熊本県 八代市 泉町(旧泉村) 五家荘
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雑文録

2024.02.28

山行

五家荘の山の番人Oさんの

フェイスブック情報で

久連子(くれこ)の福寿草の開花が始まったよ

との情報があり

2月18日深山に春を告げる

金色の花に会いに行った。

 

頑張って午前中に着き、

這いつくばり、金色の花に

カメラを向けるけど、

何故かみんな機嫌が悪そうだ。

 

この子はどうだろう、この子は?

残念ながら、みんなそっぽを向いて

顔をしかめる。

 

たまに大きく花弁を開いた子もいるが、

顔中、冷たい水滴で覆われ

寒さに青ざめている。

 

花と花の間の、柔らかい土の上を

根を踏まぬようにそっと気を付けて歩く。

 

なかなか満足のいく写真が撮れない。

大体写真は自己満足なのだし、

誰かに喜んでもらうつもりで

写真を撮るわけでないのだけど。

 

小学生の頃、僕は校内の

写生大会でいつも特賞だった。

何故かと言えば、

大人がさぞ喜ぶような絵のかき方を

要領よく覚えたからだ。

 

だから終いには、

絵を書くことが

全然面白くなくなった。

 

先生は聞く、どうしたの?

急に絵が下手になって、

何があったの?

 

だから絵を書くのが

全然、面白くなく、

退屈になったからなのです、先生。

 

(そもそも小学校の6年間が長すぎる…

海沿いの道を2キロとぼとぼ歩いて帰るのだ)

 

結果、こうして下手な写真を撮るのも

自分が満足いくか、いかないかだけなのだ。

 

ただ今回だけは、

どうも花に嫌われているような気がした。

(大げさ) 僕は途方に暮れた。

土の上にへたり込み、ぼんやりする。

たいして動いても居ないのに、何だか疲れた。

 

時計を見るともう11時、昼前ではないか。

そうして、汗を拭い、空を見上げると

谷間にもだんだん明かりがもれてきた。

 

 

やわらかな春の陽ざしが、

久連子の谷、全体に射してくる。

 

ふと足元を見ると、

さっきまで不機嫌だった子が

金色に輝く花となり、

顔をもたげ嬉しそうだ。

 

あちらこちらの花たちも

一斉に光を浴びて輝きだす。

黄色い歓声があちこちで

聞こえる。

 

 

「春植物」と言われる彼らには

今、この瞬間しかないのだ。

 

もうしばらくすると、谷間にも

たくさんの花々、木々が生い茂り養分が奪われる。

 

今のうちに、太陽からの養分をため込まないと

生きてはいけない。

そして地中深く眠りに着く、春の妖精。

 

この花の家族たちは谷にやってきて、

どのくらいの時間が経つのだろうか?

 

 

久連子に来たら、

一緒に寄るのが兵隊さんの像。

 

小さな坂を上った場所に、

日中戦争時、村から出征され

戦士された兵隊さんの姿を形作った

等身大の像が4体ある。

 

これらの像は昭和12年に建立され、

除幕式には村民200名が集まり、

戦果を讃え、死を悼んだと当時の新聞記事。

 

僕が兵隊さんらに会って10年近く。

毎年会う度にみんなの姿はほろほろと、

生まれ故郷の土の上に

零れ落ちて行くようだ。

 

背中の重たい背のう、

もう降ろされてもよいのに。

脇に立てかける銃剣も、刃がぼろぼろ。

それでもすっと背筋を伸ばし、

凛々しい顔で、

真っすぐ前を見つめている。

 

「人影もほとんどなくなりましたが、

今年も久連子の谷に春が来ました。

小さな谷間に、いつものように

金色の花が咲きましたよ。」

 

真昼の静寂。時間がとまる。

 

ふいに、向かいの山から

鹿の声が響き、また時間が動き出す。

 

2023.11.08

山行

 

ほぼ2か月ぶりに五家荘の山を歩いた。紅葉の時期である。カーラジオからは「八代市五家荘地区が今、紅葉の見頃の時期を迎えています」とニュースが流れているが、全然感情が伝わらず、まるでAIの音声のようだ。局アナは、毎年毎年同じ原稿を繰り返し読んでいるだけなのだろう。逆に、AIの方が人間よりも感情的な読み方をすると感じる時がある。

10月に博多で開催されたネットセミナーに参加し、話題のチャットGPTの話を聞く機会があった。(僕のような60を過ぎた老いぼれでも、指一本でパソコンのキーを叩きながら、通販サイトの運用を行っているのだ。)

その会場でチャットGPTの運用の実演をしたのも60近いおじさんだった。そのチャット君のすごいところは画面から何でも出してくれるところなのだ。そのおじさんがパソコンに向かい早口で指示を出す。「街路樹が紅葉した歩道を、若い女性が歩く」と言えば、それらしき女性がその指示通りに、紅葉した並木道を歩いている画像がモニターに出て来る。続けて、そのチャットオヤジが指示を出す。「街路樹の景色を浜辺に変えて、若い女性が歩く画像」と言えば数秒後、美しい浜辺を若い女性が歩いている画像が出て来る。周りのみんなは驚き「おー」と声を出しため息をつく。

だからどうした、と思う。

文章の加工力もすごい。今、僕が書いた文章を、「もっと女性に向けてかわいく書き直せ」「もっとニュース風に書き直せ」「10パターン、いろいろ書き直せ」と指示すれば数秒後、同じ意味の10パターンの書いた文章が表示される。

講演後、その手品師のおじさんの周りには人だかりができた。おじさんは、さも自慢げである。結果、その日の交流会の半分の時間は情報交換という本題から外れ、チャットGPTに乗っ取られてしまった。

 

 

自然の山に行き、どう感じるかは個々人の主観であり、何も感じない人が居てもいいし、どう感じるかは自由、勝手なのだ。僕の山歩きの効用は、頭がすっきりすること。美しい紅葉の景色に感動するより、山の精の澄んだ空気に、気分が落ち着きいやされる…そのことを「感動」と言ってもいい。写真を撮るにも絵葉書のような写真ではなく、そうでない景色を探してしまう。そうでない景色はどこにある?だから急いで登るよりも、出来るだけゆっくり歩き、登る事にしている。

