熊本県 八代市 泉町(旧泉村) 五家荘
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雑文録

2019.08.27

五家荘の山を登り始める前に、僕が通っていたのは五木村の川だった。

京都時代、熊本出身のカヌーイスト、随筆家の野田知佑さんのファンとなり、手当たり次第、本を買っては読み漁った。

 

野田氏はカヌーに愛犬ガクを乗せ、日本はもちろん、世界の大河を悠々と下りながら、自然と遊ぶ楽しさと、自然を壊す文明の浅ましさについて、チクリと批評する氏の話は、とても面白かった。その当時の日本の川も乱開発で荒廃していて、氏はパドルで川をかき分けながらその事を嘆くのである。

僕は帰熊すると、早速今は無き伝説のカヌーショップ「バイダルカ」でカヌーを買い、熊本の海に山に、漕ぎだした。

(野田氏と愛犬ガクのように、カヌーの先頭に保育園に入ったばかりの娘を乗せて、天草の島巡りの後、砂浜に上陸する我が家は難民一家とも呼ばれた)

ただ、カヌーについて、テレビでタレントだのリポーターだのが言うのは「カヌーに乗ると、水面と船の上の目線が同じで感動しました」と言うのが定番なのだが、誰が言い始めたのか、みんな全く同じことを言いながら、「いやー自然って言いですね!」なんて適当なことをいうタレントは嘘つきで、実は何も感動していないと僕は思う。見るからに、彼らは自然に関心も何もないではないか。

僕は単純に川に流されながら、ぼんやりするのが気持ちいいだけで、自然がどうの、目線がどうのとは一回も思ったことはない。スポーツとしてカヌーを取り組んだこともない。

例えば、夏にカヌーで熊本の川や海を漕いでみたらいい。一番最初に下った川が野田氏の故郷、菊池川で、菊水町から玉名まで。漕ぎだすと、川の汚染がひどすぎてカヌーどころではなかった。パドルを漕ぎだすと、水面にプカプカ浮かぶ黄色い糞尿のかたまりに四方八方、取り囲まれ、来年の東京オリンピックではないが、汚水が肌に触れないようにカヌーを漕ぐのは至難の業だった。

天草の内海も同じで、外で見る景色とうって違い、いざ、汚水の上に浮かぶ景色は菊池川と同じなのだ。勢い余ってパドルから、海水が顔にかかろうものなら発狂ものなのだ。

熊本で唯一、汚水を気にせず、自然の中で安心して下ることの出来る川は、川辺川、球磨川だけだ。ただこの二つの川はぼんやり、漕いで下るわけにはいかない。

 

バイダルカの店長タチカワ師匠の悪名高い「誰でも漕げる球磨川カヌー教室」

師匠の優しい笑顔の奥、髭に隠れ、小熊のように光る冷たい瞳。

カヌーを漕ぐみんなの姿があっという間に岩陰に消えていく。氏は初心者に対して、数分間人吉城前のせせらぎのような川で適当に漕ぎ方を教え、数分後、天下の激流「球磨川」に突入させるのだ。

目の間に迫る、数メートルの落ち込み、(ドーン!と音がする)迫る岩の連続、白いしぶき、あぶくで目の前が全く見えない。

師匠の技術指導は単純明快。「やばいと思ったら、ひたすら、漕ぎなっせ!」

数珠つなぎ、見よう見まねで川を下る、カヌー初心者軍団の群れは、漕いでも無駄。最初、奇声を上げていたが、数分後には阿鼻叫喚、数珠つなぎの悲鳴に変わるのだ。ヘルメットも、色とりどりのカヌーもお腹を見せて流されていく。師匠とその弟子は、ひっくりかえって岩に挟まり脱出できずあえぐ生徒を拾いに行くのだった。優等生の僕は難所を強運にもクリア。ただ、最後のなんでもない、ペタリ水面が停止したような、水たまりで、突然、派手にひっくり返った。

(川の恐ろしさはこんなところにある)

 

※一度、大雨で増水した阿蘇の杖立川で、滝に落ちて一人、しばらくしても、上がってこない人が居た。

5分経過、10分経過…

さすがに師匠の顔は引きつり、いつものニヤニヤ笑いでその場をごまかしながら、師匠の手先は救助用のザイルをほどき始めていた。師匠の空気に気がついた弟子は他人のふりをするか、そわそわその場を逃げ出そうとしていたが、

その時、滝に落ちた人が、カヌーを肩にかつぎ、全身ずぶぬれで(当然)滝から這い上がり、にこにこしながら、

「いや~すごかった、タチカワさん、人が悪いすよ~先に、滝があるなんて、最初から言っといてくれんと、ホント死ぬとこでしたよ~」

あなたの事を師匠もみんなも「マジ、死んだかもと思ってた」とは、言えずに、みんな笑ってごまかした。

あの時の師匠の技術指導も、「ただ前を見て、ひたすら漕げ」だった。

 

やはり、カヌーはのんびり下るか、漂いながら美味しいものを食べるのが一番楽しい。

これまで一番美しい水溜まりの思い出は、当時の相良村の野原小学校前の、鉄橋の下の蒼い淵だった。家族で、河原でテントを張り、カヌーで水面を漂った。余りの透明度の高さに、カヌーの黒い影が、川底の白い砂の上に映り、船が宙に浮いた気分になった。叱られて橋の上で泣いていた娘は橋の欄干の上で猿に誘拐されかけた。母猿が慰めに山から降りてきたのだ。

