気配もないので、いっそのことと栴檀の滝に向かった。滝の精を浴びるのも良しと思ったのだ。森の中には「フィトンチッド」という木々が発する成分があり、動物のように自由に動くことのできない植物が、自分の身を害虫や有害な細菌から身を護る為に、発生する森の精気の事を言うそうな。その香り成分は、人の気持ちを落ち着かせる効果もあり、森林浴は身も心もリフレッシュさせてくれるとも言われている。

 

 

ただ僕から言わせれば「山の精」とは山に古代から棲む「精霊」の事なのだ。つまり五家荘の山々は間違いなく精霊の棲む山なのだ。

数年前から縄文時代のとりこになった僕は、「忙しい仕事の暇を見て」…ではなく、「暇な会社のスキを見て言い訳を作り」しばし短い旅に出た。2年続けて長野の尖石縄文考古館、井戸尻考古館…更に諏訪大社を回ったのだ。

7年に一度開催される、日本三大奇祭の一つ「御柱祭り」で有名な諏訪大社は、諏訪湖を挟み、本宮、前宮、春宮、秋宮があり、広大な諏訪湖を4本の御柱で囲み結界を結んでいるようにも見える。諏訪大社の祀る神は「タケミナカタのカミ」。実は諏訪大社は縄文時代と深い関係がある。諏訪大社の本当の神は森の精霊、「ミシャグジ」の神なのだ。

縄文時代は今から約1万5000年前に始まり、それから1万年以上も続いた。その1万年の期間は草創期、早期、前期、中期、後期、晩期の6期に区分されている。その長い期間、縄文人は争いもせず、自然の恵みに感謝しながら共生社会を営んできた。森の中で狩りをし、木の実を取り、集落を作り、部族みんなで助け合って暮らしてきた。その暮らしの中で、世界に類を見ない土器・土偶が産まれたのだ。彼らの寿命はおそらく30歳から40歳。遺跡からは生まれた子供の足型を押した焼き物もたくさん出て来た。その足型には穴が開けられ、子供の成長に合わせて住処に飾っていた。(そんな足型が北海道の遺跡からはざくざく出てきている) そんな彼らの神が自然の神「ミシャグジ」の神なのだ。ミシャグジの神の姿は石柱か木偶の姿。日本書紀などで書かれた神が産まれる以前の話。

弥生時代になると、時代は一変。国が出来、貧富の差が出来、人が人を支配し争い領土を奪い合う。これまで海彦、山彦の昔話での物々交換でお互いの気持ちを伝えあう時代から、貨幣が出来て、貨幣が価値を決め集落は発展するが、殺伐とした時代となる。中国大陸から略奪、戦争が始まり人と人が殺し合う。佐賀の吉野ケ里遺跡も当時の遺跡がそのまま。戦で死んだ数えきれない村人の棺桶が地中に埋まったままになっている。僕は去年、初めて現地を見学したが鳥肌が立った。悲しいかな僕には弥生人の争いの姿しか見えてこない。(素人ながら断言…)弥生時代に縄文に勝るような表現の土器、土偶はない。卑弥呼なんぞ、どうでもいい。卑弥呼が死ねば、次の誰かが支配者になるだけ。それがどうしたと思う。

 

 

泉村の村誌によれば、村にも縄文の遺跡があった。乙川遺跡・柿迫坂木遺跡・椎原遺跡・矢山遺跡など。これだけたくさんの数が一つの村内にあるなんて!間違いなく、五家荘の山にもミシャグジ様は居たのだ。だから国見岳の山頂にも祭祀の跡がある。

古代人は時に山頂から山の神、自然の神に祈りを捧げたのだ。縄文関連の本を読むに、ものすごい山奥の山にも縄文人の祈りの跡があり、研究者はその跡は「狩のついでに立ち寄った、ついでの祈りではないか」と思っていたが、研究の結果、彼らはついでに祈ったのではなく、自然への祈りの儀式の為に、敢えて険しい山を登っていた事が分った。

