熊本県 八代市 泉町(旧泉村) 五家荘
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雑文録

2022.05.29

山行

烏帽子岳の山歩きで体力消耗、スマホのバッテリーで言えば、朝から体力が省電力モードの日々。押入れを捜索するに釣り竿が出て来た。2009年5月29日に買ったものだ。川幅が狭く、樹々が生い茂る日本の川専用で確か3万くらいした。すぐに釣りを始めるわけではないけど、他にもリールやルアーが出て来て懐かしい。

フライフィッシングはムチの要領で竿を振りあげ、ライン(糸)に反動をつけ、竿を降り下げ、ポイントに向かい、いかにそっと毛バリを落とすかが基本となる。うまくいけばスルスルと30メートルくらいは糸が伸び、目指すポイントに毛バリがふわふわ「かげろうが舞い降りるように」静かに着水するのだ。そして、その毛バリがそよそよと川の流れに沿い浮いて流れるのをヤマメ君が勘違いしてパクッとくわえた瞬間、クイっと糸を引き、合わせ、釣り上げるのだ。ヤマメ君がくらいつくまでに、川上から毛バリも糸も流れに沿い流されて来る。常時その糸のテンションを保ち続けるために、こっちにやってくる糸のたわみを引き締め、巻き取らなければならない。その糸のたわみは左手でたぐり寄せながら、指先で手のひらに8の字で収容する。そっとそっと、手早く。はたで見るよりとても忙しい。普通の釣りのようにリールで糸を巻いていたらその微妙な距離感、緊張感は保てない。時に流れが速い箇所では、糸をサッと左手で真下に引き続け、そつなくたわみをたぐりよせる必要がある。釣れるまで延々とその繰り返し。最初は鳥も警戒して頭上の鳴き声も途絶えているけど、鳥たちもこの釣り人は人畜無害、それどころじゃないと分かると、鳥たちはいつものようにさえずり始める。以前、堂々とやませみが、僕の頭上をバタバタと白黒文様の柄を見せながら、飛び立っていったこともある。

要するに、要領を教えてくれる人に出会わないと、フライはなかなか上手にならない。自己流で取りくむにもライン(糸)でぐるぐる巻きになり、終いには竿をへし折りたくなる。(3万の薪)、川に石を投げつけたくなる。(余計に魚が逃げる) 結句、幸運にも「当たり」が来たら、竿ごと後ろにダッシュするしかない。(本当はダッシュなぞせずに、糸を真下に引き下げ、人差し指で糸を止め竿を上げ、ヤマメ君を網ですくうのが正解)。なんともやけくそ、面倒くさい釣なのだ。熊本ではフライフィッシングの専門店は少ないのだ。

とにかく練習の繰り返しで肌感覚の習得が必要。川で苦しむ人を見たら「釣れますか?」なんて気軽に声をかけないほうがいい。「まぁ、ぼちぼちですね」とゆがんだ笑顔で答える彼に違和感を持たないで欲しい。(見物人にいい恰好しようと、相当焦っている)

運よく僕には仕事の付き合いで、フライに詳しいS先生が居て、先生は用もなく会社に来ては近くの公園でS先生直伝の釣り教室を始めてくれた。

昼の日中、事務所近くの公園の芝生の上で大の男が二人、竿を振り乱し「もう一回!ダメッ、もう一回やりましょう!」という声の響く厳しい訓練シーンは1時間以上続き、近所で話題になった。練習中は毛バリの代わりに、短い毛糸を着ける。うまくいくと毛糸はふわふわ芝生の上に着地する。(われらは、家政婦は見た状態の近所のおばさんたちに、捨ててはいけない、事務所ごみを捨てたと濡れ衣をきせられた) その後、S先生の会社は倒産、先生の意識も毛バリのようにふわふわ飛んで落ち込み、浮き上がらなくなった。(僕のせいではない)

さぁ、いよいよ公園の芝生の上ではなく、本当の川での釣りの始まりだ。最初に選んだのは清和村の青葉の瀬(あおばんせ)という小さな清流だった。その名のごとく、川面には自然林の青葉が映え、対岸は岩壁の美しい景色が人気の瀬だった。小さなキャンプ場もあり、河原ではシーズンになると川遊び、キャンプ客で賑わった。キャンプ場の上流、下流が釣りのポイントとなる。川には障害物もなく、思い切り竿を振りあげ、下ろすことが出来た。

岩の影からヤマメがパッと飛び出してくる。透明で美しい、ガラスのような川の水がどんどん流れてくる。その川の流れに押されながらも、竿をふるう。そうしてようやく釣り上げたヤマメはスマホで写真に撮り、キャッチ・アンド・リリースする。最初は持ち帰り焼いて食べていたが、(記念すべき1匹目は親父に食わせた)だんだん、川が汚れヤマメの影も少なくなると、食べるのもかわいそうになり川に戻すようになった。

フライの針先には「かえし」がないので、すぐ針は魚の口から外すことが出来る。それでもその傷で魚が弱るという意見もあるが、できるだけそっと逃がすようにしている。もともと毛バリで釣り上げる事が出来るのは1日3匹なら大漁なのだ。釣りをしていて余計に魚君が愛おしくなる。

僕はもともと霊感の強い方ではない…が、ある夜、恐ろしい夢を見た。その日も清和村の青葉の瀬で釣りをしていたが、どうも上手くいかず、ほとほと疲れた。川の横は階段状の田んぼがあり、川から這い上がりあぜ道を歩いて車の方に向かった。菜の花も満開で絵にかいたような日本の里山風景の中に僕は居た。唱歌「春の小川」のメロディが頭に浮かぶ。途中、茂みの奥に小さな川があり、井戸のような水たまりを見つけた。上からのぞくと、小さな魚たちが追いかけっこしながら遊んでいるのが見える。春の小川の水たまり、学校は昼まで友だち同士でつつき合い、追いかけ合い、藻を食べている最中だったのだ。

僕の心に魔が差す。「こいつらを釣り上げて見ようか」と。毛バリは使えないので道具入れの中には残酷で下品な「ミツマタ」の針がある。何のきっかけで買ったのかは思い出せないが、それは海用で魚をひっかけ釣り上げるための乱暴な針なのだ。その針には返しが付いていて、口からなかなか外れないようになっている。

僕は、面白半分にその、魚たちの頭の上からその仕掛けをぽんと落とした。何も知らない無垢な子供の魚たちは、その仕掛けに驚き、反射的にその針をくわえた。とっさに僕は針を引き上げるとその中の一番大きな子が針にかかり、草の上で血だらけでのたうち回った。何でこんなことをしたのか…逃がそうとその針を外そうにも暴れて中々外せない。魚の体が弾けようやくその体をつかみ、僕はその井戸の中に投げ落とした。真昼の太陽、昼を知らせるサイレンが遠くの杉山から聞こえて来た。

その日の夜、僕は夢の中でも清和村の青葉の瀬で釣りをしていた。昼になり、川の横の急な坂をよじ登り田んぼの畔に出るつもりが、なかなかその坂は急で、体を持ち上げる事ができない。這いつくばり、雑草をつかみ、ようやくあぜ道に出たかと思い顔を上げると、目の前に木の杭があり、それには「わら人形」がくくられ、左胸は錆びた五寸釘で打ち付けてあった。僕の悪夢はそこでパッと途絶え目が覚めた。手のひらは汗でにじんでいた。僕が釣り上げた魚の子はその日、死んだのだろう。