今でもその淵はある。川辺川ダム本体の建設予定地となるはずだった場所だ。ただ、野原小学校は見事に校庭の桜の樹とともになぎ倒され、がれき置き場になり、草茫々の荒れ地にされ放置されたままだが。

もうカヌーには乗れぬ体になったが、今も思い出す。あの夏の谷間のキャンプ。闇の中で鹿が鳴き、森の闇に眼が光った夜。焚火をすると、恐ろしいくらいのカゲロウが集まってきた。

かすかな川の記憶が僕の頭の中に繰り返す・・・。

 

野田氏は見るからに偏屈な親父で、今、四国に住まれているらしい。会えたところで、そう簡単に話などできる方ではないと思う。僕も偏屈もんの一人だが、それはそれでいいではないかと思う。氏は以前、アウトドア雑誌「ビーパル」でダム建設について、地元の新聞社、記者の姿勢を、「腐れ新聞の腐れ記者」と罵倒された。氏のこれまでの連載、随筆を読んだ者については充分理解できる内容だったが、(その雑誌は我が家の家宝でもある)

さて、その記事から10年は経つ今。熊本の自然で遊ぶ、偏屈なオヤジ、おばさんは増えたのかどうか。

2019.08.25

昔、写真の世界で「廃墟ブーム」というのがあった。日本中の廃墟、廃ビル、廃道の写真が写真集としてよく売られていた。

長崎の軍艦島がそのシンボルのようなものだけど、この世のなれの果てというか、哀れと言うか。現実とは違う世界をみんな見てみたいのだろう。

シャッター商店街もある意味、廃墟と言えそうだが、なんの味もそっけもないし、苔むしてもいないし、草ぼうぼうでもないし、色あせたスーパーのチラシのようで全然、わびさびが感じられないのだ。

わだちの跡が、かすかに残る山奥の廃道、その向こう、生い茂る草の向こうの暗い世界。

周りに響く、虫の声…。

 

ある時、僕は山の中で美しい集落を見つけた。

以前、フライフィッシングに凝っていた時、全国の釣り好きの連中の聖地は五木村の梶原川だった。梶原川はキャッチ&リリースの指定地で、そこでは魚が釣れても、リリース(逃がすこと)が義務つけられている。フライの世界で、日本でも有数の自然が豊かで魚影の多い、素晴らしい川というそんなシンボルの場所に指定されたのだ。

川の入り口には、ログハウスの管理小屋も建てられ、イベントも開催された。村の温泉館の一角には梶原川を紹介するコーナーが開設され、日本でも有名な名人作の釣り竿が手作りの毛バリと同時に展示されていた。(今は、その展示空間は消去され空虚。)

その竿は竹を重ね合わされて作られバンブーロッドと呼ばれ、名人作の竿はなんの変哲もない短い竹竿のように見えても、軽く1本数十万円はする。また有名な川の写真家の津留崎健さんの写真が展示され、津留崎さんの梶原川についての賛辞の言葉、思い出が展示されていた。当時は抱えきれないくらい山女魚が釣れたそうだ。

山女魚は釣れなくても、僕はせめて津留崎さんのような写真を一枚だけでも撮ってみたいと思った。

川面に蛍が乱舞する写真…

ものすごい数の金色に輝く、蛍の光の筋が画面中に乱舞する光景は圧倒的だった。

蛍の写真の撮影はそもそも難しいが、あれだけの数が居れば下手な僕でも一枚は撮れるだろうという、浅はかな計算なのだが。

ある日、僕は釣り場を探してどんどん車で梶原川をさかのぼった。そして小さなつり橋を見つけ、橋の手前で車を停めた。つり橋の手前に小さなバス停があった。

この橋は観光用ではない、生活用の橋なのだ。まずは釣り竿片手にその橋を渡った。そんな橋の下には必ず、川に降りる道があるものなのだ。

橋を渡り小さな小道を行くと、その向こうにはほんの4、5軒の山の斜面に肩を寄せ合う小さな集落があった。

茶畑のお茶の葉はきれいに摘まれ、小道の両脇には畑があった。森の中、住む人々のつつましい暮らしぶりが感じられる景色だった。

そんな景色の中に、突然現れた僕は、完全に世俗にまみれた異物の存在なのだが。

僕は橋の下へ向かう道を見つけ、川で竿を振った。川の水は透明で、川底の岩がそのまま透けて見える透明度で岩の上を、音もたてずに、

薄いゼリーのような水が流れていく。苔むす岩の横の緑の淵に毛バリを落とすが、アタリがすぐ来たが、ぜんぜん合わせることが出来ず、僕はねばるも退散した。

 

先週の日曜。数年ぶりに、川の記憶をたどり、梶原川に向かう。残念ながら、川にも、管理小屋にも人気はなかった。

つり橋を渡る。恐る恐る小道をたどると、そこには、すでに人の居なくなった集落があった。

奥には集会場があり、その前に、戦争で亡くなった人を祀る記念碑があった。あたりはきれいに掃除がしてあった。こんなところからも戦場に出征し、そして亡くなった人が居たのだ。

以前と同じ、畑の中の小さな小道、雨戸の閉められた家屋がそのまま残されている。ここは廃墟でもない。時間の止まったままの場所だった。カラス除けか、羽を開いたペットボトルが畑の策でクルクル回っていた。お茶畑の葉も摘まれず開いたまま。柚子の実が青々と実っていた。時をかけるつり橋の上を、赤とんぼがすいすい、飛び交っていく―。

この集落のような時間の止まったままの場所が五家荘にも五木にも、どのくらいあるのだろうか。

 

