熊本県 八代市 泉町(旧泉村) 五家荘
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雑文録

2021.10.20

山行

昨日、久しぶりに五家荘の山の先輩、守護神、Oさんからメッセージが届いた。最近雑文録を更新しないので、どうしていますか?と聞いてこられた。前回の雑文録の内容が少し、危ない内容だったので心配していただいたのかもしれない。ありがたいことであります。

確かに夏は暑いし、その暑さと景気の悪さのせいで、僕の頭は危うくなっていた。ここ数年、脳内で「般若心経」を解毒する活動を密かに行い「般若心経」とやらの解説書で小銭を稼ごうとしている輩の本を読破、放り投げ、「色即是空、空即是色」の意味を自分なりに理解したのはある夏の夜明け、窓の外が、限りなく透明に近いブルーに染まる朝だった。僕は身体を起こしはたと膝をたたき、膝の上でまどろんでいる飼い猫の寛太を放り投げ、手のひらを嚙まれてしまった。寛太は爪でひっかかずに、噛むから「寛太」と言う…つまり、大勢の猫に囲まれて僕は「般ニャー心経」の大義を会得したのだった。

この意味は大きい。この大義を会得するには五家荘の森の奥の迷走…いゃ、瞑想が必要なのだ。「色即是空、空即是色」…すなわち「ガラスのコップ理論」…いや誰にも分らなくていい…自分に分かりさえすれば、仏の教えなんてのは、つまりそんなものなのだ。

そういう、暑さと思い込みと、気圧の急変でオーバーヒートした頭を冷やすには水に浸かるしかない。60を過ぎてもなお僕は夏に1回は海に浸かっていた。僕は60数年前、海を前にした小さな集落で生まれ育った。田舎が嫌で高校卒業と同時に家を御出て、数か月、帰省時にローカル線の無人駅に立った時、僕は生臭い、潮の香を感じた。残念ながらそれ以降、何度も駅のホームに立ったけど、その時の潮の香を感じたことはない。その香は、僕の体の中をくすぐる、自然の生きる力というか、体の芯を揺する波長のような力だった。それから僕は毎年、泳ぎに行かなくても、一度は海か川に浸かり、自然の力で身を洗うことを儀式としていた。つい数年前まで近くの海水浴場で、ライフジャケットを着てプカンと波間に漂っては夏の終わりを懐かしんだ。

そして今年は海には行かず、五家荘の川に浸かることにした。浸かりに行ったのは9月の20日。9月の末に五家荘の川のヤマメ釣りは禁漁となる。僕は山に登る前はヤマメ釣りをしていて、当時は五家荘の川のローラー作戦を実行していた。目を皿のようにして、ヤマメ君が居そうな川を見ると車を停め…たいがいヤマメが居る川にはこっそり、瀬に降りる小道があり、ビールの空き缶があり、一升瓶が転がっている…そんな川を見つけては、竿を出し道具を抱えて、小枝に行く手を阻まれながらも、降りて一日、釣れない日々を過ごすのだった。

今は、釣り竿の代わりに、カメラと三脚をからげ、木にぶら下がりながら、はいつくばりながら瀬に降りて川の写真を撮っている。20日は行けども行けども、先客がいて好きに川には降りれなかったが、前から目を付けていた、ある大きな川の橋の下に降りた。さすがに川幅は広いし大きな岩もゴロゴロしていて景色に変化がある。奥の茂みには朝日が差し込み樹々の間から、光の線が降り注いでいる。緑の淵の下にはヤマメ君も身を潜めているだろう…しかし、川の水の流れが相当強い。ウェーダーを着て腰まで浸かり、大きい方の三脚を背にからい、川の真ん中に三脚を立てるがビンビン、川の流れの圧力がかかる。もう少し前にもう少し…透き通る足下の砂のすり鉢状のくぼみに、自分の足がずぶずぶ沈み始める…体が斜めになる…危ない…この川の景色を撮るには、川の水量が減り、樹々に光が当たるためには、もう少し川幅が広い方がいい、陽があたらないと景色がぼける‥‥当然、自然は僕の都合のいいような景色に変身してくれるわけでなし、自分が目の前の自然に合わせて写真を撮るしかないのだ、とその日はあきらめて撮れたのは1枚だけ。釣りをしたとしても、僕の実力はせいぜい1匹だけなのだけど。(苦笑)

その後、他の川も徘徊したが何か気が合わずに断念。怪しいキノコ2本写真に撮って、昼から昔からの友人、五家荘の通訳H氏の家にアポなし訪問した。運よくH氏は在宅中で、二人、久しぶりに五家荘談議に時間を費やした。氏はもともと観光協会の仕事をしていて、今は外国からの観光客相手に観光ガイドと通訳を行っている。氏はすでに五家荘の住人であり、僕のような適当な来客者ではない。森の奥から転げ落ちた屈強巨大な、ひげの生えたようなどんぐり然とした風貌をしていて、そんな氏が英語をペラペラしゃべるのも海の向こうの観光客からすれば土着感があっていいのだろう。そんな男が五家荘の未来について熱く語るのだ。

五家荘の未来は、地区に住む子供たちの未来のことでもある。氏はこれまでの観光協会での経験も深いし、地元民の考えを無視した予算消化の為だけのイベントを否定する。(行政のイベントは、今も予算消化の為だけ…一過性のものではないか)

つまり「地域おこしって何?」という定義から議論しないと、何をやっても根付かないのだろう。

僕の案としては、11月の紅葉の時期に、五家荘に五か所、地元のおにぎりと漬物の紅葉弁当を作り販売するアイデァというものだ。日本杉の東山本店、緒方家、左座家、吊り橋のたもと…おしゃれでなくてもいい。素朴な田舎の紅葉弁当。その包み紙には観光案内などを使う。五家荘は飲食店はほとんどないし、あったとしても受け入れることが出来るの人数には限界がある。おにぎりはもちろん僕が握るのではない。地元の有志が一堂に握り、語り合うのだ。弁当にはみんなの手紙や、紅葉した葉を、しおりにしてサービスする。何も宣伝なんかしなくていい。遠路来た人に販売するだけでいいのだ。弁当が売れた数で五家荘のファンの数もつかめる。紅葉弁当がうまくいけば、春には新緑弁当も販売する。たかが弁当というなかれ。

今年は川に浸かりに行って良かった。もうあの頃の潮の香りを嗅げないことは分かっているのだ。H氏も久しぶりに五家荘について語ることが出来て嬉しかったようで、またふらりと、寄らせてもらおうと思った。氏には五家荘の川の秘密の撮影ポイントを教えようかとも思う。

すべては般ニャ―心経、「ガラスのコップ理論」に帰結するなり。

2021.09.21

山行

今年の夏はあっという間に消えてしまった。8月、お盆前後の長雨は激しく山を荒らし、登山どころではなくなった。五家荘の盟主、国見岳も登山口までの林道が崩落し、登るに登れなくなった。(最近の僕は山を登るのではなく、ただ歩くだけが多い)