今年の五家荘の山々は、また一段、疲れたように思う。繰り返す大雨、大風、気温差、崩落、川の氾濫…それでも紅葉の景色は美しいのだろうけど、山々は何か疲れているのだ。

いつもと違う、谷沿いの林道を歩くと杉林の奥の荒れた作業路に見慣れぬ赤い花が咲いている。「ホタルブクロ?」それにしては、その鈴のように連なる赤いつぼみは妖しく美しい。口先に水玉模様の重なりが見える。なんとも、虫を惑わしそうな怪しげな紋様。その子の名は「ジギタリス」。和名はキツネノテブクロ。知る人ぞ知る、毒を持った外来種。開花時期は6月前後で、すでに過ぎたはずなのに、今も赤々と花が咲いている。僕は五家荘でジギタリスを初めて見た。

 

 

自然環境の大変化がそうさせたのか。しばらくすると五家荘の森は赤いジキタリスの赤い花で埋め尽くされるのか?山が疲れたからこうなったのか。

嗚呼、そうだ…この景色は博多で見たチャットGTPが制作した、血の通わない継ぎはぎだらけの画像の匂いがする。そんな画像を見て「美しい!自然の景観!」と、みんなの壊れた脳は大きな拍手をするのだろうか。

 

2023.10.05

山行

 

NHKの朝ドラ「らんまん」が終わった。「らんまん」は日本の植物学の基礎を築いた牧野富太郎博士の史実を元に、博士の生涯をドラマ仕立てにした朝ドラなのだ。近年放送された朝ドラの中で、無理をしてストーリーを作らない、押し付けない、素直な内容だった。

 

僕が植物に関心を持ったのは、6年前、五家荘の山に入ってから。五家荘の山で見かける山野草はどうも下界のものとは違う…これは当然のことで標高1500メートルを超える場所に咲く花々と、下界の花々は植生がそもそも違うのだ…しかし五家荘にもツユクサがたくましくも咲いていた。植物音痴の僕は閉校になった小学校の空き地にも咲くツユクサの、丸い二枚の青い花びら、ちょっと化粧きつめの黄色いまぶた、宇宙人のような顔つきにも驚き感動し、カメラのシャッタ―を押していた。そしていつのまにか、町でも山でも、足元に咲くけなげな花たちを好きになった。初めて見る(その存在を知る)花々の事を「らんまん」の主人公、牧野博士と同じ「この子」と呼ぶようになった。「この子」はオタク同士の合言葉のようだ。園芸店で販売されている草花には、今もって何も感じないのだけど。

 

林道を歩いているうちに、気が付く「この子」

登りは全然気が付かなかったのに、帰りには何故がその存在に気が付く「この子」たち。

 

植物の研究者の中では、これまで気が付かなかった花の存在に気が付く事を、「目が合う」と言い方をするそうだ。

 

だんだん慣れてくると、岩の影でひっそり咲いている「この子」と目が合う。

「あー、君はこんなところにいたのか」もちろん返事はない。その花がきっかけにたくさんの群生やキノコを発見することもある。そんなこんなで、僕の山行は時間がかかるようになった。先を急がず、ぼちぼち歩いていると不思議に「この子」達と目が合うようになった。

 

五家荘の山の先輩たちの教えの影響も大きい。ただ、ネット時代の暗黙の了解で、珍しい花の居場所は絶対公開しないようになっている。どこで誰が見ているか分からないのだ。特別に教えてもらった場所はなおさら秘密厳守となる。五家荘の山野草も盗掘が絶たない。「五家荘図鑑」でも最初は花の名前や大まかな撮影場所を表記していたが、思い切って止めた。絶滅が危惧されている花たちは一旦、抜かれると、もう開花しない可能性が高い。気候変動が激しく、ただでさえ花たちの生活環境が厳しくなっていく中、自分の強欲の為に平気で盗掘する輩の無神経さは許せない。

 

春夏秋冬、五家荘の山はいろいろな表情を見せてくれるが、花も同じ。福寿草、カタクリの花ように季節の変わり目のほんのわずかな時期にしか咲かない花も多い。

 

僕が特に好きな花たちというと…

 

・オオヤマレンゲ

初夏の山頂近く。夏の青い空の下、木々の茂みの間から顔を出す、美しく高貴な白い花。大柄で大きな花弁の中から、魅惑的な瞳でじっと見つめられたら、誰もその瞳のとりこになるだろう。

 

 

・セリバオウレン

山の先輩Oさんから教えてもらった雪の結晶のような白い妖精。雪がまだ解けない杉林の暗がりを照らすように、線香花火のような、ちらちらした白い火花が飛び散っている。開花期間は短くなかなか出会う機会がない。

 

 

・アケボノソウ

この花をデザインした自然は天才だ。この水玉模様の造形美と色とりどりのバランスの取れた紋様は素晴らしい。林道を歩いていてふと目が合い、上から覗くとアケボノソウワールドに蜜を吸う蟻たちと彷徨いこむ。

 

 

・キレンゲショウマ

8月の「らんまん」では、キレンゲショウマが紹介されていた。(残念ながら番組は見れなかった) キレンゲショウマは山野草では珍しい黄色の花。硬くつぼんだ親指大の花はいつもうつむいていて、ようやく開花すると蜂がその固いつぼみの中へ入り、受粉する。

今や絶滅危惧種。宮崎県側の某斜面ではネットで保護されているが、僕の知る限り、五家荘ではたった一輪、自生している。これも山で、見知らぬ山人に指を差され、教えてもらった。苔むした倒木の上に、一人(一輪) 黄色い花が咲いている。倒木は斜面に係り、鹿も食べる事の出来ない高さにある。花を教えてくれた人は言った。「たまには、寄り道も面白いよ」

毎年、夏になると僕は決まってその谷に出かけ、キレンゲショウマの無事を確認しに行った。残念ながら、今年の夏は、その谷に向かう林道が崩落し、彼女の姿を見る事が出来なかった。

 

 

・ギボウシ

キレンゲショウマとほぼ同じ時期に開花するのが「ギボウシ」。平地でもギボウシは開花するのだけど、五家荘のギボウシはワイルド。巨木の枝の分かれ目に根を張り、濃い緑の葉を広げた中心からぐーいっと茎を伸ばし、白い花を咲かせる。山のギボウシは足元を探すのではなく、見上げるのだ。森を見上げ、山の神に吸い込まれるのだ。そのたくましさに僕は何時も圧倒された。この子も、一輪のキレンゲショウマと同じ谷に居るので、結果、今年も見る事は出来なかった。

 

 