この釣り橋も、もうすぐ、ツタが絡まり、葉が生い茂り、人の行き来が出来なくなるのだろう。

あと数年後、つり橋の緑のトンネルをくぐると、それでもまだ、時間の止まったままの不思議な空間に出会う予感が、僕にはするのだが。

 

2019.08.20

文化

脳内には「記憶の森」がある。生い茂った樹々、頭上から垂れ下がるツタ。足元には苔むす、岩々…

そんな薄暗い景色の中に、踏みしめられた記憶の小道が見える。

8月は家の事情や気候の都合もあり、ほとんど五家荘には行けなかったのだが、森に行けない分、自分の脳内にある、記憶の森の小道をたどることにした。森の小道は行きかう記憶がなくなれば、時に浸食され、道は消え、そのうち無くなってしまう。

不思議なことに白い記憶の中から小道が突然現れ、その小道の向こうに思わぬ景色を眺める場所に出くわす時がある。そんなことを頭の中で考えていると、ますます僕の脳内は迷宮のようになっていくのだけど。

今年の夏は騒々しい夏だった。ツィッターを始めてみて、夏の騒々しさの原因はツイッターが発信源となった。テレビや新聞で報道しない、報道できないことがツイッターの中では、拡散され、人々の綿々としたツィート(つぶやく)が帯をなす。いや、つぶやきどころか、叫び、ののしり合い、デマがばらまかれる。

 

※今夏の愛知の美術展の表現の不自由騒動。

 

熊本市にも現代美術館があり、街のど真ん中でこれまで、ユニークと言うか公立らしからぬ企画展を実施されてきた。開館したのは2002年。僕は幸運にも初代館長の田中幸人さんに話を聞く機会があった。田中さんの短くて密度の濃い人生の時間を分けてもらった。氏曰く、熊本市から館長就任の打診があった時に就任の条件として現代美術館が市の教育委員会の管理下でないことを出したそうだ。

教育委員会の傘下だと、まったく美術、芸術の事を理解できない連中があれこれ口を出し、

「あれはダメ、これはダメと言い出し、何もやりたいことが出来なくなるわけなんだよね」

「それでは館長を引き受ける意味がない」と語った。

そして、熊本市はその条件を飲み、氏は初代館長に就任したそうだ。それから氏はこれまでになかった独自の企画展を精力的に開催された。

僕は「日本人の心」だの、そんな心はどこにあるのかと思う。教育委員会のおじさん、おばさんたちは、そんな心は、美しい田舎の、田園風景の中にあると信じているのだろう。(だったら何故、自然を破壊し、無駄なダムをつくり、海を干拓するのだろうかね)

そんな居眠りしそうな心地いい景色だけが芸術だと信じている人は、そのまま昼寝しておいて欲しいと思う次第。(しかもすぐ値段を聞きたがるしね)

心地の悪い表現でも、得体のしれない表現、何か自分の心に引っかかる表現の方が「心地よい絵葉書のような作品」より面白いに決まっているではないか。もともと「表現」なんて得体のしれないものなんだし。答えなんてあるものか。

田中さんとの会話は「ちょっとだけなら」と言う氏の条件を、氏自身が熱弁をふるい、僕にとっては貴重な1時間となった。

 

※我が「極私的五家荘図鑑」はすべて自費でアマゾンで発行販売中。1円も公金、税金、補助金なぞもらっていない。もちろんマスコミでの紹介、報道もなし。自慢じゃないが、「地域興し、地域創生」でも何でもないし「芸術性のかけらもなし」何の役にもたたない。

 

話の流れで僕は田舎の事を聞かれ、宇土半島の突端と答えた。氏は新聞記者時代から、装飾古墳壁画をはじめ民俗学、人類学にも造詣が深く、当時の古墳調査は地元農家とのせめぎあいだったという。農家は古墳調査をさっさと終わらせ早く、金になるミカンの樹を植えたくて仕方なかったそうだ。

そんな中で、ようやく小田良(おだら)古墳は保存されたようで、その古墳は今も海沿いの草原に堅牢に保全されている。

(※県立装飾古墳館にレプリカが展示中。)

田中幸人さんは館長就任後、わずか2年後の2004年すい臓がんで亡くなってしまった。

脳内の記憶の小道…その小道は、今年の6月に母校、三角中学校の還暦同窓会の場で違う小道につながった。およそ、45年ぶりに再会する同窓生、その場で小田良に住むマンゴー農家の若本君に会い、古墳の話をすると、若本君いわく、「そうそう、高校の時に(友人の)三郎と小田良に帰ると、バス停の近くで何やら、オジサンたちが土をほじくり返していて、俺らにも手伝ってくれと、言うたとたい。」そこで若本君と三郎は腕まくりして必死で土を掘ったら、勾玉がぞくぞくでてきて、更に、三郎は立派な銅剣を発見したそうだ。

二人の心はときめいた。

明日の地元の新聞には絶対二人の写真が掲載され、「有名になるばい」と期待した。もちろん、二人の写真も名前も掲載されるわけがなく、発見者は教育委員会となっていたそうだ。そういいながら若本君は、残念そうに陽に焼けたマンゴーのような頭をかいた。

しつこい僕は更に更に、脳内の小道をたどる…

田中幸人さんが全国紙の新聞記者時代の相棒、Aさんの事も思い出され、アマゾンで検索すると、Aさんが熊本支局長時代に五家荘を民俗学の見地から調査されまとめた本が、「アマゾンの密林」から見つかり、早速その本を取り寄せ読むに、更に、小道には奥があり…僕の夏休みの宿題となったのだ。

