熊本県 八代市 泉町(旧泉村) 五家荘
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雑文録

2024.07.24

山行

前回の白鳥山から1か月以上も経ってしまった。山野草の達人Mさんのフェイスブック情報では、「フガクスズムシソウ」やら「ショウキラン」やらの、開花情報が紹介されていたけど、もう間に合わない。それでも、ダメもと、標高ゼロメートルの自宅を出たのが7月20日。(車の運転は町内限定免許ゆえ、家人の都合次第)もう真夏の山なのだ。標高1500メートル近い高地の峰越でも暑い。熱風が吹いている。緑の尾根道をドリーネを目指して歩く。気温がどんどん上がっていく。尾根の途中、ギボウシの着生したブナを見つける。緑の美しい葉を広げ夏空の下、白い茎を伸ばしている。茎の先には白いつぼみ。喜んでいいのか、開花はまだ。このこらが、鈴なりに一斉に開花する景色を想像するのも楽しい。

 

 

写真を撮った後、ドリーネ周辺でヤマホトトギスを探すが、すでに開花は終わり。残念ながら不思議な星の子は開花の時期を終えていた。ホトトギスには「ヤマホトトギス」と「ヤマジノホトトギス」の2種があり、見分けるのは簡単そうで難しいらしい。ユニークな花の形。上から星の形に垂れ下がった雄蕊(?)のスタイルは小さなメリーゴーランドに見える。なんと可愛いことよ。

折角来たのだからと御池あたりをうろつきまわる。数年前に山の守り神、Oさんに教えてもらった「フガクスズムシソウ」の着生したブナの大木が見つからない。(当然だけど…)それでも会いたい一心で森の中の苔むす大木を1本1本、訪ねて歩く。(また道に迷うわけにはいかぬが…)とうとう時間切れ、「ショウキラン」にも会えず失意のまま帰路に就く…。

と、途中のネットで保護された緑の茂みでカメラを構える同年代の夫婦。しばし情報交換するも、僕よりもはるかに山野草に詳しい。話していて己の無知が恥ずかしい。山鹿から来られたらしい。気前よく撮影中の蘭を教えてくれた。頭上の木の枝に咲く蘭の花も。

 

 

そして、フガクスズムシソウの件を話すと、「まだ、あの某所に咲いていますよ」とこれまた気前よく場所を教えてくれた。その某所に行くと、話の通り、ブナの古木に「フガクスズムシソウ」が茶色の花を咲かせていた。ただ暑さに参って元気がなかった…あと2週間、出会うのが早ければ!フガクスズムシソウは激減していて、今や貴重な花なのだ。ネットではスズムシソウ、ギボウシの詳しい写真、花の植生を分析、説明をされているサイトがあるが、今は再会できたことにまず、喜びを感じている。悪運の強い自分。花好きの夫婦に出会えたことは幸運だった。

 

 

何時来ても、五家荘の山には嬉しい出会いがある。もともとひねくれた性格の自分だけど、今回は、素直に出会いを喜ぶ性格の自分であった。

2024.06.11

山行

 

また白鳥山に行く。前回の雑文録にたいそうに「幻視行」なんてタイトル付けたが、その名のごとく、日常でもふんわり幻を視ている気分になった。今回は峰越ではなく、その途中のウエノウチ谷から、谷をさかのぼり御池、白鳥山頂を目指すルートをとった。これも数年ぶり。峰越からのルートは白い霧に包まれるルートだけど、ウエノウチ谷のルートは緑に包まれるルート。これまでの大雨の被害はないかと、恐る恐る沢の道の岩の上を歩く。一旦、谷に入るとそこは一気に新緑の中に体が溶けるような道となる。一瞬で、白鳥山の緑の世界に取り込まれるのだ。見渡す限り自然林の景色がひろがる。白鳥マジック。見あげると若葉と若葉が重なり合い、緑の影を織りなしている。

 

ただ残念なのは、これまでは苔むすブナの大木にはびっしり、緑の苔やギボウシなどの山野草が絡みつき、豊かな森の植生が見られたのに、今回は大風や大雨の影響なのかすっぴん。そういう景色は見られなかった。更に登り続けると、いつも休憩する谷の景色も一変、滝の上の大岩が崩落し、落差のある滝の景色が階段状の岩の落ち込みに変身していた。

しばし休憩、岩の間の小道に登ろうとしたが、緑の谷は一瞬にして白い霧に包まれ、風が吹き、小雨が降り始め雨脚が本降りに代わって来た。体が冷えてくる。このまま、御池まで登り詰めても仕方ない。運転役の家人も寒さで元気がないし、思い切って引き返すことにした。僕は遠距離の車の運転が出来なくなったのだ。不思議な事に、いつも気配を感じる森の神様の住まいが、穴の開いたまま、生気を感じる事が出来なかった。

また夏に来ます、山の神様。足元のタニキキョウだけが沈みがちな僕の心を慰めてくれた。

 

 

2024.06.06

山行

久しぶりに白鳥山に行った。樅木から峰越1480m(峠)を越え、宮崎の椎葉村に向かう車道が崩落し、長らく通行止めになっていたのがようやく解除されたのだ。ただ通行可能になったからと言って、荒れた道が整地されたのはともかく、崩落した場所は簡単な応急措置…というか、ほとんどが赤いコーンを立てただけの放置、ガードレールはだらんと垂れ下がり、谷底まで切り落ちて下を見るとぞっとする。そろり、そろり、なんとか車を山側に寄せて、進入禁止のロープすれすれに回避するような道ばかりなのだ。

白鳥山周辺に群生する芍薬の花の開花情報に誘われ、今年こそはと早起きし、頑張って山に向かった。峰越の登山口から尾根を伝い、芍薬の群生地に向かうルートにする。ところが、下界の天気予報は晴れにもかかわらず、峠に近くなればなるほど尾根には不気味な、もくもくとした濃い白雲が湧き上がり、まさかまさか、峠に着いた時は辺りは暴風と霧に包まていた。

連休でもあり、駐車場にはいくつものテントが張られ、数人の若い男子に出くわした。みんな山の雑誌から出て来たようなおしゃれな格好に半ズボンのいで立ち、ステイックを握りディパックを背負い、笑いながら順番にスタートした。あの格好では絶対寒いと思うのだけど。トレイルランなのか、走っているうちに体も温まると思って居るのだろう。後には、彼らと同じ今風の派手な登山ファッションで固めた老夫婦も続いた。みんなの姿はそうして、しゃわしゃわと湧き出した白い霧に包まれ、あっという間に姿を消した。

