2026.05.19
山行
僕が写真を撮り始めたのはちょうど、10年くらい前。仕事で五家荘地域の山や山野草の写真を撮る必要があったのだ。プロのカメラマンを山に登らせ、あれやこれや、写真を撮ってもらうような予算などなかった。
中古の年代物のデジカメをバックに背負い、見よう、見まねでシャッターを切ることになった。ファインダーをのぞくと、これまで見たこともない山野草が山の小道に、苔むした岩の奥に咲いていた。写真を撮るという行為は、自分の心が何かに動かされた瞬間を撮るということなのだろう。訳アリの中古カメラでもとんでもない高価なミラーレスでも、ポケットに入ったスマホのカメラでも。ピンときたら1枚。もう一枚。そして撮った後に見直すと、その自分の心が動かされた瞬間とやらは気まぐれ、時間が経てばとうにその時の感情など忘れてしまい、意味不明の画像がハードディスクに蓄積されていく。上下左右に、わずかにずれた景色の写真。シャッタースピードの違いだけ。機械が撮ったものだから、自分でも区別がつかない。うまくなろうと思えば思うほど絵葉書のような写真となる。全然つまらない。どこかで見たようなつまらない景色を何枚も撮る。自意識過剰。誰かに見てもらうために、格好をつけて撮る。
最近は時間があるときに、昔の画像をどんどん削除していくことにしている。まる一日かけて撮影した写真のフォルダーを、キーボード1回たたいてスッと削除する。
何か気分もスッとする。
「黄金風景」
削除できない1枚の黄金風景の画像、劣化した僕の脳内の記憶装置にも1枚残った風景がある。
厳しい冬の寒さからようやく暖かい日が差し始めた或る年の春。なかなか満足のいく写真が撮れない一日。だらだらと車を走らせ、適当な空き地でコンビニ弁当を広げた。藪の茂みを前に胡坐をかき、おにぎりをほおばった。しばらくすると、その藪の中から鳥たちのさえずりが聞こえてきた。小鳥たちが楽しそうにチィチィ鳴きながら茂みの中を追いかけっこしていたのだ。茂みの葉が小刻みに跳ねて揺れている。追いかけっこは終わらない。見えない命の金色の輝き。この風景はカメラでは切り取ることはできない。少しの時間でもこの黄金風景を眺めていたいと思った。冬の寒さに耐え、ようやく生を受けた小鳥たちの命が春の陽気の中で無防備に飛び跳ねている。
今年も春になり、意気込んで、その見えない黄金風景を探して車を走らせる。今回はお気に入りの秘密の川の入り口の草むらの一角に車を停め、地べたに胡坐をかき、目の前の茂みに向かい弁当をほおばる。見上げると青一色の春の空だ。目の前の藪の中では何も声がしない。小鳥たちはもう若鳥になり、森の奥に飛び立ったのか。背中でひたすら川が流れる音がしている。ゴーッ、ゴーッ。やむことのない川の流れ。数日前に降った大雨が森から吐き出されている。
撮ることの出来ない黄金風景を探してカメラを持ち、山をさまよう自分は矛盾した存在そのものなのだけど。

2026.03.24
文化
今年初めての五家荘の山行 (3月8日) だった。すでに3月、頬をなでる風は暖かいが、なぜか足元を吹く風は嫌な冷たさがある。
遠い海の向こうで、人殺しが行われているからだろうか。
久連子(くれこ)集落にも、日露戦争時に戦死された軍神の像が祀られてあり、雪が溶けるとくすんだ色の苔に包まれていた姿を現す。軍神は姿がぼろぼろになりながらも重い背嚢を背負ったまま、背筋を伸ばし、銃を脇に立ち続けている。視線は向かいの山に広がる、春の青い空を見上げている。
森の奥で「ポーン」という音がこだまする。鹿を追い出す空砲なのか。
おなじみの場所で「福寿草」と「セリバオウレン」が咲いているとの情報も得て、会いに出かけた。セリバオウレンとはキンポウゲ科の植物で、なかなか出会えない春の山野草なのだ。今年は運よくいつもの場所で再会を果たした。小さく可憐な白い花。彼ら彼女ら(雄花と雌花がある)の姿を杉林の暗がりで見つけると、なぜか線香花火を連想する。森の中で白い火花がパチパチ飛び散っている。

林道を歩いていると、山野草と目が合いはっと、ときめく時がある。不思議なことに登りは全然気が付かないのに、下りの道の岩の影では目があい、「ああ、こんなところにいたのか?」と出会いを喜ぶ瞬間がある。これからの季節は、冬に眠っていた花々が目を覚まし始めるから、山歩きはいっそう楽しくなる。
最近は、山野草どころか道端の道祖神、お地蔵さんにも目が合うようになった。博物館に展示された仏像をガラス越しに眺めても目が合うようなことはない。仏像に踏みつけられた邪鬼と目が合い、会話をすることは多々あるが。邪鬼と私…お互い気が合うのだ。
久連子の小道を歩いていると、谷間の集落が春の湧き上がる陽気の中で朽ちていくのが分かる。斜めに傾いた廃屋、板の破れた作業小屋。荒れた川、鳥居が崩れかかる神社、集落の過去を記したお寺も空洞になってしまった。
五木から久連子へ向かう川沿いの道は断崖絶壁。崩落防止の太い針金製のネットが落石で膨らんでいる。ガードレールは可哀そうなくらい傷だらけ。岩山を削り道が作られてあり、この小道を人々は生活の道として通っていたのだ。帰り道、ふと岩のくぼみに祀られているお地蔵さんと出会う。花が手向けてある。春の陽だまりの中でお地蔵さんは眠りに落ちているようで、そっと、起こさないように帰路についた。

