2018.07.16
山行
もともと僕は変な奴なのである。だから山の花々の中でも、変な奴が大好きだ。
僕が若かりし頃、「舞踏」を始めた先輩がいた。夏休みが終わり、その先輩は突然、全裸にスキンヘッド、布切れ一枚をまとい、白塗りで大学のキャンパスに現れた。そしてデビューしたてのバンド「ポリス」の曲をカセットでガンガン鳴らしながら、二人、三人で体をくねくねさせながら舞踏を舞った。その当時、舞踏はどういうものか、明確な定義はなかったが、その不思議なクネクネ踊りが、僕にとっては舞踏だったのだ。そしてその先輩は、「これからは舞踏の世界やで、わいら東京に行き舞踏で一旗あげる」と言い残し、演劇部の機材一式、学校からの予算をすべて横取りし、夜に京都を旅立った。お人よしの僕と石丸君はせっせと先輩の引っ越しを手伝い、頑張って下さいと先輩の乗ったトラックを見送った。
そして翌日、僕はガランとした部室で一人愕然として立ちすくむ石丸君の姿を発見した。石丸曰く「みんな持っていかれよった、何から何まで。すっからかんや。これから芝居(演劇の事)やりたくても、なんもできへん」と泣き言を言った。「部の予算も一円も残ってへん。」僕はハイライトを一本吸い、煙を吐きながら「そら、大変やななぁ」と言うしかなかった。
石丸君はその会話から2年後、その先輩を頼り東京に行き、全裸白塗りで先輩と一緒に全国津々浦々、キャバレー周りをすることになる。(今は東京で古本屋をしている。)去年、久しぶりに舞踏したいと言い出し、その推薦文を書いてくれと言われたが、もちろん断った。
その当時は、夏休み舞踏教室なるものもあって、夏休み、1ヶ月、和歌山の山奥の師匠の稽古場に泊まり込み自給自足、自然の中で舞踏を学ぶのである。(もちろん僕は行かなかった)最後はマッチとナイフだけでサバイバル(戦国自衛隊か!)したり、滝に打たれての修行があるそうだ。(ほとんど逃げ帰ったそうである)・・・そうしてわずかに生き残った者は、恥も外見も捨てることができるようになり、キャバレー周りのメンバーに昇格する。
山中で、そんな舞踏集団に会えたのが去年の夏、ある山の登山道の途中だった。
苔むす木の根の間からニョキニョキ、クネクネと舞踏を舞う花の集団がある。なんとも不思議なかたち、瞑想の森の緑の中でも不似合いなピンク模様。これは山の掟違反ではないかと、僕は心の中で叫び、ニヤリとほくそ笑んだ。全裸、スッポンポンで、顔に紅を差し、一人がこう体を曲げると、隣の一人はこう体をくねらせる・・・。なんと賑やかで饒舌な花の舞。花の名を調べるに「鍾馗欄(しょうきらん)という。※鍾馗蘭は、学名:Yoania japonica)はラン科ショウキラン属の多年草で、葉緑体を持たず菌類に寄生する腐生植物。葉は退化してうろこ状。1週間程度で黒くしおれる。共生により栄養を得ている。
育ち方も何ともユニークなのだ。僕は彼女らの前で膝をついて、夢中でシャッターを切った。舞踏公演、1週間限定。苔や木の葉の中から、ニョキニョキ、クネクネ顔を出し、真夏の森の中で美しく舞う舞踏集団、「愛の家族」。今年もぜひ、その美しい舞いと、彼女らのささやきに耳を澄ましに、山に向かいたいものだ。もともと僕は変な奴なのである。だから変な奴が大好きなのだ。
※あの夏の先輩の舞を僕は中古の8ミリで撮影し、編集し、田舎に持って帰った。そして両親兄弟の前で、ふすまをスクリーンに見立てて上映会を行った。(もちろん、家族全員無言で、凍り付いたようにに何も言わなかった)
※写真は2017年7月撮影のもの