峰越登山口から白鳥山への尾根道は、それ程登り下りの激しいルートではなく、登山と言うより、僕にとっては山歩きと言った方が正しい。もちろん、その先の山に向かう人たちは登山なのだろう。天気が良ければ、しっとりとした湿り気のある小道で、歩きにくい岩もなく膝にも優しい。本来ならばこんな楽しい山歩きはないというルートなのだ。しかも、その先には、芍薬の白く清廉で、蓮のつぼみのような美しい群生が待っている。ただ今回のように突然、白い霧に包まれるのも白鳥山で、五家荘の山の中でも人気の山の分、たくさんの踏み跡もあり、その霧に包まれふと、踏み跡からはみ出すと、どれがどの道やら、一気に方角を失い、自分の居場所が分からなくなる危険な山でもある。ぐるりと見回してもうっそとした樹々の茂み、道を塞ぐ倒木の姿がある。白鳥山のやさしく白い鳥達は居なくなり、入れ替わり白い霧達がじわじわ忍び寄ってくる。気温は一気に下がり、風が吹くと、さらに体温が奪われる。7、8年前の5月に訪れた時はブナの木の根にいくつもの積雪があった。

今回久しぶりに歩いていて、尾根筋に根を生やしていたはずの倒木の多さに気が付いた。なんと悲しい事か。以前は巨木のまわりに、たくさんの苔やギボウシ、フガクスズムシソウなどがからまり、珍しい山野草の新芽が見られていたのに、その母なる巨木本体が倒れている姿があった。昔の豊かな森の記憶が、寂しい景色に上書きされる。森の小道を、花々を探して歩き、彷徨う、至福のひと時は過去のものか。海抜ゼロメートルの自宅から、2時間近くかけてやって来たのだから、先を急ぐのはもったいない。岩に腰を下ろし当たりを見渡す時間は僕だけのものにしたい。以前は先ばかり急いで歩いていた自分が、最近の山歩きでは遠くで物音が聞こえる度に立ち止まるようになった。

僕は夢想する。何本ものブナの巨木がもんどり打って倒れる。木々の葉が揺れる、枝がばきばき折れ飛び散る。鳥の黒い影が空に飛び立つ、鹿が跳ね起きる。何体も何体も、森を支える巨人、緑の巣があおむけに倒れて行く。そういう景色は想像できても、何故かその沈む音を聞くことができない。だから耳を澄ますのだろうか。この自然の森も死が近いのだろう。味気ない人工の森が足元まで迫っている。

 

 

峠から先行した老夫婦が引き還して来る。「芍薬はどこですか?」ヤマップのルート図が映る携帯を突き出す。携帯ではこの深山も小さく手の平に乗るサイズ、その地図では数センチで芍薬の群生地に着くはずだ。「あと1時間近くはかかりますが」五家荘で僕に道を聞くのは極めて危険だがね。夫婦は待ちきれず「帰ります」と言って山を下りて行った。

一瞬消えた白い霧が、また湧き上がって来る。白鳥山ではそんな景色が最高の景色でもある。ようやくドリーネの近くまで来る。ドリーネとはサンゴ礁が化石化しすり鉢状にへこんだた地形の名称。水に侵食されて奇岩が付き出したりしている。今は山の中でも古代ではここは海だったのだ。もともとはサンゴの白が、いまは緑の苔におおわれて、白鳥山のドリーネの景色は、巨大な白い像の背骨の群れが重なっているように見える。ドリーネの地形は鍾乳洞とも関係があるらしい。足元では丸く苔むす岩が転がり、小さな丘が出来てその岩々に白い可憐な芍薬の花が顔を出し始める。風が吹き、霧が晴れ、当たりを見渡すといくつもいくつも、両手で丸く手の平を合わせたような花弁が顔を出す、幻のような景色が見える。

柵で保護された、白い巨像のようなドリーネの森が見えて来る。リュックから三脚を出し、カメラを構えシャッターを押す。小道からはみ出し、岩の間に足を踏み入れ、芍薬を追いかけカメラを構える。踏み込んだ足元の枯葉の下に、空洞がありはしないか、時に恐怖を感じる事がある。石灰岩は硬そうでもろい。足を踏み込んで、ごぼっと空洞に落ちはせぬか。とっさにつかんだ岩が崩れ、自分が落ちた穴をふさぎはしないか。深い深い、岩の穴。助けを呼ぼうにも道から外れ、そう誰も気が付くはずはない。ドリーネの下には鍾乳洞がひっそり口を開けているのかもしれない。

 

 

白鳥山は謎の多い山でもある。ドリーネの横の湿地帯は御池と呼ばれ、雨乞いの行われた神聖な土地と言われていた。雨乞いが行われていた当時は今のような湿地ではなく、もっと深い沼地ではなかったか。今は泥で埋まっていても、場所により、深い穴が口を開いてはいまいか。雨乞いの神事は誰が行ったのだろう。椎葉から上がって来た修験者なのだろうか。

古代から神が降臨する場所は、磐座(いわくら)という岩場で、白鳥山の御池の磐座はこの大きなドリーネに注連縄(しめなわ)が張られ、自然の神、雨を降らす神を出迎えたのかもしれない。神秘の山、伝説に満たされた白鳥山。積み重なる歴史の山は昔、蒼い海底だった。

よく語り継がれる言い伝えで熊本側の話では山頂から5本の矢が放たれ、五家荘の地名になったと言われ、宮崎側からすれば、源氏の追っ手から逃れた平家の落人が山頂の白いドリーネの景色を見て、もはやこれまでと諦め自刃したとも言われる。この言い伝えは椎葉山一揆の悲しい伝承とも重なり、山人の暮らしの困難さはかなさを思わずにいられない。

五家荘の山で不思議なのは、国見岳、白鳥山と連なる烏帽子岳も、西の岩の尺間山、更に釈迦院まで修験の跡があるのに、これと言った石仏や摩崖仏の姿が見られない。地形や人口の少なさもあるのだろうけど、そういう仏様の姿は、時の流れに霧散したのだろうか。

気が付くと、足元にざわざわと緑のバイケイソウ群れが攻めて来た。こんな広く大きなバイケイソウの大群落は見たことがない。バイケイソウは、全草に有毒アルカロイドを含有し加熱しても毒は消えず誤食したら命の危険もあるそうだ。気温が上がるとバイケイソウの緑の葉からアルカロイドが発散されるのか、群生地のあたりは命の気配はなく、しんと静まり返っている。

 

 

こんな事を考えながら山に居ると峰越からドリーネまで、普通なら片道1時間少しの道のりを、たっぷり2時間以上かかってしまった。御池から先に進む意思は僕にはない。弁当を食べ帰路に就く。

尾根に倒れ、枯死した巨体の幹にギボウシ(?) の若葉が開いていた。ギボウシは緑の葉の間から茎を伸ばし、白いユリのような可憐な花を咲かせる。僕は山に咲くギボウシの花が大好きなのだ。巨樹の死体に芽生えた緑の若葉。これは希望なのか、絶望なのか。

