
2023.05.03
山行
2023年4月30日が極私的山開きの日だった。
晴れの天気予報なるも朝から小雨が降り、二本杉は寒かった。
駐車場は多くの車が停まり、たくさんの登山客で賑わいを見せていた。
足ならしとして、雁俣山への道を辿る。
根性なしの自分は山頂を目指すのではなく、
某所で開花(?)予定の銀ちゃんこと「銀龍草(ぎんりゅうそう)」を探しに行くのだ。
今回は濡れた落ち葉の影で、白く輝くレインコートを羽織ったような、
おそらく身長3㎝くらいの銀ちゃんが顔を出し、頭をうなだれていた。
もう10日も経てば、たくさんの銀ちゃん家族の群生が出現し、
一つ目小僧のような顔をもたげるのだ。
「ユウレイソウ」という不名誉な別名を持つ銀ちゃんも、
もちろん植物の一種で、光合成をせずに育つので色は輝く白銀色。
栄養は或る森の昆虫から得ていると大学の研究者が発表している。
森には不思議な植物も多いが、その不思議君達を研究する不思議君も
多数いて、僕のような妖しい愛好家も多数居る。
そうして森をさ迷ううちに1時間は経過した。
ほとんどの登山者はカタクリの開花を目当てに
山頂を目指しているのだが、杉木立の暗がりで這いつくばる
僕の姿を怪しみながらも、さっさっと歩みを進めていた。
「カタクリの花は咲いてましたか?」と聞かれるたびに
返答に困る、銀ちゃん友の会代表の僕であった。
さて、次に目指すはハチケン谷。
ようやく雨も止み、空が曇って来た。
アケビの花は満開だった。
秋にアケビの実が弾けるような勢いで
雨に濡れたアケビの紫の花々が弾けている。
彼女らはとても元気なのだ。
このアケビの茂みは、見れば見る程、楽しく騒がしい。
そうして秋に、実がなるのを楽しみに茂みに向かうと
いつも先客が居て、アケビの殻だけが地面に落ちている。
(僕だけの秘密の場所と信じるのが大間違い!)
そうして、久しぶりのハチケン谷。
ゲート前の空き地は車で満車状態だった。
山芍薬の開花を目指して石の詰まった
固い林道を登る。
以前はゲート前のスペースは
花壇のように花が咲き乱れて
蝶も乱舞していたが今は静かだ。何もない。
歩みを進めて行くうちに
山芍薬の可憐な姿が、山の斜面に顔をのぞかせる。
平たく広げた緑の葉の上に
短くスッと白い花を咲かせている。
そっと丸く、手の平の上に包み込むような花弁。
白い花弁は薄く大きい、まるで蓮の花のようだ。
うす暗い杉木立の奥、
ごつごつ苔むした緑の岩の間に、
ぽっぽっと、白い「ともしび」が点灯する景色を想像する。
霧のかかる山道を歩くと、
その、ぽっ、ぽっという白い灯りが
幻想的にも見える。
聞くに、その花びらには、
紅く染まるものもあるそうで
白くかすむ景色の中に、赤く灯る印が点滅すると、
そこは森の精霊が棲む
神聖な場所の証なのかもしれない。
気が付くと、
登り始めて2時間は経っていた。
こんなゆるゆる山歩きの
極私的山開きの一日。
とても山頂に辿り着けそうにもないので、
林道を引き返す。
川底の白い石を洗いながら流れる川のせせらぎ。
最初から終わりまで頭上で聞こえる野鳥のさえずり。
水害で道が崩落し、
登れる山の数は減ったけど、
五家荘は林道を歩くだけでも
気分が癒される山なのだ。
山開きで、普段はみんなやって来るのに
今年は何故、誰も登って来ない?と
山の神様も寂しがっているのだろう。
2023.04.05
文化
テレビの「なんでも鑑定団」が好きなのだ。
熊本では毎週土曜・日曜の昼12時から放送される。再放送だけど。
好きな理由は、まだ知らぬ作家の作品を知るきっかけになる事。全然知らなかった人が、とんでもない作品を作っていたんだなぁと感心する。
それと、偉そうにしているオヤジが自信をもって鑑定に出す品が、結果ニセモノと分り「あちゃー」と悔しがる姿を見る事ができる事。
時に、素人が見てもニセモノだと分かる掛け軸を番組の最後までひっぱり、予想通り1000円の値段が出ると素直に嬉しい…が番組の悪意を少し感じる。
しかし、金の亡者のような人の鑑定品がとんでもない価格で評価されるのを見るのは悔しい。更にその人物がもっと値段が上がるまで売るのを待つ、なんて言うと、余計に腹が立つ。
