熊本県 八代市 泉町(旧泉村) 五家荘
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雑文録

2020.01.26

山行

前々回の雑文録で、「あと何回やってくるか分からない山の春が、今からもう待ち遠しい。」だなんて、適当にお話をまとめて我ながらつまらなかったので、1月12日に小雨の降る中、五家荘に出かけた。今年は暖冬で例年なら道路も白く凍結、こんな小雨は峠あたりで吹雪に変わる時なのに、残念ながら冷たい小雨が続き、山も僕もしっとり濡れてしまった。なんでそんな天気の時に写真撮るのかと言えば、そんな天気の時にしか撮れない写真があるからなのだ。道に花が咲いているわけでなく、森の木々の緑もくすんで、ぜんぜんきれいではないのだ。だからそんな時にしか撮れない写真があるからなのだ。一応の目的地は五木村を越え、せんだん轟(とどろ)の滝、梅ノ木轟の滝を目指した。もちろん、今年の10月まで運転禁止の身、更に左肩の腱板断裂という不具合の身なのである。家人を半分だまし、久しぶりだからと懇願したのである。もちろんこんな天気だから、山には人影も鹿も猿もイノシシもいない。車を停め、滝までの山道をしとしと歩く。あいかわらず滝の勢いは強く、滝つぼの周辺の草は風圧で揺すられ、カメラも体も冷たく濡れる。帰路の道のわきで落ちた鳥の巣を発見する。

風に揺すられ落ちたか、誰かに落とされたか。もぬけのカラ。春を待たずに卵はどうなったのだろうか。あたりの樹々の陰からは弾丸のような黒い影がいっせいにばらまかれ、飛び立つ。メジロやウグイスなどの生まれたての野鳥の群れか。冬でも森の小さな命は息づいている。車に帰り、車内で冷えたコンビニの弁当を食べる。梅ノ木の滝に行く途中、尺間神社の前で休憩。

尺間神社の言われは「とても面白いもの」だった記憶があるが思い出せない。周辺に散在する集落、民家にはもう誰も住んでいない。鳥居をくぐると、杉の木立の落ち葉に埋もれ崩落した道がある。この道を登れば誰も知らない、忘れられた社殿があるのかもしれない。僕の記憶の中の神社の「面白い言われ」も落ち葉のようにほどけて埋もれていく。

梅ノ木のつり橋を渡り、梅ノ木轟の滝の下に着く。足元にしとしと降った雨も集まり滝になり、流れていく。美しいといわれる写真とか、撮る能力は僕にはなく、ただ、雨の時は雨で、雨の写真を撮ればいいのだな、と思った。

2019.07.15

山行

今年の梅雨は6月は晴れ続き、7月になってから雨が降りはじめ、このまま梅雨明け、夏かと思うといつもの通り豪雨だった。

ギンチャン(銀竜草)には会えなかったが、7月の中盤は運が良ければショウチャン(鍾馗蘭) に(場所によっては)会える可能性が高い。同じ時期にオオヤマレンゲの開花も重なり、国見岳山頂周辺で、登山者は頭上を見上げると、彼女の妖気あふれる美しさに魅入られてしまう。その美しさ、派手さ、大きな瞳にじっと見つめられていると僕は恥ずかしくて、写真を撮るのをためらってしまう。街中にもこんな美人はいないものだ。体調の都合で、国見岳の急坂はまだ登れそうにないのだが、ショウチャンの咲く谷は何とか休み休み行けそうなので、今回も家人に無理を言い運転をお願いした。

車中ではいかにもオオヤマレンゲの美しさを訴え、いかにもこれから向かう山の道沿いには五家荘イチオシの花美人「大山レンゲさん」(何か芸能人のよう…)が待ち構えているような嘘をついたのだが、沢から苔むす谷の山道を登るにいっこうに大山さんの影も形も見えそうにない。それどころか、大雨後で沢には水があふれ、沢を渡る彼女の年代物のキャラバンシューズ(懐かしい)は濡れて穴が開きそうなのだ。

いい加減、白状するしかない。「この山には大山さんは居そうにありません」「え?居ない?」折角来たのに?

「ショウチャンならいそうです」「ショウチャン?」そうです。漢字で書くと鍾馗蘭。

「蘭の仲間?」「ハイ」彼女は蘭と言えば美しいイメージを想像したらしい。「で、どんな花?」「ピンク色でとても鮮やかです。」「なるほど」「足元に、苔むす樹の根っこからいきなり、みんなピンク色の花弁で、緑の森を賑やかに彩ってくれます。しかも今の時期、約10日前後しか見れない、とても貴重な蘭の仲間です。僕はショウチャンと呼んでいます」

仕方ないので、僕は森の中で叫ぶ「ショウちゃーん、いませんか?会いに来ました」「ショウちゃーん!」もちろん、返事はない。もう昼だ。二人、黙々と弁当を食べる。春の谷と違い、さすがに森の緑は濃い。羊歯類も天狗の団扇のように大きく両手を広げ、樹々にまつわる苔も厚い。「ショウチャーン」と呼ぶ僕に、森からの返事が耳元に響く。「木を見て森を見ず…」頭の中の傷のせいか、幻聴のようだ。

確かに木を見て森を見ていなかった。どんな花も森が豊かであってこそ、花開くのだ。折角、山にきたのだから、もっと森を感じるべきだったのだ。空を見あげると、森の深さにめまいがした。木の幹の周りをぐるぐる星形の葉が重なり合い、木漏れ日が僕の瞳に届く。