 

 

2024.04.16

山行

3月末に五家荘の花の写真を撮りに行った。お目当てはカタクリの花なのだけど、満開の写真が撮れるかどうかは運次第。山も本格的な春の到来となる。今年は気候変動の影響か、山桜も満開であったり、すでに散ってしまったり、開花状態が色々。悲しいかな、年来の大雨で山道も荒れ、春になっても山の疲れも取れてない気がして、何か辛い気がする。(そう感じるのは僕だけか…)

今や僕の定番の散歩道はハチケン谷の周辺。時々、石が遠くの崖から音もたてず飛んで来るのでヘルメットは必携。気が付くと頭上の木の枝が揺れている。林に踏み入ると、ヒトリシズカが緑の葉を開き、シズカに開花。岩の影をこっそりのぞくと、コバイモ、ネコノメソウもこっそりと咲いている。左側の崖のむき出しの岩の間に咲く、タチツボスミレと目が合う。今回は何故かスミレの淡い紫色の集団にたくさん出くわした。

たかがスミレと言うなかれ、写真を撮るのと一緒に、その花の性質も調べると面白い。今回あんまりきれいに見えたので、以前買った本をあらためて読む。

 

不思議な事にスミレは2種の花を咲かせるそうなのだ。(全然知らんかったな)今の大きく紫に咲いた花を開放花と言い、いろんな虫を迎え入れ、(新しい遺伝子を得る為)受粉する仕組みになっている。花にある線の模様は蜜に至るルートを示す道標(みちしるべ)ならぬ蜜標と呼ぶそうな。

スミレの2段構えの術。なんと裏技がある。開放花が咲き終えた後、秋遅くまで、地味で目立たない、ストローのような閉鎖花を咲かせる。開放花でいろんな蜂や虫に「いろんな遺伝子、みんな集まれ!」と叫び、生き延びるための強い遺伝子を集め、閉鎖花では手堅く100%受粉し、スミレの遺伝子をキープ。低コストで子孫を残す仕組みになっている。

開放花、閉鎖花、どちらの実も熟すと裂けて、種を弾き飛ばし、実験では最大飛距離2メートル飛んだそうだ。更に更に、種には蟻に運ばせるためにエライオソームという甘い物質をつけ、更に種子を遠くに運んでもらう。植物は移動できないので、色々考えて、自分らが生存する為に、真剣に工夫をしているのだなとその本を読んで改めて感心した。研究者の熱意はすごい。スミレの語源は大工道具の墨入れ。つぼみの形が似ているから。

昔、ギンリュウソウの生態系を研究した人の論文を読んだことがある。その人は光合成をしない銀色透明の銀ちゃんの栄養素を誰が運ぶのか、数年間、這いつくばって研究した。(とんでもないオタク、その人、銀ちゃん以外、友達いないだろうな、多分)

…さて、肝心の「カタクリ」の花

 

 

某所で何とか撮影できたけど、カタクリの生態も不思議…というか、カタクリは耐えに耐えて、暗い木陰に花を咲かせるのだなと感心した。カタクリは春の妖精とも言われ、他の植物が開花する前に花を咲かせ光合成し、実が熟すと葉は溶け消え、種と球根が次の年の春まで地中でひっそり眠って過ごす。短期の光合成ではキチンと成長するには大変で、種から芽生えたカタクリの最初の葉は糸のような葉。翌年は少し広めの葉を広げ、球根にでんぷんを蓄え、7,8年後、ようやく葉を2枚だし開花するそうだ。(と、いうことはカタクリの研究者は少なくとも8年は研究を続けたわけだ)

花の中心近くの紫色のMの模様は虫に蜜のありかを示す蜜標。スミレと同じように、種子にはゼリー状の脂肪酸が付いていて、蟻に種子を運んでもらう。そのゼリーが運んでもらうためのオマケだそうだ。今年のカタクリは撮影のタイミングが遅く、ちょっと疲れた顔しか撮影できなかった。

 

カタクリの花園の近くの川沿いの小道を踏み進むと、ヤマメ釣りのフライフイッシングの二人組に会う。川は荒れ、以前ならヤマメが潜んでいた淵もなくなり、苔むす岩も流され、平坦で釣果はなしとの事。二人は山や川が荒れているのに嘆きながらも、川にゴミが不法投棄されている光景を嘆く。こんな小川の奥にゴミを捨てなくてもいいのにね。

 

山から下りて、自宅近くの漁村の海岸の近くの小道をぶらぶらする。海岸も牡蠣殻、漂着したごみ、ペットボトルが異臭を放っている。

その小道の脇には、スミレの花も、もちろんカタクリの花も咲いてはいないが、まだ名も知らない、野草がたくさん咲いていた。小さく尖がった黄色に、丸い紫、朱色に青色の点々の花たちが、春風にゆらゆら揺れている。

有名、無名…花には関係なし。みんな、みんな、花たちに春が来たのだ。

 

※勝手に引用、意訳しました。 参考文献 野に咲く花の生態図鑑 多田多恵子著 筑摩書房

2024.02.28

山行

五家荘の山の番人Oさんの

フェイスブック情報で

久連子(くれこ)の福寿草の開花が始まったよ

との情報があり

2月18日深山に春を告げる

金色の花に会いに行った。

 

頑張って午前中に着き、

這いつくばり、金色の花に

カメラを向けるけど、

何故かみんな機嫌が悪そうだ。

 

この子はどうだろう、この子は?

残念ながら、みんなそっぽを向いて

顔をしかめる。

 

たまに大きく花弁を開いた子もいるが、

顔中、冷たい水滴で覆われ

寒さに青ざめている。

 

花と花の間の、柔らかい土の上を

根を踏まぬようにそっと気を付けて歩く。

 

なかなか満足のいく写真が撮れない。

大体写真は自己満足なのだし、

誰かに喜んでもらうつもりで

写真を撮るわけでないのだけど。

 

小学生の頃、僕は校内の

写生大会でいつも特賞だった。

何故かと言えば、

大人がさぞ喜ぶような絵のかき方を

要領よく覚えたからだ。

 

だから終いには、

絵を書くことが

全然面白くなくなった。

 

先生は聞く、どうしたの?

急に絵が下手になって、

何があったの?