(この人物はすでにテレビでゲスな人格が全国にさらされているわけで、高額な鑑定品と引き換えに、その人格が全国津々浦々に知れわたる罰を受ける事になる。彼の周りには金の亡者しか集まらない。)
五家荘はもう春。一年で一番輝かしい季節を迎えるけど、未だに山道の崩落被害で登れない山が多々ある。冬の巣ごもり期に僕は八代博物館が出版していた「八代郡内寺社資料調査報告書」を読んでいた。報告書の中には合併したばかりの八代郡の町や村の資料がモノクロ写真で紹介されてある。(平成24年発刊)
椎葉阿蘇神社に祀られてある木造男神坐像(天保9 年)…久連子神社の鉄造懸仏(室町時代)…などなど、すでに色のはげた仏像やら、錆びた鉄の懸仏やらが紹介されてある。
五家荘の仏像に限らず、発見・確認された物はすでに時の流れで、痛み、疲れた仏像が多い。それでも、その土着の神、仏様は村の奥の神殿や道端の小さな祠で祀られ、お参りされたものなのだ。
※明治元年維新政府の神仏分離令までは、仏様も(土着の)神様も一緒に祀られ信仰されて来た。仏様、山の神、海の神様もみんな一緒。明治維新前までは神社の多くは仏教僧により運営されて来たのだ。よく見る「権現宮」の「権現」は菩薩の仮の姿。天照大神の本来の姿は大日如来、愛宕権現の本来の姿は地蔵菩薩…。
樅木の白鳥神社(雨乞いの神)、祇園神社(牛頭天王が祭神、牛頭天王の本来の姿は薬師如来)…木造の苔むした鳥居をくぐり、崩落した参道を登る。ある場所でさりげなく置かれた木像を見つけ写真を撮る。目も鼻も、口もない、ただの古びた木のかたまりに見えるけど、まぎれもなく山の神様だ。
斜めに傾かれていたのでそっと、手を出し、立てかける。右手が「ビビッ」と感じる。
本来はおそれ多くも写真など取らないのだけど、博物館の学芸員の人に見てもらうためにシャッターを押す。
用心しないとその写真をネットなどで安易に公開すると、盗まれる可能性もある。
1月に訪問した球磨郡のあさぎり町の谷水薬師では運よく、年に数回の秘仏の開帳の日だった。地元の人が言うには昔、谷水薬師の仏像がマスコミで紹介されたら、即、大事な像のいくつかが盗まれ、いまだに帰ってこない仏様が居るとの事。※秘仏とは明治時代に失火で本堂が焼失し、焼けたご本尊の中から出て来た、数センチの小さな純金の菩薩像の事)
五家荘の釈迦院の秘仏もマスコミで紹介された後、収蔵庫をこじ開けられた跡があったそうだ。海外に売るために仏像を盗む輩の仕業なのだろう。
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数日後 (仕事のスキを見て!) 八代市の博物館に押しかけ、学芸員のTさんに写真をいくつか見てもらった。Tさんは「八代郡内寺社資料調査」に関わった本人だった。談論風発、さすが専門家、話は尽きないし面白い。釈迦院は一時、すたれかけたが、お寺の再建請負人が中央からやって来て、また再興された話。妙見祭も衰えかけた時代があったが、今で言うやり手のプロデュ―サーが登場し、祭りが賑わいを取り戻した話…聞いていて飽きない。
T氏は五家荘にはまだまだ秘仏がたくさん眠っているだろうと語る。ただ、時間と予算がない為に更なる調査には取り掛かれないのが現状らしい。
「文化財を観光の目玉、客寄せに使って成功した例はありませんよねー」
(一時的に脚光を浴びた後、その後、どうなったか…)
文化財に関心のない人が、たまたま田舎にやってきてスマホで写真撮り
「なーんもない、所ですね」と言い、トイレだけ借りて「なーんも、地元に落とさず帰っていく」
文楽だの神楽だの見たって「何の関心のない人にとっては退屈そのもの。なんも面白くない。」文化財ってそんなもの。漫画やショーではない。そんな人々に面白がってもらうために、地方が媚びる必要はないのだ。僕の住む「世界産業遺産 西港」とやらもその典型。過疎で疲れ果てている地元に、世界遺産だから何かやれと言うのは残酷な話だ。平均年齢70近いメンバーに地域振興の為に、石積の岸壁を100メートル全力疾走しろと言われても困る。