その後も釣りをしたが、最初で最後、そんな夢を見る事はなかったが、その夢の記憶は何度もよみがえってくる。

青葉の瀬の次は、待望の五木村の川に向かった。目につく川はどこにでも降りて竿を降り下ろした。全国的にも名高い清流「梶原川」にも何度も足を運んだ。残念なのは水害の度に路肩が崩れ、その工事の度にさらに自然の護岸がコンクリートで固められて、人工的な川に変容していく姿を見るようになったことだ。その工事に比例して釣り人の姿は少なくなった。護岸工事で川は人工的で安全な魚の住めない川に変貌する。(コンクリートの白い壁がひたすら美しいと思う専門家が熊本の川には多く生息する。魚が遡上するはずのない魚道を作り批判をごまかす。)入れ替えに僕は五家荘の山登りをスタート。深山ならではの見たこともない山野草に目を奪われ写真を撮り始めた。

熊本に残る自然のままの清流は五家荘の川しかない。但し、五家荘の川は茂みが多くフライには向かない場所がほとんど。3月、ヤマメ釣りの解禁となった時、ハチケン谷へと向かう道の奥の茂みからひょいと若い釣り人が出て来てくる姿を見つけ、車を停め話を聞くと彼は数匹釣れたと答えた。はてどんな釣り方?と聞くと「提灯釣りです」と答えた。小さな川に提灯を下げるようにしてヤマメを釣りあげる方法らしい。(彼は紳士で、入漁券を付けていた)

「そんな釣り方があるのか、ちいとも知らなんだ。ひとまずフライは止めて釣りを再開するに提灯釣りに挑戦してみるか…」と思い、彼の話す姿のすぐ横の川にふと目をやると落ち込みがあり、大きな岩の影に隠れて、黒くとろけるような水面の下、のんびり悠々と泳ぐ、大きなヤマメ君の姿を見つけた。結構大きい!

本人はうまく影に隠れたつもりでいるらしいが、一匹、そよそよ泳ぎを楽しんでいる。その姿の愛おしいことよ。よくこんなところまで上がれてきたものだ。

思い直す。五家荘での釣り作戦は休止。当面は森の中、ぼんやり川を眺めていよう。自宅で竿の手入れをし川の思い出に浸っておこう。

バッテリーが充電されるまで。僕の左の胸はまだ、時々痛むのだ。

2022.05.17

山行

今年の5月の連休は晴天続きで登山日和が続いた。山に登らず、林道をぶらぶら歩く、いいとことりの「山歩き」の僕だが、五家荘の春にどうしても登ってみたい山があった。それは烏帽子岳(1692m)だ。過去に登った時は時季外れで、山頂のシャクナゲの景色を見る事はなかった。赤やピンクの満開のシャクナゲに埋もれる烏帽子岳の景色がまぶたに浮かぶ。残念ながらそれはあくまでも想像の景色で、山頂のシャクナゲの群生が同時に満開になることはないらしい。烏帽子岳への山道は急な坂はないものの、歩く距離が長く、峰越から片道約3時間。そもそも海抜ゼロメートルの自宅から峠まで車での走行時間が3時間。家を出てから昼に頂上に着くには朝6時に出なければならない。

と、いう事で5月5日に僕は一人で朝6時に家を出た。しかしすでに夜明け、海岸の釣り人達はすでに満員、押すな押すな、隣人との距離2メートルでひたすら撒き餌を放っていた。(朝まずめ、夜まずめ。釣りのタイミングを逃したら取り戻せない) 釣り人の方が僕より根性がある。

予定通り峰越に9時に到着。そこから登山開始。よぼよぼ登山で尾根道を歩き頂上を目指す。風の通り道の関係もあるのか、反対側の白鳥山への尾根道よりブナの大木が両手を広げている姿がいくつも見る事ができる。新しい葉の緑も濃くなり、頭上でウグイスやらフクロウやらの声が鳴り響く。よぼよぼ…鳥たちも「変な奴が来たぞ~」と警戒しているのか、鳴きながら僕の足取りに付きまとう。

2時間経過。悔しきかな、頂上までの少し低い鞍部で燃料切れ…長い休憩…目先の長い、長い真っすぐな道よ。まだこの道が続くのか。頭が空白になる。立ち上がろうにも、バイケイソウの緑の葉が一気に道をふさぐ。

いかんいかん、深呼吸。かすかなめまい。鼻呼吸が大事だぞ。口呼吸とのバランスがくずれると筋肉が硬直すると、ある資料で読んだのだ。行きあたりばったり登山では、ゆっくり呼吸を整え歩くのが大事なのだ。体のバッテリーの容量が切れかけている。更に休憩。ようやく体を起こし、半分はいつくばりながら最後の坂道を登り烏帽子岳頂上に着く。

あちこちの茂みでは白やピンクの花が満開だ。はなびらはまるで、マシュマロのように柔らかい。長細く丸みを帯びた葉には虫食いの後がある。下界のお上品なツツジの花とは違い、山の花は素朴で力強いのだ。何とも言えない生気が漂う。蜂たちのぶんぶんいう羽音。

春の青空の下での真昼。山頂から見渡す五家荘の緑の山々全体が春の陽気に包まれている。おにぎり2個が昼ごはん。シャクナゲの迷路をさまよい写真を数枚撮り帰路に就く。これで念願の烏帽子岳にも登れて満足だ。ブナの大木、大きな日影と涼しい風をありがとう。帰りの林道の奥、川沿いの民家に大きなこいのぼりが泳いでいた。

* … * …* … * … * … * …* … * …* … * … * … * …* … * … * … * …* … * …*

2日後の5月10日は2か月に1回の定期健診だった。40項目の血液検査と薬をもらいに行く。

待合室に看護婦さんが飛んできて話かける。「最近何かしました?」「えっ?何も」「激しい運動とか?何かしたでしょう?」「いゃ、そもそもスポーツは嫌いなので」「数値がはねがってます」「ここ数年、ジュースにコーラ、みかんにようかん、いっさい食べてないです。(チョコはこっそり食べているけど)」「いや血糖値の話ではなくCKの数値が跳ね上がっているのです」

血液検査でCKという数値が通常の値の3倍、つまり平均100の数値が300に跳ね上がっていたのだ。CKとは激しい運動などで筋肉が大きなダメージを受けた時に発生する数値の事らしい。まぁ、烏帽子岳の登山の影響でその数が3倍。安静にしておれば回復するらしい。

先生曰く「過去に運動会の綱引きに参加した患者さんの数値が3000というとんでもない数値になりましたが…まぁ、時には気分転換、ぼちぼち行きましょうねー」何もせずに数値が跳ね上がる時は要検査らしい。

ところがここ数年悩んでいた血糖値は下がり、ぎりぎり正常値に回復…(ヘモグロビンA1cは下がらず)…たまには栄養補給と病院の近くのラーメン屋(これまでの人生の中で2番目くらいに旨い)で味噌ラーメンの麺大盛りを注文した。(ラーメンは1年に2回くらいしか食べない)

…糖分…いゃ当分、山は控えめにして、気になる棚田めぐりを始めよう。

 

