熊本県 八代市 泉町(旧泉村) 五家荘
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雑文録

2024.09.25

山行

植物園とは大げさな言い方だけど、五家荘に出かけると、植物との新鮮な出会いがある。山に居る間、小さな自然の植物園の中を、彷徨っている気分になることがある。

わずか、ほんのわずかの数時間…

今夏の夏の大雨で、登山道へ続く林道があちこちで崩壊し、おそらく復旧工事には年単位の期間が必要との悲しい知らせを聞いた。

五家荘の盟主、国見岳なぞ登山口まで続く林道が崩壊し、もう数年は経つ。林道の向こうに民家があるわけではないので修復工事が後回しになるのか、熊本県最高峰の山頂から広々とした九州脊梁の山々の景色を眺めることができない。山野草の宝庫、僕の一番好きな白鳥山への道路も夏前にようやく通行できるようになったのだが、又崩落し、通行が不能になったとの事。

唯一、僕に残されたのはハチケン谷周辺の登山道しかない。ハチケン谷と通じる「京丈山の山頂周辺にトリカブトが咲き始めたという情報を得て、運転役の家人に伝え、二人で山に向かう事になった。

ハチケン谷も過去は大崩落、修復、崩落の繰り返しだったが、近年は林業用の道路として道が平たくなり(もちろん舗装はされてない)、京丈山への登山口へ続く道となった。それでも時々、落石があり、ヒュッ!とこぶし大の石が風を切り、頭上の木々の葉をバサッと揺らす時があるので基本ヘルメットは必要。

いつもはその林道を歩くだけ、登山口でもうヘロヘロになり引き返すのだけど(何をしにきたのか) 今年こそはトリカブトを見に行こうと家人も同行となった。二人とも猛暑の中、すでにふらふらなのだけど。風も吹かず、足元が焼けるように暑い。そしていつものように登山口で力尽き、時は11時。コンビニおにぎりでの昼飯となった。

長い昼食。ようやくおにぎりでエネルギーが補充され、「もう帰ろうか」と言うに、家人は「トリカブトがどうしても見たい」と言う。

「カブトカニが見たい」「カブトガニ?」「トリカブトって何?」登山口の前で、二人の脳内は暑さで沸騰していた。「カブトガニって、海に住む、珍しいカニの事でしょうが!」「トリカブトって、てっきりその仲間かと」「山にカニが棲むのか!」

混乱を避け、議論を避けるため…僕らはすでにパンパンに硬くなった、ふくらはぎをさすり、ヘナヘナの体を起こし立ち上がり、久々に京丈山頂へ向かう事になった。深く暗い杉林の急坂を登り詰め尾根に出ると、右手に杉林、左手に自然林の林が広がる道になった。幾分か涼しくなり足元もしっとり腐葉土で歩きやすくなる。途中、雁俣山からの尾根道の分岐に出て山頂を目指す。

縦走してきた老夫婦と出会う。「もう少しで頂上ですよ」と奥さんが教えてくれる。「ではまた」と旦那さんがハチケン谷に向かう道を降りようとするが奥さんが止める。(男はつい調子に乗り大事な道を間違える)、以前、ハチケン谷からの林道で膝を傷めた苦い思い出があるから、二人は距離が長いけど雁俣山からの道を選んだそうだ。

それから息も絶え絶え、僕らは這いつくばるように山頂を目指す。登るにつれ辺りに苔むした石灰岩の塊が見え始め、怪しい景色に包まれてくる。少しガスが出て来て、周りを白いモヤで包み込み始める。ヒタヒタ迫る、五家荘おなじみの景色。しばらくすると、白いモヤは霧散し、木陰からぼんやり緑の人影が現れ始める。緑人(りょくじん)とも呼ぼうか…頭が突き出て両肩が丸く人影に見える緑人。そして、その肩の間から顔を出す、紫色の花が連なるタンナトリカブトの花の群生。

なんとも妖しく不思議な紫の花々よ。三脚を置きシャッターを切る。調べるに、猛毒「アルカロイド」の持ち主。わずか1グラムでも高い毒性がある。解毒薬はない。耳元でブンブンうなる蜂の羽音。花々を巡回し、長い舌を使い花の奥の蜜を集め、受粉を手伝う「トラマルハナバチ」達。彼らの性格はとても温厚で、何もしなければ、刺すことはないと聞いていた。トラマルハナバチ自体が絶滅危惧種に指定されている地域もある。

そして、更に妖しいのは、そんなトリカブトの高貴な紫の花の群生の中に、希望の星、清楚で柔らかい笑顔のアケボノソウの群生。なんと、奇異な取り合わせ。片や闇の女王、片や夜明けの希望の花、その間に咲く芍薬の熟した赤い実、黒い実の景色。

ピントさえ合えば何とかなる。あーだこうだ、構図を考えて写真を楽しむ余裕はない。圧倒的な存在感のある花々が目の前に咲いているのだ。トリカブトの奇怪な花の塊がいくつも風に揺れて迫ってくる。アケボノソウの星型の花びらが風に揺れ、甘くやさしい囁きで僕を夢の世界に誘う。その時その時、感じた感覚でシャッターを押す。その瞬間が現実と幻想の境界となる。じっくり撮影を楽しむ時間などない。そして家に帰り、撮った写真をあらためて眺め、花々の不思議さ美しさを味わう。

 

結果、京丈山山頂には行かず、その時間を惜しんで幻想世界を眺め帰路に就き、林道を降りる。

すでに、膝や太ももの筋肉がきしむのだが、某所で何か僕を呼ぶ声がする。その声に誘われ茂みを掻き分けると、なんと風に揺れる、ツリフネソウの群生地に出る。ツリフネソウはその名の通り、葉の下に花弁の姿が、船が釣り下がるような姿をしている。正確にはハガクレツリフネソウ…。本州では珍しい花らしい。

 

ツリフネソウは一年草で、独特の生き延び方をする。実が弾け、遠くに飛んで行くらしい。大体、川沿いに咲く花で川が増水したりすると、そのままの場所に根を生やしたら大きな被害を受けるので、あえて遠くに飛んで、落ちたところで根を生やし、花を咲かせる生き方らしい。美しくたくましい、花の旅団よ。

各花、各人、各様…咲き方、生き方があるものだ。

緑人は今日も森に眠る。

 