博物館のTさんの話のすきまに僕も応酬…天草の諏訪神社の事、崎津の「ウランテラサマ」の事…今年の2月に長野県の諏訪神社に行った事…「みしゃくじ」信仰の事…頭に蛇が載った縄文土偶の事…気が付けば2時間経っていた…オタク同士の会話は永遠だ。
Tさんの元には時々問い合わせがあるそうだ。「町内で祀られて来た仏様に価値があるかどうか、見て欲しいと」人が居なくなりその仏様の世話をする人が居なくなって、どこかに保存してもらう前にその価値を見て欲しいようだ。
「その価値」とは何だろうか。今時、重文、国宝級のものがポンと出てくるわけでなし、大概、なんでも鑑定団的に言えば「無価値」のはずなのだ。しかし、だからこそ「価値」があるとT氏は言う。長い期間、地元で大事に手を合わせ、花を捧げ、祈る事そのものが本当の価値なんだよな。
目も鼻も、口もない、ただの古びた木のかたまりに見える五家荘の山の神様。
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去年夏、僕は京都に行く用事があり、ついでに奈良まで足を伸ばし法隆寺に行った。法隆寺には国宝の仏像オールスターズがずらりガラスのケースの中にひしめいて金色の光を放っている。仏教美術に関心のある人は狂喜乱舞するだろうが、僕は何も感動しなかった。この像はみんなの憧れであり、磨かれ抜いて、美しく造形された夢の形。極限の美。何の欠点もない。
僕のようなひねくれ者、どこか決定的に頭の部品を欠落した者にとっては、そのような美しい仏様のお姿に魂は救われませぬ。仏様が冷ややかに微笑まれているお姿の足元で、踏んづけられ、苦しんでいる邪鬼の救いのない顔につい微笑んでしまう。五重塔を建立から1300年もの間、風雨にさらされ柱の4隅で支え続ける邪鬼の労苦に僕は手を合わせた。
僕の魂は邪鬼に救われたのだ、少し。
2023.02.28
文化
2月も末、例年なら久連子あたりで福寿草の開花を見に行くところだけど、いろいろ所用があり出かける事が出来ないままでいる。残念。
さらに不運なのは、五家荘は去年の夏の豪雨被害で林道の修復工事が進まず、久連子に行くにも大きな遠回りが必要となった。例年なら、熊本はもちろん他県ナンバーの車で久連子は満車状態なのだけど。登山道も荒れ果て崩落地点多数、危険が伴う個所は用心が更に必要。先週は国道445線二合付近で大きな落石があった。
僕は5年前の病気の後遺症か、福寿草が待つ白崩平への細い斜面を横切る小道は、バランスが取れずに毎回苦労していた。今もって螺旋階段を登ることができないのもその病気の影響だろう。結果、今年初の五家荘行きは3月にした。これから山は花の時期で、福寿草の次は、カタクリ、そして臼ピンクや赤、白の華やかな「つつじ」がむんと香る季節になる。
僕の山に行けないストレス解消策として前回の雑文録と同じ、古書店での山巡りが恒例になった。自称「神の手」(苦笑)
古書の棚に並ぶ、書籍のぶ厚い地層の中から僕の右手のひとさし指は「すっく」と五家荘関係の本の背表紙の上を指さし、眠っていた過去の時間を手前につまみだす。先月は熊本の伝説の地域紙「暗河(くらごう)」の地層から1987年春号を発見、無事保護した。
その春号の中には、僕の高校時代の恩師、永田瑞穂先生の「五家荘の地名と風土」というタイトルの寄稿があったのだ。おそろしき再会、神の手のなせる技。
そこには昭和61年2月23日に開催された熊本地名研究会での講演内容が再録してある。永田先生は1960年頃から五家荘に入り、五家荘の民俗学、山や動植物の研究をされて来た。眼光鋭く、高校時代から僕らは恐れをなしていた。以前、「五家荘図鑑」をプレゼントしたが、玄関先でえらい怒られた悲しい思い出がある。(そんなに怒らなくても、よかとに…何もしとらんとに)
