熊本県 八代市 泉町(旧泉村) 五家荘
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雑文録

2019.03.24

山行

なかなか身動きできない日々でもある。最近、通勤用のママチャリを買った。JRの新水前寺駅から出水の事務所までぼちぼち漕いで10分の距離である。最初マウンテンバイクを買おうかとも思ったが、周りから馬鹿かと猛反対された。ヘルメットだけはそれなりのデザインで、しかしママチャリに初老の男がヘルメット被って道路を漕ぐ姿は怪しくもある。昨日なんて、目の前の子供連れの自転車がどんどん、僕から逃げて行き、ついつい僕は負けじと追いかけてしまった。

山にまだ行けない分、アマゾンでカメラ雑誌の古書を買う。これまで全然写真の勉強をしたことない僕には、新鮮な情報をたくさん得ることが出来て面白い。五家荘図鑑を販売するに地元の知り合いのカメラマン、カメラ女史にも数冊送ったが反応がない。(長崎書店にも置いてもらった)もともと、みんな友達になりましょう!というオープンな性格でもないので、反応がないのは自業自得なのだ。

カメラ雑誌で面白いのは、結構、議論があることだ。風景写真とは何ぞや?スナップ写真とは何ぞや?(大上段に出れば)趣味の世界でも、過剰に相手を尊敬、ソンタクしましょうという空気、常識ばかり言い、本音が吐けない世界は衰退するのである、保身ばかりで何も新しいものは生まれてこないのだ。

事務所内で、私は「くまモン」の事を害獣呼ばわりし「いのししの駆除の前に熊本から害獣くまモンを駆除しないと、このままでは熊本人は思考停止となる、くまモンの経済効果は大嘘で、大本営発表に騙されるな!」と叫ぶと、1階からデザイナーの岩崎君がすっ飛んできて、「シィッ!聞かれてますよっ!」と止めに来る。「誰にだ!」「誰にって…」「だから誰にだっ!」と首を絞め詰問すると、イワサキ君はしぶしぶ「熊本県民にですっ…」と答えた。「明日から我が事務所は、開店休業となります」「それがどうしたい、至急、デザインしろ、ほら、あの、北海道旅行したことを見せびらかして、車に貼ってある「熊出没注意!」のシールを「くまモン出没注意!」のデザインにしたやつを作れ、そのシールを明日から自転車に貼って俺は町を走る!

…と、いうことで、最近感動したのは動物写真家の宮崎学さんというものすごい写真家の存在で、その宮崎学さんさえ尊敬する、写真家(愛称カメラばあちゃん)の増山たづ子さんの存在なのだ。

増山たづ子さんの故郷、岐阜県徳山村はすでにダムの湖底に沈み、今の日本地図には存在しない。増山さんは、太平洋戦争のビルマのインパール作戦で行方不明になった夫が、もし村に帰還したら、説明のしようがないので、ダムに沈む前の村の姿を写真に撮り残そうと61歳で初めてピッカリコニカを持ち、村の写真を撮り始めた人なのだ。フィルム、電池の入れ方も分からないおばあさんが「この人ともお別れ」「この風景ともこれでお終い」と、涙で曇った目でシャッターを切り、8万枚にも及ぶ写真を残した。

その写真を見た瞬間、冷酷、軽薄無知な僕の瞳も生まれて初めて涙で濡れた。こんな写真は絶対僕には撮れない。一人、一人の村人、老いも若きも、幼子も、山も樹も、鳥も草も花も、風も、季節も、木造の校舎も、犬も猫も、すべて増山さんのカメラに微笑みかけている。その微笑みを、増山さんは泣きながら写真に収めたのだ。

さらに、ダム建設中の村の写真も残している。満開の桜の樹が、重機に挟まれなぎ倒される写真、その瞬間、画面いっぱいにピンク色の花びらが、飛び散り、桜吹雪どころから、桜の血しぶきともいえる写真もある。建設中のダムサイトの岩盤断層にある大地震の亀裂の跡も残されている。