2022.04.30

山行

4月23日は1日早い (個人的な) 山開きだった。年間を通して通う五家荘の正式な山開きは翌日の4月24日 (日曜) なのだけど、用事もあるので、1日早く山に出かけた。天気予報は雨だが、雨は雨で楽しい。もちろん大雨は別。去年の夏の豪雨でいつも楽しみにしていたハチケン谷が大崩落。秋にトリカブトを期待して林道を辿るに、道の奥でバンバン、ビーンと音が響いて来た。なんだかきな臭い香りがする。谷にコダマする音は崩落した斜面から大きな岩が落ち跳ねる音だった。林道はすでに足の踏み場もない、岩が小山のように積み上がった異様な景色が目の前にひろがる。さすがにこれ以上は無理と引き返した。(引き返す途中で足をするり滑らせ、下手な受け身…右肩を痛め、また整形外科に2か月通院するはめになった) そんな谷の林道が半年経つと、なんと重機の力で見事復活。まるで魔法にかかったように時間は巻き戻された。極端な書き方すれば、林道で自然の道を破壊しながら、自然崩落した林道を修復する繰り返し…となる。

しかし、今年の山の花の開花は1週間遅く、有名な芍薬の花もまだ固いつぼみだった。途中、霧のような雨がさわさわ降り始めた。しわしわ、さわさわ‥‥春の優しい雨に煙る谷。すでに里では散り尽くしたと思っていた山桜が数本、標高の高い五家荘の山では薄く白く咲いていた。足元の岩の上にも花弁が落ちて見上げると山桜の樹が頭の上で笑っている。

最近、気圧の変化で後頭部が痛むし、気分も落ち込む。気になりだしたら、さらに気になる。

気圧の急変は目に見えないけど、頭痛で悩む人も増えたのではないだろうか。僕の脳内の空洞化したドーム(肝心の脳は消えてしまった)の頂上から小人がガラスの細い針を落とし続けてキリキリ痛む。そんな時の薬に頼らない処方箋は山行なのだ。

道のわき岩のくぼみには可憐な「ヒトリシズカ」の群生がある。不思議な形態の花弁でシズカちゃんの、どこに花粉があるのか。「ヒトリシズカ」に咲く、この家族があちこちに満開の花を咲かせている。なんとも可愛らしい仲間だけどがみんな静か。開花期間は短い。

途中で、林道の横の谷を見るに小さな滝があるのに気が付く。道から外れ、崩れそうな坂をいったん降り、川に出、そこから見上げるに、その滝に高度差はなく、横に広く岩が露出している。苔むしている樹々の奥を滝の水はなだらかに流れ落ちている。過去の大きな地滑りで山肌が崩落し下部の岩盤がむき出しになり滝になったようだ。木をつかみながらひぃひぃ、よじ登ると、改めて写真に収めたい景色が広がっていた。ただ足元がゆらゆら、崩れやすいので、安全に写真撮るためにはいろいろ準備してまた訪問せねばならない。そんな企みを一人考え、森の中でほくそ笑む自分を「ヒトリバカカ」とでも名付けよう。

ふと視線の奥に初めて見る花が一輪。「延齢草(えんれいそう)」だと、後で山野草の生き字引 Мさんに教えてもらった。葉からいきなり花が開くような花。

「延齢草(えんれいそう)」はネットで調べるに花が付くまでに10年かかることから延齢 (長生き) という名がついたとのこと。※僕が見たのは「ミヤマエンレイソウ(シロハナエンレイソウ)」。

しかしネット検索するに、茶色の花の延齢草が楽天で販売されているのは不思議(もちろん、ポットに入った養殖物)。

これは縁起が良い。脳内ドームに針が落ちて来る自分が、そんなに長生きは出来ないだろうと思いながらも、運よく見つけた「延齢草」を喜ぶべきか。毒草だけど。

ぶらぶら楽しい「山歩き」。普通の人の倍の時間をかけて京の丈への登山口にたどりつき、山頂へ行く気はないので、雨が激しくなる中、引き返す。背負ったバックが重くなり足元がぬかるみ、林道がせせらぐ川に変わる。

もう少し気温が上がると、雨に濡れるのも、とても楽しくなる。ついさっきまで、うるさいくらいにおしゃべりしていた山の小鳥たちも家に帰ったのだな。また来るよ。スマホに君たちの声は録音させてもらいました。

2022.04.04

山行

五家荘の冬は下界と違い長い冬だ。もう雪解けかと思い、峠に向かう途中の陽のささない道にはまだ雪が積もり、時に凍結した氷道がぬらぬらと光っている。チェーンは買ったが“半ケツ”で吹きあがる風の中、一人這いつくばってタイヤと格闘するのも疲れた。山に登れたとしても花が咲く時期でなし、結果春になるまで家でじっとしているしかない。たまたま書店で樹木について書かれてある本が目についたので手に入れ、そのじっとしている時に読むことにした。

「樹木たちの知られざる生活」ペーター・ヴォールレーベン著・ハヤカワ文庫。

そもそも僕は、五家荘の山で山野草に出会うまで、植物にはまったく関心がなかった。ところが、いったん関心を持つとなんでも驚く質で、道端の「ツユクサ」の表情にも感動し、あの青紫の丸い耳に黄色い顔を大発見、このこは宇宙から来た植物だと一人驚いてシヤッターを切っていた。花はもちろん樹木はからきしダメ。見分けがつくのも杉と松くらいで、樹木の図鑑も買ったけどどうも身に付かない。

しかし、五家荘の山と親しくなるにつれ「ぶな」という樹だけは何だか見分けが着くようになった。ああ、この木が森の親玉なんだなぁと感じるようになった。「樹木たちの知られざる生活」の著者はドイツの森林管理官で森の管理の仕事をしている。ペーター氏はある時、古いブナの集まる森で苔に覆われた奇妙な形をした黒岩を見つける。氏はその岩の表面に付いた苔をつまみ出すと、それは岩でなく古いブナの切り株という事に気が付いた。更にその樹皮の端をていねいにはがすとなんとその奥に緑色の層があることに驚く。緑色、つまり葉緑素でその岩のような木は死んでいなかったのだ。辺りの岩もみんな「ぶな」の大木の切株で、切り落とされたのは約400年から500年も前のもの。研究の結果古い森では森を形作る樹々たちが根をはり、弱った樹に栄養を与えているという事実が分かった。

自然の森では一本一本が自分の事ばかり考えていたら森は持たない。死んでしまう木が増えれば森はまばらになり、強風が吹き込みやすくなる。倒れる木が増え、夏の陽ざしが直接差し込み土壌も乾燥し、どの木にとってもいいことはない。お互い貴重な存在で、病気で弱っている仲間にも栄養を分け回復をサポートし、種類の違う樹が集まり古い森は形作られているそうだ。

本には他にも知らなかった森の中の出来事が書かれてあり、樹々同士の情報の伝達にはキノコが今でいうインターネットの役割を果たしているそうだ。こんな事を書くとまるで古いおとぎ話のようだけど、2018年に書かれた最近の出版で、お話の根拠も最新の研究結果をもとに書かれてある。天然林に近い森の樹々、生き物は人間の世界よりもはるかに豊かな世界と言えるのだ。人間のように無謀、無駄な殺し合いはしない。

あらためて思うに、五家荘の森に入ると気分が落ち着くのもそのせいだと思う。残念ながら、五家荘の尾根のブナも枯れたり、倒れたりする景色が広がっている。白く骨のようになった大木の亡骸が、風に立ちすくむ姿を見るのは悲しい。小石、砂だらけの道が多くなってきた。大風で根が揺すられ、雨で土が流され根が洗われ、一本一本大木が倒れて行く。昔はもっと深い森だったろうに。大きな気候変動は人間の自然に対する無責任な行動の結果なのだろうけど、今更すぐに回復は出来ない。