3月に亡くなった音楽家の坂本龍一さんも縄文の大ファンで、「縄文巡礼」という本では、宗教学者の中沢新一氏と日本国内の縄文の史跡や諏訪大社、北は青森、南は奄美まで自然の神を探して巡礼されていた。坂本氏の知識は専門家並みで、中沢氏との会話も深い内容ばかりだった。坂本氏は晩年、自然が奏でる音を録音してみたり雑踏の音にも耳をすまし、作曲の参考にされていた。

まぁそんな事で、僕は滝つぼからのしぶきを浴び、空から雨の雫を受け、森の精霊の中でカメラのシャッターを押した。

濡れた体でのとぼとぼ、ぼとぼとの帰り道、枯れ草を踏み坂道を登ると、行きには気が付かなかった花が、道のわきに一輪咲いていた。この子らの、恥ずかしそうにうつむき花弁を開く姿に、僕は心救われた。山の精のご挨拶なのか。

 

 

坂本龍一さんの魂も、深い森の奥で音の精霊になられたのだな。

 

2023.05.03

山行

 

2023年4月30日が極私的山開きの日だった。

晴れの天気予報なるも朝から小雨が降り、二本杉は寒かった。

駐車場は多くの車が停まり、たくさんの登山客で賑わいを見せていた。

 

足ならしとして、雁俣山への道を辿る。

根性なしの自分は山頂を目指すのではなく、

某所で開花(?)予定の銀ちゃんこと「銀龍草(ぎんりゅうそう)」を探しに行くのだ。

今回は濡れた落ち葉の影で、白く輝くレインコートを羽織ったような、

おそらく身長3㎝くらいの銀ちゃんが顔を出し、頭をうなだれていた。

もう10日も経てば、たくさんの銀ちゃん家族の群生が出現し、

一つ目小僧のような顔をもたげるのだ。

 

 

「ユウレイソウ」という不名誉な別名を持つ銀ちゃんも、

もちろん植物の一種で、光合成をせずに育つので色は輝く白銀色。

栄養は或る森の昆虫から得ていると大学の研究者が発表している。

森には不思議な植物も多いが、その不思議君達を研究する不思議君も

多数いて、僕のような妖しい愛好家も多数居る。

そうして森をさ迷ううちに1時間は経過した。

 

ほとんどの登山者はカタクリの開花を目当てに

山頂を目指しているのだが、杉木立の暗がりで這いつくばる

僕の姿を怪しみながらも、さっさっと歩みを進めていた。

「カタクリの花は咲いてましたか?」と聞かれるたびに

返答に困る、銀ちゃん友の会代表の僕であった。

 

さて、次に目指すはハチケン谷。

ようやく雨も止み、空が曇って来た。

 

 

アケビの花は満開だった。

秋にアケビの実が弾けるような勢いで

雨に濡れたアケビの紫の花々が弾けている。

彼女らはとても元気なのだ。

このアケビの茂みは、見れば見る程、楽しく騒がしい。

そうして秋に、実がなるのを楽しみに茂みに向かうと

いつも先客が居て、アケビの殻だけが地面に落ちている。

(僕だけの秘密の場所と信じるのが大間違い!)

 

そうして、久しぶりのハチケン谷。

ゲート前の空き地は車で満車状態だった。

山芍薬の開花を目指して石の詰まった

固い林道を登る。

以前はゲート前のスペースは

花壇のように花が咲き乱れて

蝶も乱舞していたが今は静かだ。何もない。

 

 

歩みを進めて行くうちに

山芍薬の可憐な姿が、山の斜面に顔をのぞかせる。

 

 

平たく広げた緑の葉の上に

短くスッと白い花を咲かせている。

そっと丸く、手の平の上に包み込むような花弁。

白い花弁は薄く大きい、まるで蓮の花のようだ。

 

うす暗い杉木立の奥、

ごつごつ苔むした緑の岩の間に、

ぽっぽっと、白い「ともしび」が点灯する景色を想像する。

 

霧のかかる山道を歩くと、

その、ぽっ、ぽっという白い灯りが

幻想的にも見える。

 

聞くに、その花びらには、

紅く染まるものもあるそうで

白くかすむ景色の中に、赤く灯る印が点滅すると、

そこは森の精霊が棲む

神聖な場所の証なのかもしれない。

 

 

 

気が付くと、

登り始めて2時間は経っていた。

 