 

だから絵を書くのが

全然、面白くなく、

退屈になったからなのです、先生。

 

(そもそも小学校の6年間が長すぎる…

海沿いの道を2キロとぼとぼ歩いて帰るのだ)

 

結果、こうして下手な写真を撮るのも

自分が満足いくか、いかないかだけなのだ。

 

ただ今回だけは、

どうも花に嫌われているような気がした。

(大げさ) 僕は途方に暮れた。

土の上にへたり込み、ぼんやりする。

たいして動いても居ないのに、何だか疲れた。

 

時計を見るともう11時、昼前ではないか。

そうして、汗を拭い、空を見上げると

谷間にもだんだん明かりがもれてきた。

 

 

やわらかな春の陽ざしが、

久連子の谷、全体に射してくる。

 

ふと足元を見ると、

さっきまで不機嫌だった子が

金色に輝く花となり、

顔をもたげ嬉しそうだ。

 

あちらこちらの花たちも

一斉に光を浴びて輝きだす。

黄色い歓声があちこちで

聞こえる。

 

 

「春植物」と言われる彼らには

今、この瞬間しかないのだ。

 

もうしばらくすると、谷間にも

たくさんの花々、木々が生い茂り養分が奪われる。

 

今のうちに、太陽からの養分をため込まないと

生きてはいけない。

そして地中深く眠りに着く、春の妖精。

 

この花の家族たちは谷にやってきて、

どのくらいの時間が経つのだろうか?

 

 

久連子に来たら、

一緒に寄るのが兵隊さんの像。

 

小さな坂を上った場所に、

日中戦争時、村から出征され

戦士された兵隊さんの姿を形作った

等身大の像が4体ある。

 

これらの像は昭和12年に建立され、

除幕式には村民200名が集まり、

戦果を讃え、死を悼んだと当時の新聞記事。

 

僕が兵隊さんらに会って10年近く。

毎年会う度にみんなの姿はほろほろと、

生まれ故郷の土の上に

零れ落ちて行くようだ。

 

背中の重たい背のう、

もう降ろされてもよいのに。

脇に立てかける銃剣も、刃がぼろぼろ。

それでもすっと背筋を伸ばし、

凛々しい顔で、

真っすぐ前を見つめている。

 

「人影もほとんどなくなりましたが、

今年も久連子の谷に春が来ました。

小さな谷間に、いつものように

金色の花が咲きましたよ。」

 

真昼の静寂。時間がとまる。

 

ふいに、向かいの山から

鹿の声が響き、また時間が動き出す。

 

2024.01.28

文化

今年、日本石仏協会に入会した。石仏協会はその名のごとく、日本全国の石仏の愛好者、研究者の集まりで東京に本部がある。1977年に開設、なんと47年の歴史のある会で日本唯一の石仏についての民間と研究者の集まり、オタク集団なのだ。年会費を払うと年に3冊、立派な会報誌が送られてくる。そんな協会を知るきっかけは、いつもの上通の古書店、河島書店の書棚でたまたま「熊本の石仏特集号」を見つけた事。協会は超専門的な内容から、素人向けの石仏探訪必携ハンドブックまで発刊している。ハンドブック1冊さえあれば、いつも通る道に鎮座する石仏の見方がよく分かる。石仏の解説はもちろん、石塔、石祠、石灯篭、梵字の解説…都市部ではシンポジウム、石仏見学ツアーまで企画されている。会員はほとんどが年配者だろうけど、みんな石仏に元気をもらっているらしい。(僕も)

石仏ファンというのは、自然の景色の中で、みんなの安全平和を願い、悪霊を追いはらってくれる素朴な仏像を愛でる人の事を言う。その石仏はきれいでもなくてもよい。長い間風雨にさらされ、目も欠け、鼻も欠けぼろぼろになり石の姿に戻ろうとも、その想いは美しい。博物館などで金ぴかに磨かれ拝められる仏像とは違うのだ。ひねくれた自分がそんな事をこのブログに書くのは、そんな野仏様に自分の煩悩を払い落として欲しい、邪念があるだけなのだけど。

去年まで僕は日本修験道協会にも加入していた。ただ修験道協会からは何の資料も送付されず、中央では頻繁に研究会、見学会が開催されているけど、熊本ではそういう催しも一切なく、うらやましいだけの会に終わった。日本石仏協会のフェイスブックには毎日のように会員からの投稿が湧いてくる。全国津々浦々の石仏ファンがネット世界でも頑張って居るのだ。石仏見てまわるにかかる費用は交通費だけ。石仏を眺め愛でて、みんな、朽ちた石仏を撫で、ぼんやり良い気持ちになり、帰路に就くだけのとてもよい趣味なのだ。

古代の人は山や巨岩、巨木に自然の神が居ると信じていた。要するに原始的山岳信仰というもの。古代の人々は、自然から自分たちも生まれて来て、死ぬという信仰なのだ。言葉がないの(仮説)で、ひたすら体全体で自然の神に祈った。この降り続く、冷たい雨が止みますように。日照りの乾いた焼けるような野原に雨が降りますように。ごうごうと頭上を吹きすさぶ風がやむように。山の木々に実がたわわに実りますように。死んだ人が生き返りますように。

日本に仏教が伝来したのは700年前後。自然の神を信仰するみんなに、お坊さん達は仏の教えを信じたら心が救えます、そのシンボルとして仏像があります、この教えをみんなで声を合わせてつぶやけば、元気になりますよ。さて仏像にもいろいろなランクがありまして…とかなんとか。その宗派の流れのいくつかが山岳信仰が密教と合体し、修験道という流れも生まれ、聖なる山で修行を積み、祈祷を行い、山に寝るから山伏と言い、山伏は各地の山を順番に拝んだで教えを広めた。もちろん五家荘の地域にも修験の道もあり、仏の道もあり、時にキリスト教の道もあったようだけど、遠い昔のことでそれらの道を辿ることは今ではなかなか困難なようだ。

ちなみに僕の住む町の隣の天草は相当数の修験の史跡があり、仏教からキリスト教、密教、修験道が混在している。熊本市内の研究者がその資料を去年、大著「天草の民俗信仰」にまとめられた。世界文化遺産の崎津の集落の中には、天草の乱から明治維新まで、修験の山伏さんが地域の面倒を見ていた場所がある。潜伏キリシタンが信仰していたのはキリスト教ではなく、マリア観音教なのだ。明治維新から数年後、信教の自由となった天草の潜伏キリシタンの信者のほとんどはカソリックに改宗されたが、それを拒否し、自分たちのマリア観音様の教えを守り、今は信仰も途絶えた「今富」という集落がある。今富の潜伏キリシタンの指導者「トクジ」さんは山伏なのだ。

僕は特定の宗教を信じない。何事も信じすぎるとロクなことはない。何千年経っても異教徒は殺し合ったし、宗派が違うと戦争しても平気なのだ。今でも虐殺されている人を助けるどころか、虐殺している方を応援したりしながら、平気な顔をしている宗教がある。あんまり歯向かうと平気で原爆落とすし。都合が悪くなると、神のせいにする。

