2022.03.08
山行
「どなり、きんぞう」これは怒鳴る、金蔵…金蔵さんが怒鳴っているわけではない。
昨夜、僕の頭の中に浮かびあがった、思い出の知人「しろきん」さんのペンネームなのだ。
10年も前、「しろきん」さんは、全国紙に「どなり、きんぞう」のペンネームで釣りのコラムを書いていた。氏のひょうひょうとしたコラムは、週に1回掲載され釣ファンに人気を博していた。名前の由来は「しろきん」さんの苗字、城からくる。城という字は土と成りでできていて、なまえが均(ひとし)を「きん」と読み、合わせて「どなり、きんぞう」となる。コラムの内容は、よくあるパターン「こういう竿仕掛けで、どこで何匹釣ったかを自慢するもの」ではなく、釣れても釣れなくても、釣りは楽しい、自然にいやされるという、肩の力の抜けたなんとも雰囲気のある内容だった。
当時の仕事の関係で氏を熊本の南部、人吉市の営業先に案内する役を引き受けた。福岡からの特急を熊本駅のホームで待っていると、氏は文庫本を真っすぐ目の間に掲げ、本を読みながらこっちに歩いてきた、いまの歩きスマホじゃないけど、歩き文庫だった。氏は僕より小柄で髪は短く縮れ、卵のような頭に小さな丸い帽子を被っていた。さりげなくおしゃれでイギリス風の柄の背広も、ズボンも折り目ただしく上品だった。僕はあえて熊本市内から山越え五木経由で人吉の営業先に案内した。(そもそも、人吉に鉄道で向かうには時間がかかりすぎる)。しろきんさんは、営業先で先方に10分も満たない短さで企画を提案し、さっさと一礼してその会社を後にした。(相手の反応を見て、無理と悟ったのだ)
それから、帰りの時間はたっぷりあるので、帰路も高速とか使わずに、山越の道をたどり、やまめの釣りのポイントを探して二人、橋の上で、あの岩の下がどうのこうの、言いながら帰った。氏はその時30万近くするヤマメ専用の竿を買ったと嬉しそうに語った。竿名人の手作りのバンブーロッドでマニアにはたまらない。一回、大きなヤマメがかかり、ぐーっと竿を振りあげる時に、その竿がたわんで「ぎしぎし」と音を立て始めたので、すかさず竿を放り出しヤマメをばらしたと、残念そうに語った。はたから見たら、何しているの?という不思議な行為に見えるが30万の竿が折れたら、そのまま川に飛び込んで河童になりたい気分になるだろう。僕もバンブーロッドにあこがれていたけど、その話を聞き、次はカーボン製の竿にした。(山本釣り具で、日本の川用の短い竿)
「しろきん」さんは全国各地のラーメンにも目がなく、熊本ラーメンの人気店を紹介すると、最後はラーメンの鉢を両手で持ち、鉢に口を付け、大きく目の前に抱え上げ本当に最後のスープの1滴まで飲んで「ご馳走様」と叫んだ。(同席した僕は顔から火が出るように恥ずかしかった) それがラーメンに対する彼の儀式、マナーらしい。歳は当時50歳近く、有名国立大学を出て、本来ならば新聞社の幹部クラスのはずだけど、いろいろあって、ぼくのような田舎の兵隊と営業戦線を回る職務についていた。いきなりバイクの大型免許に目覚め、途中、運転教習場でバイクに倒され足を骨折、入院を経て念願の免許を取り、ハーレーにまたがったり「俺、くるくるパーになっちゃった」と部下の仲井氏に連絡後、鬱で半年入院したりした。
つまりそんな氏の書くコラムが僕には面白かったのだ。しかしある時、コラムの内容が問題を起こし連載は中断する。「しろきん」さんは、持ち前のユーモア心で当時全盛だったブラックバス・ブルーギルなどのスポーツフィッシングを小馬鹿にし批判したのだ。ついでに大手の釣り具メーカーまで名指しで「昔ながらの鍛冶職人の誇り、釣り具屋の矜持を忘れたのか?」「馬鹿じゃないの?このシトたち」と書いた。残念ながら書かれた方は氏のようなシャレが分かる人々ではなかった。記事に激怒した団体、個人は新聞社に猛抗議し、新聞社はやむを得ず紙面で謝罪、連載は中止された。今も検索すると、記事も読まずにとにかくこいつはけしからん、こらしめろというコメントが出て来る。自分たちに異論をはさむ奴らは絶対許さないというようにみんな連携し、思考が硬直し不寛容になる。そんな空気感は今も変わらない。それどころか、加速されている気もする。相手の発言の前後を読まずに切り取り、一方的に決めつける。普段はおとなしい人でも、いったんグループに加わると、排他的、攻撃的になるのだろうか。(僕も気を付けよう)