昭和62年、徳山村は地図から消え、増山さんも平成18年に88歳で亡くなった。

徳山村はダム底に消えても、増山さんの写真の中に永遠に存在する。

だから平成の終わる今、僕の記憶の中にも徳山村は存在する。

 

ダムで消えた村は熊本にもある。

だから道の駅に車を停め、村にやってきた人々は、「村はどこかと」あちこち動きながら、広い道路から額に手を当て、遠い山の向こう、川の底を探すのだ。間違っても害獣「くまモン」が飛び降りる、バンジージャンプの方角ではない。

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【増山さんの写真集の挨拶文(一部)】

町の者から見れば、「あんな山の中のどこが良いて」と思うだろうが、私たち(アシラ)には大事な故郷で、お互いに助けあい、物がなければゆずりあい、嫌な仕事でも結(ユイ)いをして、笑って、唄って働きました。生活は貧しくても心は豊かでした。

春は、まだ残雪があるのにブナの新緑、コブシ、桜、桃たちが一斉に咲きだします。あの時期のワクワクした気持ちは町の人には分からんだろうなー。谷辺のところに雪のトンネルが出来て、フキのトウなんか出ていると、「やぁ、お前たちよく寒い冬を頑張ったなー」と思わず話かけたりしました。

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4月には、ようやく五家荘に出かける予定だ。僕にとっては遅い春だが!

 

 

2019.02.21

山行

我が海抜ゼロメートルの猫屋敷にも少しずつ春がやってきた。春一番が吹いてもまだ朝夕の冷え込みが厳しい時があり、当分山に行けそうもない。そんな時間は、泉村誌のページの小道を彷徨うしかない。年末だか(もう記憶にない)テレビで「九州自然遺産」という番組で五家荘の特集を放送していた。もちろん登山道整備プロジジェクトの活動も紹介され、神楽あり、久連子踊りあり、盛りだくさんの内容だった。(森の紹介から、途中で山村過疎地リポートの内容に変更されていたように思えたのだけど。)

山女魚荘の親父さんも出てこられ、山女魚荘ならではの料理が紹介されていた。親父さんがぶらぶら裏山を歩くたびに、山菜が山盛り採れ、インタビュアーも驚いていたが、親父さん曰く「昔はもっとすごかったばい」「今は杉林になってから山菜も大分、少なか」とか言っていたように思う。要するに自然林から植林に変わると、こうも山の植生、形態が変わるものなのだろう。気が付いているのは親父さんだけ。

日本の森林の場合、国土の3分の2は森林で世界的にもその比率はとトップクラスとのこと、しかし原生林は森林全体の2.3%くらいで微々たるものだそうだ。55%近くが人間が手を入れた後に放置された森林で一般に自然林、天然林と呼ばれ、残りの41%の森は杉やヒノキの人工林、育成林と呼ばれる。

平成17年に発行された、泉村誌には、五家荘の森は世界遺産に登録された白神山地に引けをとらないブナ林、森だとも記述されているけど、さて今はどうか。当時の地元の人々の暮らしの為に、植林は必要だったろうし、もちろん森は生きているわけで、完全復活は無理だとしても、森の復活の種をまくことは出来る。

たとえは極端だけど、森は都会を模倣した地方によくある無国籍の取り返しのつかないシャッター商店街になるわけではない。しかし自然でも取り返しのつかない例もある。南阿蘇村の一心行の大桜の哀れな姿を見よ。昔は、道に迷いながら汗をかいて辿ったあぜ道の向こう、菜の花畑の間に薄桃色に花を広げた一本の大きな桜の古木の感動的な景色があったのだけど、今はまさに人口林、単なる桜公園に姿に改造され、ニセの感動を押し付ける記念撮影の場所に成り下がってしまった。

福寿草の時期が終わると、しばらくすると、カタクリの開花の時期が来る。福寿草もカタクリも「春植物」と言われ、花の寿命は一週間前後、周りの樹々の葉が茂って林床が暗くなる5月の半ばまで大急ぎで光合成を行い、その栄養を地下部に蓄え、翌年まで眠りにつくそうだ。別名、春の妖精、季節を渡り歩く妖精たちとも呼ばれているそうだ。