今年は水害の影響で道路事情が最悪で、残念ながら、これらの花たちと会えない夏だった。仕方がない、時間があるので栴檀の滝に向かう。遊歩道横の川の水量が多く、滝や川の写真を撮ろうと思うが、なかなか思うような写真が撮れない。とうとう滝つぼの近くまで登って来た。滝の細かい飛沫でカメラのレンズもすぐに曇る。真昼なのに誰も居ない。一人ファインダーを覗くと、巨岩の上に一株の「ギボウシ」が咲いていた。滝の風圧に首を揺らしながらも立派な花を咲かせている。

 

 

山の草花はどこにも移動が出来ない。大雨で山が崩れ、川が氾濫しても。足元の土が揺らぎ、土砂もろとも自分の姿も谷底に崩れ落ちても。雨が降らず、日照りが続いても。それでも一輪の花を咲かせている姿がある。

 

一期一会、一輪の花。

 

五家荘の山に足を踏み入れなければ、一生、会う事の出来なかった、この子たち。

僕のこころは「らんまん」ではないが、君たちのおかげで、どんなにいやされたか。

 

最後のシーン。槙野博士がテレビを見ている僕の顔を覗き込み、目が合い、笑顔で

「おまん、誰じゃ?」と聞いて、話は終わる。

 

2023.06.23

山行

 

前回の2023年極私的山開きから、あっという間に時間が経ってしまった。

(6月18日)天気予報は曇りのち晴れ…

これはあくまでも下界の天気予報。朝7時過ぎに家を出て、山に向かえば向かうほど

雨脚は強くなる。重く暗い空…とても晴れそうにない。だが、もともと雨男の自分だし、今の時期なら寒くもない。優しい春の雨と覚悟を決め峠を越える。

例年なら白鳥山に行くところ、林道の復旧にはあと数年かかるとの情報もあり、山に登るのはお休み。写真を撮りに行くのが目的なのだ。たまには川に降りていつもと違うアングルから写真撮影という選択肢もあるけど、流石五家荘。ここぞというポイントにはヤマメ釣りの車が居る。景色が良さそうな川のあちこち、木陰にこっそり、さりげなく停めてある。僕も過去は下手な釣り人だったが、ヤマメにのぼせると、多少の雨でもひたすら竿を降るのだ。そんな時釣り人の背中を見ると(怒りで)白い湯気が出ている時がある。(そう簡単に釣れやしないし、なにしろ漁券が高すぎる。球磨川エリアは1日2千円もする!)

まったく雨も上がる気配もないので、いっそのことと栴檀の滝に向かった。滝の精を浴びるのも良しと思ったのだ。森の中には「フィトンチッド」という木々が発する成分があり、動物のように自由に動くことのできない植物が、自分の身を害虫や有害な細菌から身を護る為に、発生する森の精気の事を言うそうな。その香り成分は、人の気持ちを落ち着かせる効果もあり、森林浴は身も心もリフレッシュさせてくれるとも言われている。

 

 

ただ僕から言わせれば「山の精」とは山に古代から棲む「精霊」の事なのだ。つまり五家荘の山々は間違いなく精霊の棲む山なのだ。

数年前から縄文時代のとりこになった僕は、「忙しい仕事の暇を見て」…ではなく、「暇な会社のスキを見て言い訳を作り」しばし短い旅に出た。2年続けて長野の尖石縄文考古館、井戸尻考古館…更に諏訪大社を回ったのだ。

7年に一度開催される、日本三大奇祭の一つ「御柱祭り」で有名な諏訪大社は、諏訪湖を挟み、本宮、前宮、春宮、秋宮があり、広大な諏訪湖を4本の御柱で囲み結界を結んでいるようにも見える。諏訪大社の祀る神は「タケミナカタのカミ」。実は諏訪大社は縄文時代と深い関係がある。諏訪大社の本当の神は森の精霊、「ミシャグジ」の神なのだ。

縄文時代は今から約1万5000年前に始まり、それから1万年以上も続いた。その1万年の期間は草創期、早期、前期、中期、後期、晩期の6期に区分されている。その長い期間、縄文人は争いもせず、自然の恵みに感謝しながら共生社会を営んできた。森の中で狩りをし、木の実を取り、集落を作り、部族みんなで助け合って暮らしてきた。その暮らしの中で、世界に類を見ない土器・土偶が産まれたのだ。彼らの寿命はおそらく30歳から40歳。遺跡からは生まれた子供の足型を押した焼き物もたくさん出て来た。その足型には穴が開けられ、子供の成長に合わせて住処に飾っていた。(そんな足型が北海道の遺跡からはざくざく出てきている) そんな彼らの神が自然の神「ミシャグジ」の神なのだ。ミシャグジの神の姿は石柱か木偶の姿。日本書紀などで書かれた神が産まれる以前の話。

弥生時代になると、時代は一変。国が出来、貧富の差が出来、人が人を支配し争い領土を奪い合う。これまで海彦、山彦の昔話での物々交換でお互いの気持ちを伝えあう時代から、貨幣が出来て、貨幣が価値を決め集落は発展するが、殺伐とした時代となる。中国大陸から略奪、戦争が始まり人と人が殺し合う。佐賀の吉野ケ里遺跡も当時の遺跡がそのまま。戦で死んだ数えきれない村人の棺桶が地中に埋まったままになっている。僕は去年、初めて現地を見学したが鳥肌が立った。悲しいかな僕には弥生人の争いの姿しか見えてこない。(素人ながら断言…)弥生時代に縄文に勝るような表現の土器、土偶はない。卑弥呼なんぞ、どうでもいい。卑弥呼が死ねば、次の誰かが支配者になるだけ。それがどうしたと思う。

 

 

泉村の村誌によれば、村にも縄文の遺跡があった。乙川遺跡・柿迫坂木遺跡・椎原遺跡・矢山遺跡など。これだけたくさんの数が一つの村内にあるなんて!間違いなく、五家荘の山にもミシャグジ様は居たのだ。だから国見岳の山頂にも祭祀の跡がある。

古代人は時に山頂から山の神、自然の神に祈りを捧げたのだ。縄文関連の本を読むに、ものすごい山奥の山にも縄文人の祈りの跡があり、研究者はその跡は「狩のついでに立ち寄った、ついでの祈りではないか」と思っていたが、研究の結果、彼らはついでに祈ったのではなく、自然への祈りの儀式の為に、敢えて険しい山を登っていた事が分った。