2024.09.04

山行

毎年毎年、記録的な暑さとエンドレスに話続ける、天気予報のアナウンサー。この人間のふりをした無感情ともいえる話し声の持ち主はご存じAIとやらの仕業なのか。この告知が暑さに拍車をかけるのだな。…深海では水温が急激に下がり続けているという情報もある。

自分でも寝る前に、目が覚めても、枕元のスマホをつい見てしまう。ガラクタ情報の掃きだめ。ここらで、もういい加減に見るのを止めようと決心しないと、残りの人生、噛みあわないピースの寄せ集めで、どんなジグソーパズルの景色が出来るのか。すでに頭の中は誰かの悪意のつぶやきで満たされてしまっている。仏壇に添えられるのは位牌ではなく電源の入らないスマホの黒いガラスの板になるかもしれない。

小説「限りなく透明に近いブルー」。この作品で、夜明け前の一瞬、街が限りなく透明に近い青い色に染まることを知った。(小説は読んで意味がさっぱり分からなかった)確かに下宿の窓の外の町の色が夜明け前、確かに一瞬、町の景色は青く見えたのだ。僕は少し感動した。

ここ数年、流石に60を過ぎて自然に早起きになった。新聞配達のバイクの音が近づいてきて、郵便受けに新聞がコトリと落ちる音が聞こえる頃、カーテンの外を見ると窓の外の景色が限りなく透明に近い青い景色だと気が付くようになった。そして、集落が目覚める前の静かな青い世界で、裏山の向こう、木のとっぺんで、一羽の鳥のさえずる声にも気が付いた。彼女(彼)は、本当に楽しそうに歌い、楽しそうにさえずる。耳をすます。キュルキュル、キュルキュル…、キラリキラキラ。悩ましい1日の始まりがほんの一瞬、その声でこころ救われる気分になる。

これが一番鳥というものなのか。時間が立ち、辺りが明るくなるにつれ、次はカラスのしわがれ声に変わり、漁船の海を渡るエンジン音、トラックの走行音が混じって声は聞こえなくなる。最後はテレビの垂れ流される、今年の暑さは異常と言うエンドレスな天気予報の声。

 

五家荘の山道を歩くと、同じような鳥の声が頭上から聞こえて来る。山は彼らの物だから、人間に何も気をつかう事はない、最初は僕の足音に警戒し、しんと静かだが、僕の姿に慣れてくると、あちこちの木の茂みから歌う声、話す声が聞こえて来る。

僕がどうしても、独りで山に登るのは…そういう小鳥たちの声が聞こえなくなるからだ。集団で山に登ると、折角、自然の声を聴きに来ていても人の声を聴き、世間話に相槌を打っているうちに、何も聞こえなくなる。ところが一人で林道を歩いていると空虚で空騒ぎ、雑念だらけの僕の頭の中が、彼らのさえずりで、ほんのひと時だけ救われる。その為に僕は一人で山を歩くのだ。(運転役の家人は基本、車の中で本を読んでいる)

今年も猛暑の中、五家荘に向かう。目指すは栴檀轟の滝。この滝は、写真を撮るにはなかなか難しい滝でもある。誰もが撮り尽くした景色。夜に星空込みで写真を撮るか、滝つぼのすぐそばまで迫るか、半分、川に浸って水面すれすれでシャッターをきるしかないか…馬鹿な事を考える。(考えるだけで実行しない)

 

 

少し楽しみにしていたのが去年に撮った滝の手前の岩に咲いたギボウシ。残念ながらそこには、ギボウシの姿はなかった。ただ今回は違う岩の横でひっそり咲いている小さな花に会う事が出来た。ぱっと見るに「ネコノメソウ?」か?とも思ったが、フェイスブックのあるグループの人がこの子は「※マルバマンネンクサ」だと教えてくれた。気が付かないところで咲いている一輪の花。ほっと、心が救われる。

※学名は “Sedum makinoi  Maxim.” 牧野万太郎博士が発見した花で学名にもマキノの名が付く。

 

 

さて、山の夜明けの色は青いのだろうか?僕には恥ずかしい過去があり、二度ほど山で夜明けを迎えたことがある。一回目は谷底の岩陰で、もう一回は崩落した林道で。何回、時計を見ても針は進まない。山の夜ははてしなく長く遠い。森の中の暗く重い闇が、僕の体を包み込む。分厚い闇の層からねっとり抜け出せないまま、ようやく眠りに落ちる。日が射し始め向こうの山で一番鳥の声が聞こえる。深い森の夜明け…そこは限りなく透明に近いブルーではなく乳白色。モヤのような白い色で森が包まれ、朝となった。

 

森は不思議なのだ。自分一人だけと思って居ても、誰かが居る。杉林の茂みの暗がり、廃道になり草生した小道の崖の上…白昼の林道を歩いていても、何かを感じる時がある。

最後に尺間神社に立ち寄る。尺間神社は五家荘最後の神秘・迷宮といえる場所だ。すでに急坂の参道は崩落、草におおわれ危険な状態。ふと見るに妖気がしっとり漂う、鳥居横の茂みにたくさんの白い蝶が優雅に舞っている。「白い蝶の群れ!」僕は思わず声を出してしまった。(知人から後で、ムクゲですよと知らされるが)真夏に舞う白い蝶の群れを僕は見たのだ。

 

滝と花の写真を撮りに来たのだが、白い蝶の写真を撮って帰る。

2024.07.24

山行

前回の白鳥山から1か月以上も経ってしまった。山野草の達人Mさんのフェイスブック情報では、「フガクスズムシソウ」やら「ショウキラン」やらの、開花情報が紹介されていたけど、もう間に合わない。それでも、ダメもと、標高ゼロメートルの自宅を出たのが7月20日。(車の運転は町内限定免許ゆえ、家人の都合次第)もう真夏の山なのだ。標高1500メートル近い高地の峰越でも暑い。熱風が吹いている。緑の尾根道をドリーネを目指して歩く。気温がどんどん上がっていく。尾根の途中、ギボウシの着生したブナを見つける。緑の美しい葉を広げ夏空の下、白い茎を伸ばしている。茎の先には白いつぼみ。喜んでいいのか、開花はまだ。このこらが、鈴なりに一斉に開花する景色を想像するのも楽しい。

 

 