僕は残念ながらいつもカタクリの開花のタイミングを外してしまう。雁俣山のカタクリの写真を撮ろうと、あの丸太の直登も我慢するのだけど、毎回、どこをどう撮っても蕾で、泣く泣く帰路に就くのだ。途中、他の登山者が「昔は当たり一面、カタクリの花だらけだったばい」とつぶやくのを聞き、今度こそはと毎回挑戦するのだけど仕方ない。鹿の食害も影響するのか、バイケイソウの緑のかたまりがなんとも恨めしい!「春の妖精」の姿を求めて霧の中をうろつく僕の姿は、我ながら「春の亡霊」と呼びましょう。

春の亡霊、山に行けなくても頭の中は忙しい。別件で和製アロマ(精油)の資料を見ていたら、山女魚荘の親父さんが玄関先の囲炉裏端で、山の話を語りながら、プレゼント用に小刀でつくられているクロモジの爪楊枝があるのだけど、そのクロモジは「リナロール」というとても貴重な成分を含んでいる。(東京農大の成分分析による)リナロールは大腸菌、サルモネラ菌、黒カビ菌をはねのける力がある。

クロモジの歴史は長く、「茶道」とも深い関りがあり、あの千利休も豊臣秀吉にお茶とともに庭に植えたクロモジの木を小刀で刻み、和菓子に添えて進めた言われもあるそうだ。香りは沈静効果もある。茶室に漂う森の香り。

去年の夏、いろいろ思い立ち、事務所の面々の呆れ顔を無視し台風の中、車を運転、佐賀市内の某工房へ行き、体験学習に臨んだ。その体験とは水蒸気蒸留法で、クスノキの仲間「ホウショウ」の葉から精油を抽出するものだった。抽出の仕組みは単純、1時間でわずか、数ミリの精油ができた。今もその香りで仕事場の机の上で気分が舞い上がったら、気分を落ち着かせる日々なのだ。香りとともによみがえる、若い女性の講師が僕にマンツーマンで丁寧に教えてくれるあの姿よ。

正確に言えば、純粋な精油は化学成分「カルキ」を含んだ水道水ではできない。清流川辺川の水で、クロモジの精油を作る夢を見る、春の亡霊の僕でもある。3月にはいよいよ山へ、春の香りを嗅ぎに行く。

2018.12.24

山行

五家荘図鑑(写真集が)ようやく完成!しかし、前回の雑文録で「アマゾン」で世界同時販売と大風呂敷を広げたけど、自分のミスで販売は延期となりました。熊本では書店に販売の相談をすればいいのだけど、車での移動が出来ず、時間がかかるので当分無理です。

10月の症候性てんかん発作の影響で、数字や記号の見落とし多数。以前ならわずか数分で商品登録、販売もできたのに、いきなりJANコードの登録ミス。現在アマゾンさんに改善策を相談している状況。販売前に、これまでお世話になった方々に郵送させてもらった。最近は右手が軽くしびれて、握力も落ち、もともと下手な字が丸くやる気のないもやもやした字になり自分でも笑ってしまう。まっくろクロスケが紙の上で溶けてしまっている。(苦笑)

これから五家荘は厳冬期を迎える。OさんやMさんのフェイスブックでは山の樹氷、霧氷登山の誘いが増えてきた。チェーン必携、「滑ったら、崖に車ば当てて、止まんなっせ!」と言うのが地元の人の“リアルでやさしい助言”なのだが、それでも車が止まりそうにない場合はどうするか、シートベルトを外し、運転席を半ドアにして、いつでも飛び出せるようにして、そろりそろり運転するしかない。あと口笛を吹いて気持ちを落ち着かせるとか。経験者は語る。

これまで何度、口笛を吹いたことか。思い出すのは2017年の2月。厳冬期の栴檀轟の滝の写真を撮るなら今しかないと、決心して家を出る(おバカ男子。)五木村を過ぎた頃から猛吹雪で、広く舗装された林道もアイスバーンに一変。かじかむ手でチェーンを巻きながら、雪道を進む。左座家の前の駐車場に愛車白鳥(しらとり)号を停め様子を見る。藁ぶきの屋根にも雪が積もり、年に数回の大雪だ。