去年の夏、栴檀の滝の下流で写真を撮っていた。緑の谷の奥に流れる清流の表情を写真に収めるのはとても難しい。(自己満足な写真ばかりな自分だけど、自己流ではどうしても水の写真は難しい。水は流れ、動き、揺らぎ、反射し、周りの景色を写すから、その瞬間が定まらない) 結果、思う写真は撮れずに、小さな滝でその白いしぶきが打ち付ける流れに、うずくまる白い仏さまを見つけた。単なる、三角形の岩に水が流れるだけに見えるけど、修験の人の滝行の姿はこんな姿に映るのだろうかと感じた。その滝へ向かう小道にはある観音様が祀られている。

 

去年の9月に自分の不注意、思い上がりの結果として、またもや五家荘で遭難し皆さんに多大な迷惑をかけてしまった。広々とした道があるのに、頭の記憶回路が暑さですっ飛んで帰り道がどうしても思い出せなかった。何度もレスキューポイントを往復したが、手を打てない。ここは何処か?突然小雨も降り始め、遠雷の音も聞こえてきた。結果、馬酔木の茂みに赤いテープを見つけそのテープをたどり、枝を掻き分けると、杉林の間、足元の向こうに茶色の林道の筋が見えた。道に迷った時に出て来る赤いテープは魔物なのだけど…そうと分っていても足が進む。方向は逆だが、この林道は遠回りながらも国見岳登山口から樅木集落に向かう林道と確信し、杉林の中を駆け降りる。

まだ昼過ぎ。荒れた林道を膝をがくがくさせながら歩いて降りる。途中、爪でひっかいたような、谷底へ落ちる崩落の箇所があるが、木の根を頼りに体を引き上げ、足元がぼろぼろ崩れる中、一気に崖をよじ登る。もういいだろう勘弁してくれと、曲がり角を曲がると、又、激しい崩落地。突き刺さる杉の大木を梯子代わりによじ登り、崖の突端にしがみつき這い上がる。しばらく行くと又、崩落地、また足元の岩がぼろぼろ、崩れる前によじ登る。さっきまで明るかった林道の向こうの山の稜線に太陽は沈みかけ、ぼんやり夕暮れが僕の体を包み込み始める。残り5キロの標識を過ぎたところで道に大量の杉が重なるように横倒しになっている。その杉の木の間を這いつくばり、潜り抜け、幹のすきまに見えたのは林道が途絶えた、ものすごい、地滑りの跡だった。もしかしたら、何かの弾みでうつぶせの自分の体もごっそり杉と一緒に谷底に崩れおちるのだろうか、不意に恐怖心が湧き上がり、杉の枝に引っかかりながらも至急撤退!後ずさりした。

もう数メートル前の景色も見えなくなる。もう夜なのだ。最後の頼みと、いつも迷惑をかけているOさんの携帯に電話すると、奇跡的にこれまで圏外だった電話がつながり、現状を伝える。自宅にもラインをする。「とりあえずは無事だが、今日は帰れない」と。

もうじたばたしても仕方ない。山のふところ深い場所で、夜が明けるまで待つしかない。長い夜…何度時計を見ても時間が進まない。えーぃと合羽を着込み腕を組み、林道の真ん中に体を横たえる。頭上の木々の影の間からきれいな星が見える。途中、しとしと小雨が降って来たり、又やんだり…雨が落ちる音以外、不思議と物音がしない。さすがに9月でも山の夜は冷える。体から水分が抜けたのか、どうしてものどが渇いてくる。筋肉がこわばり硬くなった体を起こし、水の湧き出る、崖の近くまで歩こうと思い立ち上がる。バッテリーが消費するので携帯は使えない。暗がりの中をうろうろ歩き、倒木につまずきそうになる。メガネが曇る。

寝ていた場所まで戻る途中の道の真ん中に、丸くうずくまり、ぼんやり白い光を放つ老婆の後ろ姿がある。ドキリとする。崩落した大きな白い岩の姿なのだろうか?いゃ、さっきまではそこには何もなかった。その場に居続けるのは流石にまずい。「すいません…」と言いながら、僕はその白い老婆の横を急ぎ足ですり抜けた。後ろを振り返ると絶対ダメだと念じ、次の曲がり角まで急ぐ。更に夜の時間は長くなった。

縁起でもない話だけど、人は死ぬ。僕もリアルに考える歳になった…僕が死んだら、子供の頃、泳いだ海岸で石を3個拾ってきて欲しいと家族にお願いしている。生まれた町に立派な海水浴場なんてないから、子供の頃は家の前の海で適当に泳いで遊び、甲羅干しをした。そのどこにでもある海岸から、手の平に乗るくらいの大きさの石を3個拾ってきて、墓の代わりに置いてほしいと伝えている。そのうち1個は、裏山の見晴らしのいい空き地に置いて欲しい。小学生の頃、仲の良かった浜口ヤスオ君が大阪に転校する前の日に、丘の上から集落を二人眺め、一緒に弁当食べたあの場所に。1個は20代を過ごした京都の鴨川の河原のどこか、出町柳の橋の下でいい。悶々と、過ごした京都の夏。誰も知らない3畳半の間借りから僕の京都暮らしはスタートした。出町柳の駅から電車に揺られ、民家のすきまを縫うように電車は揺れながら、元田中、茶山、そして一乗寺駅。降りると名画座、京一会館があった。

最後の1個は、五家荘の白鳥山の谷の緑深い、森のふところに置いてもらうように。春になればたくさんの花が咲き、生まれたばかりの清流が岩の間を走り、頭上では春の到来を喜ぶ、冬に耐えた山鳥達の鳴き声が谷に響いて飽きない。アサギマダラも飛んで来るだろう。

五家荘の山々には、仏さまが居るのだ。これからは谷に咲く山野草と共に眠る、仏様も僕は写真に収めて行きたいと思う。何しろ日本石仏協会の会員なのだ。

 

仏体にほられて石ありにけり

 

僕が敬愛する、自由律俳人 尾崎放哉の句集で見つけた1句。

僕はそのまんまの石で充分なのだ。

2023.11.08

山行

 

ほぼ2か月ぶりに五家荘の山を歩いた。紅葉の時期である。カーラジオからは「八代市五家荘地区が今、紅葉の見頃の時期を迎えています」とニュースが流れているが、全然感情が伝わらず、まるでAIの音声のようだ。局アナは、毎年毎年同じ原稿を繰り返し読んでいるだけなのだろう。逆に、AIの方が人間よりも感情的な読み方をすると感じる時がある。

10月に博多で開催されたネットセミナーに参加し、話題のチャットGPTの話を聞く機会があった。(僕のような60を過ぎた老いぼれでも、指一本でパソコンのキーを叩きながら、通販サイトの運用を行っているのだ。)