先生の講演内容で面白かったのは「ドウダンツツジ」の正体というもの。九州の山には「ツクシドウダン」と「ベニドウダン」というものがあり、先生はその「ドウダン」に気が付かれた。地元では「ドウダンバ見にこんね」と言われて見に行くとそれは「レンゲツツジ」で、そもそも「ドウダンツツジ」の歴史は明治から大正初めの話であり、元を辿って行くと、鉱山に関係があるとの事。鉱山技師が持ち込んだのが原因と先生は推察された。先生の調査によると、五家荘の椎葉にも銅山があり、鉱道の跡が残っている。(1987年当時) ドウダンツツジは北方系の草原性のツツジで人間が植えないとなかなか生き残れないとの事。「銅山つつじ」がつまり「ドウダンツツジ」へ名前が移っていったという。九州の鉱山には必ず技師が植えていったらしい。(その意味は不明…僕が思うには銅の採掘で山の自然破壊のお詫びの気持ちなのか)
ネットで検索すると確かに、過去の新聞のニュースで日本有数のツツジの群生地として知られる宮城県気仙沼市の 徳仙丈山 ( とくせんじょうさん )711mで約50万株のツツジが見頃を迎えていると書かれてある。徳仙丈山にはかつては銅を採掘した「徳仙鉱山」があった。愛媛の赤石山にもツツジが満開との記事もある。そこにも以前銅山があった。今はこうして「銅山ツツジ」と検索すると、すぐに、こういう情報が出て来るけど、永田先生の講演当時はそんな近道、ネットワークはないので、よく自分で調べられたものだと感心する。
更に面白いのは、「白鳥山」の名前の由来の話。山の頂上はもともと名前があったわけでなく、必要にかられて付けられる場合がほとんど。当時、白鳥山は今のように簡単に登山口までいける山ではなく、登る人も限られ、当時は昆虫や植物の採集が目的で登る人しかいなかったらしい。逆に言えば、昆虫の新種がどんどん発見される自然の宝庫で、新種が発見されたら、学会にその地名を付け「固有名詞」を付けて発表しなければならない。結果、そんなに山の名前にこだわらない学者の発表した「熊本県博物誌」には白鳥山は「ハクチョウザン」と書かれてあった。そこで学者と先生のやりとりがあり、植物学者曰く、学会に発表する期日までに「シラトリ山」なのか「ハクチョウ山」なのか、正式に決めないかん、急いでくれ!という事で、先生はとうとう居直り、「シラトリ山」にする!と決断したとの事。
先生曰く、白鳥(しらとり)大明神が各集落にあり、雨乞いがされていた。白鳥山の北側に御池(みいけ)があり、そこが雨乞いの大元の場所だったらしい。そういういわれから「白鳥山」の呼び名は「シラトリ山」になった。白鳥山の北部にある御池のもともとの地名は「池」で、それに「御」が付いて「御池」になり、最後は「お御池」さん。白鳥山は平家伝説もあり、熊本と宮崎の椎葉地区との境界線でもあり、いろいろな民俗、歴史、伝説が重なった魅力のある山なのだ。
次のテーマは「シャクナゲがないのに石楠花越」とは?その次は「峠の呼び名も難しい」などなど…先生の執念たるやものすごい。
リアルに五家荘で道に迷い遭難した自分だけど、今は過去の資料の山々に迷い込み遭難しているようだ。しかしそんな遭難の時間は楽しいものだ。先生の足跡が消えないうちに、踏み跡を辿らなければ。
わざわざ、古書店を巡らなくても、五家荘の動植物が満載の本がある。B4版で600ページを超える大書。その名も「レットデータブックくまもと2019」※県庁1階の情報プラザで閲覧、購入も可。サブタイトルは熊本県の絶滅の恐れのある野生動植物。海の動植物はともかく山に存在する、絶滅危惧種は植物も昆虫も五家荘のエリアが大半を占める。発刊からまだ5年も経たないけど、残念ながらすでに姿を消した植物も多々ある。
去年の山道のスプレー騒ぎの時に、レッドデータブックの版元の熊本県は何をしたのだろうか。財政難と言いながらも地域振興と言う名の自然破壊を続ける県は、五家荘のエリアをお隣の宮崎県の綾町のように「森林セラピー」などの基地に出来ないものかと思う。何も予算が要るわけではない。そのままの自然をそのままにしておくだけなのだ。(そういうと、彼らはまた、その基地に向かうための大きな道を作りたがる)※綾町は都会からの移住者が増えているという。
ツツジの花が咲く頃には、山に行こう。
(その前に白鳥神社に行かねば!)