まずは、近々、小田良古墳の見学に行こうと思う。

2019.07.15

山行

今年の梅雨は6月は晴れ続き、7月になってから雨が降りはじめ、このまま梅雨明け、夏かと思うといつもの通り豪雨だった。

ギンチャン(銀竜草)には会えなかったが、7月の中盤は運が良ければショウチャン(鍾馗蘭) に(場所によっては)会える可能性が高い。同じ時期にオオヤマレンゲの開花も重なり、国見岳山頂周辺で、登山者は頭上を見上げると、彼女の妖気あふれる美しさに魅入られてしまう。その美しさ、派手さ、大きな瞳にじっと見つめられていると僕は恥ずかしくて、写真を撮るのをためらってしまう。街中にもこんな美人はいないものだ。体調の都合で、国見岳の急坂はまだ登れそうにないのだが、ショウチャンの咲く谷は何とか休み休み行けそうなので、今回も家人に無理を言い運転をお願いした。

車中ではいかにもオオヤマレンゲの美しさを訴え、いかにもこれから向かう山の道沿いには五家荘イチオシの花美人「大山レンゲさん」(何か芸能人のよう…)が待ち構えているような嘘をついたのだが、沢から苔むす谷の山道を登るにいっこうに大山さんの影も形も見えそうにない。それどころか、大雨後で沢には水があふれ、沢を渡る彼女の年代物のキャラバンシューズ(懐かしい)は濡れて穴が開きそうなのだ。

いい加減、白状するしかない。「この山には大山さんは居そうにありません」「え?居ない?」折角来たのに?

「ショウチャンならいそうです」「ショウチャン?」そうです。漢字で書くと鍾馗蘭。

「蘭の仲間?」「ハイ」彼女は蘭と言えば美しいイメージを想像したらしい。「で、どんな花?」「ピンク色でとても鮮やかです。」「なるほど」「足元に、苔むす樹の根っこからいきなり、みんなピンク色の花弁で、緑の森を賑やかに彩ってくれます。しかも今の時期、約10日前後しか見れない、とても貴重な蘭の仲間です。僕はショウチャンと呼んでいます」

仕方ないので、僕は森の中で叫ぶ「ショウちゃーん、いませんか?会いに来ました」「ショウちゃーん!」もちろん、返事はない。もう昼だ。二人、黙々と弁当を食べる。春の谷と違い、さすがに森の緑は濃い。羊歯類も天狗の団扇のように大きく両手を広げ、樹々にまつわる苔も厚い。「ショウチャーン」と呼ぶ僕に、森からの返事が耳元に響く。「木を見て森を見ず…」頭の中の傷のせいか、幻聴のようだ。

確かに木を見て森を見ていなかった。どんな花も森が豊かであってこそ、花開くのだ。折角、山にきたのだから、もっと森を感じるべきだったのだ。空を見あげると、森の深さにめまいがした。木の幹の周りをぐるぐる星形の葉が重なり合い、木漏れ日が僕の瞳に届く。

探していたショウチャンを見つけたのは彼女だった。「これですか?ショウチャン」「そうです、この子らはあと一週間でピンク色に染まります。」深い森に一本、ショウキランの芽が出ていた。「それとこれは?」なんと足元の木の根の窪みに、変わったキノコが一つ。「土をそっとほじると、そこには初めてみる「キイロスッポンタケ」が顔を出していた。大きさは3センチの超ミニサイズ。僕にとっては奇跡、感動の出会いだ。まさかこんな場所にポンちゃんが。大きな森での秘密の出会い。次回、何時会えるのかは全く分からない。

今日はこれでよし。すでに陽は陰り、夕方近く。森の精気が谷に重く降りて来た。苔むす岩を滑らぬように用心して道を降りる。

日が暮れて道遠し、森深し。それもよし。

2019.06.23

山行

6月はどこにも行けなかった。山の先輩Oさん、Mさんのフェイスブックの登山情報はうらやましい限りだ。(お二人の日常の半分は山の事!)特に、以前から撮影してみたかった、「ギンリョウソウ」の花の写真を見ると、くやしくて仕方ない。

ギンリョウソウ(銀竜草)とは別名「ユウレイタケ」ともいわれる花で、葉緑体を持たず、杉林の枯れ葉、落ち葉から養分を吸収する腐生植物。花は花径の先に一つだけ咲く。図鑑の写真を見ると、枯草のすきまから、半透明の白い茎が伸び、背中を丸めてうなだれている。下から覗くと一つの眼が開く!(まさにユウレイタケ!)僕は森でこの子たちにぜひ会いたいのだ!自分のカメラに収めたいのだ!これからは「ギンチャン」と呼びたい。

腐生植物でもう一種、有名なのはショウキラン(鍾馗蘭)この子たちはギンリョウソウとは大違い、変な目立ちたがり屋。同じく森の枯れ葉のスキマからニョキニョキ顔を出して、ピンク色のケバケバシイ化粧と派手な作りの顔(花)で、四方八方美人。束になって咲いているのを見ると、静かな森の中で、騒がしい歌を歌っているようにも見える。一度、ギンリョウソウとペアで見たいものだ。これからは「ショウチャン」と呼びたい。

通常の樹や花は夏場の太陽の光を奪い合い、少しでも栄養分を貯め、植物界の激しい生存競争の中を生き延びようとしている。そんな中で、ギンちゃん、ショウキちゃんのなんと不思議な生き方よ。他社と競争しないのんびり完璧平和主義。

※腐生植物つまり、寄生植物。光合成を行わないというのは、競争から完全に離脱した生き方。子孫はどうして増やすかというと、種子が飛び交うわけでなく、バッタの仲間のカマドウマが運んでくれるという研究があり、調べれば調べるほど、面白い!大学や高校の生物部でもでもネットで詳しい研究発表がされている。うす暗い森の中で、華やかな花たちの研究とは別に、ギンチャンの丸まった背中に話しかけ、大の大人どもがうずくまり、ヒソヒソ話ながら微笑みあう、姿はなんとも微笑ましい!