写真を撮った後、ドリーネ周辺でヤマホトトギスを探すが、すでに開花は終わり。残念ながら不思議な星の子は開花の時期を終えていた。ホトトギスには「ヤマホトトギス」と「ヤマジノホトトギス」の2種があり、見分けるのは簡単そうで難しいらしい。ユニークな花の形。上から星の形に垂れ下がった雄蕊(?)のスタイルは小さなメリーゴーランドに見える。なんと可愛いことよ。

折角来たのだからと御池あたりをうろつきまわる。数年前に山の守り神、Oさんに教えてもらった「フガクスズムシソウ」の着生したブナの大木が見つからない。(当然だけど…)それでも会いたい一心で森の中の苔むす大木を1本1本、訪ねて歩く。(また道に迷うわけにはいかぬが…)とうとう時間切れ、「ショウキラン」にも会えず失意のまま帰路に就く…。

と、途中のネットで保護された緑の茂みでカメラを構える同年代の夫婦。しばし情報交換するも、僕よりもはるかに山野草に詳しい。話していて己の無知が恥ずかしい。山鹿から来られたらしい。気前よく撮影中の蘭を教えてくれた。頭上の木の枝に咲く蘭の花も。

 

 

そして、フガクスズムシソウの件を話すと、「まだ、あの某所に咲いていますよ」とこれまた気前よく場所を教えてくれた。その某所に行くと、話の通り、ブナの古木に「フガクスズムシソウ」が茶色の花を咲かせていた。ただ暑さに参って元気がなかった…あと2週間、出会うのが早ければ!フガクスズムシソウは激減していて、今や貴重な花なのだ。ネットではスズムシソウ、ギボウシの詳しい写真、花の植生を分析、説明をされているサイトがあるが、今は再会できたことにまず、喜びを感じている。悪運の強い自分。花好きの夫婦に出会えたことは幸運だった。

 

 

何時来ても、五家荘の山には嬉しい出会いがある。もともとひねくれた性格の自分だけど、今回は、素直に出会いを喜ぶ性格の自分であった。

2024.06.11

山行

 

また白鳥山に行く。前回の雑文録にたいそうに「幻視行」なんてタイトル付けたが、その名のごとく、日常でもふんわり幻を視ている気分になった。今回は峰越ではなく、その途中のウエノウチ谷から、谷をさかのぼり御池、白鳥山頂を目指すルートをとった。これも数年ぶり。峰越からのルートは白い霧に包まれるルートだけど、ウエノウチ谷のルートは緑に包まれるルート。これまでの大雨の被害はないかと、恐る恐る沢の道の岩の上を歩く。一旦、谷に入るとそこは一気に新緑の中に体が溶けるような道となる。一瞬で、白鳥山の緑の世界に取り込まれるのだ。見渡す限り自然林の景色がひろがる。白鳥マジック。見あげると若葉と若葉が重なり合い、緑の影を織りなしている。

 

ただ残念なのは、これまでは苔むすブナの大木にはびっしり、緑の苔やギボウシなどの山野草が絡みつき、豊かな森の植生が見られたのに、今回は大風や大雨の影響なのかすっぴん。そういう景色は見られなかった。更に登り続けると、いつも休憩する谷の景色も一変、滝の上の大岩が崩落し、落差のある滝の景色が階段状の岩の落ち込みに変身していた。

しばし休憩、岩の間の小道に登ろうとしたが、緑の谷は一瞬にして白い霧に包まれ、風が吹き、小雨が降り始め雨脚が本降りに代わって来た。体が冷えてくる。このまま、御池まで登り詰めても仕方ない。運転役の家人も寒さで元気がないし、思い切って引き返すことにした。僕は遠距離の車の運転が出来なくなったのだ。不思議な事に、いつも気配を感じる森の神様の住まいが、穴の開いたまま、生気を感じる事が出来なかった。

また夏に来ます、山の神様。足元のタニキキョウだけが沈みがちな僕の心を慰めてくれた。

 

 

2024.06.06

山行

久しぶりに白鳥山に行った。樅木から峰越1480m(峠)を越え、宮崎の椎葉村に向かう車道が崩落し、長らく通行止めになっていたのがようやく解除されたのだ。ただ通行可能になったからと言って、荒れた道が整地されたのはともかく、崩落した場所は簡単な応急措置…というか、ほとんどが赤いコーンを立てただけの放置、ガードレールはだらんと垂れ下がり、谷底まで切り落ちて下を見るとぞっとする。そろり、そろり、なんとか車を山側に寄せて、進入禁止のロープすれすれに回避するような道ばかりなのだ。

白鳥山周辺に群生する芍薬の花の開花情報に誘われ、今年こそはと早起きし、頑張って山に向かった。峰越の登山口から尾根を伝い、芍薬の群生地に向かうルートにする。ところが、下界の天気予報は晴れにもかかわらず、峠に近くなればなるほど尾根には不気味な、もくもくとした濃い白雲が湧き上がり、まさかまさか、峠に着いた時は辺りは暴風と霧に包まていた。

連休でもあり、駐車場にはいくつものテントが張られ、数人の若い男子に出くわした。みんな山の雑誌から出て来たようなおしゃれな格好に半ズボンのいで立ち、ステイックを握りディパックを背負い、笑いながら順番にスタートした。あの格好では絶対寒いと思うのだけど。トレイルランなのか、走っているうちに体も温まると思って居るのだろう。後には、彼らと同じ今風の派手な登山ファッションで固めた老夫婦も続いた。みんなの姿はそうして、しゃわしゃわと湧き出した白い霧に包まれ、あっという間に姿を消した。

峰越登山口から白鳥山への尾根道は、それ程登り下りの激しいルートではなく、登山と言うより、僕にとっては山歩きと言った方が正しい。もちろん、その先の山に向かう人たちは登山なのだろう。天気が良ければ、しっとりとした湿り気のある小道で、歩きにくい岩もなく膝にも優しい。本来ならばこんな楽しい山歩きはないというルートなのだ。しかも、その先には、芍薬の白く清廉で、蓮のつぼみのような美しい群生が待っている。ただ今回のように突然、白い霧に包まれるのも白鳥山で、五家荘の山の中でも人気の山の分、たくさんの踏み跡もあり、その霧に包まれふと、踏み跡からはみ出すと、どれがどの道やら、一気に方角を失い、自分の居場所が分からなくなる危険な山でもある。ぐるりと見回してもうっそとした樹々の茂み、道を塞ぐ倒木の姿がある。白鳥山のやさしく白い鳥達は居なくなり、入れ替わり白い霧達がじわじわ忍び寄ってくる。気温は一気に下がり、風が吹くと、さらに体温が奪われる。7、8年前の5月に訪れた時はブナの木の根にいくつもの積雪があった。

