2022.09.19
文化
五家荘に鎮座する国見岳は標1739メートル。熊本県最高峰の山なのだ。熊本県民のほとんどが熊本の最高峰は阿蘇山と思っているが、そうではないし、そもそも阿蘇山という山は存在せず高岳、中岳という山々の総称なのだ。五家荘と同じ烏帽子岳という山もある。ついでに調べていくと、阿蘇には西巌殿寺(さいがんでんじ)という天台宗の寺院があり、古くから阿蘇山修験道の拠点として、九州の天台宗の中で最高位の寺格を持つ寺院だったそうだ。
五家荘の山々にも修験道の山があり、そこらも共通点がある。神仏習合、山の神さんがみんなの暮らしを見守ってくれていたのだし、みんなの気持ちは山の神さんと自然とともにあったのだろう。そして西巌殿寺は釈迦院と同じく、明治政府の廃仏稀釈で廃寺が決まり山伏は還俗(げんぞく)した。※還俗とは、戒律を堅持する僧侶が在俗者・俗人に戻る事。
泉村誌を読むに、国見岳は過去に大々的な調査が行われた。
※昭和62年(1987) 現地を視察した研究者が次のような指摘をした。
山頂にある山形の巨大岩は祭祀の拠点「磐座(いわくら)」とみられる。そして山頂付近の調査で西側の磐座の前に柱の穴らしきくぼみがあり、表土をさぐると、4か所の穴が確認された。
この結果を踏まえて、平成4年(1992年)5月の3日間、その4か所と中心部の穴跡の発掘調査が行われた。
◆調査主体者
国見岳の神籬(ひもろぎ)保存会会長・井伊玄太郎氏 (早稲田大学名誉教授)
保存会事務局 中島和子 (京都精華大学教授)
熊本県文化課、泉村教育委員会、などなどの面々
その後、再調査が平成14年(2002年)7月に行われた。
◆調査主体 NPO古代遺跡研究所 所長 中島和子
調査団 日本考古学協会。山鹿市立博物館長 隈昭志氏の面々
東西南北、深さ、6メートルのトレンチ調査が行われ、
結果は残念ながら、新しい発見はなく、
今後は更なる大々的な調査が求められる…と、書いてあるところで終わり。
…おそらく当時の詳しい調査結果はどこかに保存してあるのだろうが、僕には見る事はできない。
それ以上はネットで、国見岳に関連する情報を深堀りするしかない。
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そもそも※昭和62年(1987) 現地を視察した「研究者」とは誰か?
ついでに言えば、何故その研究者の氏名が記されていないのか?
単純に考えれば、平成4年に調査された、調査主体者の
国見岳の神籬(ひもろぎ)保存会会長・井伊玄太郎氏の事だと思うのだけど。
神籬(ひもろぎ)とは、神道において神社や神棚以外の場所で祭祀を行う場合、
臨時に神を迎えるための依り代となるもの。
国見岳山頂の巨岩を山の神様の代わり「神籬」として、当時の人々は山の神様に祈りを捧げていたのだろう。「神籬」は現代、地鎮祭などで用いられている。ちなみに、国見岳の神籬(ひもろぎ)保存会の情報は、ネットの検索にも出てこない。全国にも国見岳という名の山が多々あり、同名の「国見岳」のネットワークに何か深い意味があるのだろうが、井伊玄太郎教授の書かれた本に国見岳にまつわるものが見当たらない。
さて、次に出てくる方
国見岳の神籬(ひもろぎ)保存会事務局 中島和子(よりこ)氏
中島教授は2回目の調査主体のNPO古代遺跡研究所所長でもある。古代遺跡研究や、磐座についての論文を多数発表されているが、古代遺跡研究所の活動資料はインタ―ネットでは見当たらない。ただ、全国で古代遺跡、縄文についての講演活動をされていて(過去には熊本でも講演されていた)その参加者のブログなどで、多少の研究の内容をつかむことが出来た。
中島氏の略歴には、「古代における政治と祀り」をテーマに日本とアメリカ大陸先住民の古代文化を研究中。九州と六甲山・甲山周辺の磐座(いわくら)を守る運動を起こしていると書かれてある。
磐座(いわくら)とは、「神の鎮座するところ。神の御座」。「そこに神を招いて祭りをした岩石。その存在地は聖域とされた」との意味。
