熊本県 八代市 泉町(旧泉村) 五家荘
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雑文録

2019.03.24

山行

なかなか身動きできない日々でもある。最近、通勤用のママチャリを買った。JRの新水前寺駅から出水の事務所までぼちぼち漕いで10分の距離である。最初マウンテンバイクを買おうかとも思ったが、周りから馬鹿かと猛反対された。ヘルメットだけはそれなりのデザインで、しかしママチャリに初老の男がヘルメット被って道路を漕ぐ姿は怪しくもある。昨日なんて、目の前の子供連れの自転車がどんどん、僕から逃げて行き、ついつい僕は負けじと追いかけてしまった。

山にまだ行けない分、アマゾンでカメラ雑誌の古書を買う。これまで全然写真の勉強をしたことない僕には、新鮮な情報をたくさん得ることが出来て面白い。五家荘図鑑を販売するに地元の知り合いのカメラマン、カメラ女史にも数冊送ったが反応がない。(長崎書店にも置いてもらった)もともと、みんな友達になりましょう!というオープンな性格でもないので、反応がないのは自業自得なのだ。

カメラ雑誌で面白いのは、結構、議論があることだ。風景写真とは何ぞや?スナップ写真とは何ぞや?(大上段に出れば)趣味の世界でも、過剰に相手を尊敬、ソンタクしましょうという空気、常識ばかり言い、本音が吐けない世界は衰退するのである、保身ばかりで何も新しいものは生まれてこないのだ。

事務所内で、私は「くまモン」の事を害獣呼ばわりし「いのししの駆除の前に熊本から害獣くまモンを駆除しないと、このままでは熊本人は思考停止となる、くまモンの経済効果は大嘘で、大本営発表に騙されるな!」と叫ぶと、1階からデザイナーの岩崎君がすっ飛んできて、「シィッ!聞かれてますよっ!」と止めに来る。「誰にだ!」「誰にって…」「だから誰にだっ!」と首を絞め詰問すると、イワサキ君はしぶしぶ「熊本県民にですっ…」と答えた。「明日から我が事務所は、開店休業となります」「それがどうしたい、至急、デザインしろ、ほら、あの、北海道旅行したことを見せびらかして、車に貼ってある「熊出没注意!」のシールを「くまモン出没注意!」のデザインにしたやつを作れ、そのシールを明日から自転車に貼って俺は町を走る!

…と、いうことで、最近感動したのは動物写真家の宮崎学さんというものすごい写真家の存在で、その宮崎学さんさえ尊敬する、写真家(愛称カメラばあちゃん)の増山たづ子さんの存在なのだ。

増山たづ子さんの故郷、岐阜県徳山村はすでにダムの湖底に沈み、今の日本地図には存在しない。増山さんは、太平洋戦争のビルマのインパール作戦で行方不明になった夫が、もし村に帰還したら、説明のしようがないので、ダムに沈む前の村の姿を写真に撮り残そうと61歳で初めてピッカリコニカを持ち、村の写真を撮り始めた人なのだ。フィルム、電池の入れ方も分からないおばあさんが「この人ともお別れ」「この風景ともこれでお終い」と、涙で曇った目でシャッターを切り、8万枚にも及ぶ写真を残した。

その写真を見た瞬間、冷酷、軽薄無知な僕の瞳も生まれて初めて涙で濡れた。こんな写真は絶対僕には撮れない。一人、一人の村人、老いも若きも、幼子も、山も樹も、鳥も草も花も、風も、季節も、木造の校舎も、犬も猫も、すべて増山さんのカメラに微笑みかけている。その微笑みを、増山さんは泣きながら写真に収めたのだ。

さらに、ダム建設中の村の写真も残している。満開の桜の樹が、重機に挟まれなぎ倒される写真、その瞬間、画面いっぱいにピンク色の花びらが、飛び散り、桜吹雪どころから、桜の血しぶきともいえる写真もある。建設中のダムサイトの岩盤断層にある大地震の亀裂の跡も残されている。

昭和62年、徳山村は地図から消え、増山さんも平成18年に88歳で亡くなった。

徳山村はダム底に消えても、増山さんの写真の中に永遠に存在する。

だから平成の終わる今、僕の記憶の中にも徳山村は存在する。

 

ダムで消えた村は熊本にもある。

だから道の駅に車を停め、村にやってきた人々は、「村はどこかと」あちこち動きながら、広い道路から額に手を当て、遠い山の向こう、川の底を探すのだ。間違っても害獣「くまモン」が飛び降りる、バンジージャンプの方角ではない。

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【増山さんの写真集の挨拶文(一部)】

町の者から見れば、「あんな山の中のどこが良いて」と思うだろうが、私たち(アシラ)には大事な故郷で、お互いに助けあい、物がなければゆずりあい、嫌な仕事でも結(ユイ)いをして、笑って、唄って働きました。生活は貧しくても心は豊かでした。

春は、まだ残雪があるのにブナの新緑、コブシ、桜、桃たちが一斉に咲きだします。あの時期のワクワクした気持ちは町の人には分からんだろうなー。谷辺のところに雪のトンネルが出来て、フキのトウなんか出ていると、「やぁ、お前たちよく寒い冬を頑張ったなー」と思わず話かけたりしました。

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4月には、ようやく五家荘に出かける予定だ。僕にとっては遅い春だが!

 

 

2019年3月31日 平成最後の春。

春の妖精と春の亡霊

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