今回久しぶりに歩いていて、尾根筋に根を生やしていたはずの倒木の多さに気が付いた。なんと悲しい事か。以前は巨木のまわりに、たくさんの苔やギボウシ、フガクスズムシソウなどがからまり、珍しい山野草の新芽が見られていたのに、その母なる巨木本体が倒れている姿があった。昔の豊かな森の記憶が、寂しい景色に上書きされる。森の小道を、花々を探して歩き、彷徨う、至福のひと時は過去のものか。海抜ゼロメートルの自宅から、2時間近くかけてやって来たのだから、先を急ぐのはもったいない。岩に腰を下ろし当たりを見渡す時間は僕だけのものにしたい。以前は先ばかり急いで歩いていた自分が、最近の山歩きでは遠くで物音が聞こえる度に立ち止まるようになった。

僕は夢想する。何本ものブナの巨木がもんどり打って倒れる。木々の葉が揺れる、枝がばきばき折れ飛び散る。鳥の黒い影が空に飛び立つ、鹿が跳ね起きる。何体も何体も、森を支える巨人、緑の巣があおむけに倒れて行く。そういう景色は想像できても、何故かその沈む音を聞くことができない。だから耳を澄ますのだろうか。この自然の森も死が近いのだろう。味気ない人工の森が足元まで迫っている。

 

 

峠から先行した老夫婦が引き還して来る。「芍薬はどこですか?」ヤマップのルート図が映る携帯を突き出す。携帯ではこの深山も小さく手の平に乗るサイズ、その地図では数センチで芍薬の群生地に着くはずだ。「あと1時間近くはかかりますが」五家荘で僕に道を聞くのは極めて危険だがね。夫婦は待ちきれず「帰ります」と言って山を下りて行った。

一瞬消えた白い霧が、また湧き上がって来る。白鳥山ではそんな景色が最高の景色でもある。ようやくドリーネの近くまで来る。ドリーネとはサンゴ礁が化石化しすり鉢状にへこんだた地形の名称。水に侵食されて奇岩が付き出したりしている。今は山の中でも古代ではここは海だったのだ。もともとはサンゴの白が、いまは緑の苔におおわれて、白鳥山のドリーネの景色は、巨大な白い像の背骨の群れが重なっているように見える。ドリーネの地形は鍾乳洞とも関係があるらしい。足元では丸く苔むす岩が転がり、小さな丘が出来てその岩々に白い可憐な芍薬の花が顔を出し始める。風が吹き、霧が晴れ、当たりを見渡すといくつもいくつも、両手で丸く手の平を合わせたような花弁が顔を出す、幻のような景色が見える。

柵で保護された、白い巨像のようなドリーネの森が見えて来る。リュックから三脚を出し、カメラを構えシャッターを押す。小道からはみ出し、岩の間に足を踏み入れ、芍薬を追いかけカメラを構える。踏み込んだ足元の枯葉の下に、空洞がありはしないか、時に恐怖を感じる事がある。石灰岩は硬そうでもろい。足を踏み込んで、ごぼっと空洞に落ちはせぬか。とっさにつかんだ岩が崩れ、自分が落ちた穴をふさぎはしないか。深い深い、岩の穴。助けを呼ぼうにも道から外れ、そう誰も気が付くはずはない。ドリーネの下には鍾乳洞がひっそり口を開けているのかもしれない。

 

 

白鳥山は謎の多い山でもある。ドリーネの横の湿地帯は御池と呼ばれ、雨乞いの行われた神聖な土地と言われていた。雨乞いが行われていた当時は今のような湿地ではなく、もっと深い沼地ではなかったか。今は泥で埋まっていても、場所により、深い穴が口を開いてはいまいか。雨乞いの神事は誰が行ったのだろう。椎葉から上がって来た修験者なのだろうか。

古代から神が降臨する場所は、磐座(いわくら)という岩場で、白鳥山の御池の磐座はこの大きなドリーネに注連縄(しめなわ)が張られ、自然の神、雨を降らす神を出迎えたのかもしれない。神秘の山、伝説に満たされた白鳥山。積み重なる歴史の山は昔、蒼い海底だった。

よく語り継がれる言い伝えで熊本側の話では山頂から5本の矢が放たれ、五家荘の地名になったと言われ、宮崎側からすれば、源氏の追っ手から逃れた平家の落人が山頂の白いドリーネの景色を見て、もはやこれまでと諦め自刃したとも言われる。この言い伝えは椎葉山一揆の悲しい伝承とも重なり、山人の暮らしの困難さはかなさを思わずにいられない。

五家荘の山で不思議なのは、国見岳、白鳥山と連なる烏帽子岳も、西の岩の尺間山、更に釈迦院まで修験の跡があるのに、これと言った石仏や摩崖仏の姿が見られない。地形や人口の少なさもあるのだろうけど、そういう仏様の姿は、時の流れに霧散したのだろうか。

気が付くと、足元にざわざわと緑のバイケイソウ群れが攻めて来た。こんな広く大きなバイケイソウの大群落は見たことがない。バイケイソウは、全草に有毒アルカロイドを含有し加熱しても毒は消えず誤食したら命の危険もあるそうだ。気温が上がるとバイケイソウの緑の葉からアルカロイドが発散されるのか、群生地のあたりは命の気配はなく、しんと静まり返っている。

 

 

こんな事を考えながら山に居ると峰越からドリーネまで、普通なら片道1時間少しの道のりを、たっぷり2時間以上かかってしまった。御池から先に進む意思は僕にはない。弁当を食べ帰路に就く。

尾根に倒れ、枯死した巨体の幹にギボウシ(?) の若葉が開いていた。ギボウシは緑の葉の間から茎を伸ばし、白いユリのような可憐な花を咲かせる。僕は山に咲くギボウシの花が大好きなのだ。巨樹の死体に芽生えた緑の若葉。これは希望なのか、絶望なのか。