3月に亡くなった音楽家の坂本龍一さんも縄文の大ファンで、「縄文巡礼」という本では、宗教学者の中沢新一氏と日本国内の縄文の史跡や諏訪大社、北は青森、南は奄美まで自然の神を探して巡礼されていた。坂本氏の知識は専門家並みで、中沢氏との会話も深い内容ばかりだった。坂本氏は晩年、自然が奏でる音を録音してみたり雑踏の音にも耳をすまし、作曲の参考にされていた。

まぁそんな事で、僕は滝つぼからのしぶきを浴び、空から雨の雫を受け、森の精霊の中でカメラのシャッターを押した。

濡れた体でのとぼとぼ、ぼとぼとの帰り道、枯れ草を踏み坂道を登ると、行きには気が付かなかった花が、道のわきに一輪咲いていた。この子らの、恥ずかしそうにうつむき花弁を開く姿に、僕は心救われた。山の精のご挨拶なのか。

 

 

坂本龍一さんの魂も、深い森の奥で音の精霊になられたのだな。

 

2023.05.03

山行

 

2023年4月30日が極私的山開きの日だった。

晴れの天気予報なるも朝から小雨が降り、二本杉は寒かった。

駐車場は多くの車が停まり、たくさんの登山客で賑わいを見せていた。

 

足ならしとして、雁俣山への道を辿る。

根性なしの自分は山頂を目指すのではなく、

某所で開花(?)予定の銀ちゃんこと「銀龍草(ぎんりゅうそう)」を探しに行くのだ。

今回は濡れた落ち葉の影で、白く輝くレインコートを羽織ったような、

おそらく身長3㎝くらいの銀ちゃんが顔を出し、頭をうなだれていた。

もう10日も経てば、たくさんの銀ちゃん家族の群生が出現し、

一つ目小僧のような顔をもたげるのだ。

 

 

「ユウレイソウ」という不名誉な別名を持つ銀ちゃんも、

もちろん植物の一種で、光合成をせずに育つので色は輝く白銀色。

栄養は或る森の昆虫から得ていると大学の研究者が発表している。

森には不思議な植物も多いが、その不思議君達を研究する不思議君も

多数いて、僕のような妖しい愛好家も多数居る。

そうして森をさ迷ううちに1時間は経過した。

 

ほとんどの登山者はカタクリの開花を目当てに

山頂を目指しているのだが、杉木立の暗がりで這いつくばる

僕の姿を怪しみながらも、さっさっと歩みを進めていた。

「カタクリの花は咲いてましたか?」と聞かれるたびに

返答に困る、銀ちゃん友の会代表の僕であった。

 

さて、次に目指すはハチケン谷。

ようやく雨も止み、空が曇って来た。

 

 

アケビの花は満開だった。

秋にアケビの実が弾けるような勢いで

雨に濡れたアケビの紫の花々が弾けている。

彼女らはとても元気なのだ。

このアケビの茂みは、見れば見る程、楽しく騒がしい。

そうして秋に、実がなるのを楽しみに茂みに向かうと

いつも先客が居て、アケビの殻だけが地面に落ちている。

(僕だけの秘密の場所と信じるのが大間違い!)

 

そうして、久しぶりのハチケン谷。

ゲート前の空き地は車で満車状態だった。

山芍薬の開花を目指して石の詰まった

固い林道を登る。

以前はゲート前のスペースは

花壇のように花が咲き乱れて

蝶も乱舞していたが今は静かだ。何もない。

 

 

歩みを進めて行くうちに

山芍薬の可憐な姿が、山の斜面に顔をのぞかせる。

 

 

平たく広げた緑の葉の上に

短くスッと白い花を咲かせている。

そっと丸く、手の平の上に包み込むような花弁。

白い花弁は薄く大きい、まるで蓮の花のようだ。

 

うす暗い杉木立の奥、

ごつごつ苔むした緑の岩の間に、

ぽっぽっと、白い「ともしび」が点灯する景色を想像する。

 

霧のかかる山道を歩くと、

その、ぽっ、ぽっという白い灯りが

幻想的にも見える。

 

聞くに、その花びらには、

紅く染まるものもあるそうで

白くかすむ景色の中に、赤く灯る印が点滅すると、

そこは森の精霊が棲む

神聖な場所の証なのかもしれない。

 

 

 

気が付くと、

登り始めて2時間は経っていた。

 

こんなゆるゆる山歩きの

極私的山開きの一日。

とても山頂に辿り着けそうにもないので、

林道を引き返す。

 

川底の白い石を洗いながら流れる川のせせらぎ。

最初から終わりまで頭上で聞こえる野鳥のさえずり。

 

水害で道が崩落し、

登れる山の数は減ったけど、

五家荘は林道を歩くだけでも

気分が癒される山なのだ。

 

山開きで、普段はみんなやって来るのに

今年は何故、誰も登って来ない?と

山の神様も寂しがっているのだろう。

 

2022.11.20

山行

今夏の水害で大きな被害を受けても、五家荘の山々は例年通り、鮮やかな深紅、黄の葉の色に彩られて飽きることはなかった。紅葉祭りの期間中、離合の為の一方通行の道路規制に加え、水害で寸断された道路は通行禁止の迂回路で大回り、複雑な紅葉巡りのルートになってしまった。

気の早い自分がまず、出かけたのが11月3日。もしかしたら樅木川の上流の自分だけの秘密の撮影ポイントの木々がすでに色づいているかもしれないと焦ったのだ。(そこに行くのは数年ぶり…) カメラを二台(珍しく気合が入る)をバックに押し込み、レンズ数本、三脚を無理に括り付け、非常食(スルメにチョコ)…これで大がかりな極私的撮影隊の出来上がり。万が一に備え、長いロープ(テープ)もそろえ、緊急時はこのテープを木に括り付け、谷に降りたり、這い上がるのだ…おっと、ウェーダーにも着替えないかん。面倒くさいが秋の川の水は冷たいぞ。

秘密の空き地に車を停め…ま、大掛かりな撮影隊の進軍の前に、まずは偵察じゃいと、スティック1本で坂を下る。さっさっ、ざっざっと木にしがみつきながら、枯葉の敷詰まる斜面を、川を目指して降り続ける。

と、意外と簡単に河原に着くも、はて?木がない…。

右の岸は背丈ほどの高さに地面がざっくりえぐられ、断層がむき出しになっている。左の岸は激流に洗われたのか、岩がむき出しになり、木々は流され、いつもの景色が消えていた。全部、流されたのだ。足元の水たまりには、茶色に枯れた葉が重なるだけ。僕はそんな景色の中を上流に向かって歩き始めたが、行けども、行けども同じ薄茶色の景色が続いていた。山の再生と同じく、川の再生にも何年かかるのだろうか。