それでも、8月の終わりに見ておきたい花が一株あった。それは白鳥山の某所で数年前に見た大きなギボウシの花で、苔むした大木の大きな枝のわきから、「すうぅーっ」と長く伸びた茎の先に白く開く大きな花びらと、長い雄しべの茎と、涙を落としそうな1本の長いめしべの姿だった。ギボウシは街中にも咲く花でたくさんの種類があるようだけど、五家荘のギボウシは違った。同じ花でも野生化するとこうも違うものかと、初めて見た時は驚いた。

今年の夏は陶芸家の平木師匠に焼いてもらった「森の雫」というオブジェを森の中で撮影し、極私的美術展を開催し、自己満足するという計画があったのだけど、すでにあきらめた。

暗い緑の世界の中で、雫型のオブジェがどんな景色を映すのか、真ん中の穴の奥には何が見えるのか。こればかりはやってみないと分からない。しかし、その雫を背負って谷を登るのは一人ではなかなか大変なので、お盆に里帰りする娘をだまくらかして撮影する予定だったが、その動きは娘に察知されコロナを言い訳に彼女は帰省しなかった。そんなバカの一行がうろうろされたら、森の生き物たちにとってはいい迷惑なんだろうけど。

何とか29日は、朝から晴れたので思い切って車を走らせた。時には、山犬切や、他の山にも行くと何か発見があるかもしれないと思いつつも、つい白鳥山に向かい、緑の谷を遡るのだ。大雨の後、谷の形相も変わり、お目当てのギボウシの姿はなかった。もう会えないかもしれない。キレンゲショウマの花もすでに散った後だった。

その日の目的はそれだけで、特に山頂を目指すわけでなく、コンビニの弁当を開き、岩の上に腰かけ、森の空気を吸った。

街中では、息を吸うこと自体が、コロナと言う「毒を吸い、毒を吐く」行為となるのだろうが、森の中は違う。自分にまとわりついた毒を森の空気で浄化するような気分になる。

弁当を食べ終わり、木の上に座り、背筋を伸ばし、瞑想する。

森の空気を吸い、体を通し、また吐く。鳥の声がする。小川の流れる音がする。頭の上を気流が流れる。けものの気配を感じるが、誰もいない。鹿の警告音が時に響く。

森はいい、自然はいい…と思うが、都合のいい時だけのこのこやってきて、自然が良いと思うなかれ。大雨も自然、大風も自然、夜の深い闇も自然だ。自然は怖い。得体が知れない。夜も眠れない。風がうるさい。誰も居ない。いつ夜が明ける?誰かがやってくる。せっかく瞑想しながら、最後はそんな興ざめな事を考え始める。自然を全部、受け止めようとすると、畏れしか残らない。瞑想だの何の、どこかで聞いたようなことするから、気持ちが悪いのだ。

 

えーぃ、土の上に寝っ転がってみる。自分の勝手だ。

背中がぬくい。それだけでいいではないか。

そう思って、また寝返りをうつ。

2021.08.19

山行

8月7日にコロナワクチン1回目を接種した。事前に何か悪い予感がしていたのだけど、その予感が的中した。田舎の小さな町だから、接種会場に行くと知り合いばかりだった。中にはサポート役の人まで同じ町内の人で忙しく立ち回っていた。ワクチンの情報として僕の友人の半分に副反応が出た。40度近い熱が連続して出たとか、肩が数日上がらないくらい痛いとかいう人が多かったので、何だか嫌な予感がしていた。いよいよ自分の番、左肩に注射を打ってもらいその場で15分程度待機となり、その後、次の予約を確認するために椅子の列に並んだ。数分後、僕の体に異変が起きた。脳の中の血管がジーンと鈍く震え始めるのが分かり、体が硬くなる。これはいかんと看護師さんを呼び、別室で両足を上げ(意味不明)横になった。血圧が150を超えていた。お医者さん、看護師さん曰く「緊張されたのでしょう」とのことだったが、僕の普段の血圧は100前後なのだ。薬で抑えているのだけど。それがわずか15分で1.5倍の150を超えると、それはマズいでしょう、看護師さんと思った。車を運転していなくて良かった。幸い血圧が元に戻り帰宅、昼食。それにしてもなんだか左肩が硬く痛い。

 

そして夜。ふと、右の額に手をやると、ふっくら「たんこぶ」が!手のひらに包まるくらいの丸いたんこぶが出ていた。3年前にクモ膜下の開頭手術で開けた右の額の頭蓋骨の穴の上に、ぷくんとふくらみが出たのだ。この「たんこぶ」が出るのは年に2回程度。自転車を無理して漕いだり、忘年会で、大声で会話した夜に、彼は静かにやってくるのだ。素人考えだけど、一時的に脳の血管の血圧が高まり、脳の髄液が押し出され、骨のすきまから漏れ出し、皮膚にたんこぶを出すのだろう。この推理は脳外科の先生に話したが、先生は否定も肯定もしなかった。要するに原因不明との事。いちいちたんこぶくらいで開頭し、脳の血管を1本1本ピンセットでつまんで調べるリスクは誰も背負いたくない。間違って神経に傷が入ったら、どうなるか…そのたんこぶの髄液を抜くのも超危険だし、間違って脳内に細菌がはいったらとんでもない…まぁ原因不明で様子を見ましょう…何かもっと重大な危険が起こるまで、お互い様てな事なのだ。久しぶりの脳の膨らみを何度もさすりながら…これからどうなるか、いつものようにひっこめばいいが、どんどん膨らんだらどうなるか…夜中の薄暗がりの中で忍び寄る恐怖…。

 

翌朝、なんとか「たんこぶ」はお利口さんにも脳に帰っていった、ひとまず安心。※この体験は事実だが、こんな事象は僕のような、体質、極めて珍しい原因不明の症状の持ち主だからこそ語れる事であり。ほとんどの人に当てはまるわけではない。当然、何もない健康体の人であれば、100%僕はワクチンの接種をお勧めします。

 

翌8日は、地区のお宮の掃除となった、たんこぶくらいで地区の行事を休むわけにはいかない。蚊に刺されまくりながらも、朝8時から全員集合。鎌で枯れた草を刈り、集め捨てる‥‥前日、ワクチン接種で合わせたメンバーが心配してくれている。顔をひきつらせながら無事を装い、掃除に精を出し帰宅しシャワーを浴びる。さっさと早く寝る。

 