その会場でチャットGPTの運用の実演をしたのも60近いおじさんだった。そのチャット君のすごいところは画面から何でも出してくれるところなのだ。そのおじさんがパソコンに向かい早口で指示を出す。「街路樹が紅葉した歩道を、若い女性が歩く」と言えば、それらしき女性がその指示通りに、紅葉した並木道を歩いている画像がモニターに出て来る。続けて、そのチャットオヤジが指示を出す。「街路樹の景色を浜辺に変えて、若い女性が歩く画像」と言えば数秒後、美しい浜辺を若い女性が歩いている画像が出て来る。周りのみんなは驚き「おー」と声を出しため息をつく。

だからどうした、と思う。

文章の加工力もすごい。今、僕が書いた文章を、「もっと女性に向けてかわいく書き直せ」「もっとニュース風に書き直せ」「10パターン、いろいろ書き直せ」と指示すれば数秒後、同じ意味の10パターンの書いた文章が表示される。

講演後、その手品師のおじさんの周りには人だかりができた。おじさんは、さも自慢げである。結果、その日の交流会の半分の時間は情報交換という本題から外れ、チャットGPTに乗っ取られてしまった。

 

 

自然の山に行き、どう感じるかは個々人の主観であり、何も感じない人が居てもいいし、どう感じるかは自由、勝手なのだ。僕の山歩きの効用は、頭がすっきりすること。美しい紅葉の景色に感動するより、山の精の澄んだ空気に、気分が落ち着きいやされる…そのことを「感動」と言ってもいい。写真を撮るにも絵葉書のような写真ではなく、そうでない景色を探してしまう。そうでない景色はどこにある?だから急いで登るよりも、出来るだけゆっくり歩き、登る事にしている。

今年の五家荘の山々は、また一段、疲れたように思う。繰り返す大雨、大風、気温差、崩落、川の氾濫…それでも紅葉の景色は美しいのだろうけど、山々は何か疲れているのだ。

いつもと違う、谷沿いの林道を歩くと杉林の奥の荒れた作業路に見慣れぬ赤い花が咲いている。「ホタルブクロ?」それにしては、その鈴のように連なる赤いつぼみは妖しく美しい。口先に水玉模様の重なりが見える。なんとも、虫を惑わしそうな怪しげな紋様。その子の名は「ジギタリス」。和名はキツネノテブクロ。知る人ぞ知る、毒を持った外来種。開花時期は6月前後で、すでに過ぎたはずなのに、今も赤々と花が咲いている。僕は五家荘でジギタリスを初めて見た。

 

 

自然環境の大変化がそうさせたのか。しばらくすると五家荘の森は赤いジキタリスの赤い花で埋め尽くされるのか?山が疲れたからこうなったのか。

嗚呼、そうだ…この景色は博多で見たチャットGTPが制作した、血の通わない継ぎはぎだらけの画像の匂いがする。そんな画像を見て「美しい!自然の景観!」と、みんなの壊れた脳は大きな拍手をするのだろうか。

 

2023.10.05

山行

 

NHKの朝ドラ「らんまん」が終わった。「らんまん」は日本の植物学の基礎を築いた牧野富太郎博士の史実を元に、博士の生涯をドラマ仕立てにした朝ドラなのだ。近年放送された朝ドラの中で、無理をしてストーリーを作らない、押し付けない、素直な内容だった。

 

僕が植物に関心を持ったのは、6年前、五家荘の山に入ってから。五家荘の山で見かける山野草はどうも下界のものとは違う…これは当然のことで標高1500メートルを超える場所に咲く花々と、下界の花々は植生がそもそも違うのだ…しかし五家荘にもツユクサがたくましくも咲いていた。植物音痴の僕は閉校になった小学校の空き地にも咲くツユクサの、丸い二枚の青い花びら、ちょっと化粧きつめの黄色いまぶた、宇宙人のような顔つきにも驚き感動し、カメラのシャッタ―を押していた。そしていつのまにか、町でも山でも、足元に咲くけなげな花たちを好きになった。初めて見る(その存在を知る)花々の事を「らんまん」の主人公、牧野博士と同じ「この子」と呼ぶようになった。「この子」はオタク同士の合言葉のようだ。園芸店で販売されている草花には、今もって何も感じないのだけど。

 

林道を歩いているうちに、気が付く「この子」

登りは全然気が付かなかったのに、帰りには何故がその存在に気が付く「この子」たち。

 

植物の研究者の中では、これまで気が付かなかった花の存在に気が付く事を、「目が合う」と言い方をするそうだ。

 

だんだん慣れてくると、岩の影でひっそり咲いている「この子」と目が合う。

「あー、君はこんなところにいたのか」もちろん返事はない。その花がきっかけにたくさんの群生やキノコを発見することもある。そんなこんなで、僕の山行は時間がかかるようになった。先を急がず、ぼちぼち歩いていると不思議に「この子」達と目が合うようになった。

 

五家荘の山の先輩たちの教えの影響も大きい。ただ、ネット時代の暗黙の了解で、珍しい花の居場所は絶対公開しないようになっている。どこで誰が見ているか分からないのだ。特別に教えてもらった場所はなおさら秘密厳守となる。五家荘の山野草も盗掘が絶たない。「五家荘図鑑」でも最初は花の名前や大まかな撮影場所を表記していたが、思い切って止めた。絶滅が危惧されている花たちは一旦、抜かれると、もう開花しない可能性が高い。気候変動が激しく、ただでさえ花たちの生活環境が厳しくなっていく中、自分の強欲の為に平気で盗掘する輩の無神経さは許せない。

 

春夏秋冬、五家荘の山はいろいろな表情を見せてくれるが、花も同じ。福寿草、カタクリの花ように季節の変わり目のほんのわずかな時期にしか咲かない花も多い。

 

僕が特に好きな花たちというと…

 

・オオヤマレンゲ

初夏の山頂近く。夏の青い空の下、木々の茂みの間から顔を出す、美しく高貴な白い花。大柄で大きな花弁の中から、魅惑的な瞳でじっと見つめられたら、誰もその瞳のとりこになるだろう。

 

 

・セリバオウレン

山の先輩Oさんから教えてもらった雪の結晶のような白い妖精。雪がまだ解けない杉林の暗がりを照らすように、線香花火のような、ちらちらした白い火花が飛び散っている。開花期間は短くなかなか出会う機会がない。

 

 

・アケボノソウ

この花をデザインした自然は天才だ。この水玉模様の造形美と色とりどりのバランスの取れた紋様は素晴らしい。林道を歩いていてふと目が合い、上から覗くとアケボノソウワールドに蜜を吸う蟻たちと彷徨いこむ。

 

 