探していたショウチャンを見つけたのは彼女だった。「これですか?ショウチャン」「そうです、この子らはあと一週間でピンク色に染まります。」深い森に一本、ショウキランの芽が出ていた。「それとこれは?」なんと足元の木の根の窪みに、変わったキノコが一つ。「土をそっとほじると、そこには初めてみる「キイロスッポンタケ」が顔を出していた。大きさは3センチの超ミニサイズ。僕にとっては奇跡、感動の出会いだ。まさかこんな場所にポンちゃんが。大きな森での秘密の出会い。次回、何時会えるのかは全く分からない。

今日はこれでよし。すでに陽は陰り、夕方近く。森の精気が谷に重く降りて来た。苔むす岩を滑らぬように用心して道を降りる。

日が暮れて道遠し、森深し。それもよし。

2019.06.23

山行

6月はどこにも行けなかった。山の先輩Oさん、Mさんのフェイスブックの登山情報はうらやましい限りだ。(お二人の日常の半分は山の事!)特に、以前から撮影してみたかった、「ギンリョウソウ」の花の写真を見ると、くやしくて仕方ない。

ギンリョウソウ(銀竜草)とは別名「ユウレイタケ」ともいわれる花で、葉緑体を持たず、杉林の枯れ葉、落ち葉から養分を吸収する腐生植物。花は花径の先に一つだけ咲く。図鑑の写真を見ると、枯草のすきまから、半透明の白い茎が伸び、背中を丸めてうなだれている。下から覗くと一つの眼が開く!(まさにユウレイタケ!)僕は森でこの子たちにぜひ会いたいのだ!自分のカメラに収めたいのだ!これからは「ギンチャン」と呼びたい。

腐生植物でもう一種、有名なのはショウキラン(鍾馗蘭)この子たちはギンリョウソウとは大違い、変な目立ちたがり屋。同じく森の枯れ葉のスキマからニョキニョキ顔を出して、ピンク色のケバケバシイ化粧と派手な作りの顔(花)で、四方八方美人。束になって咲いているのを見ると、静かな森の中で、騒がしい歌を歌っているようにも見える。一度、ギンリョウソウとペアで見たいものだ。これからは「ショウチャン」と呼びたい。

通常の樹や花は夏場の太陽の光を奪い合い、少しでも栄養分を貯め、植物界の激しい生存競争の中を生き延びようとしている。そんな中で、ギンちゃん、ショウキちゃんのなんと不思議な生き方よ。他社と競争しないのんびり完璧平和主義。

※腐生植物つまり、寄生植物。光合成を行わないというのは、競争から完全に離脱した生き方。子孫はどうして増やすかというと、種子が飛び交うわけでなく、バッタの仲間のカマドウマが運んでくれるという研究があり、調べれば調べるほど、面白い!大学や高校の生物部でもでもネットで詳しい研究発表がされている。うす暗い森の中で、華やかな花たちの研究とは別に、ギンチャンの丸まった背中に話しかけ、大の大人どもがうずくまり、ヒソヒソ話ながら微笑みあう、姿はなんとも微笑ましい!

ギンリョウソウの開花の時期はもう終わり。これからはショウキランの開花の時期となる。花が咲くのはいつもの、あの山のあのあたりかと推理するのも楽しい。もちろん来年10月までは運転禁止の身。自宅から2時間、家内に運転をお願いするしかない。崖に落ちぬよう、五家荘の林道を恐ろしい形相で、ハンドルにしがみついて運転する姿を見るのは誠に申しわけないのだが。

春に受けた町の健康診断、しぶしぶ出した1個の検便で「アタリ!」がでた。返送された封筒には、大腸がん検診、要検査との文字。陽性というのも不気味な文字だ。(僕の性格は陰性なのに)検便だけで陽性の判定がでる、今の検査技術は大したものだ。もちろんガンと決まったわけではない。ガンなのかどうかを調べる内視鏡検査を受ける必要があるとのことなのだ。4日に検査を受け、ベットに横たわり、モニターを眺めながら検査を見守る。僕の大腸内をうねうね、うごきまわる蛇のような検査機器がエノキ茸のようなポリープを発見、さっと切除。次は明太子のように横たわるポリープ?発見、新人の医師がベテラン先生の指示でようやく切除。検査後は1週間から2週間は激しい運動や旅行は禁止とのこと。切除した個所から出血する可能性があるそうだ。つまり、6月は登山も山歩きも控えなければならなかった。その後の細胞検査では、ガンではないものの、びらん(ただれた)個所が多いのでまた12月に内視鏡の再検査となった。

お腹の中では銀色の内視鏡がうごめき、頭の中では「ギンちゃん」が銀色ランプを先につけ、怪しい箇所ではポッと灯りが点り、僕の脳内を明るく照らし出す一日。

ギンリョウソウよ、来年きっと会いましょう!