普通ならそこで引き返すのが正論だが、雪の積もった坂道に残るかすかな車の轍の跡を見て、運転を強行。その轍のあとをたどって行けば、栴檀轟の滝を川沿いに登る、山道に出れるはずだ。道脇に白鳥号を停め、バックと三脚を背負い、錆びた鉄の橋を渡り、雪の積った道を登る。よくぞ、ここまで来れたなと思う。心の中で「撮り終えたらさっさと帰ろうよ」という急かす声が響く。「折角来れたから、もうちょっと粘って撮って帰ろう」という声もする。そんな半端な気持ちの僕の頭の上に雪がドサッと落ちる。山道はシンとした音もない白い景色。ゴワッゴワッと雪を踏みしめながら、滝に向かう。途中凍り付き、岩に氷柱が下がった小川に降りて、カメラバックを降ろす。滝はもちろん、こんな景色も撮らねば、来た意味がない。

また、心の中に声が聞こえる。「撮り終えたらさっさと帰ろうよ、もうやばい!帰りに雪が積もったら帰れない!」という声。「折角来たからもうちょっと、そん時は、そん時ばい!」という声もする。

何か所か場所を物色して、大きな岩の下の窪みに最初のポイントを決める。「しかし、ここまでやる馬鹿はおらんよなぁ。なんで、ここまでするのか。」「今しか、ないけんたい。こんな景色は1年に1回あるかないか。今しか、チャンスはなかけんたい。あとで悔やむより、今を選ばないかん。」シャッターの音とともにときめく、こころ。

こんな時、こんな場所にいる馬鹿は僕だけと、岩の下に降りようとする、と、バサバサっと音がする。「いのしし君か!」と、どきりとするが、なんとその岩の陰に、体を丸めて雪に埋まりながらカメラを構えている男子が居たのだ。厳冬期、おバカ男子がもう一人。

馬鹿同士、「こんにちは」の会話しか交わさない。せめて、お互い名を名乗れば良かった。今になって悔やむが、お互い根暗同士、仕方がないのだ。(友達になれたかもしれないのに)

結局、その川の写真はあとで撮ることにして、滝の写真を先に撮ることにする。

栴檀の滝は真冬でも勢いがあり、気温の影響もあるのか、凍結せずに、いつもどおり勢いよく水が噴き出している。望遠レンズを忘れた僕は、滝の写真は正面しか撮りようがない。

その後来た道を引き返し、岩陰から、氷柱の下がった川の写真を数枚撮り、車に戻る。出会ったカメラマン氏は居なかった。(さて、どこに行ったのだ?)

心の中の声。「さっさと帰ろう、もうやばい!今まで運が良かっただけだぞ!」「分かった分かった、もう帰ろう。」と分裂症の僕の心の声は一致した。

帰りも口笛を吹く(佐野元春)。ゴワゴワと音をたてながら、恐る恐る、凍結した長い林道をくだる。間違ってブレーキを踏んだらいけない。もちろん、アクセルも急に踏むな!

五木までくるとほとんど雪もなく、ほっとひと安心。雪の栴檀轟の滝は当分よかろう。僕は本当に運が良いのだろう。山の神様に感謝。

雪の積もった五家荘の山を楽しむ「フットパス・ツァープラン」があれば楽しいのにと思う。(一番の難点は何時、雪が降り、積もるのか予測できない事)

チェーンを外し、大通り峠のトンネルを抜けると、僕と白鳥号を待っていたのは、見事な白銀、テラテラと路面が青く光り、凍てつく、夕空へ向かう、オリンピックのジャンプ競技台のような長く曲がるループ橋の景色だった。(過去に橋のコンクリートの壁に「当たって停まる車」を数台見たことがある!)余りの恐怖に喉が枯れ、口笛どころではなかった!