 

 

2024.04.16

山行

3月末に五家荘の花の写真を撮りに行った。お目当てはカタクリの花なのだけど、満開の写真が撮れるかどうかは運次第。山も本格的な春の到来となる。今年は気候変動の影響か、山桜も満開であったり、すでに散ってしまったり、開花状態が色々。悲しいかな、年来の大雨で山道も荒れ、春になっても山の疲れも取れてない気がして、何か辛い気がする。(そう感じるのは僕だけか…)

今や僕の定番の散歩道はハチケン谷の周辺。時々、石が遠くの崖から音もたてず飛んで来るのでヘルメットは必携。気が付くと頭上の木の枝が揺れている。林に踏み入ると、ヒトリシズカが緑の葉を開き、シズカに開花。岩の影をこっそりのぞくと、コバイモ、ネコノメソウもこっそりと咲いている。左側の崖のむき出しの岩の間に咲く、タチツボスミレと目が合う。今回は何故かスミレの淡い紫色の集団にたくさん出くわした。

たかがスミレと言うなかれ、写真を撮るのと一緒に、その花の性質も調べると面白い。今回あんまりきれいに見えたので、以前買った本をあらためて読む。

 

不思議な事にスミレは2種の花を咲かせるそうなのだ。(全然知らんかったな)今の大きく紫に咲いた花を開放花と言い、いろんな虫を迎え入れ、(新しい遺伝子を得る為)受粉する仕組みになっている。花にある線の模様は蜜に至るルートを示す道標(みちしるべ)ならぬ蜜標と呼ぶそうな。

スミレの2段構えの術。なんと裏技がある。開放花が咲き終えた後、秋遅くまで、地味で目立たない、ストローのような閉鎖花を咲かせる。開放花でいろんな蜂や虫に「いろんな遺伝子、みんな集まれ!」と叫び、生き延びるための強い遺伝子を集め、閉鎖花では手堅く100%受粉し、スミレの遺伝子をキープ。低コストで子孫を残す仕組みになっている。

開放花、閉鎖花、どちらの実も熟すと裂けて、種を弾き飛ばし、実験では最大飛距離2メートル飛んだそうだ。更に更に、種には蟻に運ばせるためにエライオソームという甘い物質をつけ、更に種子を遠くに運んでもらう。植物は移動できないので、色々考えて、自分らが生存する為に、真剣に工夫をしているのだなとその本を読んで改めて感心した。研究者の熱意はすごい。スミレの語源は大工道具の墨入れ。つぼみの形が似ているから。

昔、ギンリュウソウの生態系を研究した人の論文を読んだことがある。その人は光合成をしない銀色透明の銀ちゃんの栄養素を誰が運ぶのか、数年間、這いつくばって研究した。(とんでもないオタク、その人、銀ちゃん以外、友達いないだろうな、多分)

…さて、肝心の「カタクリ」の花

 

 

某所で何とか撮影できたけど、カタクリの生態も不思議…というか、カタクリは耐えに耐えて、暗い木陰に花を咲かせるのだなと感心した。カタクリは春の妖精とも言われ、他の植物が開花する前に花を咲かせ光合成し、実が熟すと葉は溶け消え、種と球根が次の年の春まで地中でひっそり眠って過ごす。短期の光合成ではキチンと成長するには大変で、種から芽生えたカタクリの最初の葉は糸のような葉。翌年は少し広めの葉を広げ、球根にでんぷんを蓄え、7,8年後、ようやく葉を2枚だし開花するそうだ。(と、いうことはカタクリの研究者は少なくとも8年は研究を続けたわけだ)

花の中心近くの紫色のMの模様は虫に蜜のありかを示す蜜標。スミレと同じように、種子にはゼリー状の脂肪酸が付いていて、蟻に種子を運んでもらう。そのゼリーが運んでもらうためのオマケだそうだ。今年のカタクリは撮影のタイミングが遅く、ちょっと疲れた顔しか撮影できなかった。

 

カタクリの花園の近くの川沿いの小道を踏み進むと、ヤマメ釣りのフライフイッシングの二人組に会う。川は荒れ、以前ならヤマメが潜んでいた淵もなくなり、苔むす岩も流され、平坦で釣果はなしとの事。二人は山や川が荒れているのに嘆きながらも、川にゴミが不法投棄されている光景を嘆く。こんな小川の奥にゴミを捨てなくてもいいのにね。

 

山から下りて、自宅近くの漁村の海岸の近くの小道をぶらぶらする。海岸も牡蠣殻、漂着したごみ、ペットボトルが異臭を放っている。

その小道の脇には、スミレの花も、もちろんカタクリの花も咲いてはいないが、まだ名も知らない、野草がたくさん咲いていた。小さく尖がった黄色に、丸い紫、朱色に青色の点々の花たちが、春風にゆらゆら揺れている。

有名、無名…花には関係なし。みんな、みんな、花たちに春が来たのだ。

 

※勝手に引用、意訳しました。 参考文献 野に咲く花の生態図鑑 多田多恵子著 筑摩書房

2024.02.28

山行

五家荘の山の番人Oさんの

フェイスブック情報で

久連子(くれこ)の福寿草の開花が始まったよ

との情報があり

2月18日深山に春を告げる

金色の花に会いに行った。

 

頑張って午前中に着き、

這いつくばり、金色の花に

カメラを向けるけど、

何故かみんな機嫌が悪そうだ。

 

この子はどうだろう、この子は?

残念ながら、みんなそっぽを向いて

顔をしかめる。

 

たまに大きく花弁を開いた子もいるが、

顔中、冷たい水滴で覆われ

寒さに青ざめている。

 

花と花の間の、柔らかい土の上を

根を踏まぬようにそっと気を付けて歩く。

 

なかなか満足のいく写真が撮れない。

大体写真は自己満足なのだし、

誰かに喜んでもらうつもりで

写真を撮るわけでないのだけど。

 

小学生の頃、僕は校内の

写生大会でいつも特賞だった。

何故かと言えば、

大人がさぞ喜ぶような絵のかき方を

要領よく覚えたからだ。

 

だから終いには、

絵を書くことが

全然面白くなくなった。

 

先生は聞く、どうしたの?

急に絵が下手になって、

何があったの?