決局、失意のまま、車に戻り五木経由で帰路に就いた。

 

(ついでに恥を語ると、帰路の途中、仁田尾神社に行ってみようと思い付き、途中まで車を走らせたのが、これまた恐ろしい道路で、さすがに車で行くのは危険と判断し徒歩に切り替え、長い長い、神社への道を歩いたのだが、この道が、とてつもなく怖い。崩落寸前の道路があり、ガードレール代わりに置かれた杉の大木の下は、目もくらむ谷底で、谷から吹きあがる冷風に汗も冷え、身も震え上がり、前進を断念…樅木川に次ぐ失意の連続の1日だった。)

 

今年の五家荘の紅葉のピークはおそらく11月5日~10日前後だったようだ。その肝心な期間に用事ができ、最後の撮影のチャンスは11月13日。しかも天気予報は雨。それでも土砂降りの雨以外は雨でなしと、五家荘に向かう。

今度は二本杉ルート経由で、水害の被害が少ないと思う「ハチケン谷」の紅葉が狙いだ。二本杉から大きな遠回りをして、ハチケン谷に向かう。京の丈山 山頂を目指すのではなく、登山口までの道沿いの紅葉を求めての山歩きとした。

 

 

残念ながら谷の紅葉は終演。落葉しきり…遅かった。

雨男を自任する自分だけど、時に、曇り空に日が差し、青空が見える…やっぱり来て良かった!と思うも、つかの間、雨は降り続く…

雨は雨でも山歩きは楽しと思えるのは、春の優しい細やかで暖かな雨、夏の熱さましのさっぱりした雨…さすがに11月の雨は重く冷たい。三脚が重い…結果、途中で進軍断念…。

極私的に満足して撮れたのが、車を停めた場所の足元の”1枚”だけだった。

 

 

 

 

2022.05.29

山行

烏帽子岳の山歩きで体力消耗、スマホのバッテリーで言えば、朝から体力が省電力モードの日々。押入れを捜索するに釣り竿が出て来た。2009年5月29日に買ったものだ。川幅が狭く、樹々が生い茂る日本の川専用で確か3万くらいした。すぐに釣りを始めるわけではないけど、他にもリールやルアーが出て来て懐かしい。

フライフィッシングはムチの要領で竿を振りあげ、ライン(糸)に反動をつけ、竿を降り下げ、ポイントに向かい、いかにそっと毛バリを落とすかが基本となる。うまくいけばスルスルと30メートルくらいは糸が伸び、目指すポイントに毛バリがふわふわ「かげろうが舞い降りるように」静かに着水するのだ。そして、その毛バリがそよそよと川の流れに沿い浮いて流れるのをヤマメ君が勘違いしてパクッとくわえた瞬間、クイっと糸を引き、合わせ、釣り上げるのだ。ヤマメ君がくらいつくまでに、川上から毛バリも糸も流れに沿い流されて来る。常時その糸のテンションを保ち続けるために、こっちにやってくる糸のたわみを引き締め、巻き取らなければならない。その糸のたわみは左手でたぐり寄せながら、指先で手のひらに8の字で収容する。そっとそっと、手早く。はたで見るよりとても忙しい。普通の釣りのようにリールで糸を巻いていたらその微妙な距離感、緊張感は保てない。時に流れが速い箇所では、糸をサッと左手で真下に引き続け、そつなくたわみをたぐりよせる必要がある。釣れるまで延々とその繰り返し。最初は鳥も警戒して頭上の鳴き声も途絶えているけど、鳥たちもこの釣り人は人畜無害、それどころじゃないと分かると、鳥たちはいつものようにさえずり始める。以前、堂々とやませみが、僕の頭上をバタバタと白黒文様の柄を見せながら、飛び立っていったこともある。

要するに、要領を教えてくれる人に出会わないと、フライはなかなか上手にならない。自己流で取りくむにもライン(糸)でぐるぐる巻きになり、終いには竿をへし折りたくなる。(3万の薪)、川に石を投げつけたくなる。(余計に魚が逃げる) 結句、幸運にも「当たり」が来たら、竿ごと後ろにダッシュするしかない。(本当はダッシュなぞせずに、糸を真下に引き下げ、人差し指で糸を止め竿を上げ、ヤマメ君を網ですくうのが正解)。なんともやけくそ、面倒くさい釣なのだ。熊本ではフライフィッシングの専門店は少ないのだ。

とにかく練習の繰り返しで肌感覚の習得が必要。川で苦しむ人を見たら「釣れますか?」なんて気軽に声をかけないほうがいい。「まぁ、ぼちぼちですね」とゆがんだ笑顔で答える彼に違和感を持たないで欲しい。(見物人にいい恰好しようと、相当焦っている)

運よく僕には仕事の付き合いで、フライに詳しいS先生が居て、先生は用もなく会社に来ては近くの公園でS先生直伝の釣り教室を始めてくれた。

昼の日中、事務所近くの公園の芝生の上で大の男が二人、竿を振り乱し「もう一回!ダメッ、もう一回やりましょう!」という声の響く厳しい訓練シーンは1時間以上続き、近所で話題になった。練習中は毛バリの代わりに、短い毛糸を着ける。うまくいくと毛糸はふわふわ芝生の上に着地する。(われらは、家政婦は見た状態の近所のおばさんたちに、捨ててはいけない、事務所ごみを捨てたと濡れ衣をきせられた) その後、S先生の会社は倒産、先生の意識も毛バリのようにふわふわ飛んで落ち込み、浮き上がらなくなった。(僕のせいではない)

さぁ、いよいよ公園の芝生の上ではなく、本当の川での釣りの始まりだ。最初に選んだのは清和村の青葉の瀬(あおばんせ)という小さな清流だった。その名のごとく、川面には自然林の青葉が映え、対岸は岩壁の美しい景色が人気の瀬だった。小さなキャンプ場もあり、河原ではシーズンになると川遊び、キャンプ客で賑わった。キャンプ場の上流、下流が釣りのポイントとなる。川には障害物もなく、思い切り竿を振りあげ、下ろすことが出来た。

岩の影からヤマメがパッと飛び出してくる。透明で美しい、ガラスのような川の水がどんどん流れてくる。その川の流れに押されながらも、竿をふるう。そうしてようやく釣り上げたヤマメはスマホで写真に撮り、キャッチ・アンド・リリースする。最初は持ち帰り焼いて食べていたが、(記念すべき1匹目は親父に食わせた)だんだん、川が汚れヤマメの影も少なくなると、食べるのもかわいそうになり川に戻すようになった。