こんなゆるゆる山歩きの

極私的山開きの一日。

とても山頂に辿り着けそうにもないので、

林道を引き返す。

 

川底の白い石を洗いながら流れる川のせせらぎ。

最初から終わりまで頭上で聞こえる野鳥のさえずり。

 

水害で道が崩落し、

登れる山の数は減ったけど、

五家荘は林道を歩くだけでも

気分が癒される山なのだ。

 

山開きで、普段はみんなやって来るのに

今年は何故、誰も登って来ない?と

山の神様も寂しがっているのだろう。

 

2022.11.20

山行

今夏の水害で大きな被害を受けても、五家荘の山々は例年通り、鮮やかな深紅、黄の葉の色に彩られて飽きることはなかった。紅葉祭りの期間中、離合の為の一方通行の道路規制に加え、水害で寸断された道路は通行禁止の迂回路で大回り、複雑な紅葉巡りのルートになってしまった。

気の早い自分がまず、出かけたのが11月3日。もしかしたら樅木川の上流の自分だけの秘密の撮影ポイントの木々がすでに色づいているかもしれないと焦ったのだ。(そこに行くのは数年ぶり…) カメラを二台(珍しく気合が入る)をバックに押し込み、レンズ数本、三脚を無理に括り付け、非常食(スルメにチョコ)…これで大がかりな極私的撮影隊の出来上がり。万が一に備え、長いロープ(テープ)もそろえ、緊急時はこのテープを木に括り付け、谷に降りたり、這い上がるのだ…おっと、ウェーダーにも着替えないかん。面倒くさいが秋の川の水は冷たいぞ。

秘密の空き地に車を停め…ま、大掛かりな撮影隊の進軍の前に、まずは偵察じゃいと、スティック1本で坂を下る。さっさっ、ざっざっと木にしがみつきながら、枯葉の敷詰まる斜面を、川を目指して降り続ける。

と、意外と簡単に河原に着くも、はて?木がない…。

右の岸は背丈ほどの高さに地面がざっくりえぐられ、断層がむき出しになっている。左の岸は激流に洗われたのか、岩がむき出しになり、木々は流され、いつもの景色が消えていた。全部、流されたのだ。足元の水たまりには、茶色に枯れた葉が重なるだけ。僕はそんな景色の中を上流に向かって歩き始めたが、行けども、行けども同じ薄茶色の景色が続いていた。山の再生と同じく、川の再生にも何年かかるのだろうか。

決局、失意のまま、車に戻り五木経由で帰路に就いた。

 

(ついでに恥を語ると、帰路の途中、仁田尾神社に行ってみようと思い付き、途中まで車を走らせたのが、これまた恐ろしい道路で、さすがに車で行くのは危険と判断し徒歩に切り替え、長い長い、神社への道を歩いたのだが、この道が、とてつもなく怖い。崩落寸前の道路があり、ガードレール代わりに置かれた杉の大木の下は、目もくらむ谷底で、谷から吹きあがる冷風に汗も冷え、身も震え上がり、前進を断念…樅木川に次ぐ失意の連続の1日だった。)

 

今年の五家荘の紅葉のピークはおそらく11月5日~10日前後だったようだ。その肝心な期間に用事ができ、最後の撮影のチャンスは11月13日。しかも天気予報は雨。それでも土砂降りの雨以外は雨でなしと、五家荘に向かう。

今度は二本杉ルート経由で、水害の被害が少ないと思う「ハチケン谷」の紅葉が狙いだ。二本杉から大きな遠回りをして、ハチケン谷に向かう。京の丈山 山頂を目指すのではなく、登山口までの道沿いの紅葉を求めての山歩きとした。

 

 

残念ながら谷の紅葉は終演。落葉しきり…遅かった。

雨男を自任する自分だけど、時に、曇り空に日が差し、青空が見える…やっぱり来て良かった!と思うも、つかの間、雨は降り続く…

雨は雨でも山歩きは楽しと思えるのは、春の優しい細やかで暖かな雨、夏の熱さましのさっぱりした雨…さすがに11月の雨は重く冷たい。三脚が重い…結果、途中で進軍断念…。

極私的に満足して撮れたのが、車を停めた場所の足元の”1枚”だけだった。

 

 

 

 

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