 

だから絵を書くのが

全然、面白くなく、

退屈になったからなのです、先生。

 

(そもそも小学校の6年間が長すぎる…

海沿いの道を2キロとぼとぼ歩いて帰るのだ)

 

結果、こうして下手な写真を撮るのも

自分が満足いくか、いかないかだけなのだ。

 

ただ今回だけは、

どうも花に嫌われているような気がした。

(大げさ) 僕は途方に暮れた。

土の上にへたり込み、ぼんやりする。

たいして動いても居ないのに、何だか疲れた。

 

時計を見るともう11時、昼前ではないか。

そうして、汗を拭い、空を見上げると

谷間にもだんだん明かりがもれてきた。

 

 

やわらかな春の陽ざしが、

久連子の谷、全体に射してくる。

 

ふと足元を見ると、

さっきまで不機嫌だった子が

金色に輝く花となり、

顔をもたげ嬉しそうだ。

 

あちらこちらの花たちも

一斉に光を浴びて輝きだす。

黄色い歓声があちこちで

聞こえる。

 

 

「春植物」と言われる彼らには

今、この瞬間しかないのだ。

 

もうしばらくすると、谷間にも

たくさんの花々、木々が生い茂り養分が奪われる。

 

今のうちに、太陽からの養分をため込まないと

生きてはいけない。

そして地中深く眠りに着く、春の妖精。

 

この花の家族たちは谷にやってきて、

どのくらいの時間が経つのだろうか?

 

 

久連子に来たら、

一緒に寄るのが兵隊さんの像。

 

小さな坂を上った場所に、

日中戦争時、村から出征され

戦士された兵隊さんの姿を形作った

等身大の像が4体ある。

 

これらの像は昭和12年に建立され、

除幕式には村民200名が集まり、

戦果を讃え、死を悼んだと当時の新聞記事。

 

僕が兵隊さんらに会って10年近く。

毎年会う度にみんなの姿はほろほろと、

生まれ故郷の土の上に

零れ落ちて行くようだ。

 

背中の重たい背のう、

もう降ろされてもよいのに。

脇に立てかける銃剣も、刃がぼろぼろ。

それでもすっと背筋を伸ばし、

凛々しい顔で、

真っすぐ前を見つめている。

 

「人影もほとんどなくなりましたが、

今年も久連子の谷に春が来ました。

小さな谷間に、いつものように

金色の花が咲きましたよ。」

 

真昼の静寂。時間がとまる。

 

ふいに、向かいの山から

鹿の声が響き、また時間が動き出す。

 

2023.11.08

山行

 

ほぼ2か月ぶりに五家荘の山を歩いた。紅葉の時期である。カーラジオからは「八代市五家荘地区が今、紅葉の見頃の時期を迎えています」とニュースが流れているが、全然感情が伝わらず、まるでAIの音声のようだ。局アナは、毎年毎年同じ原稿を繰り返し読んでいるだけなのだろう。逆に、AIの方が人間よりも感情的な読み方をすると感じる時がある。

10月に博多で開催されたネットセミナーに参加し、話題のチャットGPTの話を聞く機会があった。(僕のような60を過ぎた老いぼれでも、指一本でパソコンのキーを叩きながら、通販サイトの運用を行っているのだ。)

その会場でチャットGPTの運用の実演をしたのも60近いおじさんだった。そのチャット君のすごいところは画面から何でも出してくれるところなのだ。そのおじさんがパソコンに向かい早口で指示を出す。「街路樹が紅葉した歩道を、若い女性が歩く」と言えば、それらしき女性がその指示通りに、紅葉した並木道を歩いている画像がモニターに出て来る。続けて、そのチャットオヤジが指示を出す。「街路樹の景色を浜辺に変えて、若い女性が歩く画像」と言えば数秒後、美しい浜辺を若い女性が歩いている画像が出て来る。周りのみんなは驚き「おー」と声を出しため息をつく。

だからどうした、と思う。

文章の加工力もすごい。今、僕が書いた文章を、「もっと女性に向けてかわいく書き直せ」「もっとニュース風に書き直せ」「10パターン、いろいろ書き直せ」と指示すれば数秒後、同じ意味の10パターンの書いた文章が表示される。

講演後、その手品師のおじさんの周りには人だかりができた。おじさんは、さも自慢げである。結果、その日の交流会の半分の時間は情報交換という本題から外れ、チャットGPTに乗っ取られてしまった。

 

 

自然の山に行き、どう感じるかは個々人の主観であり、何も感じない人が居てもいいし、どう感じるかは自由、勝手なのだ。僕の山歩きの効用は、頭がすっきりすること。美しい紅葉の景色に感動するより、山の精の澄んだ空気に、気分が落ち着きいやされる…そのことを「感動」と言ってもいい。写真を撮るにも絵葉書のような写真ではなく、そうでない景色を探してしまう。そうでない景色はどこにある?だから急いで登るよりも、出来るだけゆっくり歩き、登る事にしている。

今年の五家荘の山々は、また一段、疲れたように思う。繰り返す大雨、大風、気温差、崩落、川の氾濫…それでも紅葉の景色は美しいのだろうけど、山々は何か疲れているのだ。

いつもと違う、谷沿いの林道を歩くと杉林の奥の荒れた作業路に見慣れぬ赤い花が咲いている。「ホタルブクロ?」それにしては、その鈴のように連なる赤いつぼみは妖しく美しい。口先に水玉模様の重なりが見える。なんとも、虫を惑わしそうな怪しげな紋様。その子の名は「ジギタリス」。和名はキツネノテブクロ。知る人ぞ知る、毒を持った外来種。開花時期は6月前後で、すでに過ぎたはずなのに、今も赤々と花が咲いている。僕は五家荘でジギタリスを初めて見た。

 

 

自然環境の大変化がそうさせたのか。しばらくすると五家荘の森は赤いジキタリスの赤い花で埋め尽くされるのか?山が疲れたからこうなったのか。

嗚呼、そうだ…この景色は博多で見たチャットGTPが制作した、血の通わない継ぎはぎだらけの画像の匂いがする。そんな画像を見て「美しい!自然の景観!」と、みんなの壊れた脳は大きな拍手をするのだろうか。

 

2023.10.05

山行

 