9日は祝日で、いつもの山に山野草の写真を山に撮りに行く。天気予報は雨のち曇り。台風前に撮るなら「今」しかない。五家荘の山野草の開花の時期は短い、キレンゲショウマ、ソバナ…、片道3時間の強行軍だ。峠では猛烈な風雨にやられる。“うわん、うわん”と暴風雨が吹き荒れる。樹々がそのリズムでたわみ、飛び散った葉や、木の枝が道に吹き散らかされる。これは持久戦じゃい。昼過ぎに、スッと雨風が止む。サッとカメラにタオルを巻き、花に近づく。雨に濡れ、杉木木立に、うつむく黄色いキレンゲの花とつぼみ。蜂が蜜を吸おうと、つぼみに忍び寄る。運よく、写真が数枚撮れる。奇遇にも自分の脳内のような、幾重にも小さな花が弾け、広がり白い花火を打ち上げたような、ぼんやりしたような、ふわりとした花(名前は忘れた)の重なりのアップが撮れた。またしばらくすると暴風雨。帰りにソバナに近づくと風が吹き止まない。雨に濡れた紫色の薄いガラスのような花弁が大きく首を振る。

 

「撮るなら今しかない」と言うのは「たんこぶ」のせいでもある。後遺症で右手の指先が少し震え、目もかすみ、写真のピントも合わない。①これは下手な写真撮る人が体調の悪さを理由にする言い訳の一つ。ただ、水平の感覚がおかしいのは間違いない。何度撮っても水平感覚が傾いて、右か左に傾くのだ。おまけに風で花弁が揺れて、揺れて…②これも下手な写真を自然のせいにする言い訳の二つ目。

 

まぁいい。誰かに褒めてもらいたくてシャッターを押すわけではないのだから。③これが最後。下手な写真撮る者の最後の開き直り。

 

逆にどれだけ上手いと評価されても、自分の気に入らない写真は写真。そんな写真を調子に乗って人前にさらすことは、みっともない。‥‥が、そんなこと言っていたら僕の写真は1枚もこうして五家荘図鑑に出せなくなるではないか!

 

震える指先でシャッターを押せば押すほど、何だか、シャッターを押す右手のひとさし指の先だけ取り残され、体が透明になってくる不思議な感覚がしてくる…吹く風が、体を通り抜けていく。

 

もちろん、8月28日予定の2回目のワクチンはキャンセルした。同じことが起こる可能性は高いし、短期間で「たんこぶ」が2度出る経験はこれまで受けたことがない。「たんこぶ」のことで頭がいっぱいになるより、山野草や、山の歴史のことで頭がいっぱいなる方が僕には幸せなのだ。

 

2021.07.28

山行

僕が五家荘で一番好きな山と言えば、白鳥山。(標高1638m)

登れば登るほど好きになる山と言ってもいいくらい。以前、乗っていた車(トヨタ・フィルダー)の名も車体が白で、自分では「シラトリゴウ」と呼んでいた。優雅な名前の割には、すり傷とへこみだらけだったけど…。

白鳥山の魅力は残された自然と、山にまつわる哀しい歴史にある。山麓一帯は、ブナなどの自然林に囲まれ、谷から川筋を登るもよし、峰越(峠)から尾根伝いに歩くも良し、登山道に入ると、いきなり濃い白鳥ワールドに踏み入ることになる。

四季折々、いろいろな植物、苔の世界が待っていて、いつ訪れても何かの発見や出会いがある。あまり成果がない時は、少し脇道にそれ、苔むした巨木の後ろに回ると、森は違う表情を見せてくれる。僕にとっては宝さがし。

敢えて山に登らなくても、古書をたどると、山にまつわる哀しい歴史に足元をとられることになる。五家荘の山々には古道が存在し、昔は行き来のあった作業道や集落をつなぐ道も、人が途絶えると草に覆われ姿を消してしまっているけど、歴史を調べると消えた道もよみがえる時がある。

白鳥山は尾根を通る道は踏み後もしっかりして、それだけ、長い時間、踏みしめられた道でもある。歩く道の下には落ち葉とともに、古人の生活の足跡がいくつもの層のように積み重なり合っている。

峰越は宮崎県との県境であり、北に下ると宮崎県の椎葉村の領域になる。峠から烏帽子岳に向かい山道を少し歩いた場所に「ぼんさん峠」があり、五家荘の樅木に不幸があると、村の若い衆が椎葉村から「ぼんさん」を背負って、着替えやらなにやら一式とともに葬儀に間に合うために通ったと言われる峠が存在する。それほど五家荘と椎葉村との関係は深いそうなのだ。

白鳥山の別名は御池(みいけ)さん。山頂前の湿地帯の以前の姿は池で、雨乞いの神聖な場所だった。白鳥神社も存在したそうで、その時期と同じ時期かどうかは分からないけど、平家の落人が住んでいたという伝説も残っている。

御池の周辺は、ぼやぼやしていると、時に天候も急変、踏み固められた山道もあたり一帯ガスがかかり、白いモヤに一気に包まれる時がある。ここで焦りは禁物、じっとしているのが一番、焦るあまり、幾重にもつけられた踏み後を進むと、迷った挙句にまた迷い自分の位置も方角も分からなくなる。冷たいガスに体温も奪われ、真夏でもヒンヤリ肌寒い。

前回の山行も(僕は結構な雨男…)小雨が降りだし、ガスに変わり、体温を保つために体を丸くしてうずくまる目の先、その先には白いモヤの中を、人の形のような薄暗い影たちが歩き始める幻を見た。気が付くとさっきまで「ケンケン」とかん高い警告音を鳴らしていた鹿の声も、おしゃべりな鳥たちの鳴き声も途絶え、頭上を気流のゴーッ、ゴーッという声か通り過ぎる。両手を広げ叫ぶ人影、地べたにうずくまる人影、倒れた像が這い上がる…モヤが消え去ると、その影の正体は、苔生す枯れ木の姿であったり、倒木の編まれた網のような根の塊にすぎないのだけど。そういった景色の中で雨乞いの儀式が行われていた姿を想像すると時空を超えて、森は僕をますます謎めいた気分にさせてくれるのだ。

白鳥山は五家荘の発祥の地とも言える。泉村誌によれば、追っ手を避け、白鳥山にたどりついた平家の落人はこれから生きるための祈りをささげた時に、一羽の白鳥が飛来して、足元に5枚の羽根を落としていった。これを彼らは神の加護と思い、この羽で五本の矢を作り人が棲めそうな方角に矢を放った。一の矢が樅の木にささりその場を「樅木」と名付け『白鳥神社』を祀って住むことにし、二の矢は、ニタ摺りをしているイノシシの尾に当たり、これはめでたいとその地を「仁田尾」、三の矢は行方不明、樅木と仁田尾の間でそれぞれの地を出し合い繋いで「葉木」、四の矢も行方不明…子孫が幾久しく暮らせる願いを込め「久連子」、第五の矢は椎の木に当たり「椎原」となづけられたといういわれがある。第二の矢までが「それなりの言い伝え」として理解できるけど、残りの矢が行方不明とは、嘘っぽくなくて面白い。いくらあいまいでも、確かに五本の矢の言い伝え通り、五家荘には五の地域が確かに存在している。