3月20日、本を読んだ後、なんだか森の事が気になり白鳥山に向かう。峠に近づくと稜線が白い。昼前でも樹々は霧氷に覆われている。山頂に向かう途中、「ぶな」の大木が倒れ、根元から折れて道をふさいでいた。幹から枝がいくつも別れ、枝が網のような迷路を作っている。幹にまきつく苔からは涙のような形をした氷がいくつも下がっていた。と、驚くに、枝の先を見ると新芽がいくつも出ている。すでに死に体なのに新芽がでているとは?その「ぶな」はまだ死んではいないのか。なんともいえない気分になり、しばしその樹の姿を眺めていると、頭上からバタバタ、バタバタと霧氷の氷が頭に振り落ちて来た。行けども、行けども氷の雨は追いかけて来る。

 

 

山頂近くのドリーネの向こうの茂みでは、鹿の群れが歩いている。新芽を食べているのだろう。お尻の白い子鹿が数頭、こっちを見て警戒しながら斜面を登っている。兄弟なのだろう。

本によれば、樹々は言葉の代わりに情報を伝達する様々な、手段を持っているそうだ。しかし人間に植林された樹々は情報を伝達できず孤独な一生を送る。植林の時に根が傷付けられるので、仲間とのネットワークを広げる事が出来ないのが原因だそうだ。植林地の樹々は100年程で伐採されるのでみんな孤独のままらしい。どのみち老木まで育つことはないから。切り株まで援助し合うという友情は、天然の古い森でしか見る事ができないそうだ。

人間は100年も持たずに伐採される運命なのだけど、植林されたわけではないと信じたいから、もう少し五家荘の自然の森の中に居させて欲しいと思い、山の春を待つ。

 

2022.03.08

山行

「どなり、きんぞう」これは怒鳴る、金蔵…金蔵さんが怒鳴っているわけではない。

昨夜、僕の頭の中に浮かびあがった、思い出の知人「しろきん」さんのペンネームなのだ。

10年も前、「しろきん」さんは、全国紙に「どなり、きんぞう」のペンネームで釣りのコラムを書いていた。氏のひょうひょうとしたコラムは、週に1回掲載され釣ファンに人気を博していた。名前の由来は「しろきん」さんの苗字、城からくる。城という字は土と成りでできていて、なまえが均(ひとし)を「きん」と読み、合わせて「どなり、きんぞう」となる。コラムの内容は、よくあるパターン「こういう竿仕掛けで、どこで何匹釣ったかを自慢するもの」ではなく、釣れても釣れなくても、釣りは楽しい、自然にいやされるという、肩の力の抜けたなんとも雰囲気のある内容だった。

当時の仕事の関係で氏を熊本の南部、人吉市の営業先に案内する役を引き受けた。福岡からの特急を熊本駅のホームで待っていると、氏は文庫本を真っすぐ目の間に掲げ、本を読みながらこっちに歩いてきた、いまの歩きスマホじゃないけど、歩き文庫だった。氏は僕より小柄で髪は短く縮れ、卵のような頭に小さな丸い帽子を被っていた。さりげなくおしゃれでイギリス風の柄の背広も、ズボンも折り目ただしく上品だった。僕はあえて熊本市内から山越え五木経由で人吉の営業先に案内した。(そもそも、人吉に鉄道で向かうには時間がかかりすぎる)。しろきんさんは、営業先で先方に10分も満たない短さで企画を提案し、さっさと一礼してその会社を後にした。(相手の反応を見て、無理と悟ったのだ)

それから、帰りの時間はたっぷりあるので、帰路も高速とか使わずに、山越の道をたどり、やまめの釣りのポイントを探して二人、橋の上で、あの岩の下がどうのこうの、言いながら帰った。氏はその時30万近くするヤマメ専用の竿を買ったと嬉しそうに語った。竿名人の手作りのバンブーロッドでマニアにはたまらない。一回、大きなヤマメがかかり、ぐーっと竿を振りあげる時に、その竿がたわんで「ぎしぎし」と音を立て始めたので、すかさず竿を放り出しヤマメをばらしたと、残念そうに語った。はたから見たら、何しているの?という不思議な行為に見えるが30万の竿が折れたら、そのまま川に飛び込んで河童になりたい気分になるだろう。僕もバンブーロッドにあこがれていたけど、その話を聞き、次はカーボン製の竿にした。(山本釣り具で、日本の川用の短い竿)

「しろきん」さんは全国各地のラーメンにも目がなく、熊本ラーメンの人気店を紹介すると、最後はラーメンの鉢を両手で持ち、鉢に口を付け、大きく目の前に抱え上げ本当に最後のスープの1滴まで飲んで「ご馳走様」と叫んだ。(同席した僕は顔から火が出るように恥ずかしかった) それがラーメンに対する彼の儀式、マナーらしい。歳は当時50歳近く、有名国立大学を出て、本来ならば新聞社の幹部クラスのはずだけど、いろいろあって、ぼくのような田舎の兵隊と営業戦線を回る職務についていた。いきなりバイクの大型免許に目覚め、途中、運転教習場でバイクに倒され足を骨折、入院を経て念願の免許を取り、ハーレーにまたがったり「俺、くるくるパーになっちゃった」と部下の仲井氏に連絡後、鬱で半年入院したりした。

つまりそんな氏の書くコラムが僕には面白かったのだ。しかしある時、コラムの内容が問題を起こし連載は中断する。「しろきん」さんは、持ち前のユーモア心で当時全盛だったブラックバス・ブルーギルなどのスポーツフィッシングを小馬鹿にし批判したのだ。ついでに大手の釣り具メーカーまで名指しで「昔ながらの鍛冶職人の誇り、釣り具屋の矜持を忘れたのか?」「馬鹿じゃないの?このシトたち」と書いた。残念ながら書かれた方は氏のようなシャレが分かる人々ではなかった。記事に激怒した団体、個人は新聞社に猛抗議し、新聞社はやむを得ず紙面で謝罪、連載は中止された。今も検索すると、記事も読まずにとにかくこいつはけしからん、こらしめろというコメントが出て来る。自分たちに異論をはさむ奴らは絶対許さないというようにみんな連携し、思考が硬直し不寛容になる。そんな空気感は今も変わらない。それどころか、加速されている気もする。相手の発言の前後を読まずに切り取り、一方的に決めつける。普段はおとなしい人でも、いったんグループに加わると、排他的、攻撃的になるのだろうか。(僕も気を付けよう)

 

と、いう事で、長い前置きでした。

今年の1月、2月にかけて、五家荘の山々がスプレーマーキングされ、汚される事件が発生した。最初は国見岳、次は久連子岳。ピンクや黄色のスプレーで岩や樹々に、道に迷わないように、数十個所、印が付けてある。この行為は全国の山々でも行われている悪業なのだ。

使用されたスプレー缶は、木の陰に隠すように捨てられていた。登山道整備プロジェクトのO氏らのメンバーは集まり真冬にそのスプレーの除去作業を行った。国見岳の作業は吹雪の中で実行され、その事件は新聞やテレビのニュースでも報道された。

その犯人は当然、山に登ったのだし、汗をかいたのだ、そして自然の風に、癒されたはずなのに、そのお返しとしてスプレー返しとは。なんともはや。同じグループの人々が道に迷わないように自然の木や岩にマーキングする。

突き詰めて言えば、人が山に登るのも山を痛める行為でもある。人気のある山には登山者が多く集まり列を作り道が出来る。雨が降るとその登山道に水が流れ、道はえぐられ、自然は荒れていく。だから、せめて山に登る人は、それ以上、山を痛めないように気を使いながら山に登るのだと思う。

