熊本県 八代市 泉町(旧泉村) 五家荘
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雑文録

2022.12.20

山は逃げたりしない。しかし山野草の花の開花時期は短い。タイミングがずれると、また来年ということになる。早春、福寿草だけは開花の時期に誤差はほとんどなく(感謝!)谷間に金色ピカピカの花を咲かせてくれる。しかし、だんだんお花畑も少なくなってきた。熊本で福寿草の群生を見る事が出来るのはおそらく五家荘だけ。今年は少し時期をずらして開花するセリバオウレンにも会いに行ったけど、残念、会う事は出来なかった。今にも溶けそうな森の白い妖精、セリバオウレン。この子もこのままでいけば、会う事ができなくなるのではと心配なのだ。

4月の山開きにハチケン谷の林道。春先の優しい雨にいい気分。真面目に山を歩いたのが、5月の烏帽子岳だった。日頃の怠け症の自分でも往復約5時間は歩いた。ただその尾根道の長さにバテバテ。道の途中で疲れ果て、バイケイソウの真ん中でひっくり返ってしまった。後ろからヒタヒタとやってくる若いグループ(特に山ガール達)の歓喜の声が近づいてくる。醜態を晒すまじと、立ち上がり這いつくばり山頂に着き、山ツツジの淡いピンクの群生と5月の温かい風に心慰められた。

白鳥山には何度も登った。この山だけは格別なのだ。僕のような体力不足のオヤジにも白鳥山は優しい。いつもたくさんの花たちが待ち受けてくれていて、行く度に新しい出会いがある。まさに植物図鑑。めくる季節のページ事に表情が変わる。

そうこうしているうちに、夏の大雨。林道は崩落、いまだに白鳥山や烏帽子だけに向かう道路は修復されないままにある。山に行けない分、五家荘の歴史や、謂れについて調べる時間があり、泉村誌で国見岳山頂にある古代の祭礼儀式の跡の発掘調査を知り、どこでどう道に迷ったか伝染したのか、巨石信仰の歴史への道に入り、釈迦院の歴史、修験道、廃仏毀釈の世界にまで迷い込んでしまった。五家荘の山には目に見えない歴史の案内板がたくさんある。(ついでに縄文時代にも入り込む)

我が家の近く宇土半島の突端には「権現さん」という神社があり、海の見張り役、阿蘇神社の支所、権現さんの大元は鹿児島の霧島神社なり。そもそも権現という言葉の意味は「権化(ごんげ)、つまり「仏様菩薩様の仮の姿」であり、権現さんは、昔、山の神と仏様が仲良くなった神仏習合、みんなの信仰の対象であり、民の幸せを願ってくれていたのだ。そして当時の仏様の教えを広めたのが修験道の山伏さん達。

ところで、今ネットで話題なのが、天草、旧倉岳町の倉岳。天草最高峰の標高682メートルの倉岳山頂には倉岳神社があり、ある祠の裏には大明神と刻まれてある。明神様というのも仏様の意味で(最初は仏様の側から神様側に敬意を評した言い方が、仏様と同じ意味になった)調べていくうちに不思議発見、棚底港には倉岳諏訪神社があり、諏訪神社の鳥居は海抜ゼロメートル、白い砂浜、打ち寄せる波の前に建立されてある。

全国の諏訪神社の総本山は長野県の諏訪大社。諏訪大社は上社本宮(諏訪市)、上社前宮(茅野市)下社春宮(下諏訪町)下社秋宮(下諏訪町)の4つの社殿がある。全国に1万社を越える諏訪神社の総本山。(あの坂からの木落としの祭りで有名、毎回わくわく、怪我人続出の御柱祭り)諏訪神社の大元の神は山の神なのだ。まさかその山神様が天草の倉岳にもあるなんて。※なんで僕が長野の諏訪神社の事を知っているかというと、6月に念願の茅野市の「尖石縄文考古館」の見学を(仕事を放りだし)強行したからなのだ。今もってその行為は事務所のメンバーから白眼視されている。その時、時刻表を読み間違え、たっぷり2時間、茅野駅で時間をつぶしている時に諏訪大社の事を知るきっかけになったのだ。

倉岳の諏訪神社は海の神、山の神の出会いの場だった。向かいの御所浦島から海の神が海を渡り、諏訪神社の鳥居をくぐり、石の仁王像に守られ、真っ直ぐ倉岳山頂の神社に向う。ちなみに諏訪神社の鳥居の下部では弥生式土器がたくさん発掘されている。当時の諏訪神社は天草四郎の乱で焼き討ちに会い焼失※本渡市、旧栖本町にも諏訪神社がある。

我ながら自分のしつこさには呆れてしまう。弥生式土器の話は古書店でたまたま見かけた倉岳町史の中で見つけた。(小遣いが少なく立ち読み)

今年最後の山行きの締めは12月18日の釈迦院への参詣の予定だった。再度、山の神様に両手を合わせるつもりが、こんなに大雪とは!

結句、水害などで山に行けない分、いろいろ古書店の小道をさ迷った1年だった。

 

神様、神様、もうすぐ正月。宝くじが当たりますように、神様。うちの神様は他所より偉い神様だぞ。パワースポットだぞ。日本、いや世界で一番、偉い神様だぞ。(そんな偉そうにする神様なんて本当はいない!)恥ずかしい事に、我が国の神社本庁は神社ごとに「別表神社」という「格付け」をしている。参詣者への利便性を測るという言い訳、爺様たちの大きな勘違い、罰当たり。その前にちゃんと会計はガラス張りにしなさいね。

庶民が信仰する神は、神と言っても名前もなく、神殿もなく、神主もなく、祝詞もなく、神道の神ではない。自然の神、霊魂、天狗や河童、龍神などの霊物も信仰の対象となる。修験道はそんな庶民信仰の神を祀るのに、仏教も神道も道教もミックスされても構わない宗教なのだ。世知辛い世の中、山の魑魅魍魎(天狗、河童、油すましなどなどに囲まれ)の世界の中で、ぶらぶら山歩きをしている方が心も解放され、気が楽になるものだ。

2023年もこの調子で、ぶらぶらしたいな、と思う。

 

◆僕は「五家荘図鑑」と並行して数年前から「note」というブログシステムで五家荘以外の日常を思うままに書いていた。

「note」はブログサービスのひとつで、大きな本屋のようなスタイル。みんな自分の記事を販売したり、何らかの意図がある記事を書いている。(僕のブログはもちろん無料)時に「note」には自治体が予算を使い、その地域の素晴らしさをプロのライターに記事を書いてもらい、観光誘致に利用していることに気がついた。その記事を見掛けると嫌になって只今「note」はお休み中。記事料を貰ったり、補助金でそんな記事を書いたら忖度まみれで、八方美人の観光パンフレットみたいでいやらしいではないか、と僕は思う。

★ 2022年最後の雑文録のおまけとして、今年書いた、「note」の山関係の記事はここ

◆くも猫ふわふわ日記 矢岳神社に行く。

◆くも猫ふわふわ日記 縄文考古館へ行く

嗚呼、よそものが要らん事、書きましたな。(五木村の原木椎茸大好きです。)

◆くも猫日記 ダムと悲しき五木村

「くまもと里山紀行」

2022年 五家荘、晩秋の1枚。

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