2018.12.02

山行

待望の写真集「五家荘図鑑」が間もなく発売!僕のてんかん発症事件もあり、予定より、一か月遅れになったけど、いよいよ12月中旬に世界同時販売となります!価格も予定より100円値上がりして(なんでやねん?)税込み950円。しかし、全国送料無料!「世界同時販売」(!)とはなんとほら吹きなと言う人あれど、堂々「アマゾン」での販売なのであります。※海外に発送する方法がないので、当面は国内だけ。

うちの老いた母は「アマゾン」と聞くと今もって、南米のアマゾン川から荷物が付くか、どこかの麻薬組織から危ないものを送り付けられていると半分信じている(苦笑)。実はアマゾンで本や物を売るのは簡単で、画像さえあれば、誰でも10分程度で出店ができるからすごいのである。友人知人の古本屋が息を吹き返したのも、アマゾンやネット販売で出店できたからであり、逆に、小規模の電気店を廃店に追いやった大手の電器量販店を苦境においやったのもアマゾンである。

世界同時販売と言って「誰にも知られないくせに」というなかれ、実は五家荘図鑑の事は、熊本、地元の人が誰も知らないくせに、世界中の人に知られているのである。証拠を見せろと言う人には証拠を見せることが出来る。僕の友人、O氏は熊本で知る人ぞ知る、ネット分析士であり、そのO氏に五家荘図鑑のホームページのサイトを分析出来るように「グーグルアナリティクス」を設置してもらったのだ。ネット関係者でアナリティクスの事を知らない人はいない。グーグルの無料、アクセス解析ツールで、そのサイトへの訪問者を詳しく分析することが出来る(個人の特定はできない)

ちなみに、今年11月1日~30日までの期間の五家荘図鑑の来訪者の累計は日本から368名、ロシア31名、アメリカ15名、香港1名、インドネシア1名、タイ1名なのだ。閲覧時間も計算され、アメリカ、タイはゼロなので、勘違いの来訪者で、他の国からはそこそこ見てもらっている。更にすごいのは各国の閲覧者の見ている都市名も数値化されている。日本では熊本市、八代市が一番多く、東京、大阪、神奈川と続く。(孤独なネット遊民者の僕は深夜一人、それを見てほくそ笑む)グーグルは誰も知らないところで、そんな作業をしているのだ。

年間にしたらその12倍の人々が居るわけで、しかも写真集だから、言葉が読めなくてもその雰囲気だけでもわかってもらえて、世界同時販売は半分嘘ではなくなるのだ。インターネットの世界はすごいと言うか(普段、僕はフェイスブックも開設しているものの、ネットでも「いいね恐怖症」「人見知り」で、友人は増やせない。コメントの追加もほとんどしない。)ネットはそんな性格の僕でも使い方次第で知らない者同士が通じ合う道具にもなり、趣味や仕事の可能性が少し開けるのだ。

で、なんでロシアの人が五家荘の事を知ったかだけど(プーチンに五家荘侵略の意図はなかろう)、これまでヨーロッパからの来訪者も多かったが、その理由はふとしたことで夏に判明した。たまたま熊本市や、八代市の特産品の海外向けの商品開発やコンサルをしている福岡のバイヤーKさんと知り合ったのだが、Kさん曰く、五家荘の特産品を海外に売り込む時に、僕の五家荘図鑑を見せながら、こんな山奥で出来た商品ということで僕の五家荘図鑑のサイトを合わせて紹介しているとのことなのだ。つまりKさんが海外の会社に紹介するたびに、僕のサイトにはその分、海外のアクセスが増えるわけなのだ。気さくな性格のKさん。「五家荘図鑑」が彼の仕事の役にたてば幸いだ。樅木川の景色は、アマゾン川に流れこむなり。インターネットは何が起こるか分からないものだ。そもそも図鑑の編集・デザインを依頼した熊本市の編集事務所のHさんを知るきっかけも、ネットで調べて依頼したからなのだ。そして素晴らしい本に仕上げてくれた。感謝!

※五家荘図鑑(A4横・全40ページ・オールカラー!)