スプレーマーキンググループは、川の世界で言えば、「外来種」。外来種の発想が、これまでの登山の「在来種」の世界に放たれたのだ。

話は又、川の話に戻るけど昔、琵琶湖で外来種と在来種の論争があった。ブラックバス、ブルーギルなどの肉食外来種が昔の在来種を食い荒らし、すでに昔からいた日本の魚絶滅寸前に追いやった。外来種の魚を駆除し、昔の琵琶湖を取り戻そうというグループがスポーツフィッシングに規制をかけようと言い出した。それに猛反対したのが自然派のお笑いタレント清水国明氏で、彼ははスポーツフィッシングにも釣りを楽しむ権利があると裁判に打って出た。(敗訴したけどね) 清水さんは乱獲する漁師にも問題あるし、在来種の減少の原因は琵琶湖の汚染にも問題あると反論する。いくら外来種と言えども、殺処分するのはあんまりだ…。当時の裁判記録を清水氏は本(釣戦記)にしていて、今度読んでみようと思う。

僕が面倒くさいと思うのは、登山界においてもスプレーマーキングしている連中から、自分らにも自然を楽しむ権利があるし、マーキングして何が悪い、そうしてどんどん人が増えれば地元も賑やかになっていいではないか、と言う意見が出る事なのだ。登山者だって山を汚しているではないか。

そんな彼らに、僕が公に「馬鹿じゃないの、このシトたち」とか言ったらどうなるのだろう。「そんな奴らは、グルグル巻きにして、スプレー缶でピンク色に染めて、五家荘の谷につき飛ばそうといったら?」どうなるのか?(そんなこと言ったら、在来種、外来種、両方から嫌われるけんやめなさいとOさんに諭された。)

 

今はこれだけ雑文録に書くことにしょう。

スプレーマーキングした犯人ども「馬鹿じゃないの、このシトたち!」

 

さらに、ついで。

当時、熊本市内にフライの専門店(ススキ)があった。店に入るにそのオヤジ、いきなり素人の僕に5万くらいする竿のセットを売りつけて来た。知人の釣り名人(故人)に聞くに、そのオヤジはこっそり、五木の山奥の湖(内谷ダム)に外来魚の稚魚を放流していた。そういう行為を釣り具の専門店がやって、お客を増やし道具を売っているなんて…その店は罰が当たり閉店した。結果、オヤジは自分が放流した外来魚の始末など何もせずに、湖の生態系を破壊したのだ。「スポーツフィッシングにも釣りを楽しむ権利がある」という論理で。

「しろきん」さんは、その後、田舎の通信部で新聞記事を書いていたけど、今頃どうしているのか。スプレーマーキングの記事ネタ、あるんだけどなあ…

2回目のスプレー除去作業(久連子岳 2月27日)に僕も参加。自分でも思うにまったく役にたてなかった。途中の斜面に添う細い道に頭がふらふらして、歩くのがやっとだった。犯人どもをひっ捕まえて、谷に突き飛ばすどころか、自分で自分を谷底に何度も突き飛ばしかけた。なんとも恥ずかしい。清掃作業に参加した子供たちに「何にしにきたのあのシト?」と、馬鹿にされていたに違いない。

そんな何の役にも立たない、情けない僕にも、福寿草は金色の花弁を満開にして、僕の貧しい心を癒してくれる。そんな山の花を盗掘、踏み荒らしたり、岩にスプレーするのは許されない。許さないからねっ。

 

2021.12.27

山行

今年最後の五家荘。12月26日が2021年最後の五家荘行きだった。右肩の腱板の痛みも、整形外科のリハビリのおかげで、だいぶマシになったし。行く前には貼るカイロを、左右の肩、腰、首に、パンパン貼り付けた。ネットでゴム製のタイヤチェーンも買った。

家人から言わせれば「馬鹿じゃないの」という雰囲気、予定としたら、白鳥山の内の谷の登山口から少し谷を登り、すぐ帰る、という極めて軟弱な思想に基づいたルートにした。ところが週末は九州でも数年に1度の寒波到来との事。大雪も怖いが、この寒波が五家荘にとっては曲者なのだ。積雪はないが、路面はカンカンに氷つき、白い粉のような氷の塊は風にサーッと流れて、車から降りるも怖い、テカテカ光る路面の氷道なのだ。以前は普通のチェーンを巻いていたが、林道の走行中に合間、合間に顔を出す氷道の度に1日に5回も6回もチェーンの着脱の作業が面倒で仕方ない。スタッドレスタイヤを履けば済むことだが、毎週、山に行くことはないし、もちろん金もないので、間を取ってゴム製のチェーンを買った。

で、さっそく出かけるに、大通り峠のトンネルを過ぎると、すぐ100メートルくらいの白い氷の道が出てきた。早速、買ったばかりのチェーン装着作業開始。最初なので中々手間がかかる。案の定、しゃがむ僕の冷風に捲れた腰、半ケツを冷たい風が吹き上げる。肩も痛いがそんなこと言っておられない。何度も何度も氷りついた風が吹きまくる、その悪戦苦闘中の僕の真横を、地元のおばさんの運転する軽自動車が横目でさりげなく通り過ぎる。爺さんの運転する軽トラが憐みの顔をしながら、坂を登り行く。スタッドレスのタイヤのコマーシャル、こんなシーンがリアルだと思うけどなぁ。

結果、こんなありさまでは白鳥山に、何時たどり着けるか不明。行きは良くても帰りはもっと怖い。パンパンに膨らんできた右肩、曲がった指先を見ながら、今回は白鳥山は断念、椎原経由で、梅ノ木轟の滝の見学の後は、二本杉から雁俣山の散策ルートに変更することにした。五木村の物産館で原木椎茸を買い込む。(誰も来れないから、美味しい椎茸が山積み) 駐車場で冷たいおにぎりを頬張る。時計を見るともう昼前でないか。この気候の状態で行くと、梅ノ木から二本杉まで向かうの長い登坂は、白く激しく凍結間違いなし。チェーンの作業はあと1回は必ず必要となる。

いったん、梅ノ木轟の吊り橋に着くと、現金なもので「もっと雪が降らないと写真が撮れないではないか」と勝手にわがままを言いだす。とにかく寒い。誰もいない。滝の写真と、霜柱の写真を撮り、帰路に着く。空は曇り、峠までの氷道の入口で予想通り、チェーン装着。繰り返し、吹き上げる冷風。またも半ケツ。腹が急に冷える。峠に着くも雁俣山を散策する体力すでになし。

 

 

もう、自分には昔のような勢いはない。(今から思うと冬場でもぞっとする無謀な行動をしていた。) しかし、今年一年を振り返るに白鳥山には峰越ルートから何度も登ることが出来て楽しかった。国見岳については大雨で登山口までの道路が崩壊し、なかなか登る事が出来なかったのが心残りだが、自分としては登山口まで、林道をうだうだ1時間でも2時間でも、歩くだけでも良かったなと後悔している。

そんな登山 (?) のどこが、楽しいのか?と問われても、そのうだうだ歩きが自分は楽しいだけと、答えるしかない。

2021年を表わす一時が「金」との事。これはオリンピックの「金メダル」の事を指したいらしい、審査員が空気を読んで選んだ一文字だろうが、読みはどう考えても「金 (かね) 」だろう。

最近、過去に受けた頭の手術のせいか、加齢のせいか、とても音に敏感になってきた。音と言うのは、人の言葉でもあり、人の作る雰囲気、空気の事でもある。

僕から言わせれば今年は、「騒」の1年だった。いや「騒」でなくてもいい。「偽」でも、「虚」でもいいではないか。「愚」でも「醜」でも「悪」でも。そんな騒がしい言葉に取り囲まれた1年だった。