ギンリョウソウの開花の時期はもう終わり。これからはショウキランの開花の時期となる。花が咲くのはいつもの、あの山のあのあたりかと推理するのも楽しい。もちろん来年10月までは運転禁止の身。自宅から2時間、家内に運転をお願いするしかない。崖に落ちぬよう、五家荘の林道を恐ろしい形相で、ハンドルにしがみついて運転する姿を見るのは誠に申しわけないのだが。

春に受けた町の健康診断、しぶしぶ出した1個の検便で「アタリ!」がでた。返送された封筒には、大腸がん検診、要検査との文字。陽性というのも不気味な文字だ。(僕の性格は陰性なのに)検便だけで陽性の判定がでる、今の検査技術は大したものだ。もちろんガンと決まったわけではない。ガンなのかどうかを調べる内視鏡検査を受ける必要があるとのことなのだ。4日に検査を受け、ベットに横たわり、モニターを眺めながら検査を見守る。僕の大腸内をうねうね、うごきまわる蛇のような検査機器がエノキ茸のようなポリープを発見、さっと切除。次は明太子のように横たわるポリープ?発見、新人の医師がベテラン先生の指示でようやく切除。検査後は1週間から2週間は激しい運動や旅行は禁止とのこと。切除した個所から出血する可能性があるそうだ。つまり、6月は登山も山歩きも控えなければならなかった。その後の細胞検査では、ガンではないものの、びらん(ただれた)個所が多いのでまた12月に内視鏡の再検査となった。

お腹の中では銀色の内視鏡がうごめき、頭の中では「ギンちゃん」が銀色ランプを先につけ、怪しい箇所ではポッと灯りが点り、僕の脳内を明るく照らし出す一日。

ギンリョウソウよ、来年きっと会いましょう!

(写真はショウキランこと、ショウチャン)

2019.06.02

毎週日曜の夜のテレビの楽しみはNHK韋駄天だったが、とうとう我が家もテレビ朝日の「ポツンと一軒家」という番組に寝返ってしまった。(正直、毎回、毎回、金栗さんの全力疾走は、見ている方が辛くて息切れする)たまたま熊本の水上村の一軒家の紹介があり、つい見てしまったのだ。更に翌週も水上村の一軒家の紹介だった。番組は崖っぷちの細い林道を取材者が辿り、その家の主を訪ね歩くシンプルな内容でスタジオではそんな林道に驚きの声があがるのだけど、五家荘の林道も同じで、何も驚くことはない。どこにでもあります。五家荘の一軒家も何時紹介されてもおかしくないのだ。

一軒家、すなわち、一軒の暮らし、ぽつんとした人生。何の作為もなく、ただ老人、老夫婦が山の中で暮らしている。(昨夜は、中年のカメラマンで自作のログハウスに取り組み、うつ病を克服した人だった)縁側で山を眺め、鳥の声を聞き、風に吹かれお茶、コーヒーをすすり五右衛門風呂で疲れをいやす。夜は無音の闇の中で獣の声を聞くのだろう。取材者も淡々と話を聞くだけで、台本もないし、話のオチもない。ただ僕らは、山の中の家で、ポツンと暮らしている「理由」を聞いて「ほーっ、へぇーっ」時に感動を覚え、あこがれ、(ちょっとやきもち妬いて)心いやされるのだ。視聴率が高いのも、そんな番組の光景に、いつかは自分もとあこがれる気持ちがある人が多いからなのだろう。それがたとえ実現できなくても。

森の香り、樹の香りの成分はフィトンチッドと呼ばれる物質で、「テルペン類」と呼ばれる有機化合物で構成され、鎮静作用や、抗菌、抗うつ作用があるとのこと。番組に出てくる人を見ると、みんな肩の力が抜けるのか、人の目も気にしなくていいのか、それこそ“自然体”で暮らされているのがよく分かる。

東京の高層マンションの最上階で夜景を眺めながら、古いアパートで布団にくるまりながら、老人ホームのベットの上で、場末のラーメン屋のカウンターに、肘をつきながら、会社のデスクの上で仮眠を取りながら…。特に都会人のほとんどは田舎からやってきた人だろうし。暮らしぶりはともかく、いろいろな人の心の中が、この番組でほっと溜息をついているに違いない。

もちろん僕も以前から、そんな暮らしにあこがれる一人だったが、今は頭の病気のせいで、その願いはかなわぬが、せめて里山にでも移住したいという思いがある。(我が家の猫族も大移動する必要があるけど)

僕は、もともと人と話をするのが苦手で、話をしたあとはどっと疲れがくる。そう書きながら、五家荘図鑑(写真集)を出したのもサイトを公開したのも、自己顕示欲の表れであり、多少は性格と矛盾しているのだろうが、それらは僕のささやかな「一軒家」で、無理してドアをノックされなくていい。