フライの針先には「かえし」がないので、すぐ針は魚の口から外すことが出来る。それでもその傷で魚が弱るという意見もあるが、できるだけそっと逃がすようにしている。もともと毛バリで釣り上げる事が出来るのは1日3匹なら大漁なのだ。釣りをしていて余計に魚君が愛おしくなる。

僕はもともと霊感の強い方ではない…が、ある夜、恐ろしい夢を見た。その日も清和村の青葉の瀬で釣りをしていたが、どうも上手くいかず、ほとほと疲れた。川の横は階段状の田んぼがあり、川から這い上がりあぜ道を歩いて車の方に向かった。菜の花も満開で絵にかいたような日本の里山風景の中に僕は居た。唱歌「春の小川」のメロディが頭に浮かぶ。途中、茂みの奥に小さな川があり、井戸のような水たまりを見つけた。上からのぞくと、小さな魚たちが追いかけっこしながら遊んでいるのが見える。春の小川の水たまり、学校は昼まで友だち同士でつつき合い、追いかけ合い、藻を食べている最中だったのだ。

僕の心に魔が差す。「こいつらを釣り上げて見ようか」と。毛バリは使えないので道具入れの中には残酷で下品な「ミツマタ」の針がある。何のきっかけで買ったのかは思い出せないが、それは海用で魚をひっかけ釣り上げるための乱暴な針なのだ。その針には返しが付いていて、口からなかなか外れないようになっている。

僕は、面白半分にその、魚たちの頭の上からその仕掛けをぽんと落とした。何も知らない無垢な子供の魚たちは、その仕掛けに驚き、反射的にその針をくわえた。とっさに僕は針を引き上げるとその中の一番大きな子が針にかかり、草の上で血だらけでのたうち回った。何でこんなことをしたのか…逃がそうとその針を外そうにも暴れて中々外せない。魚の体が弾けようやくその体をつかみ、僕はその井戸の中に投げ落とした。真昼の太陽、昼を知らせるサイレンが遠くの杉山から聞こえて来た。

その日の夜、僕は夢の中でも清和村の青葉の瀬で釣りをしていた。昼になり、川の横の急な坂をよじ登り田んぼの畔に出るつもりが、なかなかその坂は急で、体を持ち上げる事ができない。這いつくばり、雑草をつかみ、ようやくあぜ道に出たかと思い顔を上げると、目の前に木の杭があり、それには「わら人形」がくくられ、左胸は錆びた五寸釘で打ち付けてあった。僕の悪夢はそこでパッと途絶え目が覚めた。手のひらは汗でにじんでいた。僕が釣り上げた魚の子はその日、死んだのだろう。

その後も釣りをしたが、最初で最後、そんな夢を見る事はなかったが、その夢の記憶は何度もよみがえってくる。

青葉の瀬の次は、待望の五木村の川に向かった。目につく川はどこにでも降りて竿を降り下ろした。全国的にも名高い清流「梶原川」にも何度も足を運んだ。残念なのは水害の度に路肩が崩れ、その工事の度にさらに自然の護岸がコンクリートで固められて、人工的な川に変容していく姿を見るようになったことだ。その工事に比例して釣り人の姿は少なくなった。護岸工事で川は人工的で安全な魚の住めない川に変貌する。(コンクリートの白い壁がひたすら美しいと思う専門家が熊本の川には多く生息する。魚が遡上するはずのない魚道を作り批判をごまかす。)入れ替えに僕は五家荘の山登りをスタート。深山ならではの見たこともない山野草に目を奪われ写真を撮り始めた。

熊本に残る自然のままの清流は五家荘の川しかない。但し、五家荘の川は茂みが多くフライには向かない場所がほとんど。3月、ヤマメ釣りの解禁となった時、ハチケン谷へと向かう道の奥の茂みからひょいと若い釣り人が出て来てくる姿を見つけ、車を停め話を聞くと彼は数匹釣れたと答えた。はてどんな釣り方?と聞くと「提灯釣りです」と答えた。小さな川に提灯を下げるようにしてヤマメを釣りあげる方法らしい。(彼は紳士で、入漁券を付けていた)

「そんな釣り方があるのか、ちいとも知らなんだ。ひとまずフライは止めて釣りを再開するに提灯釣りに挑戦してみるか…」と思い、彼の話す姿のすぐ横の川にふと目をやると落ち込みがあり、大きな岩の影に隠れて、黒くとろけるような水面の下、のんびり悠々と泳ぐ、大きなヤマメ君の姿を見つけた。結構大きい!

本人はうまく影に隠れたつもりでいるらしいが、一匹、そよそよ泳ぎを楽しんでいる。その姿の愛おしいことよ。よくこんなところまで上がれてきたものだ。

思い直す。五家荘での釣り作戦は休止。当面は森の中、ぼんやり川を眺めていよう。自宅で竿の手入れをし川の思い出に浸っておこう。

バッテリーが充電されるまで。僕の左の胸はまだ、時々痛むのだ。

2022.05.17

山行

今年の5月の連休は晴天続きで登山日和が続いた。山に登らず、林道をぶらぶら歩く、いいとことりの「山歩き」の僕だが、五家荘の春にどうしても登ってみたい山があった。それは烏帽子岳(1692m)だ。過去に登った時は時季外れで、山頂のシャクナゲの景色を見る事はなかった。赤やピンクの満開のシャクナゲに埋もれる烏帽子岳の景色がまぶたに浮かぶ。残念ながらそれはあくまでも想像の景色で、山頂のシャクナゲの群生が同時に満開になることはないらしい。烏帽子岳への山道は急な坂はないものの、歩く距離が長く、峰越から片道約3時間。そもそも海抜ゼロメートルの自宅から峠まで車での走行時間が3時間。家を出てから昼に頂上に着くには朝6時に出なければならない。

と、いう事で5月5日に僕は一人で朝6時に家を出た。しかしすでに夜明け、海岸の釣り人達はすでに満員、押すな押すな、隣人との距離2メートルでひたすら撒き餌を放っていた。(朝まずめ、夜まずめ。釣りのタイミングを逃したら取り戻せない) 釣り人の方が僕より根性がある。