(写真はショウキランこと、ショウチャン)

2019.05.07

山行

5月5日は先週に続き、また五家荘の川に行った。春先の出足の遅れを取り戻す気である。(何も競争しているわけではないけど)

もちろん激しい登山は頭の中が酸欠になるので、先週に続き、“山歩き”となる。それはそれで、深い森の新緑の中を歩くのは楽しい。コップに緑のインクを垂らしたように、山の尾根から緑がどんどん湧きだしてくる。そんな緑の中に、山藤の薄紫の花々が彩を添えている。さすがに連休で、車の往来も多い。春の到来を喜ぶ、山の鳥の声が車内に響く。

今回は砥用経由で、二本杉の峠に着き、雁俣山への小道を足慣らしに歩く。残念ながら、石楠花の開花はまだ。(あと1週間で満開になるだろう)途中で引き返し、目的の樅木川へ向かう。樅木川の春の景色を撮るのが今回の大きな目的なのだ。山女魚釣りに使っていたゴム長(ウェーダー)まで用意。撮影ポイントは秘密の場所で、山道から川に降りるのは少し危険なので、荷造り用の丈夫な平らなロープを4巻用意した。(我ながら大げさ)

この秘密の場所は、山女魚釣りする者ならピンとくる場所なのだ。釣りする者は山に入ると、川沿いの道に沿い、魚が居そうな場所をきょろきょろ物色しながら運転する。そして急に車を止め、林道をフラフラ歩きながら背伸びしたりしゃがんだり、不審な動きをする。気が付くとひょいとガードレールをまたぎ、草むらを嗅ぎまわり、腕を組み、にんまりとする。ついに川に降りる道を見つけたのだ。そういう川には地元の人や、釣り人がこっそりつけた足跡があるのだ。つまり、そういう道があるということは、広大な五家荘の数えきれない川の中で、「ここには魚が居ます」という見えない案内板を見つけたようなものなのだ。(魚が居ても釣れる保証はありません。)

今回の撮影ポイントも数年前に僕はピンと来たのだ。(相変わらず馬鹿か)草原に車を止め、ふっと茂みに入ると、それなりの川への小道があった。しかし、さすがに釣人は少なく、小道は途切れ途中で崩れていた。こういう崩落した道は、無理に川へ降りることが出来ても、這い上がるのが困難なのだ。足を踏ん張っても、足元がどんどん滑り、崩れて、我ながら必死の形相で、木にしがみつき、這い上がる羽目になる。ようやくつかんだ岩の隙間から蜂やマムシ君が出てきたら、誰も居ない沢に僕の悲鳴が響き渡ることになる。(その後の事は想像もできない)

今回は用意万端、4巻のロープをフルにつなぎ、ずるずると川に降りる。川の水も少なかったが、それなりの写真も撮れ、自己満足。見上げると若葉が美しい。緑の星が枝に幾重にも重なり合い、見えない風に揺れている。足元には無音の川の流れ。三脚を流れの中で立て、スローシャッターで時間を切りとる。このひと時、自分だけの贅沢な時間。気が付くと2時間半も経っていた。帰りもロープをつかみそんな特別な場所から体を引き上げ、日常の時に帰還する。樅木のつり橋の草原で遅い昼食。その後、国見岳への林道の下見、(横にも素敵な川が流れている!)久連子散策も検討したが、何事も用心が大事と、これまでなら突っ走る自分の気持ちにブレーキをかける。(来年の10月まで運転禁止の身)

今年の春は、烏帽子岳の石楠花、白鳥山の芍薬を訪ねて山歩きも良かったけど、また来年にしよう。次のチャンスは6月、それまでは我慢の日々なのだ。五家荘の山は、雨もいい。もちろん、大雨は嫌だが、小雨に濡れながら山の道をとぼとぼ歩くのも僕は楽しい。雨に洗われて洗われて、山の緑が濃くなる息吹を感じるのがいいのだ。

念願のクマガヤソウの写真も某所で撮影できて本当に幸運だった。(クマガヤさんにはもう会えないと思っていたので、良かった)二本杉の東山本店で、フキの佃煮やら、味噌やらも買えて良かった。運転を無理にお願いした家人に、「今日は母の日なのに」と感謝の意を伝えると、「今日は子供の日」と言われ、やはり自分の頭のネジは少し壊れていると思った。自宅に着き、樅木のつり橋の手前の茶屋で買った饅頭(きんぴらと、あんこ入りの2種)を頬張って五家荘の美味を噛みしめているうちに、確かに、今日はオジサンが山に遊んでもらった「子供の日」だったなと思い直した。

2019.05.01

山行

実は4月28日の山行が平成最後の山行だった。てっきり年度末の3月31日が平成最後だと勘違いしていた。知人の中でも同様の勘違い者が多数。恥ずかしいのは僕だけではなかった。(苦笑)実際、年号が変わる夜になると世間は想像以上のお祭り騒ぎで、(まるで2回目の正月!)自然界からみれば、人間どもの空騒ぎは理解不能に違いない。

また家人に無理を言い、海抜ゼロメートルの我が家から標高1,000メートルを超える白鳥山へ向かってもらう。相変わらず五家荘の山は静かで穏やかで深い。ウエノウチ谷の本格的な春到来まで、もう少し時間がかかりそうだ。天然林の若芽はまだ閉じて、谷の緑は枯れた枝でかすんでいる。沢の水は枯れ、岩苔の緑の色も心持沈んで見える。夏には谷をいくつもの緑の団扇のように大きく開いて彩る、羊歯類もまだワラビの時期、岩の上で茶色く毛だらけ、背を丸めたままで、その分登山道も見通しがいい。頭上では、山鳥たちのさえずる声が響く。何を話しているのか。鳥たちの声だけは明るく森に響き、春が本当に嬉しそうだ。