ところがこの言い伝えも、尾根の反対側の宮崎の椎葉村の言い伝えでは真逆の内容になる。

追っ手を逃れた平家の残党が御池の周辺で陣地を張っていた時に、山頂付近の石灰岩(白い巨石群がある…)の白い姿を源氏の白旗と見誤り、もう逃げられないと自刃したとの言い伝えが残り、なんと同じ山頂でも、消滅と再生、真逆の伝説があるという不思議な地なのだ。

壇ノ浦の戦いは、平安時代末期、1185年の戦闘。栄華を誇った平家が滅亡に至った最後の戦いで、その残党が九州の山地を転戦したどり着いたのが九州山地の真ん中、椎葉村、五家荘のエリア、すでにその戦いから900年近くの長い月日が経っていて、その打ち寄せる時間の中で、洗い出され、残されたのが落人伝説なのだし、それが残るには何らかの理由がある。黙して語らぬ山の神さんはその真相すべてを知っているのだろうけど。

僕は素人ながら、五家荘の平家伝説のモデルは平家の落人伝説と、椎葉山一揆の残党、生き延びた人の伝説との合作ではないかと推察している。そもそも椎葉地区には平家の残党が生き残り集落を形成し、平和な暮らしを営んでいたのを、豊臣秀吉へ見栄を張るために当時の山の主たちが内輪もめ、結果、政府から討伐の命令が下り、椎葉山一揆(1619年)…山で平和に暮らしていた人々は皆殺し、悲しい結果となる。その人々の残党が必死に白鳥山に逃げ延び、身を潜めて暮らしていたのではないかと思ったりする。山一揆で生き延びた人たちが、生きるすべとして敢えて、平家の残党と名のったのかもしれない。

椎葉山一揆は今から500年前、事の顛末は、幕府側の資料としてきちんと記されている。一揆後は幕府の天領となってその後人吉の相良藩に預けられた。こうして資料を読んだりしていると白鳥山の名前がなんと切なくも感じられてしまう。何しろ皆殺しなのだから。白い羽が多くの人の流す血で赤く染まったり、侍の刃で倒された山人たちの屍の周りには芍薬の白い花が、乱れ咲いている景色もあったろうし、御池の暗いよどみも、よけい深く感じてしまう。奇しくも五家荘も別の理由で天領となり幕府が管理するという同じ運命を背負った。

樅木から峰越、椎葉村への林道は1986年に5年掛けで開通した林道で、その道のおかげで、白鳥山へはすぐにでも入ることができるようになった。開通に際しては樅木、椎葉地区の住人の喜びようは大変だったようで、ネットの検索にはいろいろな交流イベントが開催されていた。(ぼんさん峠も不要になった)林道はつまり、林業の為の道路でもあり、残念な事と言えば、白鳥山の宮崎県側は自然林が伐採され、杉林に変わり、結構なスペースの自然は消滅してしまった。

今から何百年も前の話、どう思おうが、その人の自由、感じ方次第。今年も雨でも数回、白鳥山に出かけ、散々な目にも遭ったがそれも僕の自由でもある。馬鹿は治らない。

昔の白鳥号はどんどん優雅に(!)急な坂を登ってくれたけど、いまのパジェロミニ(車体の色は黒…愛称、クロちゃん)はさすがに、坂をうんうんあえいで登る。雨が降っても下手にワイパーのスイッチは入れられない…前回、原因不明の故障で止まらなくなった…おまけで付いているカーナビも相当怪しく、時に場違いな山鹿の地図が表示されるし、ピンポンと音が鳴り、驚いたのは、峰越に着いたとたん、「まもなく、踏切です…用心してください」と助言してくれた。ここは峠だよ黒ちゃん!

電波が混線しているのか、つまり、そんな黒ちゃんを運転する僕の脳も相当混線しているらしく、この前は本当に、キリに包まれ座り込み、御池を前にカメラを構え撮った一枚に、僕の脳は何かを感じ、そのあとしばし、動けなくなったのだった。

 

 

2021.06.27

山行

終活とか断捨離とか…変な名前つけなくてもいい。いかにも人の老いを商品化しているみたいで(よく、そんなタイトルのセミナーでお客を集めて、保険の勧誘とかリフォームの勧誘リストに使ってそうで気味が悪い)、日本全国、言葉が軽い。

単純に考えて、遠くに住む娘らが、僕の遺品の後始末に困らないように、ちょいと荷物を整理する行為だけなのに…「終活」より僕には「店じまい」とう言葉の方がしっくりくる。

カビだらけのレコードなんて捨てるしかないではないか (苦笑)。まず迷惑なのは家人だろうし、少しクセのあるレコードは、クセのある人に渡したい。昔のフォーク、ジャズなど、すでにCDで復刻盤が出ているものはレコードで保管の必要はないし、若かりし頃に聞いたフォーク、ジャズ、ロックなんやかや。押入れの奥にしまっていた段ボールの中を整理し売りに行くことにした。

売りに行くのは、熊本市内上通りの古書店「汽水社」さん。ここの主とは奇遇にも縁があった。主は東京で古書店の修行をしていて、西荻で上上堂という古書店をしている友人丸ちゃんの、友人の友人なのだ。汽水社さんはここ数年前に出来た店で、熊本には珍しい垢ぬけて店内も広い。品揃えも僕の趣味に合うし、レコードも販売されている。要するにこの人ならすべてお任せと信じている。価値の分かる店に売り、価値の分かる人に古書をつないで欲しい。以前、まともに読みはしなかった「辻潤全集」を買い取ってもらった。

今回はレコードだけど、まぁ数枚珍しいのを入れていたので、買取額は2万近くになった。なんでも鑑定団のように、買取の理由を丁寧に説明してくれた。自宅から2時間近く。家人にも持ち込みを手伝ってもらったが、ふと、帰り際に本棚から僕の探していた「泉村の自然(1993年発行)」を発見した。これは掘り出し物、まさかサブカル!の書店の棚に収まっているなんて!

「泉村の自然」は3部構成になっていて、図書館には緑の表紙の本編しか置いてない。実は、別に資料編と称した目録と、封筒に入った地質図、現存植生図、概念図が付いている。価格は新品同様で5000円だった。本編には植物、動物、生物の資料が詳細に記録してあり、これ一冊で五家荘の自然をまとめた博物誌なのだ。更にしばらくして、今度は「泉村誌(2005年発行)」が汽水社さんから「見つかりましたよ~(いつもの事務的な声)」と連絡があったのだ。(また新品だった)泉村誌はそのまま、村の歴史や伝承された文化がびっしり詰め込まれている。値段は4000円(安い!)