オリンピックに反対する人は、オリンピックを見るなと、某国会議員が発言していたが、その議員の言う通り、僕はたまたまニュースで流される報道以外、自分の意思でオリンピックを1秒も見なかった。(だから、オリンピックの1兆円を超す赤字はこの議員が払って欲しい) ※開催の収支決算の公表は開催1年後の来年、夏頃だそうだが、世間様の様子を見て公表するのだろう。もしくは偽証、準備中。

そんな落ち着かない、僕の心の空騒ぎが、五家荘に行くと、山の鳥たちの声、風の音、水のせせらぎで、ぱっと止まり「静」かな時が流れ始める。だから登山口までの1時間だけでも、歩いているだけで楽しいひと時になる。

そのひと時を写真のシャッターで切り取るのが、僕の今の山行なのだ。(もう登山とは言えない) 来年1回目の山は何時頃になるか、楽しみでもある。

2021.11.29

山行

霊感がどうの、守護霊がどうの (熊本市内の事務所の近くにある、某教団から無料の本がしょっちゅう送られてきて迷惑) 信じるタイプではないが、山を歩いていて「何か」を感じる時がある。その「何か」とはその場の磁力かもしれないし、なんらかの波動かも知れない。実際、登山用の磁石は目に見えない力で正確に北を指すのだ。

以前、ヤマメ釣りをしていた頃、いろいろな川を見つけては、道を降り、川に針を落としていた。ある日、某農業高校の分校近くの車道のわきに、車一台通れるくらいの古道を見つけ、川に降りて行った。舗装が途切れた道の先は緑の樹々に覆われた広く薄暗い淵になっていて、ちょうど川がえぐられたように膨らみ、蛇行しているその水たまりのスペースは釣りには恰好の場所だった。

昔の大雨の被害の跡だろうか、橋の欄干の一部が残っていて、この道は川を挟んで集落間の生活の行き来に使われていた形跡がある。淵は苔むし、水の色は深い緑で大きくうねっていた。この淵の深い奥底、岩の影にヤマメは息を潜め、居るはずだと、僕は何度も竿を振りあげ、岩から滑り落ち白く水が泡立つポイントに毛バリを落とした…しかし、うねる流れに乗り白い毛バリがふわふわ流されていくが、いっこうに魚のアタリの気配がない。気配がないどころか川に生気が感じられないのだ。何だか体全体がズーンと重く、気分が悪くなる。何度も何度も、針を落としても上手くいかない。その時は、その場をあきらめ、次の川を探しに坂を戻った。ところが次の休みの日も、僕は同じ場所に呼び戻されたように戻り、同じ場所に立ち竿を川に振りあげた。全然当たりがないのが悔しいのか、その淵に何か誘われた気がしたのだろうか。そして途中、前回と同じように体全体が重く、動きが取れなくなった。その場にいるのも耐えられず、しかし場所を変えるのではなく、重い体を動かし、その川をさかのぼることにした。ヤマメ釣りは本来、釣り上がるのが基本なのだ。ひざ下まで川に浸かり、転がる岩を避けながら上流を目指す。川の水深は浅く、流れは想像以上に早く足をとられそうになる。やはり、全然魚のいる気配がしない。釣りどころではない、早く陸地に上がれそうな場所を探さないと、すでに両岸は荒れた竹林に覆われ這い上がる道も見えない。また、体全体がズーンと鉛を背負うように重くなる。ふと、足元を見ると、水の色は透明で、白くさらさらと流れ、川底の石も手に取るようにくっきり見え、その石の横に細い白い骨が見えた。おそらく猪か鹿の骨なのだろうが…僕の体は驚き、跳ね上がろうにも川の流れに足をとられ、ここがどこだか、更に重く動かなくなって流れにたちすくんだのだ。

ハチケン谷も同じく、谷に向かう途中の林道で、僕の体は重くなる時がある。車に乗っていても同じハンドルが重く、一昨年、何かを感じた時に車の後ろのタイヤがバーストして、完全に動かなくなった。荒れた竹林に覆われた廃屋のトタンふきの屋根を見た時だった。普通、タイヤがパンクするのは落石の尖った先を踏んだ時なのだが、そんな形跡はまったくなく、ナイフで切り裂いたようなタイヤの傷口は側面に10センチほどの長さだった。(レッカー車を呼ぶのにえらい高い費用と時間を要した)。それにもこりず、ハチケン谷に向かうたびに、同じ場所で「何かを感じる」ので、最近はその道を通らず、本線からの分岐の前の空き地に車を停め、景色を眺めながら歩いて谷のゲートに向かう事にしている。

ハチケン谷は川に沿って峠に向かう林道があり、度々の水害でその林道は壊滅状態になった。今春久しぶりに訪れると、その荒地は見事改修され、ほどよい登山道に変身した。切り開かれた林道の左右の新緑の景色を眺めながら坂を登り、峠の近くになると杉林の斜面に山芍薬の姿が見られた。白くまるい、拳くらいの芍薬の花ビラは妖しく瞳のように大きく開き、不思議な空間を作りだしていた。芍薬だけではない、ヒトリシズカや、蘭、山野草が花の蜜の香りとともに、林道のあちこちに咲き誇り、深山の春のひと時を楽しむことができたのだった。

そして、秋のハチケン谷の紅葉の景色も楽しみだと僕は期待した。夏も過ぎると、紅葉の前に「トリカブト」の群生が見られると、山の先輩のフェイスブックにトリカブト独特の花の写真が載り始める。(これらの花は違うルートで山に登り撮影されたものだったのか) 残念ながら、トリカブトの開花時期は逃したが、10月30日、少し早いが山の紅葉の景色だけでも一人楽しもうと思い、僕はハチケン谷の入口のゲートをくぐった。

そこで見たのは、紅葉どころではない、夏の大雨で崩壊され尽くした谷の景色があった。5分も登ったところで、道はなだれうち押し寄せる、丸い大きな岩の塊に埋め尽くされていた。僕の足元には初めて見る黄金色のキノコが傘を開いていた。その色は、この先キケン立ち入るなとの警告だったのかも知れない。

 

 

ふと耳の奥に、「バーン」「バーン」と音が弾き、響いてくる。何の音か?その音は鳴りやまない。遠くをみても道は見たらず、押し寄せる岩と崩落した茶色の山肌しか見えない。思うに、その「バーン」「バーン」と言うのは崖からまだ崩れ落ち続ける岩の音なのだ。不気味に谷のあちこちから音が聞こえてくる。「この先、危険」万が一、その岩がこっちに向かってはじけ飛んできたら逃げようはない。通常の登山道でも、ガレ場を登っていて、足元の小石が崩れ落ち、たとえその石が小さな石でも、次に大きな石に当たり、ガレ場全体が崩落する危険がある。ハチケン谷は大きな岩がはじけ飛んで、僕のあしもとまで押し寄せて来ていたのだ。

過去に山で遭難した時も、闇の中でゴロゴロ、ゴロゴロと岩の転がる音がしていた。川の中で、岩が流れに押されて転がり落ちる音が響いていた。山はそうして、木がなぎ倒され、谷が崩れ、岩がはじけ飛んで形相が変わっていく。

ハチケン谷はキケンだ。シャレを言っている場合ではないぞ。

帰ろうと、振り返り坂を下る途中、僕はコンクリートの苔むした道に足を滑らせ、右肘を強打した。とっさにカメラを守り、肘をつくことでカメラを守った。(最近、病気の後遺症で足元がふらつき平行感覚がつかめない)