今回、たまたま仕事で知り合った、デザイナーのSさんに五家荘図鑑を渡し、キャラクターのデザインをしてもらった。タイトルは山猫倶楽部。最初は「猫の事務所」にしようとも思ったが、さすがに宮沢賢治の童話のタイトルはまずいので「山猫倶楽部」にした。(僕は実際、童話「猫の事務所」が大好きなのだが)ちまたに、猫をテーマにしたデザインのイメージは山ほどあるが、(似ているものが多く差別化が難しい)出てきたのはそんな予想を裏切る内容で、僕はとても気に入っている。

6月は検査やら何やらで山には行けそうにない。

想像の世界からやってきた山猫一匹、満月の夜に草原を駆け抜け、つり橋を渡り、川の岩を飛び越し、滝を眺め、森の中で苔の寝床で丸くなって夢を見る。蛍に包まれ金色の猫に変身したり、神楽の太鼓の音に踊りだす。

お話はこれからだ。彼だけは僕のポツンと一軒家に出入り自由なのだ。

2019.05.07

山行

5月5日は先週に続き、また五家荘の川に行った。春先の出足の遅れを取り戻す気である。(何も競争しているわけではないけど)

もちろん激しい登山は頭の中が酸欠になるので、先週に続き、“山歩き”となる。それはそれで、深い森の新緑の中を歩くのは楽しい。コップに緑のインクを垂らしたように、山の尾根から緑がどんどん湧きだしてくる。そんな緑の中に、山藤の薄紫の花々が彩を添えている。さすがに連休で、車の往来も多い。春の到来を喜ぶ、山の鳥の声が車内に響く。

今回は砥用経由で、二本杉の峠に着き、雁俣山への小道を足慣らしに歩く。残念ながら、石楠花の開花はまだ。(あと1週間で満開になるだろう)途中で引き返し、目的の樅木川へ向かう。樅木川の春の景色を撮るのが今回の大きな目的なのだ。山女魚釣りに使っていたゴム長(ウェーダー)まで用意。撮影ポイントは秘密の場所で、山道から川に降りるのは少し危険なので、荷造り用の丈夫な平らなロープを4巻用意した。(我ながら大げさ)

この秘密の場所は、山女魚釣りする者ならピンとくる場所なのだ。釣りする者は山に入ると、川沿いの道に沿い、魚が居そうな場所をきょろきょろ物色しながら運転する。そして急に車を止め、林道をフラフラ歩きながら背伸びしたりしゃがんだり、不審な動きをする。気が付くとひょいとガードレールをまたぎ、草むらを嗅ぎまわり、腕を組み、にんまりとする。ついに川に降りる道を見つけたのだ。そういう川には地元の人や、釣り人がこっそりつけた足跡があるのだ。つまり、そういう道があるということは、広大な五家荘の数えきれない川の中で、「ここには魚が居ます」という見えない案内板を見つけたようなものなのだ。(魚が居ても釣れる保証はありません。)

今回の撮影ポイントも数年前に僕はピンと来たのだ。(相変わらず馬鹿か)草原に車を止め、ふっと茂みに入ると、それなりの川への小道があった。しかし、さすがに釣人は少なく、小道は途切れ途中で崩れていた。こういう崩落した道は、無理に川へ降りることが出来ても、這い上がるのが困難なのだ。足を踏ん張っても、足元がどんどん滑り、崩れて、我ながら必死の形相で、木にしがみつき、這い上がる羽目になる。ようやくつかんだ岩の隙間から蜂やマムシ君が出てきたら、誰も居ない沢に僕の悲鳴が響き渡ることになる。(その後の事は想像もできない)

今回は用意万端、4巻のロープをフルにつなぎ、ずるずると川に降りる。川の水も少なかったが、それなりの写真も撮れ、自己満足。見上げると若葉が美しい。緑の星が枝に幾重にも重なり合い、見えない風に揺れている。足元には無音の川の流れ。三脚を流れの中で立て、スローシャッターで時間を切りとる。このひと時、自分だけの贅沢な時間。気が付くと2時間半も経っていた。帰りもロープをつかみそんな特別な場所から体を引き上げ、日常の時に帰還する。樅木のつり橋の草原で遅い昼食。その後、国見岳への林道の下見、(横にも素敵な川が流れている!)久連子散策も検討したが、何事も用心が大事と、これまでなら突っ走る自分の気持ちにブレーキをかける。(来年の10月まで運転禁止の身)

今年の春は、烏帽子岳の石楠花、白鳥山の芍薬を訪ねて山歩きも良かったけど、また来年にしよう。次のチャンスは6月、それまでは我慢の日々なのだ。五家荘の山は、雨もいい。もちろん、大雨は嫌だが、小雨に濡れながら山の道をとぼとぼ歩くのも僕は楽しい。雨に洗われて洗われて、山の緑が濃くなる息吹を感じるのがいいのだ。

念願のクマガヤソウの写真も某所で撮影できて本当に幸運だった。(クマガヤさんにはもう会えないと思っていたので、良かった)二本杉の東山本店で、フキの佃煮やら、味噌やらも買えて良かった。運転を無理にお願いした家人に、「今日は母の日なのに」と感謝の意を伝えると、「今日は子供の日」と言われ、やはり自分の頭のネジは少し壊れていると思った。自宅に着き、樅木のつり橋の手前の茶屋で買った饅頭(きんぴらと、あんこ入りの2種)を頬張って五家荘の美味を噛みしめているうちに、確かに、今日はオジサンが山に遊んでもらった「子供の日」だったなと思い直した。