登山道から外れて、斜面で苔むす岩の裏側をこっそり覗きながら歩く。トランプのカードを一枚一枚めくるように。“当たり”がでると、ささやかな花たちの群生が見られてカメラを構える。

山の小さな寄り道は楽しいものだ。(大きな寄り道はつまり、遭難となる)森の尾根の向こうで、鹿の「ピィヨー・ピィヨー」という声がする。道から外れて彷徨う、怪しい人間発見と、仲間うちで合図をしているのか。小さな花たちの写真を撮るためには、這いつくばってカメラを構えなければいけない。道のあちこちで土の上でごろごろしてシャッターを押す。気が付くと1時間は経ったか。この道を頑張って登り詰めると、山シャクヤクの群生地だと、分かっていても、今回は道の途中でトランプのカードを何枚も引く。

登るにつれ、沢の向こうのあちこちで、「ブイ、ブイ」と声が聞こえてくる。イノシシが潜んでいるのかと警戒もするが、それでも沢の奥で、「ブイブイ」と響く声が途絶えない。これではイノシシの群れではないか(まさか!)。勇気を出し、その声を辿り、沢に降りると、そこにはワサビの群生が見られた。緑の苔に沢の雫がしたたり、ワサビの丸い若葉と白い花が濡れた岩肌の上にいくつも咲いていた。声の主はカエルか何か、虫の声なのか。不思議なことに、どこを探しても見つからないし、近づいても声は途切れないままだった。

遅い昼食後、登山再開。しばらく谷を上り、出会いで引き返す。こんなにものんびりすぎる登山者はいないだろう。子供連れの登山者が上から降りてくる。小さな子の元気な声が響く。その後、年配のおじいさんが一人、カメラを首に下げて下山してくる。ワサビの場所を教えてあげると喜んでいた。(ブイブイする声が目印ですよ。)各人各様の白鳥山の早春を楽しむ、一日だった。あと2日で令和時代。

2019.03.24

山行

なかなか身動きできない日々でもある。最近、通勤用のママチャリを買った。JRの新水前寺駅から出水の事務所までぼちぼち漕いで10分の距離である。最初マウンテンバイクを買おうかとも思ったが、周りから馬鹿かと猛反対された。ヘルメットだけはそれなりのデザインで、しかしママチャリに初老の男がヘルメット被って道路を漕ぐ姿は怪しくもある。昨日なんて、目の前の子供連れの自転車がどんどん、僕から逃げて行き、ついつい僕は負けじと追いかけてしまった。

山にまだ行けない分、アマゾンでカメラ雑誌の古書を買う。これまで全然写真の勉強をしたことない僕には、新鮮な情報をたくさん得ることが出来て面白い。五家荘図鑑を販売するに地元の知り合いのカメラマン、カメラ女史にも数冊送ったが反応がない。(長崎書店にも置いてもらった)もともと、みんな友達になりましょう!というオープンな性格でもないので、反応がないのは自業自得なのだ。

カメラ雑誌で面白いのは、結構、議論があることだ。風景写真とは何ぞや?スナップ写真とは何ぞや?(大上段に出れば)趣味の世界でも、過剰に相手を尊敬、ソンタクしましょうという空気、常識ばかり言い、本音が吐けない世界は衰退するのである、保身ばかりで何も新しいものは生まれてこないのだ。

事務所内で、私は「くまモン」の事を害獣呼ばわりし「いのししの駆除の前に熊本から害獣くまモンを駆除しないと、このままでは熊本人は思考停止となる、くまモンの経済効果は大嘘で、大本営発表に騙されるな!」と叫ぶと、1階からデザイナーの岩崎君がすっ飛んできて、「シィッ!聞かれてますよっ!」と止めに来る。「誰にだ!」「誰にって…」「だから誰にだっ!」と首を絞め詰問すると、イワサキ君はしぶしぶ「熊本県民にですっ…」と答えた。「明日から我が事務所は、開店休業となります」「それがどうしたい、至急、デザインしろ、ほら、あの、北海道旅行したことを見せびらかして、車に貼ってある「熊出没注意!」のシールを「くまモン出没注意!」のデザインにしたやつを作れ、そのシールを明日から自転車に貼って俺は町を走る!

…と、いうことで、最近感動したのは動物写真家の宮崎学さんというものすごい写真家の存在で、その宮崎学さんさえ尊敬する、写真家(愛称カメラばあちゃん)の増山たづ子さんの存在なのだ。

増山たづ子さんの故郷、岐阜県徳山村はすでにダムの湖底に沈み、今の日本地図には存在しない。増山さんは、太平洋戦争のビルマのインパール作戦で行方不明になった夫が、もし村に帰還したら、説明のしようがないので、ダムに沈む前の村の姿を写真に撮り残そうと61歳で初めてピッカリコニカを持ち、村の写真を撮り始めた人なのだ。フィルム、電池の入れ方も分からないおばあさんが「この人ともお別れ」「この風景ともこれでお終い」と、涙で曇った目でシャッターを切り、8万枚にも及ぶ写真を残した。

その写真を見た瞬間、冷酷、軽薄無知な僕の瞳も生まれて初めて涙で濡れた。こんな写真は絶対僕には撮れない。一人、一人の村人、老いも若きも、幼子も、山も樹も、鳥も草も花も、風も、季節も、木造の校舎も、犬も猫も、すべて増山さんのカメラに微笑みかけている。その微笑みを、増山さんは泣きながら写真に収めたのだ。