そして、ひじをついた足元に「トリカブトの花」を見つけた。こんな時期になっても半分枯れかけた茎に咲く紫の花が三輪…猛毒とも言われる異形の花「トリカブト」が目の前に現れた。僕は痛みとしびれる指先でシャッターを切った。

 

 

2021.11.21

山行

五家荘の自然は山野草、生き物の宝庫と言われるのに情けないが、僕は今もって山野草の名前はともかく、樹木の名前が覚えられない。写真の撮り始めはツユクサを珍しい花と思い、地べたにはいずりながら写真を撮っていた。町の草むらのどこにでも咲いている花で、そんなことも知らないのかと周りからさんざん馬鹿にされていたのだけど、標高800メートルの草地にも咲いているのだから、珍しい花だと信じてなにが悪いと言い返してしまう。これもツユクサ族の生命力の強さ、気候変動の遠因にもよる者なのだ。だいいち可愛いではないか。青い大きな耳を広げ、黄色い目をして口を尖がらせている姿はチャーミング、宇宙人の変身した姿とも感じる。ともかく無知の力、珍しいと思ったらシャッターをどんどん切っていた。

しかし、じっとしている山野草はともかく、生き物にはなかなか出会う事はない。時々、谷でカエルに出会うが、そんな彼らのじっとしている姿もお互い様。じっと見つめあう。こっちが見ていると、相手も見ている気がする。樅木の川で岩の上に這い上がってきたカエルと見つめ合う。最後は相手が根負けして、すごすごと川に落ちたが、落ちた場所が気に入らないらしくまた、岩に這い上がってきた。山で写真を撮っているうちに、彼らとは何か以心伝心、心が通うひと時がある。

そんなこんなで山をうろついていて、蝶に出会うのはうれしいものだ。平家の紋章は黒アゲハ。アゲハは大型の蝶の部類で、春先、偉そうに、あまり逃げもせず、堂々と蜜を吸う姿はなかなかたいしたものだ。何しろ自分の姿が五家荘の家紋なのだから。

蝶たちは決まった場所に行けば必ず会えると決まったわけではない。そんななかで、今話題の「アサギマダラ」はそれなりに居そうな場所が分かる。「そんなの時期」に「あんな場所」に行くと出会う確率が高いとしり車を走らせる時は、本当にわくわくする。

そのつもりで、今年の夏は2度も3度も出かけたが、全部、雨。見かけたとしても頭上はるか上。ネットで見るに、アサギマダラは上昇気流に乗るすべを持ち、あっという間にはるか山の上を舞い上がり、また、遠くへ滑り落ちて、何千キロも旅をするのだ。日本列島、東北から台湾まで。海の渡り方も同様で気流に乗り、滑り落ちる。漁師さんの証言では、波間に漂うアサギマダラを手に取ろうとすると、また空へ飛び立ったそうだ。

漂流しながら体を休めているらしい。時には岸から陸地に這い上がる姿も目撃されている。彼ら彼女らはいったい何が目的でそんな旅をするのだろうか。生き物は自分の種を残すためにいろいろな行動をするわけで、旅する行為が「アサギマダラ族」の生き延びる知恵なのだ。以前、僕はアサギマダラに会うにはは隣町の某所に行けば会えることを知った。標高1500メートルから隣町の標高10メートルもしない場所へ。蝶の道がある。更に、天草の半島の某所でも乱舞する場所を知った。天草灘の向こうは、台湾なのだ。

今年会えたのは夏の終わりどころか、秋の始め10月3日。その日もあきらめて帰路につくとき、車の上をよぎる影。即座に車を停めると、一羽、小さな滝のわきに咲く花の蜜を吸いに現れた。

そして僕の為に、ジーッとしてくれたのだ。僕は少し興奮しながらシャッターを切った。

自慢ではないが、カエルと同じ、以心伝心、何か気持ちが通い合う一瞬なのだ。

数キロ離れた隣町で会うのではなく、僕は五家荘で彼ら彼女に会いたいのだ。行きかえりにラジオで「子供科学電話相談」を聞く時があるが、何だか最近、子供たちの質問もつまらないし、先生の答えもつまらない。小賢しい質問はスマホで検索すればいい。子供がわざわざ聞きたいのは、「どうして生き物は生きているの?」「なんで僕はここにいるの?」という根源的な疑問があるからなのだろう。そこのところを共有しないと面白くない。アサギマダラの行動は研究でいつか明らかになるだろうが、実際、言語が通じないお互い同士、細胞レベルまで調べたとしてもお互い、何を考えているのかわからないではないかと思う。

数年前、電話相談室で「人間死んだらどうなるの?」「こころはどこにあるの?」という久々によい質問があったが、その問いに答える事が出来そうなのは、研究者の中には、もちろん誰もいなかった。脳の構造がどうの説明しだした脳学者もいたが、無味だった。

そうして10月も終わり、熊本市内の事務所の近くの公園で、僕は足を止めた。僕の足の前には、羽が破れた蝶の死骸があった。アサギマダラだった。

五家荘であった一羽が会いに来てくれたのだ。そう信じて何もおかしくはない。その姿をスマホで写真を撮り、僕は胸に収めた。

2021.10.20

山行

昨日、久しぶりに五家荘の山の先輩、守護神、Oさんからメッセージが届いた。最近雑文録を更新しないので、どうしていますか?と聞いてこられた。前回の雑文録の内容が少し、危ない内容だったので心配していただいたのかもしれない。ありがたいことであります。

確かに夏は暑いし、その暑さと景気の悪さのせいで、僕の頭は危うくなっていた。ここ数年、脳内で「般若心経」を解毒する活動を密かに行い「般若心経」とやらの解説書で小銭を稼ごうとしている輩の本を読破、放り投げ、「色即是空、空即是色」の意味を自分なりに理解したのはある夏の夜明け、窓の外が、限りなく透明に近いブルーに染まる朝だった。僕は身体を起こしはたと膝をたたき、膝の上でまどろんでいる飼い猫の寛太を放り投げ、手のひらを嚙まれてしまった。寛太は爪でひっかかずに、噛むから「寛太」と言う…つまり、大勢の猫に囲まれて僕は「般ニャー心経」の大義を会得したのだった。

この意味は大きい。この大義を会得するには五家荘の森の奥の迷走…いゃ、瞑想が必要なのだ。「色即是空、空即是色」…すなわち「ガラスのコップ理論」…いや誰にも分らなくていい…自分に分かりさえすれば、仏の教えなんてのは、つまりそんなものなのだ。

そういう、暑さと思い込みと、気圧の急変でオーバーヒートした頭を冷やすには水に浸かるしかない。60を過ぎてもなお僕は夏に1回は海に浸かっていた。僕は60数年前、海を前にした小さな集落で生まれ育った。田舎が嫌で高校卒業と同時に家を御出て、数か月、帰省時にローカル線の無人駅に立った時、僕は生臭い、潮の香を感じた。残念ながらそれ以降、何度も駅のホームに立ったけど、その時の潮の香を感じたことはない。その香は、僕の体の中をくすぐる、自然の生きる力というか、体の芯を揺する波長のような力だった。それから僕は毎年、泳ぎに行かなくても、一度は海か川に浸かり、自然の力で身を洗うことを儀式としていた。つい数年前まで近くの海水浴場で、ライフジャケットを着てプカンと波間に漂っては夏の終わりを懐かしんだ。