熊本県立図書館にはもちろん県内の村誌、町史などがびっしり置いてある。しかし何度眺めてみても「泉村誌」はその内容の濃さからしたら一番だ。五家荘の山と同じで本の中に迷い込んだら彷徨しかない。僕のカビ生えたレコードがあっという間に、長年探していた本に変身した。

今年の梅雨入りは例年より早く、なかなか山にも入りにくい時が続いた。それでも強烈に晴れ男を自称する僕は天気予報が雨でも2度ほど、谷に入った。(もちろん雨に追い出された)

それでも景気つけに(何の景気つけやねん)…泉村の自然の本の中の蝶や虫たちを眺めていると、誰かに出会えそうでわくわくするのだ。泉村の自然の発行は1993年、今から28年前の自然を記録したもので、当然、当時の自然と今では大きな違いがある。もちろん、山を訪れる人間にも大きな変化があるに違いない。「泉村の自然」のおかげで、これまでは山野草ばかりに目が行っていたが、ここ数回の山行では、虫の気配を探すようになった。

県内で一番自然の豊かな地域は「五家荘」と言っても過言ではない。大雨、日照り…こればかりは人の力ですぐにどうのできないのは分かり切ったこと。五家荘の自然について、今のところ、人の出来ることは「何もしない」ことなのだと思う。

最近では「地球に優しい」とか「自然に優しい」とか、「太陽の畑 (熊本の某化粧品会社…)」とか虚言を吐き、豊かな雑木林を取り崩し、果てしなく平らに整地して生き物を追い出し、太陽光パネルを貼る事業が、雨のたびに土壌が流され周りの自然を破壊している事件がようやく報道されてきた。最近流行の「sdgs」とかいう虚言も同じ発想で、レジ袋ばかり言いながら、肝心のペットボトルや自販機の電気消費については一切言わない、言わせない嫌な言葉が蔓延してきた。

2012年の日本蝶類保全協会の図鑑には日本に土着している蝶の種類は約240種、環境省のレッドリストに載っているのはなんと69種。蝶の約29%が絶滅の危機とか。この図鑑も古書でその10年後の今、蝶の種類は更に減っているのだろう。

嗚呼、店じまい近いわが身。雨も楽し、雨に濡れるも楽し、五家荘。

 

2021.06.07

山行

五家荘図鑑と言う、誰も見やしない秘境のような個人のサイトの、更なる奥の誰も読みやしない雑文録と言う秘境ブログに、こんな残念な話を記録しておかなければならない。

花の窃盗団どもよ、我が雑文録に永遠に記録される、これは名誉な事だぞよ。このサイトが閉じられるまで、君らの記録も永遠に地球のネット上をさまようことになる。

前回の雑文録から1週間後、休日の時間を持て余した僕は又、ハチケン谷に向かった。それ程気に入った林道なのだ。登り始めた時間は昼過ぎ。カメラ片手に峠に向かうと、たくさんの登山者とすれ違った。山の景色の移り変わりは早い。芍薬の満開の時期はすでに過ぎ、芍薬の白い花びらはすでに落ち、道沿いに花は見られず、緑の葉だけが残っていた。登山者も山から下りてくる人がほとんどで、うだうだ花の写真を撮って坂を登るのは僕だけだった。

登り始めて、30分くらい。道が二手に分かれ、林道から右に分かれる作業道が川沿いにあり、そこに一人初老の男が立っていた。簡単な挨拶をして、僕はその男の足元の花の写真を撮り始めた。男は背中にリリュツクを背負い、片手に登山で使うピッケルのような長さ60センチくらいの金属の棒を持っていた。しかしそれはピッケルではなく何か鉱物を掘るような特殊な形をしていた。男は手の片方にはコンビニの弁当の空を下げていた。上品そうな笑顔で、仲間が下りてくるのを待っていると語った。僕は写真を撮り終わるとまた林道に戻り、峠に戻った。途中、また足元の山野草の花の写真を撮った。ヒトリシズカの群落はまだ花を咲かせていた。天気は晴天、樹々の緑は更に濃く、相変わらず野鳥の鳴く声は楽しく忙しい。それから20分は経ったろうか、僕はその日は早く帰るつもりだったので、林道を降り始めた。そこでまた、作業道の分かれ目で初老の男に再会した。そこには彼が待っていた二人の男の姿があった。

二人の男の年齢は50歳くらいで、とても人懐こい目をしている、顔は日に焼け、本業は農業か土建屋か。やはり手には金属製の特殊な棒を持っている。結果4人で山を下ることになった。二人の男はしきりに親しく話しかけてくるが、僕は時に花を見つけ写真を撮り三人を追いかけるような形になった。連中はとても嬉しそうで体も弾んでいる。僕が遅ればせながら気がついたのは二人の男に背に背負われた、芍薬の株だった。厚手のビニールの袋にびっしり、盗掘したての芍薬の株をひもでくくりびっしり詰め込んでいる。袋にうっすら白い花びらが透けて見えている。二人合わせて50株は近い。あの金属の棒は花の根からごっそりほじくり返し、芍薬を盗掘するためのプロの道具だったのだ。よく見るに格好も登山者の格好ではなく、靴も汚れたスニーカーで登山靴ではない。僕は花の盗掘団と楽しそうに語らい、山を下りているわけだ。

一人の男が、うすうす正体がばれたのに気が付いてきたようで、しきりに僕の住まいを聞いてくる。「山にはどれくらい登るのか?」「どこから来たのか?」「名前は?」後ろから写真を撮る僕の姿を見て、自分たちの姿を撮影されているのだと意識したのか。

僕は迷う。楽しい語らいの途中で「おたくら、今、芍薬の花の株を盗掘してきただろう?」いきなり聞くとどうなる?

人懐こい瞳ががらりと変わり「それがどうした?」と聞き返される。「何が悪い、これだけ咲いているのを盗って何が悪い?」とでも答えるか。「盗みは盗みだ」プロの窃盗団に素人の僕に出来ることは、すきを見て3人を谷に突き落とすことだ。その上から大きな岩を、転がし、痛い目にあわすことだ。あとは知ったことではない。しかし、そんなことができるか?出来なければ、僕がそんな目に遭う。今度谷に落ちたら、遭難ではない。二度と這い上がってこれない。

これまでの僕の人生経験から「人間は正体がばれたら、とんでもない人格に変わるという」ことをよく知っている。

笑顔で笑っていた瞳が、冷たく光る時に、人は無表情でどんな悪事でも働くことを。谷に突き落とすまではいかなくても、プロの窃盗団に「花の命を大切に…なんて」説教しても無駄だろう。彼らの背中で揺れる芍薬の首が悲しそうだ。あの時、どうしたら良かったのか、今も悔やみ自問する。