さらに、ダム建設中の村の写真も残している。満開の桜の樹が、重機に挟まれなぎ倒される写真、その瞬間、画面いっぱいにピンク色の花びらが、飛び散り、桜吹雪どころから、桜の血しぶきともいえる写真もある。建設中のダムサイトの岩盤断層にある大地震の亀裂の跡も残されている。

昭和62年、徳山村は地図から消え、増山さんも平成18年に88歳で亡くなった。

徳山村はダム底に消えても、増山さんの写真の中に永遠に存在する。

だから平成の終わる今、僕の記憶の中にも徳山村は存在する。

 

ダムで消えた村は熊本にもある。

だから道の駅に車を停め、村にやってきた人々は、「村はどこかと」あちこち動きながら、広い道路から額に手を当て、遠い山の向こう、川の底を探すのだ。間違っても害獣「くまモン」が飛び降りる、バンジージャンプの方角ではない。

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【増山さんの写真集の挨拶文(一部)】

町の者から見れば、「あんな山の中のどこが良いて」と思うだろうが、私たち(アシラ)には大事な故郷で、お互いに助けあい、物がなければゆずりあい、嫌な仕事でも結(ユイ)いをして、笑って、唄って働きました。生活は貧しくても心は豊かでした。

春は、まだ残雪があるのにブナの新緑、コブシ、桜、桃たちが一斉に咲きだします。あの時期のワクワクした気持ちは町の人には分からんだろうなー。谷辺のところに雪のトンネルが出来て、フキのトウなんか出ていると、「やぁ、お前たちよく寒い冬を頑張ったなー」と思わず話かけたりしました。

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4月には、ようやく五家荘に出かける予定だ。僕にとっては遅い春だが!

 

 

2019.02.21

山行

我が海抜ゼロメートルの猫屋敷にも少しずつ春がやってきた。春一番が吹いてもまだ朝夕の冷え込みが厳しい時があり、当分山に行けそうもない。そんな時間は、泉村誌のページの小道を彷徨うしかない。年末だか(もう記憶にない)テレビで「九州自然遺産」という番組で五家荘の特集を放送していた。もちろん登山道整備プロジジェクトの活動も紹介され、神楽あり、久連子踊りあり、盛りだくさんの内容だった。(森の紹介から、途中で山村過疎地リポートの内容に変更されていたように思えたのだけど。)

山女魚荘の親父さんも出てこられ、山女魚荘ならではの料理が紹介されていた。親父さんがぶらぶら裏山を歩くたびに、山菜が山盛り採れ、インタビュアーも驚いていたが、親父さん曰く「昔はもっとすごかったばい」「今は杉林になってから山菜も大分、少なか」とか言っていたように思う。要するに自然林から植林に変わると、こうも山の植生、形態が変わるものなのだろう。気が付いているのは親父さんだけ。

日本の森林の場合、国土の3分の2は森林で世界的にもその比率はとトップクラスとのこと、しかし原生林は森林全体の2.3%くらいで微々たるものだそうだ。55%近くが人間が手を入れた後に放置された森林で一般に自然林、天然林と呼ばれ、残りの41%の森は杉やヒノキの人工林、育成林と呼ばれる。

平成17年に発行された、泉村誌には、五家荘の森は世界遺産に登録された白神山地に引けをとらないブナ林、森だとも記述されているけど、さて今はどうか。当時の地元の人々の暮らしの為に、植林は必要だったろうし、もちろん森は生きているわけで、完全復活は無理だとしても、森の復活の種をまくことは出来る。

たとえは極端だけど、森は都会を模倣した地方によくある無国籍の取り返しのつかないシャッター商店街になるわけではない。しかし自然でも取り返しのつかない例もある。南阿蘇村の一心行の大桜の哀れな姿を見よ。昔は、道に迷いながら汗をかいて辿ったあぜ道の向こう、菜の花畑の間に薄桃色に花を広げた一本の大きな桜の古木の感動的な景色があったのだけど、今はまさに人口林、単なる桜公園に姿に改造され、ニセの感動を押し付ける記念撮影の場所に成り下がってしまった。

福寿草の時期が終わると、しばらくすると、カタクリの開花の時期が来る。福寿草もカタクリも「春植物」と言われ、花の寿命は一週間前後、周りの樹々の葉が茂って林床が暗くなる5月の半ばまで大急ぎで光合成を行い、その栄養を地下部に蓄え、翌年まで眠りにつくそうだ。別名、春の妖精、季節を渡り歩く妖精たちとも呼ばれているそうだ。

僕は残念ながらいつもカタクリの開花のタイミングを外してしまう。雁俣山のカタクリの写真を撮ろうと、あの丸太の直登も我慢するのだけど、毎回、どこをどう撮っても蕾で、泣く泣く帰路に就くのだ。途中、他の登山者が「昔は当たり一面、カタクリの花だらけだったばい」とつぶやくのを聞き、今度こそはと毎回挑戦するのだけど仕方ない。鹿の食害も影響するのか、バイケイソウの緑のかたまりがなんとも恨めしい!「春の妖精」の姿を求めて霧の中をうろつく僕の姿は、我ながら「春の亡霊」と呼びましょう。