2023.01.22
文化
今年の冬は五家荘は大雪だった。フェイスブックなどの情報で山の吹き溜まりで約40㎝、二本杉の東山本店まで行く道路は深い雪かアイスバーン。車高の高い4駆しか辿り着けない雪路との事だった。そうして辿り着いても東山本店はお休みなのだけど。
ここ5年で僕が乗り換えた車が3台、その度にチエーンを買いそろえ、結果、使ったのは各車数回程度だった。去年買ったパジェロミニの中古車は電気系のトラブルもあり、1年もたたずに廃車になってしまった。(後ろのワイパーが止まらない、やむなくコードを抜く!)ミニに、チェーンを付けたのは2回程度だった。とても気に入っていたのだけど、一般の道路はともかく、砥用から二本杉への坂道を息切れして登ってくれないのだ。いつ止まるか分からないまま林道を走るのは、別の意味で寒いものだ。過去に他の車(イグニス)でタイヤがバーストして保険会社に連絡し、当然レッカー車の手配となり、とんでもない割り増し料金を支払うはめになった痛い経験もある…。
更に、頭が急に冷えるのは命の危険を感じる。5年前に開頭手術を受けた右の額の奥の血管が寒さで「ビリリ」と来るのだ。ヤバい車に運転者もヤバい。山に春が来るまで、ガマンするしかない。自宅で座学…という事で、古書店巡りで五家荘についての古書を探して回って過去の五家荘への時間旅行へ出かける事になる。事務所の近くに熊本県立図書館もあるが、地元の古書店の方が、掘り出し物が多い。この前、熊本県の教育委員会が過去に細かい五家荘の文化史跡を調査、その結果をまとめた資料をこっそり見つけたが、学術調査の本で味も素っ気もないので…とりあえずひっそり、古書店の本棚の奥にしまっておいた。平成の合併で、五家荘地区も八代市に編入されたので、本来ならば八代市の博物館がもっと調査をしてくれればいいのにと思うけど、宝の山を前に人手不足なのだろう。
そんなこんなで年末に「店じまい」の準備をした。最近、年寄の身辺整理を巷では「断捨離」という…その言葉を僕は好きではない…何かカルチャーセミナーとか…そういうお上品な世の為、人の為、みんないい人でいましょう的なノリが自分には合わないのだ。自分には「店じまい」という言葉で充分。
そうして自分の「店じまい」でいろいろ本棚をみているうちに、「くまもと里山紀行」なる本を見つけた。平成2年7月10日・地元紙熊本日日新聞情報文化センターの発刊で191ページ。モノクロ。執筆は栗原寛志 記者。平成2年は今から33年前の事。ちょうど京都から帰熊したばかりの時に買った思い出がある。中には熊本県内の90座の里山が紹介されてある。嬉しい事に、紹介されてある90座の中で、五家荘・脊梁エリアの山々の数は40座、半分近い数を占めている。単なる登山ガイドではなく紀行なので、その山にまつわる文化史跡などが紹介してある。修験道がらみの史跡も多々紹介され山によっては石仏の写真が多いページがある。熊本の里山のあちこちに民間の信仰の跡がたくさんあるのだ。農業県でもあり、みんな山の神さんに豊作を祈願したのだろう。どんどん朽ち果てて行く石仏様の姿。地図はフリーハンドで書かれ、方角も示されてないアバウトなもの。低山といってもその手書きの地図を片手に山頂を目指したら大変、道迷いの可能性が高いのでご用心。(経験者は語る)
登山中のメンバーの写真も昔の時代を感じる。水木しげるの漫画の雰囲気。みんな首にタオルを巻き、作業ズボンに「いがぐり」頭。昼飯は懐かしいコッフェルでお湯を沸かし、弁当をぱくついている。記事を書かれたのは新聞社の記者の人だが、道に迷われたり、ゆるく書かれている記事も面白い。
・例えば、白鳥山。(原文を要約)
10年前ほど昔、白鳥山で道に迷った。小雨混じりの霧の中、御池の中で方向を失った。ミルクの中を泳ぐようで周囲の風景がまったく見えない。足元の踏み後たどって行くと林道に出た。林道をさらに下ると、山の中の一軒家と出会った。