2018.10.30

山行

2月のクモ膜下出血時、集中治療室のベットの上、僕の開頭手術は2日後になり、時間つぶしに家人がテレビをレンタルしてくれた。点滴だのいろいろな治療具やチューブが下がるわずかな隙間、レンタルしてくれたテレビの画面は僕の左の頭の真横にあった。何を見るか、基本NHKしか見ないので、たまたまつけた番組がタモリと芸人作家の又吉直樹氏が人間の脳内を探索するものだった。スタジオには脳内を模したセットが作られていて、その模様はまるでうっそうとしたジャングルだった。至る所に樹々が生い茂り、二人の頭上には様々な蔦や枝が絡まり、まっすぐ歩くこともできない。それが脳の血管や神経なのだ。そんな二人の背後から雷鳴が響き、フラッシュのような赤い灯、青い灯が瞬間明滅する。解説ではその光の明滅が、人の脳にアイデァがひらめいた時の光景だそうだ。作家の又吉氏の脳裏に物語がひらめくと、氏の脳内の神経の森にはいくつも光が明滅するのだ。

なんと皮肉な番組か、2日後、僕の額の右の頭蓋骨は丸く開頭され、血だらけの脳の中から、丸く大きく膨らんだ二つの動脈瘤の首がつまみ出され、三か所チタンのクリップで止められ、また閉じられたのだ。10時間にも及ぶ手術は成功し、奇跡的に僕の体は起き上がり、点滴を下げながら、ゆらゆら病院内をうろつき回った。それから1か月後、僕は熊本市内の病院を退院し、故郷の海を臨む丘の上の病院に転院し、リハビリを1ヶ月終えて、また日常生活に戻った。周りのみんなはそんな僕を温かく迎え入れ、口をそろえて「無理をしないように」と諫めた。命拾いをした僕だが、どこまでが無理で、無理でないか分からない。いつのまにか、これまで通り車を運転し、五家荘の山に向かい、酸欠で急坂は登れないにしても、何とか山歩きはできて、これまでもたくさんの美しい花々と出会うことができた。

そして11月。五家荘の山々が最も色付く最高の季節となる。五家荘図鑑の写真集の基礎作りも終わり、あと半月で完成する予定で、写真の整理を依頼していたJスタジオの徳永さんの事務所を出る時だった。僕は左頬の筋肉が固くなり、顔が崩れるのを感じ、その場で全身硬直し、倒れた。頭の上で徳永さんが「救急車!」と叫ぶ声が何度か聞こえた。

診断はクモ膜下の傷が原因だろうか、「てんかん」だった。てんかんの強直発作は発作の中でも一番激しく、脳には電気が流れているが、強直発作は脳全体の神経細胞のスイッチが一斉にオンとなり、過剰な興奮状態で意識が無くなり、体のコントロールも効かない状態になるとのことだそうだ。

悲しいかな、これから2年間は僕は車の運転は禁止となる。そしててんかんを抑える薬を飲み続ける必要もある。僕の脳は手術前のテレビの場面のように、いったんスイッチが入ると、脳神経の茂みの中には雷鳴が響き渡り、土砂降りの雨のぬかるみ状態となるのだ。往復2時間の通勤時間、何が起こるか分からない。まぁ、生きているだけで幸運と言うべきか、去年の遭難騒ぎから僕は3回も命拾いをして、今度は他人に迷惑をかける事は避けなければならない。

僕はベットに体を横たえ、ある谷の景色を思い出す。夏の日、苔むした流木の上に生い茂る緑の茂みの中に、僕は黄色い花弁の花を見つけた。今や希少となった、キレンゲショウマの花が二つ。峠の下にはネットで保護された群生地があるけど、自然の森の中のキレンゲショウマの花を見るのは初めてだ。僕は写真を撮るため、流木を抱きしめよじ登り、泥だらけでそっと這い上がり、無理な姿勢でシャッターを切った。翌週、僕はまた同じ森の中に居た。盗掘されていませんように。鹿に食べられていませんように。