NHKの朝ドラ「らんまん」が終わった。「らんまん」は日本の植物学の基礎を築いた牧野富太郎博士の史実を元に、博士の生涯をドラマ仕立てにした朝ドラなのだ。近年放送された朝ドラの中で、無理をしてストーリーを作らない、押し付けない、素直な内容だった。

 

僕が植物に関心を持ったのは、6年前、五家荘の山に入ってから。五家荘の山で見かける山野草はどうも下界のものとは違う…これは当然のことで標高1500メートルを超える場所に咲く花々と、下界の花々は植生がそもそも違うのだ…しかし五家荘にもツユクサがたくましくも咲いていた。植物音痴の僕は閉校になった小学校の空き地にも咲くツユクサの、丸い二枚の青い花びら、ちょっと化粧きつめの黄色いまぶた、宇宙人のような顔つきにも驚き感動し、カメラのシャッタ―を押していた。そしていつのまにか、町でも山でも、足元に咲くけなげな花たちを好きになった。初めて見る(その存在を知る)花々の事を「らんまん」の主人公、牧野博士と同じ「この子」と呼ぶようになった。「この子」はオタク同士の合言葉のようだ。園芸店で販売されている草花には、今もって何も感じないのだけど。

 

林道を歩いているうちに、気が付く「この子」

登りは全然気が付かなかったのに、帰りには何故がその存在に気が付く「この子」たち。

 

植物の研究者の中では、これまで気が付かなかった花の存在に気が付く事を、「目が合う」と言い方をするそうだ。

 

だんだん慣れてくると、岩の影でひっそり咲いている「この子」と目が合う。

「あー、君はこんなところにいたのか」もちろん返事はない。その花がきっかけにたくさんの群生やキノコを発見することもある。そんなこんなで、僕の山行は時間がかかるようになった。先を急がず、ぼちぼち歩いていると不思議に「この子」達と目が合うようになった。

 

五家荘の山の先輩たちの教えの影響も大きい。ただ、ネット時代の暗黙の了解で、珍しい花の居場所は絶対公開しないようになっている。どこで誰が見ているか分からないのだ。特別に教えてもらった場所はなおさら秘密厳守となる。五家荘の山野草も盗掘が絶たない。「五家荘図鑑」でも最初は花の名前や大まかな撮影場所を表記していたが、思い切って止めた。絶滅が危惧されている花たちは一旦、抜かれると、もう開花しない可能性が高い。気候変動が激しく、ただでさえ花たちの生活環境が厳しくなっていく中、自分の強欲の為に平気で盗掘する輩の無神経さは許せない。

 

春夏秋冬、五家荘の山はいろいろな表情を見せてくれるが、花も同じ。福寿草、カタクリの花ように季節の変わり目のほんのわずかな時期にしか咲かない花も多い。

 

僕が特に好きな花たちというと…

 

・オオヤマレンゲ

初夏の山頂近く。夏の青い空の下、木々の茂みの間から顔を出す、美しく高貴な白い花。大柄で大きな花弁の中から、魅惑的な瞳でじっと見つめられたら、誰もその瞳のとりこになるだろう。

 

 

・セリバオウレン

山の先輩Oさんから教えてもらった雪の結晶のような白い妖精。雪がまだ解けない杉林の暗がりを照らすように、線香花火のような、ちらちらした白い火花が飛び散っている。開花期間は短くなかなか出会う機会がない。

 

 

・アケボノソウ

この花をデザインした自然は天才だ。この水玉模様の造形美と色とりどりのバランスの取れた紋様は素晴らしい。林道を歩いていてふと目が合い、上から覗くとアケボノソウワールドに蜜を吸う蟻たちと彷徨いこむ。

 

 

・キレンゲショウマ

8月の「らんまん」では、キレンゲショウマが紹介されていた。(残念ながら番組は見れなかった) キレンゲショウマは山野草では珍しい黄色の花。硬くつぼんだ親指大の花はいつもうつむいていて、ようやく開花すると蜂がその固いつぼみの中へ入り、受粉する。

今や絶滅危惧種。宮崎県側の某斜面ではネットで保護されているが、僕の知る限り、五家荘ではたった一輪、自生している。これも山で、見知らぬ山人に指を差され、教えてもらった。苔むした倒木の上に、一人(一輪) 黄色い花が咲いている。倒木は斜面に係り、鹿も食べる事の出来ない高さにある。花を教えてくれた人は言った。「たまには、寄り道も面白いよ」

毎年、夏になると僕は決まってその谷に出かけ、キレンゲショウマの無事を確認しに行った。残念ながら、今年の夏は、その谷に向かう林道が崩落し、彼女の姿を見る事が出来なかった。

 

 

・ギボウシ

キレンゲショウマとほぼ同じ時期に開花するのが「ギボウシ」。平地でもギボウシは開花するのだけど、五家荘のギボウシはワイルド。巨木の枝の分かれ目に根を張り、濃い緑の葉を広げた中心からぐーいっと茎を伸ばし、白い花を咲かせる。山のギボウシは足元を探すのではなく、見上げるのだ。森を見上げ、山の神に吸い込まれるのだ。そのたくましさに僕は何時も圧倒された。この子も、一輪のキレンゲショウマと同じ谷に居るので、結果、今年も見る事は出来なかった。

 

 

今年は水害の影響で道路事情が最悪で、残念ながら、これらの花たちと会えない夏だった。仕方がない、時間があるので栴檀の滝に向かう。遊歩道横の川の水量が多く、滝や川の写真を撮ろうと思うが、なかなか思うような写真が撮れない。とうとう滝つぼの近くまで登って来た。滝の細かい飛沫でカメラのレンズもすぐに曇る。真昼なのに誰も居ない。一人ファインダーを覗くと、巨岩の上に一株の「ギボウシ」が咲いていた。滝の風圧に首を揺らしながらも立派な花を咲かせている。

 

 

山の草花はどこにも移動が出来ない。大雨で山が崩れ、川が氾濫しても。足元の土が揺らぎ、土砂もろとも自分の姿も谷底に崩れ落ちても。雨が降らず、日照りが続いても。それでも一輪の花を咲かせている姿がある。

 

一期一会、一輪の花。

 

五家荘の山に足を踏み入れなければ、一生、会う事の出来なかった、この子たち。

僕のこころは「らんまん」ではないが、君たちのおかげで、どんなにいやされたか。

 