窃盗団は、来年の春もやってくるだろう。五家荘に限らず、県内の山々に。50株抜いたら、相当の面積で花は咲かなくなる。その繰り返しで、希少な山野草は消滅していくのだ。鹿の食害のせいではない、鹿はやむなく生きるために、山野草を食べるのだ。人間は貴重な山野草を自分だけ楽しむ、もしくは換金するために引き抜く。悩んでいくうちに、登山口の駐車場に着く。無力な自分にできることは彼らの盗みを告発することだ。しかし、今更、彼らの車の写真を正面から撮りにくい。わざと先に車を出し途中で止まり、窃盗団の車に追い越させ車の後ろのナンバーを控える。

採れたての山芍薬を、どこかの園芸店で売るのか、ネットで売るのか?何かの原料にするのか。

厳しい環境の中で、ようやく生きて花を咲かす花々の命を抜く…苔をはぎ取る、写真を撮るために樹を鉈で切りおとす、陶板に貼り付け陶芸品として販売する…野鳥を盗む。

「珍しいものを盗む」「美しいものを自分だけのものにしたい」もともと人の本性にはそんな気質が備わっているのだろう。本性を見抜かれるまで、人は人の良いふりをする。ついでに書けば「あいつは偽物か?本物か?」偉そうに言う奴に限って、ろくな奴はいない。

五家荘の山に登り始めて数年。今回が一番衝撃的な出来事だった。

窃盗団の車は、黒いミニバンで、ナンバーは熊本502■4529

肝心な■の文字のメモを忘れた。僕は忘れた■の部分の「ひらがな」を探して、これからも五家荘の山々をさまようことになる。

窃盗団よ、僕は堂々と君たちに名前を名乗った。今度は君たちが名のる番だぜ。

※熊本県には熊本県野生動植物の多様性の保全に関する条例があり違反者には罰金が科せられる。

(長々とした条例を読んだが、僕は条例で摘発された事例を聞いたことがない…)

‥‥‥‥‥‥‥‥

悲しき、原風景。

僕の住む田舎の駅は、昔は賑わい、列車が着くたびに旅行客が降り立ち、迎えの車や、島々を渡る船が行きかった。駅前の通りは人であふれ、食堂、本屋、旅館、パチンコ屋が軒を連ねた。それが僕の故郷の原風景だ。だから今の誰もいない灰色の殺風景な駅前の景色を見るたびに落胆し、昔の賑わいを思い出す時がある。今、町に住む若者にそんな話をしても誰も相手にしてくれない。それどころか若者たちは賑わいを探して、町を出る準備で忙しいのだ。

もし今の若者が五家荘の山で、汗をかいて山を登ったにも関わらず、峠の奥の山林に何の花も咲かず、荒れた岩だらけの景色を見たら、それが彼らの原風景となる。彼らの記憶にはそういう荒れた山の景色しか残らない。崩落した杉林の景色しか残らないのだ。いくら僕らの世代が、あの頃の山には春になると、辺り一面、白い天使のような芍薬の群生地があった、花の蜜の香りに酔いしれたと語ったとしてもそれは虚構の景色でしかない。彼らの脳裏にある荒地の原風景に花を咲かすことは不可能となる。窃盗団の悪業は山の未来の景色を消し去るのだ。

2021.05.18

山行

4月25日は五家荘の山開きの日だった。この雑文録を書いている日からすでに大分時間が経ってしまった。今、熊本地方は例年より1か月も早く梅雨入りしたとしきりにテレビやラジオで言っている。晴れだろうが雨だろうが、何にしても人間の暮らしは自然の中にある。

その山開きの日はとても天気も良く、吹く風も春の陽気を帯びて、それまでの寒々しく重い日々から解放され、春の到来を喜ぶ気持ちで山野は満たされた。花たちは一斉に咲き始め、蜜蜂はさっそくぶんぶんと開いたばかりのつつじの花の赤や白の花々を渡り歩く。甘い蜜の香りも吹く風に交じり、鼻をくすぐり僕の頭も陽気でぼうとする。頭上の野鳥たちのかけあう鳴き声もうるさいくらいだ。

その日の僕の足は何故かハチケン谷に向かった。ちょいと覗いてみようという気で。ハチケン谷の林道は大分前にイベントのお手伝いで京ノ丈山に登るルートとして何度か歩いた事があった。林道の終点の峠には春には杉木立の中に芍薬の群生地があり、お椀のような白い花が咲き、秋はタンナトリカブトの群生地に紫の異形の花が咲き誇る。その当時の林道はなんとか車も通うことができて、イベントの参加者の緊急用の送迎ルートとして使用された。思い出すのは参加者の宿として利用した谷の奥の民宿「平家荘」から主のMさんが客を乗せて運転するランドクルーザー(年代物!) をMさんの愛犬、ラブラドール・リトリバーの「マル」ちゃんが巨体を揺らしながら岩だらけの林道を駆け、ひたすら追いかけて来たことだ。結果僕は、その「マル」を峠で紐でつなぎ、ペットボトル(シャレ)の水を垂れ下がる長い舌に含ませ、迎えが来るまで待っているだけのお手伝いしか出来なかったのだけど。

その後、度々の水害でハチケン谷の林道は車の通行どころか、大規模な崩落が相次ぎ、道や川は土砂や倒木でとんでもない荒地に変わってしまった。自然の力による大規模自然破壊とでもいおうか。

そんな記憶しかないハチケン谷が、今回ゲートを通ると、見事な林道に変身していて驚いた。崩落個所は多少残るものの、道をふさいでいた岩は取りのぞかれ、誰でも自然を楽しむことのできる山道に変身していたのだ。これなら左膝のじん帯に古傷のある僕でもぼちぼち歩くことができ、春ののどかな森林浴を楽しむことができ、おかげでいくつもの春の花々を写真に収めることができた。ただ林道を上り詰めると、京ノ丈山への登山口から左にコンクリートで固められた立派な林道が新装オープンしていたのだけど…。結果、林業用のトラックが行き来できるように道が整備されたのだった。自然の力で破壊された自然が、人力で再度整備され、林道が出来、その恩恵で自然を楽しむことができるとは…何とも複雑な「自然」のこと。

その日撮った写真は数々あれど自分で一番お気に入りの一枚は、入口のさび付いたガードレールの下でふと見つけた、「タニギキョウ」のそよそよ族。新入生の彼女らは春の風に吹かれ、みんなで白い花びらを揺らしながら、先生の振るタクトに合わせ首を右に左に振りながら、彼女たちは楽しそうに歌を歌っているようだった。そよそよ合唱団の一枚は、山開きからもう1か月近く経つけど、画像をスマホに転送し、コロナ過の中、すさんだ気持ちで日々を送る自分をいやす一枚にしていた。やっぱり、山はいいものだな。