黄色い蕾はすでに開花し、花びらが二組、緑の苔の上に散っている。僕はそっと指先で拾い上げる。周りをみると、そばにはまだ、青い蕾がある。緑の森で開花する天然のフェルトのようなキレンゲショウマの花の開花をどうしてもカメラに収めたい。純白ではない、純黄のやさしい花びら。僕は2年後、五家荘の山で、その蕾を探すだろう。雷鳴が鳴ろうが、雨が降ろうが、森で迷うことはない。そこは僕の秘密の場所なのだ。

※ぼくがてんかんを発症するとき、脳の外にも怪しい電波を発生するらしい。徳永さん曰く、僕を救急車で済生会病院に送り込んだ日の夜、激しい金縛りにあったそうである。電話で謝意を伝えたら、氏から「頼むから当分、大人しくしといてくれ」と懇願された。

2018.10.21

山行

五家荘図鑑というタイトルはハッタリである。正式な図鑑と勘違いして見知らぬ人にサイトに来てもらうための姑息な手段である。ホームページを見てもらい、なあんだ、これは図鑑ではないじゃないかと、期待を裏切る、俗に言う炎上商法である。が、なかなかサイトをみる人の数が増えない。と、いうことはそもそも五家荘に関心のある人、図鑑に関心のある人が少ないからではないかと最近自分を慰め言い訳をする。炎上どころか、枯れ葉がくすぶってのろしのような白い煙が一筋立っているように見えなくもない。それで、更に言い訳を考えたのが「極私的」というサブタイトルだ。(極道的ではない)何も誰から補助金もらっているわけなく、すべて自費、自己責任で極私的に勝手にします。

結果、11月に発行予定の五家荘図鑑アナログ版(写真集)では五家荘の花の名前(属、科、目)を表記しないことにした。本気で図鑑にしようと思い写真を撮ると、ピントを全体に合わせ、花だけでなく葉の形も正確に撮る必要がある。つまり、本物の図鑑片手に写真を撮る必要があるのだ。ピントの甘い、イメージ優先の僕の写真は、図鑑には絶対不向きだ。花の名前の検索も読者に一任。更に言えば、山の名前も滝の名前も記載しません。人工的、観光用のつり橋、建築物も写真集には掲載しません。山や森、花の写真で充分でしょう。五家荘がどこにあるのか、ルートも詳しく説明しません。時間通りに事が運ばないのが山の魅力なのです。

半信半疑で、事務所のI君が、「本当に写真集を出すんですか?と真顔で聞く」「もちろん本気と」答えると、「そんなお金どこにあるんですか?」と心配そうだ。「確かにないものは、ない。家猫も一気に3匹増え、合計6匹、彼らの食費も大変なのだが」「僕の葬式で販売し、暴利をむさぼる。みんな同情してたくさん買ってくれるかもしれない」「儲かったとしてもその時、僕は故人なのだがね」「そもそもすでに香典払わされていますから、そりゃあ押し売りですよ」とあきらめ口調のI君。(すでに、手伝わされるのを覚悟している)嗚呼、お金のことを考えると、頭がよけいずきずきするなぁ。(仮病ではない)

五家荘図鑑の写真集の中で、唯一、名前の表記がある標本写真がある。それは僕の事だ。図鑑の標本箱の中で、ガラス越しに、なんとも言えぬ、標本一人。ピンに止められて、山の森羅万象、みんなと一緒に閉じられる人生があれば、こんな嬉しいことはない。

こんなくだらない、あとがき書いて、実は長生きするつもりだが、そればかりは運命。何時どうなるか、わからない事情を脳に抱えて、これから紅葉の五家荘の山歩きのプランを楽しみに考えているのだ。写真に熱中しすぎて道に迷い、落ち葉に埋もれないように。