春の亡霊、山に行けなくても頭の中は忙しい。別件で和製アロマ(精油)の資料を見ていたら、山女魚荘の親父さんが玄関先の囲炉裏端で、山の話を語りながら、プレゼント用に小刀でつくられているクロモジの爪楊枝があるのだけど、そのクロモジは「リナロール」というとても貴重な成分を含んでいる。(東京農大の成分分析による)リナロールは大腸菌、サルモネラ菌、黒カビ菌をはねのける力がある。

クロモジの歴史は長く、「茶道」とも深い関りがあり、あの千利休も豊臣秀吉にお茶とともに庭に植えたクロモジの木を小刀で刻み、和菓子に添えて進めた言われもあるそうだ。香りは沈静効果もある。茶室に漂う森の香り。

去年の夏、いろいろ思い立ち、事務所の面々の呆れ顔を無視し台風の中、車を運転、佐賀市内の某工房へ行き、体験学習に臨んだ。その体験とは水蒸気蒸留法で、クスノキの仲間「ホウショウ」の葉から精油を抽出するものだった。抽出の仕組みは単純、1時間でわずか、数ミリの精油ができた。今もその香りで仕事場の机の上で気分が舞い上がったら、気分を落ち着かせる日々なのだ。香りとともによみがえる、若い女性の講師が僕にマンツーマンで丁寧に教えてくれるあの姿よ。

正確に言えば、純粋な精油は化学成分「カルキ」を含んだ水道水ではできない。清流川辺川の水で、クロモジの精油を作る夢を見る、春の亡霊の僕でもある。3月にはいよいよ山へ、春の香りを嗅ぎに行く。

2018.12.24

山行

五家荘図鑑(写真集が)ようやく完成!しかし、前回の雑文録で「アマゾン」で世界同時販売と大風呂敷を広げたけど、自分のミスで販売は延期となりました。熊本では書店に販売の相談をすればいいのだけど、車での移動が出来ず、時間がかかるので当分無理です。

10月の症候性てんかん発作の影響で、数字や記号の見落とし多数。以前ならわずか数分で商品登録、販売もできたのに、いきなりJANコードの登録ミス。現在アマゾンさんに改善策を相談している状況。販売前に、これまでお世話になった方々に郵送させてもらった。最近は右手が軽くしびれて、握力も落ち、もともと下手な字が丸くやる気のないもやもやした字になり自分でも笑ってしまう。まっくろクロスケが紙の上で溶けてしまっている。(苦笑)

これから五家荘は厳冬期を迎える。OさんやMさんのフェイスブックでは山の樹氷、霧氷登山の誘いが増えてきた。チェーン必携、「滑ったら、崖に車ば当てて、止まんなっせ!」と言うのが地元の人の“リアルでやさしい助言”なのだが、それでも車が止まりそうにない場合はどうするか、シートベルトを外し、運転席を半ドアにして、いつでも飛び出せるようにして、そろりそろり運転するしかない。あと口笛を吹いて気持ちを落ち着かせるとか。経験者は語る。

これまで何度、口笛を吹いたことか。思い出すのは2017年の2月。厳冬期の栴檀轟の滝の写真を撮るなら今しかないと、決心して家を出る(おバカ男子。)五木村を過ぎた頃から猛吹雪で、広く舗装された林道もアイスバーンに一変。かじかむ手でチェーンを巻きながら、雪道を進む。左座家の前の駐車場に愛車白鳥(しらとり)号を停め様子を見る。藁ぶきの屋根にも雪が積もり、年に数回の大雪だ。

普通ならそこで引き返すのが正論だが、雪の積もった坂道に残るかすかな車の轍の跡を見て、運転を強行。その轍のあとをたどって行けば、栴檀轟の滝を川沿いに登る、山道に出れるはずだ。道脇に白鳥号を停め、バックと三脚を背負い、錆びた鉄の橋を渡り、雪の積った道を登る。よくぞ、ここまで来れたなと思う。心の中で「撮り終えたらさっさと帰ろうよ」という急かす声が響く。「折角来れたから、もうちょっと粘って撮って帰ろう」という声もする。そんな半端な気持ちの僕の頭の上に雪がドサッと落ちる。山道はシンとした音もない白い景色。ゴワッゴワッと雪を踏みしめながら、滝に向かう。途中凍り付き、岩に氷柱が下がった小川に降りて、カメラバックを降ろす。滝はもちろん、こんな景色も撮らねば、来た意味がない。

また、心の中に声が聞こえる。「撮り終えたらさっさと帰ろうよ、もうやばい!帰りに雪が積もったら帰れない!」という声。「折角来たからもうちょっと、そん時は、そん時ばい!」という声もする。

何か所か場所を物色して、大きな岩の下の窪みに最初のポイントを決める。「しかし、ここまでやる馬鹿はおらんよなぁ。なんで、ここまでするのか。」「今しか、ないけんたい。こんな景色は1年に1回あるかないか。今しか、チャンスはなかけんたい。あとで悔やむより、今を選ばないかん。」シャッターの音とともにときめく、こころ。

こんな時、こんな場所にいる馬鹿は僕だけと、岩の下に降りようとする、と、バサバサっと音がする。「いのしし君か!」と、どきりとするが、なんとその岩の陰に、体を丸めて雪に埋まりながらカメラを構えている男子が居たのだ。厳冬期、おバカ男子がもう一人。

馬鹿同士、「こんにちは」の会話しか交わさない。せめて、お互い名を名乗れば良かった。今になって悔やむが、お互い根暗同士、仕方がないのだ。(友達になれたかもしれないのに)

結局、その川の写真はあとで撮ることにして、滝の写真を先に撮ることにする。

栴檀の滝は真冬でも勢いがあり、気温の影響もあるのか、凍結せずに、いつもどおり勢いよく水が噴き出している。望遠レンズを忘れた僕は、滝の写真は正面しか撮りようがない。

その後来た道を引き返し、岩陰から、氷柱の下がった川の写真を数枚撮り、車に戻る。出会ったカメラマン氏は居なかった。(さて、どこに行ったのだ?)