2021.03.24

山行

スマホのカメラ性能は格段に進化した。登山者は登山に集中し(当然…)、撮影はスマホで充分。思うに「スマホ」と「カメラ」の違いは何かというと、「スマホ」は記録用カメラ、「カメラ」は覗きカメラという違いがある。足元にきれいな花が咲いているとしゃがんでスマホで何パターンか撮って胸ポケットに収めておしまい。スマホはあくまでも記録用。その点「覗きカメラ」は違う。ファインダーごしにああだ、こうだといろんな角度からレンズを通して、その花の世界を覗き見る行為が気持ちいいと感じるのだ。なんといやらしく“変態”なこと。

カメラマンはみんな変態なのだ。変態でないカメラマンは存在しない。シヤッターを切るたびに脳内に変態性の麻酔成分が分泌され、最後はみんな脳関係の病気になる。以前、一世を風靡した有名な風景写真家の竹内大先生もそうだし、熊本の大写真家の田中氏は三度、脳梗塞に倒れ今はリハビリ中なのだ。極私的写真家の僕の「くるくるパー」の原因は自業自得だが、性格はやはり変態なのだ。

そんなことをうだうだ考えながら、先日も五家荘行きのハンドルを握り、某所の林の中で物色するに、幸運にも春の妖精「コバイモ」に出会う事ができた。「コバイモ」はもともと本州に咲くユリ科の多年草。調べるに、コシノコバイモ、アワノコバイモ、イズモコバイモ、トサノコバイモ、ホソバナコバイモ、カイコバイモなどたくさんの種類がある。絶滅危惧種的な扱いのわりには、親戚兄弟が多いのだ。大まかな形態はみな似ていて、顔はうつむき、釣鐘状、花の模様は褐色にモザイク、点々の柄が多い。みんな恥ずかしがり屋なのだなぁ。

彼ら彼女らは、福寿草、カタクリと同じ春植物、春の妖精で、他の植物が育つより一足先に林の暗がりでわずかな太陽の光を浴びて花を咲かせ実を着け、球根に栄養をため込み、あとは地中で休眠する。

コバイモは九州にも自生していて本州のコバイモと柄や形態が違う。ネットで調べ比較するに僕は熊本のコバイモが一番美人で、質素で魅力的だと感じる。ふっくら丸い本州、四国型と違い、熊本のコバイモはスリムで何しろおしとやか。花びらを顔に見立てると、髪を風に揺らしうつむく女性の横顔にも見える。(残念ながら熊本の人間の女性でそんな人に会ったことはない。) 阿蘇に群生地があるそうだけど、五家荘での群生はあまり聞いたことはない。五家荘のコバイモは杉林の暗がり、一人一人、枯葉の中からすっと立ち上がり花を咲かせている。一期一会…僕はそんな春の妖精に、もう二度と会えないようなはかなさを感じるのだ。

春の陽だまりの中、コンビニのおにぎりを食べ終わると、もう一度、彼女たちに会いたくなり林に戻る。今度はカメラを手にしながらも、ファインダーを覗かずに、自分の瞳でうつむく横顔を眺め、彼女と同じ時間を過ごすために。

 

 

もうすぐ、五家荘の森の中にはやさしいピンク色のうつむく妖精、カタクリの花が顔を出す季節になる。

 

2021.02.25

山行

前回の雑文録の通り、Oさんの「森の妖精ば見に行かんですか?」と言う誘いにまんまと乗り森の妖女・妖婆と一緒に白崩平に福寿草を見に行き、楽しい登山を楽しんだ僕だが、残念ながらその日は森の妖精と出会うことは出来なかった。

森の妖精とは「セリバオウレン」のことであり、おそらくここ2週間が開花時期で、次回、五家荘で会うためには1年待たなければならない。妖精との出会いのチャンスはそんなはかないものなのだ。(さらに日頃の品行方正が必須条件…) だから、どうしても会いたいと思ったら、会いたいもので、ちょうど翌週、2月21日 (日曜) に別件で五家荘に行く用事が出来、これ幸いと、その用件とは全然違うルート、久連子を経由してぐぃーんと、はるか遠回りして要件を済ました。(品行方正ではなかった… ) つまり、その日も森の妖精とは会うことが出来なかった。

そうしているうちにOさん、Mさんのフェイスブックには、セリバオウレンの写真がアップされているではないか。これはいいかん、たまらない、どうしても今、会いに行かねば妖精は消える…

そして23日の朝、幸運にも仕事は休み (日頃からほとんどしていない…周りから、霞でも食っているのではないか?と疑われている自分だが) 一念発起して海の見える自宅から愛車パジェロミニを揺り動かし、五家荘に向かったのだった。妖精をOさん、Mさん、おじさんだけのものにしたらいかんのだ。

そうして林道のわきを長い間、カメラバックを背負い、うろつく一人の妖しいオヤジに変身した僕の目の前にも妖精は顔を出してくれたのだ。なんとやさしいことよ。

 

 

花の大きさは1センチにも満たない。その小さなゆりかごの中に妖精は棲む。

セリバオウレンはキンポウゲ科の花で、花言葉は、変身、揺れる心。

セリの花言葉は、貧しくても高潔、清廉で高潔、清廉潔白。

そんな花言葉に恐れることなくカメラを構えるに、手が震えピントが合わない…

しかもかすかに吹く風にも森の妖精のゆりかご、白い花弁は揺れるのだ。

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今日 (2月25日) は年に一度の脳のMRIの検査の日だった。3年前、脳の動脈に挟まれたチタン製の3個のクリップがパソコンのモニターに鮮明に映し出される。いつもの若い先生が言うには問題はないとの事で安心した。

先生に「これまで1年に2回ほど、額の傷跡が小さな餃子大に膨らむのが不安なんですが…」と相談する。先生曰く、「興奮して髄液が漏れているかもしれませんね…」「しかしすぐに引っ込む程度なら安静にして様子を見ておいてください」「はい…」「しかし、その膨らみが破裂するようなことがあればすぐに連絡くださいね」「この (餃子が!) 膨らみが破裂するんですか?」「小さな傷から破裂することもあります…めったにないですが…その時はすぐに連絡をしてくださいね」「も、もちろんですとも、そんな時は一大事!頭の餃子が破裂したら、そりゃあもう!」

森の妖精にのぼせ上り、連続して五家荘に…最後は一人、片道3時間の林道を休みなしで爆走!したとは、言えなかった。

そうして、右の額の餃子の膨らみを、そっと指先で確認する自分だった。

2021.02.10

山行

五家荘の山を知り尽くす救援隊・隊長O氏から登山の誘いがあったのは数日前の事。

「今度の日曜、白崩平(しらくえたいら)に福寿草を見に行かんですか?」との事だった。白崩平は五家荘の山々の中で福寿草の有名な群生地で、その名の通り、白い石灰岩の岩が点在する山腹の平地なのだが、とっさにO氏のフェイスブックの、去年の水害で被害を受けた登山道の崩落現場の写真を思い出した。

崩落というより地滑り、鉄砲水、山崩れに近い状況で林道は崩壊、砂防ダムは倒木、落石、巨岩の山々…川沿いのコンクリートの歩道は深くえぐられ、見るも無残、極めて危険な状態のままなのだ。