2019.05.01

山行

実は4月28日の山行が平成最後の山行だった。てっきり年度末の3月31日が平成最後だと勘違いしていた。知人の中でも同様の勘違い者が多数。恥ずかしいのは僕だけではなかった。(苦笑)実際、年号が変わる夜になると世間は想像以上のお祭り騒ぎで、(まるで2回目の正月!)自然界からみれば、人間どもの空騒ぎは理解不能に違いない。

また家人に無理を言い、海抜ゼロメートルの我が家から標高1,000メートルを超える白鳥山へ向かってもらう。相変わらず五家荘の山は静かで穏やかで深い。ウエノウチ谷の本格的な春到来まで、もう少し時間がかかりそうだ。天然林の若芽はまだ閉じて、谷の緑は枯れた枝でかすんでいる。沢の水は枯れ、岩苔の緑の色も心持沈んで見える。夏には谷をいくつもの緑の団扇のように大きく開いて彩る、羊歯類もまだワラビの時期、岩の上で茶色く毛だらけ、背を丸めたままで、その分登山道も見通しがいい。頭上では、山鳥たちのさえずる声が響く。何を話しているのか。鳥たちの声だけは明るく森に響き、春が本当に嬉しそうだ。

登山道から外れて、斜面で苔むす岩の裏側をこっそり覗きながら歩く。トランプのカードを一枚一枚めくるように。“当たり”がでると、ささやかな花たちの群生が見られてカメラを構える。

山の小さな寄り道は楽しいものだ。(大きな寄り道はつまり、遭難となる)森の尾根の向こうで、鹿の「ピィヨー・ピィヨー」という声がする。道から外れて彷徨う、怪しい人間発見と、仲間うちで合図をしているのか。小さな花たちの写真を撮るためには、這いつくばってカメラを構えなければいけない。道のあちこちで土の上でごろごろしてシャッターを押す。気が付くと1時間は経ったか。この道を頑張って登り詰めると、山シャクヤクの群生地だと、分かっていても、今回は道の途中でトランプのカードを何枚も引く。

登るにつれ、沢の向こうのあちこちで、「ブイ、ブイ」と声が聞こえてくる。イノシシが潜んでいるのかと警戒もするが、それでも沢の奥で、「ブイブイ」と響く声が途絶えない。これではイノシシの群れではないか(まさか!)。勇気を出し、その声を辿り、沢に降りると、そこにはワサビの群生が見られた。緑の苔に沢の雫がしたたり、ワサビの丸い若葉と白い花が濡れた岩肌の上にいくつも咲いていた。声の主はカエルか何か、虫の声なのか。不思議なことに、どこを探しても見つからないし、近づいても声は途切れないままだった。

遅い昼食後、登山再開。しばらく谷を上り、出会いで引き返す。こんなにものんびりすぎる登山者はいないだろう。子供連れの登山者が上から降りてくる。小さな子の元気な声が響く。その後、年配のおじいさんが一人、カメラを首に下げて下山してくる。ワサビの場所を教えてあげると喜んでいた。(ブイブイする声が目印ですよ。)各人各様の白鳥山の早春を楽しむ、一日だった。あと2日で令和時代。

2019.04.02

半年ぶりに五家荘の山に行った。正確には家内の運転で連れて行ってもらったのだが。三角町内しか運転できない者が、いつの間にか、熊本市内の病院まで右折せずに運転できる技術を身に着け、いつの間にか林道の落石を際どくよけながら、ハンドルにかじりつきながらも、五家荘に辿り着けるようになるまで進歩してくれたのだ。これはもう感謝するしかない。(しかし、二本杉の峠はまだ、越えられぬ)

ちょうど山桜の開花もちらほら、今週末~来週頃が一番見頃かもしれない。運良く某所でカタクリの開花も見ることが出来た。冷たい風が吹く林の枯れ葉の中から、恥ずかしそうにうつむきながらピンク色の花びらを開く春の妖精。もう少し日光が当たれば顔も陽に向かい、かすかな妖精の微笑みが見ることができたのだが。また来年会いましょう。

そうして念願の白鳥山へ。去年は5月にシャクヤクの群生を見ることができたが、開花はまだまだ早い。バイケイソウの緑色の葉がちらほら伸びて、枯れた谷を色づけている。今回は予行練習としておこう。登山口で標高1,000メートルは超え、薄着で来たので相当寒い。(去年は尾根の木の根には雪が残っていて酷く寒い目に会ったのに、山の厳しさをすっかり忘れていた)登山口から、ちょっと山道を歩き、すぐに引き返す。足元を見ると苔の間にネコノメソウが咲いていた。はいつくばりカメラを構えると、苔の緑も鮮やかに見え、じわじわと足元から森にも春が来ているのが分かる。

 

枯れた林の奥で美しい鳥の鳴き声が響く。「あの声は今年生まれたばかりの小鳥の声だ」というと、家内が「どうしてそういうことが分かる?」と聞く。何の根拠もないけど僕にはわかる。うちの家の裏山でも夜明け前の朝一番に、野鳥が鳴くのだ。小鳥たちだって春がくるのが嬉しいのだ。生まれたばかりの春。椿や桜の花の美味しい蜜を吸い、喉を潤し、そしてだんだん歌声が上手くなる。

退院後、毎朝僕は自宅2階のベットでその声を聞いていた。すると我が家の猫たちも騒ぎ出し、窓際に飛び乗り、ガラス越しにその鳥たちの姿を追う。カーテンが黒い影で揺れる。