その家は椎葉村尾手納地区最奥の小林の人家…
その主に道に迷ったことを伝えると
「よう熊本の人が山道に迷ってうちに下りてきなはる。もう日が暮れるけん、今夜はうちに泊まっていきなっせよ」そして、栗原さんは娘さんに靴ずれの足に赤チン塗ってもらい、風呂に入り、ビールと夕食のご馳走のもてなし」を受けられた。
更に、その主が言うには「この前も道に迷い下ってきた熊本の人が居て、その人は一晩お世話して送り出したら、夕方また道に迷いましたと下りてこられ、結局二晩うちに泊まられた」そうだ‥
なんともすごい話というか、猛者と言うか。
・新しい山道のルート開拓の話。
京丈山へのワナバルートは、昭和58年江口司さん(熊本市・故人)と民宿平家荘の松岡さんが協力して開かれたそうだ。当時、春には谷沿いには書ききれないほどの山野草が開花したと書かれてある。山頂では九州でもまれなカタクリの大群落がみられたとの事。
・平家山(1494m)の事
平成2年から7年ほど前…ヤマメ釣りと山登りの一団が、葉木谷の最上流のピークを勝手に「平家山」と名付けた。この集団が良く利用していた宿は平家荘。またその一団は、京丈山と国見岳をつなぐ縦走路を2年がかりで開かれたそうだ。行けども行けどもスズタケの密林に鎌をふるい一団は前進を続けた。目的は祖母・傾山に匹敵する縦走路を作るのが目的だったらしい。(実は著者もその開拓に参加したらしい)それから平成2年、その道はまたスズタケの占領に会い、消滅寸前…。
登山者、釣り人が元気なら、山も元気(迷惑?)な時代だったのだろうか。
・当時の花への思い
ゴールデンウィークが終わった頃、クマガイソウの谷に向かう。五月の原生林はきらびやかな若緑の世界だ。天を覆う新緑の中、谷沿いの踏み跡をクマガイソウの住む谷に向かう。目指す谷に向かうと猿面エビネの薄茶色の花、ヤマブキソウの鮮やかな黄色、そして白い花びらをほとんど脱ぎ捨ててしまったヤマシャクヤクなどが、沢のあちこちに顔を見せる。(中略)
前の年も、その前の年も、そしてその前の年も花を開いていたクマガイソウたちが今年も当たり前のように花を開いている。
(中略)
クマガイソウの沢に別れを告げ、麓に下りる。一年後「あのクマガイソウたちと再会できるだろうかーあの森があのままであって欲しい」そう祈るだけだ。
(※写真は「くまもと里山紀行から」転載)
残念ながら…栗原さん、五家荘にその森はありません。次の年も、その次の年も…
※クマガイソウの同属の「アツモリソウ」は種子は繊細で発芽に共生菌類が必要な為、自然発芽率は約10万分の1と低い。野生株は激減、環境省の絶滅危惧Ⅱ類。アツモリソウは近い将来絶滅する可能性が高い。それでも自生地からの盗掘はたたない。
一昨年、ある谷でヤマシャクヤクの盗掘3人組を見つけて、警察や県の自然保護課にも連絡したが警察はともかく、県の自然保護課は何の対策もとらなかった。レッドデーターブックばかり作るのが自然保護課の仕事ではないだろうに。盗掘者からみれば、何もできない行政の「足元を見て」やりたい放題、取りたい放題の山が五家荘。
そうして、わずか30年で絶滅する花々…
僕のようなおじさんが、昔は良かったと、若い人に山の話をいくらしても、彼らのスタートは、花も何も咲かない荒地からのスタートで、見たことも聞いたこともない昔話を彼らに話しても何も伝わらない。
五家荘近郊の自治体では地域振興とやらで、税金をどんどんつぎ込み自然を削り、道路、橋、観光施設を建設しているところがあるけど、山間地の地域振興は、箱ものより人材の育成に予算をかけるのが本道だろう。すでに絶滅したクマガイソウの代わりに人を育ててくれないものだろうか。でないとあなたたちも絶滅しますよ。
と、いう事で、五家荘の春が今でも待ちどうしい僕なのだ。
※水色のイグニス(イグちゃん)が僕の車に復帰した。車高が意外と高いので山道は良い。スペアタイヤはネットで買い、積載す。