・キレンゲショウマ

8月の「らんまん」では、キレンゲショウマが紹介されていた。(残念ながら番組は見れなかった) キレンゲショウマは山野草では珍しい黄色の花。硬くつぼんだ親指大の花はいつもうつむいていて、ようやく開花すると蜂がその固いつぼみの中へ入り、受粉する。

今や絶滅危惧種。宮崎県側の某斜面ではネットで保護されているが、僕の知る限り、五家荘ではたった一輪、自生している。これも山で、見知らぬ山人に指を差され、教えてもらった。苔むした倒木の上に、一人(一輪) 黄色い花が咲いている。倒木は斜面に係り、鹿も食べる事の出来ない高さにある。花を教えてくれた人は言った。「たまには、寄り道も面白いよ」

毎年、夏になると僕は決まってその谷に出かけ、キレンゲショウマの無事を確認しに行った。残念ながら、今年の夏は、その谷に向かう林道が崩落し、彼女の姿を見る事が出来なかった。

 

 

・ギボウシ

キレンゲショウマとほぼ同じ時期に開花するのが「ギボウシ」。平地でもギボウシは開花するのだけど、五家荘のギボウシはワイルド。巨木の枝の分かれ目に根を張り、濃い緑の葉を広げた中心からぐーいっと茎を伸ばし、白い花を咲かせる。山のギボウシは足元を探すのではなく、見上げるのだ。森を見上げ、山の神に吸い込まれるのだ。そのたくましさに僕は何時も圧倒された。この子も、一輪のキレンゲショウマと同じ谷に居るので、結果、今年も見る事は出来なかった。

 

 

今年は水害の影響で道路事情が最悪で、残念ながら、これらの花たちと会えない夏だった。仕方がない、時間があるので栴檀の滝に向かう。遊歩道横の川の水量が多く、滝や川の写真を撮ろうと思うが、なかなか思うような写真が撮れない。とうとう滝つぼの近くまで登って来た。滝の細かい飛沫でカメラのレンズもすぐに曇る。真昼なのに誰も居ない。一人ファインダーを覗くと、巨岩の上に一株の「ギボウシ」が咲いていた。滝の風圧に首を揺らしながらも立派な花を咲かせている。

 

 

山の草花はどこにも移動が出来ない。大雨で山が崩れ、川が氾濫しても。足元の土が揺らぎ、土砂もろとも自分の姿も谷底に崩れ落ちても。雨が降らず、日照りが続いても。それでも一輪の花を咲かせている姿がある。

 

一期一会、一輪の花。

 

五家荘の山に足を踏み入れなければ、一生、会う事の出来なかった、この子たち。

僕のこころは「らんまん」ではないが、君たちのおかげで、どんなにいやされたか。

 

最後のシーン。槙野博士がテレビを見ている僕の顔を覗き込み、目が合い、笑顔で

「おまん、誰じゃ?」と聞いて、話は終わる。

 

2023.08.23

夏も終わりに近い。

高地の五家荘でも、今年の夏は暑い。

 

お目当ての白鳥山への林道が多数崩落。

春から今まで、とうとう、

どこにも行くところが無くなってしまった。

 

その中で何故かハチケン谷の林道だけは台風、大雨でも無事で

もちろん小枝はぼきぼき折れ、道を塞いでいたり、土砂が道の半分まで崩れてはいるが

林業の重機が押しのけ、多少荒れた道ではあるが、登れない事はない。

 

駐車スペースには先客の軽自動車が1台、停まっているが、

おそらく林道を通り、京丈山を目指したのだろう。

 

地図を持たない僕は、いつものように登山口までの往復となる。

汗をびっしりかき、坂道を登る。暑さのせいかいつもは出迎えてくれる

楽しそうな山鳥達の鳴き声も聞こえない。

 

乾いた谷の景色。道の横を流れる川のせせらぎの音だけ聞こえる。

前日の雨のせいか、川の流れの勢いが強い。

崖が崩落して、白い石灰岩があらわになり川に転がり落ち、

その白い岩の上を、川の流れがなめながら流れ落ちる。

 

汗を拭こうと立ち止まり、しばし日陰で休憩。左手の暗い谷を見るに

遠くに赤い花?苔むす岩の間から、真っ赤な花が顔をのぞかせている。

 

崩れる足元に気を付けながら谷を這い上がるとそこには

山芍薬の赤い実がいくつも爆ぜていた。

 

殺風景な森の中で、いくつもの赤く爆ぜた実。

この実が、春に白い大きな花びらの群生の景色を作るのか。

 

写真を数枚撮り、道に降りようとすると、下からこっちを覗く男の姿がある。

京丈山から降りて来た先客なのだろう。

 

お互い、こんな場所で何をしているのかと、ポカンとしている。

しばしの間があり彼は下界に降りた。

 

僕には今日、目的があり、もう少し坂を登った場所から

今度は下の谷にある小さな滝の写真を撮りに来たのだ。

 

数年前、その滝の存在に気が付き、

そこで初めて「エンレイソウ」を見た。

 

今回はその滝の写真をあらためて

正面から撮影したいと思ったのだ。

 

 

そんな大きな滝ではないが、水の流れが元の岩盤を洗い

木立の中で滝の姿を現していた。

 

ただ遠くから見るには

木立が邪魔をして滝全体の姿は見えない。

 

滝の上部に行くには足元が弱く崩れやすいので

無理は禁物。どっちみち正面からの写真は撮れない。

大きな滝つぼもない。

 

何度撮ろうとしても地形上、滝の横顔しか撮れないのだ。

 

五家荘には同じような景色が数えきれない程あるのだろうか。

次第に山鳥の声が聞こえ始めた。

 

真夏の真昼のひと時。

もっと、もっと、心が安らぐ場がありそうなのだけど、

中々、見つからない。

開けた林道も、観かたによれば、

森の中の熱風の通り道。

 

熱風に押されるように帰路に就く。

 

後で調べるに、山芍薬の赤い実はダミー。

つまり、結実せず花は咲かない。

 

黒い実が、地中に落ち、

来年の春、白い天使のような花を咲かせるのだ。

 

 

 

2023.08.05

僕が呼ぶ、熊谷さんとは、山野草のクマガイソウの事で、実在する人の事ではない。

クマガイソウは葉の間から花茎を出し、ぷくんと丸く膨らんだ姿が珍しい蘭科の仲間。花の大きさは10センチくらいあり、なんとものんびり、古風な顔立ちをしている。日本の野生ランの中では最大級の大きさとの事。

 

そのおしとやかな、のんびりしたクマガイさんの和名は、武将の熊谷直実(くまがいなおざね)にちなんで名づけられた。五家荘は平家の落人伝説で有名な場所だけど、残念ながら熊谷真美は平家の敵、源氏側の武将なのだ。ただクマガイソウには相棒(敵同士)が居て、その花の名は平家の若武者、平敦盛(あつもり)から取られた「アツモリソウ」という。