と、いう事で、長い前置きでした。
今年の1月、2月にかけて、五家荘の山々がスプレーマーキングされ、汚される事件が発生した。最初は国見岳、次は久連子岳。ピンクや黄色のスプレーで岩や樹々に、道に迷わないように、数十個所、印が付けてある。この行為は全国の山々でも行われている悪業なのだ。
使用されたスプレー缶は、木の陰に隠すように捨てられていた。登山道整備プロジェクトのO氏らのメンバーは集まり真冬にそのスプレーの除去作業を行った。国見岳の作業は吹雪の中で実行され、その事件は新聞やテレビのニュースでも報道された。
その犯人は当然、山に登ったのだし、汗をかいたのだ、そして自然の風に、癒されたはずなのに、そのお返しとしてスプレー返しとは。なんともはや。同じグループの人々が道に迷わないように自然の木や岩にマーキングする。
突き詰めて言えば、人が山に登るのも山を痛める行為でもある。人気のある山には登山者が多く集まり列を作り道が出来る。雨が降るとその登山道に水が流れ、道はえぐられ、自然は荒れていく。だから、せめて山に登る人は、それ以上、山を痛めないように気を使いながら山に登るのだと思う。
スプレーマーキンググループは、川の世界で言えば、「外来種」。外来種の発想が、これまでの登山の「在来種」の世界に放たれたのだ。
話は又、川の話に戻るけど昔、琵琶湖で外来種と在来種の論争があった。ブラックバス、ブルーギルなどの肉食外来種が昔の在来種を食い荒らし、すでに昔からいた日本の魚絶滅寸前に追いやった。外来種の魚を駆除し、昔の琵琶湖を取り戻そうというグループがスポーツフィッシングに規制をかけようと言い出した。それに猛反対したのが自然派のお笑いタレント清水国明氏で、彼ははスポーツフィッシングにも釣りを楽しむ権利があると裁判に打って出た。(敗訴したけどね) 清水さんは乱獲する漁師にも問題あるし、在来種の減少の原因は琵琶湖の汚染にも問題あると反論する。いくら外来種と言えども、殺処分するのはあんまりだ…。当時の裁判記録を清水氏は本(釣戦記)にしていて、今度読んでみようと思う。
僕が面倒くさいと思うのは、登山界においてもスプレーマーキングしている連中から、自分らにも自然を楽しむ権利があるし、マーキングして何が悪い、そうしてどんどん人が増えれば地元も賑やかになっていいではないか、と言う意見が出る事なのだ。登山者だって山を汚しているではないか。
そんな彼らに、僕が公に「馬鹿じゃないの、このシトたち」とか言ったらどうなるのだろう。「そんな奴らは、グルグル巻きにして、スプレー缶でピンク色に染めて、五家荘の谷につき飛ばそうといったら?」どうなるのか?(そんなこと言ったら、在来種、外来種、両方から嫌われるけんやめなさいとOさんに諭された。)
今はこれだけ雑文録に書くことにしょう。
スプレーマーキングした犯人ども「馬鹿じゃないの、このシトたち!」
さらに、ついで。
当時、熊本市内にフライの専門店(ススキ)があった。店に入るにそのオヤジ、いきなり素人の僕に5万くらいする竿のセットを売りつけて来た。知人の釣り名人(故人)に聞くに、そのオヤジはこっそり、五木の山奥の湖(内谷ダム)に外来魚の稚魚を放流していた。そういう行為を釣り具の専門店がやって、お客を増やし道具を売っているなんて…その店は罰が当たり閉店した。結果、オヤジは自分が放流した外来魚の始末など何もせずに、湖の生態系を破壊したのだ。「スポーツフィッシングにも釣りを楽しむ権利がある」という論理で。
「しろきん」さんは、その後、田舎の通信部で新聞記事を書いていたけど、今頃どうしているのか。スプレーマーキングの記事ネタ、あるんだけどなあ…
2回目のスプレー除去作業(久連子岳 2月27日)に僕も参加。自分でも思うにまったく役にたてなかった。途中の斜面に添う細い道に頭がふらふらして、歩くのがやっとだった。犯人どもをひっ捕まえて、谷に突き飛ばすどころか、自分で自分を谷底に何度も突き飛ばしかけた。なんとも恥ずかしい。清掃作業に参加した子供たちに「何にしにきたのあのシト?」と、馬鹿にされていたに違いない。
そんな何の役にも立たない、情けない僕にも、福寿草は金色の花弁を満開にして、僕の貧しい心を癒してくれる。そんな山の花を盗掘、踏み荒らしたり、岩にスプレーするのは許されない。許さないからねっ。