猫にも色々な模様の猫がいるように、「ネコノメソウ」にもいろいろな種類、柄があり、帰宅して花の図鑑で調べていると楽しい。

これからの五家荘の森の山歩きが待ち遠しい。峰越から烏帽子岳又は白鳥山へ。石楠花越から山犬切、七遍巡りへ。ハンドルをしがみつかれながらも愛車、水色のイグニス(スズキ製)号はこれからも森の奥へと進むのだ。

2019.03.24

山行

なかなか身動きできない日々でもある。最近、通勤用のママチャリを買った。JRの新水前寺駅から出水の事務所までぼちぼち漕いで10分の距離である。最初マウンテンバイクを買おうかとも思ったが、周りから馬鹿かと猛反対された。ヘルメットだけはそれなりのデザインで、しかしママチャリに初老の男がヘルメット被って道路を漕ぐ姿は怪しくもある。昨日なんて、目の前の子供連れの自転車がどんどん、僕から逃げて行き、ついつい僕は負けじと追いかけてしまった。

山にまだ行けない分、アマゾンでカメラ雑誌の古書を買う。これまで全然写真の勉強をしたことない僕には、新鮮な情報をたくさん得ることが出来て面白い。五家荘図鑑を販売するに地元の知り合いのカメラマン、カメラ女史にも数冊送ったが反応がない。(長崎書店にも置いてもらった)もともと、みんな友達になりましょう!というオープンな性格でもないので、反応がないのは自業自得なのだ。

カメラ雑誌で面白いのは、結構、議論があることだ。風景写真とは何ぞや?スナップ写真とは何ぞや?(大上段に出れば)趣味の世界でも、過剰に相手を尊敬、ソンタクしましょうという空気、常識ばかり言い、本音が吐けない世界は衰退するのである、保身ばかりで何も新しいものは生まれてこないのだ。

事務所内で、私は「くまモン」の事を害獣呼ばわりし「いのししの駆除の前に熊本から害獣くまモンを駆除しないと、このままでは熊本人は思考停止となる、くまモンの経済効果は大嘘で、大本営発表に騙されるな!」と叫ぶと、1階からデザイナーの岩崎君がすっ飛んできて、「シィッ!聞かれてますよっ!」と止めに来る。「誰にだ!」「誰にって…」「だから誰にだっ!」と首を絞め詰問すると、イワサキ君はしぶしぶ「熊本県民にですっ…」と答えた。「明日から我が事務所は、開店休業となります」「それがどうしたい、至急、デザインしろ、ほら、あの、北海道旅行したことを見せびらかして、車に貼ってある「熊出没注意!」のシールを「くまモン出没注意!」のデザインにしたやつを作れ、そのシールを明日から自転車に貼って俺は町を走る!

…と、いうことで、最近感動したのは動物写真家の宮崎学さんというものすごい写真家の存在で、その宮崎学さんさえ尊敬する、写真家(愛称カメラばあちゃん)の増山たづ子さんの存在なのだ。

増山たづ子さんの故郷、岐阜県徳山村はすでにダムの湖底に沈み、今の日本地図には存在しない。増山さんは、太平洋戦争のビルマのインパール作戦で行方不明になった夫が、もし村に帰還したら、説明のしようがないので、ダムに沈む前の村の姿を写真に撮り残そうと61歳で初めてピッカリコニカを持ち、村の写真を撮り始めた人なのだ。フィルム、電池の入れ方も分からないおばあさんが「この人ともお別れ」「この風景ともこれでお終い」と、涙で曇った目でシャッターを切り、8万枚にも及ぶ写真を残した。

その写真を見た瞬間、冷酷、軽薄無知な僕の瞳も生まれて初めて涙で濡れた。こんな写真は絶対僕には撮れない。一人、一人の村人、老いも若きも、幼子も、山も樹も、鳥も草も花も、風も、季節も、木造の校舎も、犬も猫も、すべて増山さんのカメラに微笑みかけている。その微笑みを、増山さんは泣きながら写真に収めたのだ。

さらに、ダム建設中の村の写真も残している。満開の桜の樹が、重機に挟まれなぎ倒される写真、その瞬間、画面いっぱいにピンク色の花びらが、飛び散り、桜吹雪どころから、桜の血しぶきともいえる写真もある。建設中のダムサイトの岩盤断層にある大地震の亀裂の跡も残されている。

昭和62年、徳山村は地図から消え、増山さんも平成18年に88歳で亡くなった。

徳山村はダム底に消えても、増山さんの写真の中に永遠に存在する。

だから平成の終わる今、僕の記憶の中にも徳山村は存在する。

 

ダムで消えた村は熊本にもある。

だから道の駅に車を停め、村にやってきた人々は、「村はどこかと」あちこち動きながら、広い道路から額に手を当て、遠い山の向こう、川の底を探すのだ。間違っても害獣「くまモン」が飛び降りる、バンジージャンプの方角ではない。

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【増山さんの写真集の挨拶文(一部)】

町の者から見れば、「あんな山の中のどこが良いて」と思うだろうが、私たち(アシラ)には大事な故郷で、お互いに助けあい、物がなければゆずりあい、嫌な仕事でも結(ユイ)いをして、笑って、唄って働きました。生活は貧しくても心は豊かでした。

春は、まだ残雪があるのにブナの新緑、コブシ、桜、桃たちが一斉に咲きだします。あの時期のワクワクした気持ちは町の人には分からんだろうなー。谷辺のところに雪のトンネルが出来て、フキのトウなんか出ていると、「やぁ、お前たちよく寒い冬を頑張ったなー」と思わず話かけたりしました。

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4月には、ようやく五家荘に出かける予定だ。僕にとっては遅い春だが!

 

 

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