最後のシーン。槙野博士がテレビを見ている僕の顔を覗き込み、目が合い、笑顔で

「おまん、誰じゃ?」と聞いて、話は終わる。

 

2023.06.23

山行

 

前回の2023年極私的山開きから、あっという間に時間が経ってしまった。

(6月18日)天気予報は曇りのち晴れ…

これはあくまでも下界の天気予報。朝7時過ぎに家を出て、山に向かえば向かうほど

雨脚は強くなる。重く暗い空…とても晴れそうにない。だが、もともと雨男の自分だし、今の時期なら寒くもない。優しい春の雨と覚悟を決め峠を越える。

例年なら白鳥山に行くところ、林道の復旧にはあと数年かかるとの情報もあり、山に登るのはお休み。写真を撮りに行くのが目的なのだ。たまには川に降りていつもと違うアングルから写真撮影という選択肢もあるけど、流石五家荘。ここぞというポイントにはヤマメ釣りの車が居る。景色が良さそうな川のあちこち、木陰にこっそり、さりげなく停めてある。僕も過去は下手な釣り人だったが、ヤマメにのぼせると、多少の雨でもひたすら竿を降るのだ。そんな時釣り人の背中を見ると(怒りで)白い湯気が出ている時がある。(そう簡単に釣れやしないし、なにしろ漁券が高すぎる。球磨川エリアは1日2千円もする!)

まったく雨も上がる気配もないので、いっそのことと栴檀の滝に向かった。滝の精を浴びるのも良しと思ったのだ。森の中には「フィトンチッド」という木々が発する成分があり、動物のように自由に動くことのできない植物が、自分の身を害虫や有害な細菌から身を護る為に、発生する森の精気の事を言うそうな。その香り成分は、人の気持ちを落ち着かせる効果もあり、森林浴は身も心もリフレッシュさせてくれるとも言われている。

 

 

ただ僕から言わせれば「山の精」とは山に古代から棲む「精霊」の事なのだ。つまり五家荘の山々は間違いなく精霊の棲む山なのだ。

数年前から縄文時代のとりこになった僕は、「忙しい仕事の暇を見て」…ではなく、「暇な会社のスキを見て言い訳を作り」しばし短い旅に出た。2年続けて長野の尖石縄文考古館、井戸尻考古館…更に諏訪大社を回ったのだ。

7年に一度開催される、日本三大奇祭の一つ「御柱祭り」で有名な諏訪大社は、諏訪湖を挟み、本宮、前宮、春宮、秋宮があり、広大な諏訪湖を4本の御柱で囲み結界を結んでいるようにも見える。諏訪大社の祀る神は「タケミナカタのカミ」。実は諏訪大社は縄文時代と深い関係がある。諏訪大社の本当の神は森の精霊、「ミシャグジ」の神なのだ。

縄文時代は今から約1万5000年前に始まり、それから1万年以上も続いた。その1万年の期間は草創期、早期、前期、中期、後期、晩期の6期に区分されている。その長い期間、縄文人は争いもせず、自然の恵みに感謝しながら共生社会を営んできた。森の中で狩りをし、木の実を取り、集落を作り、部族みんなで助け合って暮らしてきた。その暮らしの中で、世界に類を見ない土器・土偶が産まれたのだ。彼らの寿命はおそらく30歳から40歳。遺跡からは生まれた子供の足型を押した焼き物もたくさん出て来た。その足型には穴が開けられ、子供の成長に合わせて住処に飾っていた。(そんな足型が北海道の遺跡からはざくざく出てきている) そんな彼らの神が自然の神「ミシャグジ」の神なのだ。ミシャグジの神の姿は石柱か木偶の姿。日本書紀などで書かれた神が産まれる以前の話。

弥生時代になると、時代は一変。国が出来、貧富の差が出来、人が人を支配し争い領土を奪い合う。これまで海彦、山彦の昔話での物々交換でお互いの気持ちを伝えあう時代から、貨幣が出来て、貨幣が価値を決め集落は発展するが、殺伐とした時代となる。中国大陸から略奪、戦争が始まり人と人が殺し合う。佐賀の吉野ケ里遺跡も当時の遺跡がそのまま。戦で死んだ数えきれない村人の棺桶が地中に埋まったままになっている。僕は去年、初めて現地を見学したが鳥肌が立った。悲しいかな僕には弥生人の争いの姿しか見えてこない。(素人ながら断言…)弥生時代に縄文に勝るような表現の土器、土偶はない。卑弥呼なんぞ、どうでもいい。卑弥呼が死ねば、次の誰かが支配者になるだけ。それがどうしたと思う。

 

 

泉村の村誌によれば、村にも縄文の遺跡があった。乙川遺跡・柿迫坂木遺跡・椎原遺跡・矢山遺跡など。これだけたくさんの数が一つの村内にあるなんて!間違いなく、五家荘の山にもミシャグジ様は居たのだ。だから国見岳の山頂にも祭祀の跡がある。

古代人は時に山頂から山の神、自然の神に祈りを捧げたのだ。縄文関連の本を読むに、ものすごい山奥の山にも縄文人の祈りの跡があり、研究者はその跡は「狩のついでに立ち寄った、ついでの祈りではないか」と思っていたが、研究の結果、彼らはついでに祈ったのではなく、自然への祈りの儀式の為に、敢えて険しい山を登っていた事が分った。

3月に亡くなった音楽家の坂本龍一さんも縄文の大ファンで、「縄文巡礼」という本では、宗教学者の中沢新一氏と日本国内の縄文の史跡や諏訪大社、北は青森、南は奄美まで自然の神を探して巡礼されていた。坂本氏の知識は専門家並みで、中沢氏との会話も深い内容ばかりだった。坂本氏は晩年、自然が奏でる音を録音してみたり雑踏の音にも耳をすまし、作曲の参考にされていた。

まぁそんな事で、僕は滝つぼからのしぶきを浴び、空から雨の雫を受け、森の精霊の中でカメラのシャッターを押した。

濡れた体でのとぼとぼ、ぼとぼとの帰り道、枯れ草を踏み坂道を登ると、行きには気が付かなかった花が、道のわきに一輪咲いていた。この子らの、恥ずかしそうにうつむき花弁を開く姿に、僕は心救われた。山の精のご挨拶なのか。

 

 

坂本龍一さんの魂も、深い森の奥で音の精霊になられたのだな。

 

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