五家荘の国見岳の山頂、巨岩は、つまり磐座、神籬の場、
神の鎮座する場所でもあり、古代から神聖な祀りの場だったのだ。
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◆中島教授の講演の一部(講演を聞いた人のブログの要約)
漢文の古事記では日本語の言霊の真意は書き尽くせない。
(例)天地初発之時 於高天原 成神名 天之御中主神…
と漢文で書かれているが、日本語の言霊では
「あめつち はじめてひらけしとき たかまのはらに なれる
かみのなは あめのみなかぬしのかみ・・・」
つまり、漢文の「天地」は「てんち」てんとちという事なのが、
「あめつち」となると「あ」「め」「つ」「ち」の一つひとつの
言葉に沢山の意味が含まれている。
例えば
「あ」…目に見えない微粒子。宇宙に満ち満ちている。根源。純粋などの意味
「め」…芽。始め。動き。
「つ」…集い。つくる。
「ち」…凝縮。力の根源。
イワクラ…天津神に降りていただく所。だから、天に近い高いところにつくる。
古代の祈りは太陽の光の暖かさに感謝し、自然の恵みが豊かであることに喜び、個人のみでなく全てのものが豊かになるようにという思いがある。それなのに、現代の人間の祈りといえば自己の欲望や自分勝手な願いばかりが多く、神社でもそのような祈願が主流になっていることを中島教授は嘆かれていたようだ。
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磐座について深堀していくと、日本磐座学会というものにたどり着く。学会は全国の磐座についての情報を発信したり、講演活動もある。
フェイスブックも開設され「生きた」情報がどんどん公開されている。国見岳の神籬(ひもろぎ)保存会とは、かすかに道が繋がっているような気がする。
国見岳がきっかけで、インターネットの情報の森の中、又僕は道に迷いつつある。(苦笑)
8月に国見岳での遭難事故があった。無事、救助されて良かったと思う。僕も同じく五家荘の山での遭難経験者だが、五家荘の山は深く、いったん間違って降りたり、落ちたりすると中々引き返せないのが実情なのだ。しかもその時は自分がどこにいるのかも分からなくなる。迷ったときは、その場所に戻るのが鉄則だが、谷底からその場所を見上げるに、そこまで戻るに相当な体力が居るので、そのまま、助かりそうな場所を目指して歩き始める、森の深みにはまるわけだ。
今、国見岳の登山口までの林道は崩壊し、僕の現状では捜索の手伝いに行くにも登山口までの林道の途中で体力が切れ、うずくまり、捜索メンバーから保護されるのも恥ずかしいので、捜索には参加出来なかった。つまり遭難された方の無事を祈るしかなかった。
8月の末に、たまたま坂本村で山好きの老齢の方と出会い、五家荘の山の話題になった。その方は数10年も前に国見岳に登った事があり、友人が山頂近くで遭難されたそうだ、友人は1日かかり谷底から這い上がり助かったそうだが、その時の国見岳の山頂は今の展望のいい山頂とは違い、うっそうとした森だったそうだ。今の五家荘は強風で尾根の樹々も倒れ、見晴らしもよくなったが、当時は深い森だったのかもしれない。その森の中に磐座は鎮座されていたのだ。国見岳で執り行われた神籬の儀式の景色を想像する。
中島教授の指摘の通り、現在の社寺、宗教で、人は物欲まみれの祈願ばかりで、逆に神も仏様も逃げ出してしまっているようだ。
古来、日本人は自然の山や岩、木、海などに神が宿っていると信じ、信仰の対象としてきた。古代の神道では神社を建てて社殿の中に神を祀るのではなく、祭りの時はその時々に神を招いて執り行った。その祭りのシンボルが今も国見岳に残っているのは、何ともこころ強いではないか。
もう、めったに山頂まではいけないが、山道を歩いていて見つける石ころでも、神が居ると信じたら、それが神と信じたいと僕は思いたい。それだけで古代の神と人と、交信できる気がする。
家で寝ていて、国見岳で執り行われた神籬の儀式の景色を想像すると、ぽっかり天井が開き、山の夜空が広がる幻想を一人、見る。