予定通り峰越に9時に到着。そこから登山開始。よぼよぼ登山で尾根道を歩き頂上を目指す。風の通り道の関係もあるのか、反対側の白鳥山への尾根道よりブナの大木が両手を広げている姿がいくつも見る事ができる。新しい葉の緑も濃くなり、頭上でウグイスやらフクロウやらの声が鳴り響く。よぼよぼ…鳥たちも「変な奴が来たぞ~」と警戒しているのか、鳴きながら僕の足取りに付きまとう。

2時間経過。悔しきかな、頂上までの少し低い鞍部で燃料切れ…長い休憩…目先の長い、長い真っすぐな道よ。まだこの道が続くのか。頭が空白になる。立ち上がろうにも、バイケイソウの緑の葉が一気に道をふさぐ。

いかんいかん、深呼吸。かすかなめまい。鼻呼吸が大事だぞ。口呼吸とのバランスがくずれると筋肉が硬直すると、ある資料で読んだのだ。行きあたりばったり登山では、ゆっくり呼吸を整え歩くのが大事なのだ。体のバッテリーの容量が切れかけている。更に休憩。ようやく体を起こし、半分はいつくばりながら最後の坂道を登り烏帽子岳頂上に着く。

あちこちの茂みでは白やピンクの花が満開だ。はなびらはまるで、マシュマロのように柔らかい。長細く丸みを帯びた葉には虫食いの後がある。下界のお上品なツツジの花とは違い、山の花は素朴で力強いのだ。何とも言えない生気が漂う。蜂たちのぶんぶんいう羽音。

春の青空の下での真昼。山頂から見渡す五家荘の緑の山々全体が春の陽気に包まれている。おにぎり2個が昼ごはん。シャクナゲの迷路をさまよい写真を数枚撮り帰路に就く。これで念願の烏帽子岳にも登れて満足だ。ブナの大木、大きな日影と涼しい風をありがとう。帰りの林道の奥、川沿いの民家に大きなこいのぼりが泳いでいた。

* … * …* … * … * … * …* … * …* … * … * … * …* … * … * … * …* … * …*

2日後の5月10日は2か月に1回の定期健診だった。40項目の血液検査と薬をもらいに行く。

待合室に看護婦さんが飛んできて話かける。「最近何かしました?」「えっ?何も」「激しい運動とか?何かしたでしょう?」「いゃ、そもそもスポーツは嫌いなので」「数値がはねがってます」「ここ数年、ジュースにコーラ、みかんにようかん、いっさい食べてないです。(チョコはこっそり食べているけど)」「いや血糖値の話ではなくCKの数値が跳ね上がっているのです」

血液検査でCKという数値が通常の値の3倍、つまり平均100の数値が300に跳ね上がっていたのだ。CKとは激しい運動などで筋肉が大きなダメージを受けた時に発生する数値の事らしい。まぁ、烏帽子岳の登山の影響でその数が3倍。安静にしておれば回復するらしい。

先生曰く「過去に運動会の綱引きに参加した患者さんの数値が3000というとんでもない数値になりましたが…まぁ、時には気分転換、ぼちぼち行きましょうねー」何もせずに数値が跳ね上がる時は要検査らしい。

ところがここ数年悩んでいた血糖値は下がり、ぎりぎり正常値に回復…(ヘモグロビンA1cは下がらず)…たまには栄養補給と病院の近くのラーメン屋(これまでの人生の中で2番目くらいに旨い)で味噌ラーメンの麺大盛りを注文した。(ラーメンは1年に2回くらいしか食べない)

…糖分…いゃ当分、山は控えめにして、気になる棚田めぐりを始めよう。

 

2022.04.30

山行

4月23日は1日早い (個人的な) 山開きだった。年間を通して通う五家荘の正式な山開きは翌日の4月24日 (日曜) なのだけど、用事もあるので、1日早く山に出かけた。天気予報は雨だが、雨は雨で楽しい。もちろん大雨は別。去年の夏の豪雨でいつも楽しみにしていたハチケン谷が大崩落。秋にトリカブトを期待して林道を辿るに、道の奥でバンバン、ビーンと音が響いて来た。なんだかきな臭い香りがする。谷にコダマする音は崩落した斜面から大きな岩が落ち跳ねる音だった。林道はすでに足の踏み場もない、岩が小山のように積み上がった異様な景色が目の前にひろがる。さすがにこれ以上は無理と引き返した。(引き返す途中で足をするり滑らせ、下手な受け身…右肩を痛め、また整形外科に2か月通院するはめになった) そんな谷の林道が半年経つと、なんと重機の力で見事復活。まるで魔法にかかったように時間は巻き戻された。極端な書き方すれば、林道で自然の道を破壊しながら、自然崩落した林道を修復する繰り返し…となる。

しかし、今年の山の花の開花は1週間遅く、有名な芍薬の花もまだ固いつぼみだった。途中、霧のような雨がさわさわ降り始めた。しわしわ、さわさわ‥‥春の優しい雨に煙る谷。すでに里では散り尽くしたと思っていた山桜が数本、標高の高い五家荘の山では薄く白く咲いていた。足元の岩の上にも花弁が落ちて見上げると山桜の樹が頭の上で笑っている。

最近、気圧の変化で後頭部が痛むし、気分も落ち込む。気になりだしたら、さらに気になる。

気圧の急変は目に見えないけど、頭痛で悩む人も増えたのではないだろうか。僕の脳内の空洞化したドーム(肝心の脳は消えてしまった)の頂上から小人がガラスの細い針を落とし続けてキリキリ痛む。そんな時の薬に頼らない処方箋は山行なのだ。

道のわき岩のくぼみには可憐な「ヒトリシズカ」の群生がある。不思議な形態の花弁でシズカちゃんの、どこに花粉があるのか。「ヒトリシズカ」に咲く、この家族があちこちに満開の花を咲かせている。なんとも可愛らしい仲間だけどがみんな静か。開花期間は短い。

途中で、林道の横の谷を見るに小さな滝があるのに気が付く。道から外れ、崩れそうな坂をいったん降り、川に出、そこから見上げるに、その滝に高度差はなく、横に広く岩が露出している。苔むしている樹々の奥を滝の水はなだらかに流れ落ちている。過去の大きな地滑りで山肌が崩落し下部の岩盤がむき出しになり滝になったようだ。木をつかみながらひぃひぃ、よじ登ると、改めて写真に収めたい景色が広がっていた。ただ足元がゆらゆら、崩れやすいので、安全に写真撮るためにはいろいろ準備してまた訪問せねばならない。そんな企みを一人考え、森の中でほくそ笑む自分を「ヒトリバカカ」とでも名付けよう。