そして今年は海には行かず、五家荘の川に浸かることにした。浸かりに行ったのは9月の20日。9月の末に五家荘の川のヤマメ釣りは禁漁となる。僕は山に登る前はヤマメ釣りをしていて、当時は五家荘の川のローラー作戦を実行していた。目を皿のようにして、ヤマメ君が居そうな川を見ると車を停め…たいがいヤマメが居る川にはこっそり、瀬に降りる小道があり、ビールの空き缶があり、一升瓶が転がっている…そんな川を見つけては、竿を出し道具を抱えて、小枝に行く手を阻まれながらも、降りて一日、釣れない日々を過ごすのだった。

今は、釣り竿の代わりに、カメラと三脚をからげ、木にぶら下がりながら、はいつくばりながら瀬に降りて川の写真を撮っている。20日は行けども行けども、先客がいて好きに川には降りれなかったが、前から目を付けていた、ある大きな川の橋の下に降りた。さすがに川幅は広いし大きな岩もゴロゴロしていて景色に変化がある。奥の茂みには朝日が差し込み樹々の間から、光の線が降り注いでいる。緑の淵の下にはヤマメ君も身を潜めているだろう…しかし、川の水の流れが相当強い。ウェーダーを着て腰まで浸かり、大きい方の三脚を背にからい、川の真ん中に三脚を立てるがビンビン、川の流れの圧力がかかる。もう少し前にもう少し…透き通る足下の砂のすり鉢状のくぼみに、自分の足がずぶずぶ沈み始める…体が斜めになる…危ない…この川の景色を撮るには、川の水量が減り、樹々に光が当たるためには、もう少し川幅が広い方がいい、陽があたらないと景色がぼける‥‥当然、自然は僕の都合のいいような景色に変身してくれるわけでなし、自分が目の前の自然に合わせて写真を撮るしかないのだ、とその日はあきらめて撮れたのは1枚だけ。釣りをしたとしても、僕の実力はせいぜい1匹だけなのだけど。(苦笑)

その後、他の川も徘徊したが何か気が合わずに断念。怪しいキノコ2本写真に撮って、昼から昔からの友人、五家荘の通訳H氏の家にアポなし訪問した。運よくH氏は在宅中で、二人、久しぶりに五家荘談議に時間を費やした。氏はもともと観光協会の仕事をしていて、今は外国からの観光客相手に観光ガイドと通訳を行っている。氏はすでに五家荘の住人であり、僕のような適当な来客者ではない。森の奥から転げ落ちた屈強巨大な、ひげの生えたようなどんぐり然とした風貌をしていて、そんな氏が英語をペラペラしゃべるのも海の向こうの観光客からすれば土着感があっていいのだろう。そんな男が五家荘の未来について熱く語るのだ。

五家荘の未来は、地区に住む子供たちの未来のことでもある。氏はこれまでの観光協会での経験も深いし、地元民の考えを無視した予算消化の為だけのイベントを否定する。(行政のイベントは、今も予算消化の為だけ…一過性のものではないか)

つまり「地域おこしって何?」という定義から議論しないと、何をやっても根付かないのだろう。

僕の案としては、11月の紅葉の時期に、五家荘に五か所、地元のおにぎりと漬物の紅葉弁当を作り販売するアイデァというものだ。日本杉の東山本店、緒方家、左座家、吊り橋のたもと…おしゃれでなくてもいい。素朴な田舎の紅葉弁当。その包み紙には観光案内などを使う。五家荘は飲食店はほとんどないし、あったとしても受け入れることが出来るの人数には限界がある。おにぎりはもちろん僕が握るのではない。地元の有志が一堂に握り、語り合うのだ。弁当にはみんなの手紙や、紅葉した葉を、しおりにしてサービスする。何も宣伝なんかしなくていい。遠路来た人に販売するだけでいいのだ。弁当が売れた数で五家荘のファンの数もつかめる。紅葉弁当がうまくいけば、春には新緑弁当も販売する。たかが弁当というなかれ。

今年は川に浸かりに行って良かった。もうあの頃の潮の香りを嗅げないことは分かっているのだ。H氏も久しぶりに五家荘について語ることが出来て嬉しかったようで、またふらりと、寄らせてもらおうと思った。氏には五家荘の川の秘密の撮影ポイントを教えようかとも思う。

すべては般ニャ―心経、「ガラスのコップ理論」に帰結するなり。

2021.09.21

山行

今年の夏はあっという間に消えてしまった。8月、お盆前後の長雨は激しく山を荒らし、登山どころではなくなった。五家荘の盟主、国見岳も登山口までの林道が崩落し、登るに登れなくなった。(最近の僕は山を登るのではなく、ただ歩くだけが多い)

それでも、8月の終わりに見ておきたい花が一株あった。それは白鳥山の某所で数年前に見た大きなギボウシの花で、苔むした大木の大きな枝のわきから、「すうぅーっ」と長く伸びた茎の先に白く開く大きな花びらと、長い雄しべの茎と、涙を落としそうな1本の長いめしべの姿だった。ギボウシは街中にも咲く花でたくさんの種類があるようだけど、五家荘のギボウシは違った。同じ花でも野生化するとこうも違うものかと、初めて見た時は驚いた。

今年の夏は陶芸家の平木師匠に焼いてもらった「森の雫」というオブジェを森の中で撮影し、極私的美術展を開催し、自己満足するという計画があったのだけど、すでにあきらめた。

暗い緑の世界の中で、雫型のオブジェがどんな景色を映すのか、真ん中の穴の奥には何が見えるのか。こればかりはやってみないと分からない。しかし、その雫を背負って谷を登るのは一人ではなかなか大変なので、お盆に里帰りする娘をだまくらかして撮影する予定だったが、その動きは娘に察知されコロナを言い訳に彼女は帰省しなかった。そんなバカの一行がうろうろされたら、森の生き物たちにとってはいい迷惑なんだろうけど。

何とか29日は、朝から晴れたので思い切って車を走らせた。時には、山犬切や、他の山にも行くと何か発見があるかもしれないと思いつつも、つい白鳥山に向かい、緑の谷を遡るのだ。大雨の後、谷の形相も変わり、お目当てのギボウシの姿はなかった。もう会えないかもしれない。キレンゲショウマの花もすでに散った後だった。

その日の目的はそれだけで、特に山頂を目指すわけでなく、コンビニの弁当を開き、岩の上に腰かけ、森の空気を吸った。

街中では、息を吸うこと自体が、コロナと言う「毒を吸い、毒を吐く」行為となるのだろうが、森の中は違う。自分にまとわりついた毒を森の空気で浄化するような気分になる。

弁当を食べ終わり、木の上に座り、背筋を伸ばし、瞑想する。

森の空気を吸い、体を通し、また吐く。鳥の声がする。小川の流れる音がする。頭の上を気流が流れる。けものの気配を感じるが、誰もいない。鹿の警告音が時に響く。

森はいい、自然はいい…と思うが、都合のいい時だけのこのこやってきて、自然が良いと思うなかれ。大雨も自然、大風も自然、夜の深い闇も自然だ。自然は怖い。得体が知れない。夜も眠れない。風がうるさい。誰も居ない。いつ夜が明ける?誰かがやってくる。せっかく瞑想しながら、最後はそんな興ざめな事を考え始める。自然を全部、受け止めようとすると、畏れしか残らない。瞑想だの何の、どこかで聞いたようなことするから、気持ちが悪いのだ。

 

えーぃ、土の上に寝っ転がってみる。自分の勝手だ。

背中がぬくい。それだけでいいではないか。

そう思って、また寝返りをうつ。

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