 

平家物語の絵巻には熊谷直美、平敦盛、両者馬にまたがる勇壮な姿の背中に「ぼわん」とふくらんだ母衣(ほろ)の姿が見える。その不思議な姿は登山用具で言えば風に膨らんだポンチョをまとった風体なのだ。当時の武士は、背中を流れ矢に追わないために、丸く膨らんだマントのような母衣(ほろ)を身にまとっていた。

 

クマガイソウ、アツモリソウ、そのふくらんだ外観は、当時の武士が身にまとった母衣のように見える。更に例えて言えば平家物語に書かれた、源氏の熊谷直美、平家の平敦盛のようだと花に名を付けたのだろう。名付けた人も風流人なのだ。色も紅白、源平の対をなしている。クマガイソウの白、アツモリソウの赤。

 

一の谷の決戦(1184年)で破れ、敗走した平家軍が海に逃れようとした時、源氏の武士熊谷真美が、待ち伏せし平家軍団を呼び止める。「敵に背を見せて逃げるは卑怯千万。戻られよ!」と扇を上げて彼らを招く。そして敗走していた集団の中から引き返してきたのが平家の若武者「平敦盛」

 

熊谷直美は敦盛を引き寄せ、馬から地面に落ちた敦盛の首をかき切ろうとした。そして兜を仰向け顔を除くと、自分の息子、小次郎と同じくらいの10代の美青年だった。いくつかの言葉のやり取りの中、若武者敦盛の潔さに直美は迷う。この武者を討ったら、彼の両親はどんなに悲しむのだろう…振り返ると仲間の騎士団が二人の戦いぶりを眺めている。このまま命を助けても仲間が敦盛を討つだろう。どうせ討たれるなら、自分で首を取ると決める直美。あまりにも哀れでどこに刀を立てたらいいのか、ためらい涙で目がくらむ。そして泣く泣く、若武者の首を切った。

 

熊谷は敦盛の首を包もうと、敦盛の鎧を解くと、袋に入った笛を見つける。一の谷の城で戦の最中、風流にも楽曲の調べが響いてきて、その笛で曲を奏でていたのが敦盛と直美は気が付く。何万騎の激しい戦の中でも曲を奏でる風流、粋な若武者、平敦盛の高貴さに改めて熊谷は感心する。その事がきっかけで、熊谷直美は武士を引退、出家し仏道に入った。

 

数年前の秋、五家荘の「平家の里」のイベントで、能舞台で神楽の演舞を観た後、平家琵琶の調べを聞いた事がある。(平家琵琶とは、「平家物語」を琵琶法師が語るときに用いる琵琶)秋深い五家荘の谷の暗がりに、しんしんと切ない琵琶法師のうたいと、琵琶の調べが響いた。今、改めてその調べを聞くことが出来たらもっと、自分のこころに迫るものがあったはずと悔やんでいる。

 

平家物語が書かれたのは鎌倉時代。今から約800年も前の事。この花たちの名前はその当時から時空を超えて引き継がれて来た歴史ある名前なのだ。

 

残念な事に野生のアツモリソウを僕は見たことがない。死ぬまでに会えるかどうか。それくらい希少な花なのだ。資料を読むに、種は微細で発芽に共生細菌が必要で、自然の発芽率は約10万分の1。野生の花を紹介されたサイト「花さんぽ」で、撮影者のHさんは敦盛草を発見した時、感動の余り大声でその名を叫びそうになったそうだ。しかし万が一、盗掘者の耳に入ったらと一大事と思い、必死で口を押え、敦盛草の写真を撮った。あとは枯草でその存在を隠したと書かれている。

 

クマガイソウもアツモリソウも希少植物でレッドデータブックに記載されている。金目当てに盗掘された花は枯れる可能性が高い。その後、いくらお金をかけても野生の姿は復元できないのだ。花だけのことを考えると、最近はバイオ技術で人口栽培品が出回っているそうだけど…

盗掘には罰則があるが、その罰則が実行されたという話を僕は聞いた事がない。数年前、五家荘の谷で山芍薬の盗掘3人組の事を警察に通報したが、現行犯でないとダメ。盗掘した場所が特定できないとダメと言われた。深山は盗掘団の金の生る山なのだ。熊本県の自然保護にも話をしたが担当者は、何の反応も関心もなかった。持ち回りで、課を移動しただけらしい。自然保護課が熊本県のレッドデータブックを発刊している大元なのに。去年、山が蛍光スプレーでマーキングされた事件も話たが、無反応。

 

この雑文録を書くきっかけは、ついこの前、阿蘇の某道の駅で熊本県のレットデータブックに指定された生き物、植物のチラシが貼られ、「みんなで阿蘇の自然植物を護りましょう」的なコーナーがあり、その真下に山で削り取られた苔が白いスーパーのトレイの上に一山150円で売られていたのを見たことがきっかけ。(買うにしても僕しか買わないだろう…)

そうして、更に奥を見ると、そのレットデータブックに指定されたクマガヤソウの苗が販売されていたのだ。1株1400円。栽培法は花を咲かせるのは難しいと書かれてある。(そりゃ、そうだろうよ)

 

※クマガヤソウは熊本では絶滅危惧Ⅰ類に指定され、採集はもちろん販売も禁止されている。そんな絶滅種が1株1400円で道の駅で販売されているなんて!

店の人に話をしたら知識不足でしたと…びっくりして弁明された。その会話に喜々と割って入ったのが地元民のじいさん。「こん花は、某所にいっぱい咲いとるたい」と、嬉しそうに語った。「あそこん、●谷の斜面にぐっさり咲いとる、そこから抜いてきたとやろなぁ」(そのじいさん。善人そのもの。) そのクマガヤソウがいっぱい咲いている場所には、もうクマガヤさんは居ないのかもしれない。

新聞の記事でお隣の宮崎県では「クマガヤソウの群生地」が復活されたそうだ。一人の人が行動をはじめ、みんなを巻き込みクマガヤ草の群生地が出来た。五家荘も群生地の復活は絶対できると僕は信じたい。

平家の里なので、アツモリソウもぜひ!…アツモリソウは日本の中部以西では「絶滅」したのだけど。(AIだのSDGSなんだの頭賢いふりした我ら現代人が盗掘、自然破壊で日本半分からアツモリソウを絶滅させた)

我が熊本県は自然保護後進県。まだ、お金をかければ地域振興が出来ると信じている役人、県民が多々増殖中。お隣の村にはポンと100億円。人を育て、花を育て、森を育てるのにそんな金はいらんのに。

※写真のクマガヤソウは五家荘、某所で撮影。善意で移植し保護されたものを撮影させていただいた。

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