ふと視線の奥に初めて見る花が一輪。「延齢草(えんれいそう)」だと、後で山野草の生き字引 Мさんに教えてもらった。葉からいきなり花が開くような花。

「延齢草(えんれいそう)」はネットで調べるに花が付くまでに10年かかることから延齢 (長生き) という名がついたとのこと。※僕が見たのは「ミヤマエンレイソウ(シロハナエンレイソウ)」。

しかしネット検索するに、茶色の花の延齢草が楽天で販売されているのは不思議(もちろん、ポットに入った養殖物)。

これは縁起が良い。脳内ドームに針が落ちて来る自分が、そんなに長生きは出来ないだろうと思いながらも、運よく見つけた「延齢草」を喜ぶべきか。毒草だけど。

ぶらぶら楽しい「山歩き」。普通の人の倍の時間をかけて京の丈への登山口にたどりつき、山頂へ行く気はないので、雨が激しくなる中、引き返す。背負ったバックが重くなり足元がぬかるみ、林道がせせらぐ川に変わる。

もう少し気温が上がると、雨に濡れるのも、とても楽しくなる。ついさっきまで、うるさいくらいにおしゃべりしていた山の小鳥たちも家に帰ったのだな。また来るよ。スマホに君たちの声は録音させてもらいました。

2022.04.04

山行

五家荘の冬は下界と違い長い冬だ。もう雪解けかと思い、峠に向かう途中の陽のささない道にはまだ雪が積もり、時に凍結した氷道がぬらぬらと光っている。チェーンは買ったが“半ケツ”で吹きあがる風の中、一人這いつくばってタイヤと格闘するのも疲れた。山に登れたとしても花が咲く時期でなし、結果春になるまで家でじっとしているしかない。たまたま書店で樹木について書かれてある本が目についたので手に入れ、そのじっとしている時に読むことにした。

「樹木たちの知られざる生活」ペーター・ヴォールレーベン著・ハヤカワ文庫。

そもそも僕は、五家荘の山で山野草に出会うまで、植物にはまったく関心がなかった。ところが、いったん関心を持つとなんでも驚く質で、道端の「ツユクサ」の表情にも感動し、あの青紫の丸い耳に黄色い顔を大発見、このこは宇宙から来た植物だと一人驚いてシヤッターを切っていた。花はもちろん樹木はからきしダメ。見分けがつくのも杉と松くらいで、樹木の図鑑も買ったけどどうも身に付かない。

しかし、五家荘の山と親しくなるにつれ「ぶな」という樹だけは何だか見分けが着くようになった。ああ、この木が森の親玉なんだなぁと感じるようになった。「樹木たちの知られざる生活」の著者はドイツの森林管理官で森の管理の仕事をしている。ペーター氏はある時、古いブナの集まる森で苔に覆われた奇妙な形をした黒岩を見つける。氏はその岩の表面に付いた苔をつまみ出すと、それは岩でなく古いブナの切り株という事に気が付いた。更にその樹皮の端をていねいにはがすとなんとその奥に緑色の層があることに驚く。緑色、つまり葉緑素でその岩のような木は死んでいなかったのだ。辺りの岩もみんな「ぶな」の大木の切株で、切り落とされたのは約400年から500年も前のもの。研究の結果古い森では森を形作る樹々たちが根をはり、弱った樹に栄養を与えているという事実が分かった。

自然の森では一本一本が自分の事ばかり考えていたら森は持たない。死んでしまう木が増えれば森はまばらになり、強風が吹き込みやすくなる。倒れる木が増え、夏の陽ざしが直接差し込み土壌も乾燥し、どの木にとってもいいことはない。お互い貴重な存在で、病気で弱っている仲間にも栄養を分け回復をサポートし、種類の違う樹が集まり古い森は形作られているそうだ。

本には他にも知らなかった森の中の出来事が書かれてあり、樹々同士の情報の伝達にはキノコが今でいうインターネットの役割を果たしているそうだ。こんな事を書くとまるで古いおとぎ話のようだけど、2018年に書かれた最近の出版で、お話の根拠も最新の研究結果をもとに書かれてある。天然林に近い森の樹々、生き物は人間の世界よりもはるかに豊かな世界と言えるのだ。人間のように無謀、無駄な殺し合いはしない。

あらためて思うに、五家荘の森に入ると気分が落ち着くのもそのせいだと思う。残念ながら、五家荘の尾根のブナも枯れたり、倒れたりする景色が広がっている。白く骨のようになった大木の亡骸が、風に立ちすくむ姿を見るのは悲しい。小石、砂だらけの道が多くなってきた。大風で根が揺すられ、雨で土が流され根が洗われ、一本一本大木が倒れて行く。昔はもっと深い森だったろうに。大きな気候変動は人間の自然に対する無責任な行動の結果なのだろうけど、今更すぐに回復は出来ない。

3月20日、本を読んだ後、なんだか森の事が気になり白鳥山に向かう。峠に近づくと稜線が白い。昼前でも樹々は霧氷に覆われている。山頂に向かう途中、「ぶな」の大木が倒れ、根元から折れて道をふさいでいた。幹から枝がいくつも別れ、枝が網のような迷路を作っている。幹にまきつく苔からは涙のような形をした氷がいくつも下がっていた。と、驚くに、枝の先を見ると新芽がいくつも出ている。すでに死に体なのに新芽がでているとは?その「ぶな」はまだ死んではいないのか。なんともいえない気分になり、しばしその樹の姿を眺めていると、頭上からバタバタ、バタバタと霧氷の氷が頭に振り落ちて来た。行けども、行けども氷の雨は追いかけて来る。

 

 

山頂近くのドリーネの向こうの茂みでは、鹿の群れが歩いている。新芽を食べているのだろう。お尻の白い子鹿が数頭、こっちを見て警戒しながら斜面を登っている。兄弟なのだろう。

本によれば、樹々は言葉の代わりに情報を伝達する様々な、手段を持っているそうだ。しかし人間に植林された樹々は情報を伝達できず孤独な一生を送る。植林の時に根が傷付けられるので、仲間とのネットワークを広げる事が出来ないのが原因だそうだ。植林地の樹々は100年程で伐採されるのでみんな孤独のままらしい。どのみち老木まで育つことはないから。切り株まで援助し合うという友情は、天然の古い森でしか見る事ができないそうだ。

人間は100年も持たずに伐採される運命なのだけど、植林されたわけではないと信じたいから、もう少し五家荘の自然の森の中に居させて欲しいと思い、山の春を待つ。

 

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