心の中の声。「さっさと帰ろう、もうやばい!今まで運が良かっただけだぞ!」「分かった分かった、もう帰ろう。」と分裂症の僕の心の声は一致した。

帰りも口笛を吹く(佐野元春)。ゴワゴワと音をたてながら、恐る恐る、凍結した長い林道をくだる。間違ってブレーキを踏んだらいけない。もちろん、アクセルも急に踏むな!

五木までくるとほとんど雪もなく、ほっとひと安心。雪の栴檀轟の滝は当分よかろう。僕は本当に運が良いのだろう。山の神様に感謝。

雪の積もった五家荘の山を楽しむ「フットパス・ツァープラン」があれば楽しいのにと思う。(一番の難点は何時、雪が降り、積もるのか予測できない事)

チェーンを外し、大通り峠のトンネルを抜けると、僕と白鳥号を待っていたのは、見事な白銀、テラテラと路面が青く光り、凍てつく、夕空へ向かう、オリンピックのジャンプ競技台のような長く曲がるループ橋の景色だった。(過去に橋のコンクリートの壁に「当たって停まる車」を数台見たことがある!)余りの恐怖に喉が枯れ、口笛どころではなかった!

2018.12.02

山行

待望の写真集「五家荘図鑑」が間もなく発売!僕のてんかん発症事件もあり、予定より、一か月遅れになったけど、いよいよ12月中旬に世界同時販売となります!価格も予定より100円値上がりして(なんでやねん?)税込み950円。しかし、全国送料無料!「世界同時販売」(!)とはなんとほら吹きなと言う人あれど、堂々「アマゾン」での販売なのであります。※海外に発送する方法がないので、当面は国内だけ。

うちの老いた母は「アマゾン」と聞くと今もって、南米のアマゾン川から荷物が付くか、どこかの麻薬組織から危ないものを送り付けられていると半分信じている(苦笑)。実はアマゾンで本や物を売るのは簡単で、画像さえあれば、誰でも10分程度で出店ができるからすごいのである。友人知人の古本屋が息を吹き返したのも、アマゾンやネット販売で出店できたからであり、逆に、小規模の電気店を廃店に追いやった大手の電器量販店を苦境においやったのもアマゾンである。

世界同時販売と言って「誰にも知られないくせに」というなかれ、実は五家荘図鑑の事は、熊本、地元の人が誰も知らないくせに、世界中の人に知られているのである。証拠を見せろと言う人には証拠を見せることが出来る。僕の友人、O氏は熊本で知る人ぞ知る、ネット分析士であり、そのO氏に五家荘図鑑のホームページのサイトを分析出来るように「グーグルアナリティクス」を設置してもらったのだ。ネット関係者でアナリティクスの事を知らない人はいない。グーグルの無料、アクセス解析ツールで、そのサイトへの訪問者を詳しく分析することが出来る(個人の特定はできない)

ちなみに、今年11月1日~30日までの期間の五家荘図鑑の来訪者の累計は日本から368名、ロシア31名、アメリカ15名、香港1名、インドネシア1名、タイ1名なのだ。閲覧時間も計算され、アメリカ、タイはゼロなので、勘違いの来訪者で、他の国からはそこそこ見てもらっている。更にすごいのは各国の閲覧者の見ている都市名も数値化されている。日本では熊本市、八代市が一番多く、東京、大阪、神奈川と続く。(孤独なネット遊民者の僕は深夜一人、それを見てほくそ笑む)グーグルは誰も知らないところで、そんな作業をしているのだ。

年間にしたらその12倍の人々が居るわけで、しかも写真集だから、言葉が読めなくてもその雰囲気だけでもわかってもらえて、世界同時販売は半分嘘ではなくなるのだ。インターネットの世界はすごいと言うか(普段、僕はフェイスブックも開設しているものの、ネットでも「いいね恐怖症」「人見知り」で、友人は増やせない。コメントの追加もほとんどしない。)ネットはそんな性格の僕でも使い方次第で知らない者同士が通じ合う道具にもなり、趣味や仕事の可能性が少し開けるのだ。

で、なんでロシアの人が五家荘の事を知ったかだけど(プーチンに五家荘侵略の意図はなかろう)、これまでヨーロッパからの来訪者も多かったが、その理由はふとしたことで夏に判明した。たまたま熊本市や、八代市の特産品の海外向けの商品開発やコンサルをしている福岡のバイヤーKさんと知り合ったのだが、Kさん曰く、五家荘の特産品を海外に売り込む時に、僕の五家荘図鑑を見せながら、こんな山奥で出来た商品ということで僕の五家荘図鑑のサイトを合わせて紹介しているとのことなのだ。つまりKさんが海外の会社に紹介するたびに、僕のサイトにはその分、海外のアクセスが増えるわけなのだ。気さくな性格のKさん。「五家荘図鑑」が彼の仕事の役にたてば幸いだ。樅木川の景色は、アマゾン川に流れこむなり。インターネットは何が起こるか分からないものだ。そもそも図鑑の編集・デザインを依頼した熊本市の編集事務所のHさんを知るきっかけも、ネットで調べて依頼したからなのだ。そして素晴らしい本に仕上げてくれた。感謝!