更にこの寒さで1年間に痛めた左ひざの靱帯も傷み、左の額の穴も隙間風…少し膨らんで来た具合(髄液もれ?)…しかも今月末に脳のMRIの定期検査がある…いったん断ろうとしたがOさん、

「福寿草はもちろん…森の妖精「セリバオウレン」も開花して見られるですよ」と、たたみかけてくる。

森の妖精?…「セリバオウレン?」はて?…検索するに確かに美しい…純白の細く尖った花びらが開き、白い雄しべも花びらに沿い飛び散るさまは、白い線香花火とでも言おうか。冬の終わり、森の中にチリチリと咲く花火。風が吹けばすぐに消えさるようなはかない火花が「セリバオウレン」なのだ。これを写真に収めないわけにはいかない。

 

本来、体調の事情もあり、断るべきだが…森の妖精、妖女、妖艶…妖魔、妖術、夢魔、夢幻…妖怪、錯乱、錯誤、魔界転生、ドグラ・マグラ…なんともそういう言葉に弱い自分なのだ。

更に「竹田さんは山には登らんで、よかですたい…きつかなら、そのあたりをぶらぶらするだけでよかです。私も都合で昼過ぎに帰らんといかんです…」山に登らなくていい、そこらへんをぶらぶらするだけでいい?とはさて面妖な…O氏の誘い、そそのかし。

確かに久連子に行けば、山に登らなくても福寿草が咲く場所も分かる。(奥座向の登山道のあの当たり) 一度、山道をゆっくり散策するのも楽しいかもしれないと思い、今回の不思議な登山計画に参加することにした。

集合はふもとの温泉施設の駐車場に6時半…海抜ゼロメートルの我が家を朝4時半に出る。(気合が入りすぎて30分早く到着) 時間になると、するすると当日のメンバーの車がやってくる。Oさん、Sさん、そして最後の車からドアを開けスッと出てきたのは、五家荘の伝説のオババ様、Nさんだった。森の妖精に会う前に、いきなり森の妖婆に出くわしてしまった。オババさまは白髪にバンダナ…金色の短い杖を2本持っている。年齢は定かでないが昭和18年生まれと答えた。適当な答え方が怪しい。

Oさんの車は4人を詰め込み8時前に久連子に到着。待っていたのは泉・五家荘登山道整備プロジェクトのメンバーの山師の面々だった。中には子連れ山師の夫婦も居た。彼らの背中にはロープ、アルミの梯子にバン線…ラジェット…ツルハシが詰め込まれ…(やはりこれは普通の登山ではない…)と気が付いたがすでに手遅れ、全員のやる気に満ちた緊張感の中で一人、ぶらぶらするわけにはいかない。結果、膝を曲げ、靴紐を結ばざるを得なくなった。

オババ様の前後には整備プロジェクトのうら若き女性2名がサポートにつき、いよいよ介護登山の始まりとなった。(すでにOさんの策略にはまった僕は、この若い娘たちの前で膝が痛いだの、帰りたいだの弱音を吐くことはできない…最後まで二人には「誰?この人?」と怪しまれた。

おこば谷(オババ谷ではない)の登山道までの道は、もちろん崩落していた。飛び込み台のようにえぐられたコンクリートの先にSさんが赤いスプレーで「キケン」と書いて行く。その「キケン」の文字を冗談で踏むと、忍者屋敷の落とし穴のように奈落に落ちる。一行はその横の階段状の法面の段差を通路にし、その段差の幅20センチくらいの、苔で足が滑りそうな道を通る。

登山口から森の中に入り急坂を登る。雑木林の中、時に樹の根をつかみ、固定されたロープを頼りにしながら、体を持ち上げ坂を登る。えぐられ荒廃した沢筋へ降りる箇所には手際よく、アルミの梯子が伸ばされ固定されていく。山師の手際は素晴らしく、ザッザっと岩を掘り出し、岩をガンガン積み上げ、梯子までの足場を瞬時に作る。

杉林を抜け、昼前に標高990メートルの白崩平に着く。雪こそ残っていなかったが、あちこちの岩陰に金色の花が首を伸ばし咲き乱れている。陽の光を浴びると、その金色の花弁は更に輝きを増す。地味な山野草の中で、これほどの輝きを持つ花はない。咲き方もお花畑のような蜜の状態ではなく、福寿草の咲き方は家族、夫婦のような小さな集団で肩を寄せ合い、冬の寒さを耐え、陽に向かい首を伸ばし、金花を咲かせている気がする。

眺めているうちに、山の向こう、岩宇土山の中腹にあるお地蔵さんの姿をふと思い出す。そのお地蔵(母)さんは、しっかりと子供を抱きしめているのだ。岩の風化は進んでもその姿は消えることはない。

軽い昼食をすまし、各自、花を写真に収め、帰路に就く。登山整備プロジェクト軍団の活躍のおかげで、危険場所も難なくおりることが出来た。帰りに、こんもり丸く小さな椎茸が付いた人の腕ほどの太さの古木を肩に担いで急坂を降りた猛者も居た。

軟弱な自分が無理とあきらめていた白崩平の登山を無事クリアできたのは、森の妖女、オババ様のお陰でもある。若かりし頃、北アルプスの剣岳登山の経験もあるという猛者、妖女は、「わたしゃ、絶対自分のペースは崩さん」と豪語する。後ろから見ると、見事な足さばきだった。どんな道も「逆ハの字」にスタスタとリズム良く歩く。しかも無駄な力みも何もなく、両手の金のステックでバランスを取りながら進んでいく。ただし、膝が上がらないのでそんな個所は後ろから誰か押してあげる介護、下りも落ちないようにする介護は必要だが。この妖女のペースで僕も進んでいたので、膝の痛みも頭の痛みも胸のつかえもなかった。この頑固なスローペースを、早く頂上を目指したい人は待ちきれないだろうが。

久連子に戻り、いよいよみんなで森の妖精、セリバオウレンを探す。全員一列になり、道路沿いの苔むす斜面を探す。結果、残念ながら妖精は姿を見せなかった。草むらの中、目を皿のようにして探す、メンバーの妖気に恐れをなしたのだ。

車中の会話で、昔、オババ様も大病されたようで「脳の血管に血のコブが何個所か見つかってですな、昔手術ば受けたとですたい」「まさか (自分と同じではないか) 手術とは?」「開頭手術ですたい」「で、今薬か何か?」オババ様は答える。「薬の代わりに、いつも球磨焼酎(じょうちゅうと言う)ば、飲みよると」

五家荘の山々の妖しい魅力とは、森の妖精はもちろん、何気ないところに、妖女が居ることなのだ。(妖女使いのO氏の妖しい誘いにも用心)

もちろん自分も、妖しいオヤジそのものなのだが。

 

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