※五家荘図鑑(A4横・全40ページ・オールカラー!)

2018.10.30

山行

2月のクモ膜下出血時、集中治療室のベットの上、僕の開頭手術は2日後になり、時間つぶしに家人がテレビをレンタルしてくれた。点滴だのいろいろな治療具やチューブが下がるわずかな隙間、レンタルしてくれたテレビの画面は僕の左の頭の真横にあった。何を見るか、基本NHKしか見ないので、たまたまつけた番組がタモリと芸人作家の又吉直樹氏が人間の脳内を探索するものだった。スタジオには脳内を模したセットが作られていて、その模様はまるでうっそうとしたジャングルだった。至る所に樹々が生い茂り、二人の頭上には様々な蔦や枝が絡まり、まっすぐ歩くこともできない。それが脳の血管や神経なのだ。そんな二人の背後から雷鳴が響き、フラッシュのような赤い灯、青い灯が瞬間明滅する。解説ではその光の明滅が、人の脳にアイデァがひらめいた時の光景だそうだ。作家の又吉氏の脳裏に物語がひらめくと、氏の脳内の神経の森にはいくつも光が明滅するのだ。

なんと皮肉な番組か、2日後、僕の額の右の頭蓋骨は丸く開頭され、血だらけの脳の中から、丸く大きく膨らんだ二つの動脈瘤の首がつまみ出され、三か所チタンのクリップで止められ、また閉じられたのだ。10時間にも及ぶ手術は成功し、奇跡的に僕の体は起き上がり、点滴を下げながら、ゆらゆら病院内をうろつき回った。それから1か月後、僕は熊本市内の病院を退院し、故郷の海を臨む丘の上の病院に転院し、リハビリを1ヶ月終えて、また日常生活に戻った。周りのみんなはそんな僕を温かく迎え入れ、口をそろえて「無理をしないように」と諫めた。命拾いをした僕だが、どこまでが無理で、無理でないか分からない。いつのまにか、これまで通り車を運転し、五家荘の山に向かい、酸欠で急坂は登れないにしても、何とか山歩きはできて、これまでもたくさんの美しい花々と出会うことができた。

そして11月。五家荘の山々が最も色付く最高の季節となる。五家荘図鑑の写真集の基礎作りも終わり、あと半月で完成する予定で、写真の整理を依頼していたJスタジオの徳永さんの事務所を出る時だった。僕は左頬の筋肉が固くなり、顔が崩れるのを感じ、その場で全身硬直し、倒れた。頭の上で徳永さんが「救急車!」と叫ぶ声が何度か聞こえた。

診断はクモ膜下の傷が原因だろうか、「てんかん」だった。てんかんの強直発作は発作の中でも一番激しく、脳には電気が流れているが、強直発作は脳全体の神経細胞のスイッチが一斉にオンとなり、過剰な興奮状態で意識が無くなり、体のコントロールも効かない状態になるとのことだそうだ。

悲しいかな、これから2年間は僕は車の運転は禁止となる。そしててんかんを抑える薬を飲み続ける必要もある。僕の脳は手術前のテレビの場面のように、いったんスイッチが入ると、脳神経の茂みの中には雷鳴が響き渡り、土砂降りの雨のぬかるみ状態となるのだ。往復2時間の通勤時間、何が起こるか分からない。まぁ、生きているだけで幸運と言うべきか、去年の遭難騒ぎから僕は3回も命拾いをして、今度は他人に迷惑をかける事は避けなければならない。

僕はベットに体を横たえ、ある谷の景色を思い出す。夏の日、苔むした流木の上に生い茂る緑の茂みの中に、僕は黄色い花弁の花を見つけた。今や希少となった、キレンゲショウマの花が二つ。峠の下にはネットで保護された群生地があるけど、自然の森の中のキレンゲショウマの花を見るのは初めてだ。僕は写真を撮るため、流木を抱きしめよじ登り、泥だらけでそっと這い上がり、無理な姿勢でシャッターを切った。翌週、僕はまた同じ森の中に居た。盗掘されていませんように。鹿に食べられていませんように。

黄色い蕾はすでに開花し、花びらが二組、緑の苔の上に散っている。僕はそっと指先で拾い上げる。周りをみると、そばにはまだ、青い蕾がある。緑の森で開花する天然のフェルトのようなキレンゲショウマの花の開花をどうしてもカメラに収めたい。純白ではない、純黄のやさしい花びら。僕は2年後、五家荘の山で、その蕾を探すだろう。雷鳴が鳴ろうが、雨が降ろうが、森で迷うことはない。そこは僕の秘密の場所なのだ。

※ぼくがてんかんを発症するとき、脳の外にも怪しい電波を発生するらしい。徳永さん曰く、僕を救急車で済生会病院に送り込んだ日の夜、激しい金縛りにあったそうである。電話で謝意を伝えたら、氏から「頼むから当分、大人しくしといてくれ」と懇願された。

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