2018.10.12

山行

ひと月近くも山に足が向かないと流石に、気分が落ち着かなくなる。昨日はあいにくの雨だったが仕事のついでに五家荘に向かった。もちろん土砂降りの雨は苦手だが、昨日のようなしとしとと、濡れた雨は嫌いではない。まだ山には紅葉の気配がない。仕事のついでといいながら、自宅の宇城市から、二本杉(東山本店でいつもフキの佃煮を買う)、樅木の山女魚荘さん、椎原、五木 (山奥に突然!現る、新興振興住宅地!)を通り、山を降り、人吉駅の温泉観光組合で仕事をする古くからの知人Nさんに会いに行くというのが、僕の壮大な、自分勝手な仕事のルートである。五家荘の山道を運転する途中で、運よくいろいろな花々を見かけた。みんな、やさしい雨にしっとり濡れていい顔をしていた。その顔を写真に撮らせてもらう。そんなひと時が、僕にとっては本当に貴重な心穏やかな時間なのだ。カメラは二代目、ニコンのD7200に交代となる。先代のD300は僕の不注意から、ほんの一瞬で壊れた。病気を言い訳に最近僕は、しょっちゅうミスをする。しかし愛機D300 の故障はショックだった。大事なカメラが一瞬で壊れるとは。D7200は中古ながら、僕を慰めるように、カシャリカシャリと軽いシャッター音を響かせてくれる。山女魚荘の女将曰く、今年の樅木神楽は10月27日らしいが、残念ながら、今回ばかりは大事をとり家で大人しくすることにした。

五家荘から、五木までの途中、思い出の場所にたちよる。ほぼ20年前の春、僕は家族でたまたまその谷間の小さな木造の小学校に立ち寄った。運動場には大きな桜の木が一本、満開だった。木造二階建の校舎の廊下には小さな水槽があり、山女魚が泳いでいた。童謡に歌われるような夢のような景色だ。小さな娘は、その不思議な世界に浸るように校庭を駆け回った。その年の夏、我が家はその場所を再訪し、河原でキャンプをした。火をたくと孵化したばかりの羽虫が集まり、裏山では鹿が鳴いた。校門横では「花いっぱい運動」で表彰された、自慢の花壇に季節の花が咲き誇っていた。今でも悔やむが、その時、写真は一枚も撮っていない。その悔しさの分、当時の景色が壊れかけた僕の記憶に鮮明によみがえる、穏やかで幸せなひと時。翌春、桜の満開の景色を期待して訪れた僕の目の前に広がった景色は信じられないものだった。(その小学校の廃校の様子はNHKの番組でも特集されていた。)今回もわざわざ、その場所に僕は降り立ち、その時と唯一不変の錆びついた橋を写真に撮る。そして、花壇跡に咲く、名も知らぬ、ひっそりと咲く花の写真を撮った。がれきの山に封印された、人々の穏やかな時間。その場だけに生い茂るセイタカアワダチ草の黄色い花がお供えの花となる。長い長い寄り道。人吉に着いたのは夕方。相変わらずNさんは元気で、彼ならこの街をきっと豊かな街にしてくると信じて、高速道に乗り、帰路に就く。

 

 

2018.09.24

山行

 

五家荘図鑑を写真集として発行することに。極私的なので、もちろん私費での発行とナリマス。ホーページなので、写真をどんどん放り込めばいいのだけど、それと同時に過去の写真もどんどん消えていくような気がして、ここらで一区切り、アナログで残して自己満足に浸るのもいいかと思った次第。幸運にもネットで検索して、熊本でとても細やかで優秀な編集者の方と接点ができて、彼女なら丸投げもいいかと思ったのだ。五家荘図鑑の「図鑑」というタイトルで山野草の正式な図鑑と誤解される恐れもあるけど、極私的ということで勘弁してもらおうと思う。

そもそも図鑑を作るために山の花々の写真を撮っても、堅苦しい写真になるに違いない。あくまでも僕の頭脳の中に浮かび上がる図鑑なのだ。僕は植物について無知で、ツユクサを撮影して、この宇宙からやってきたような、厚化粧の女のような花はなんだと、(少し)感動したほどである。写真集の花に名前以外はつけないようにするつもり。見る人に、「これはなんだと思って欲しい」のだ。その花の注釈に、山間部の林道の周辺によくみられる花。多年草(要するにそんな珍しい花ではないもんね、気が付けば毎年咲くよ)とか書いてあったら興ざめではないか。自分できれいとおもったから写真に撮り紹介するのだ。あれこれ言う人は、それこそ正式な図鑑、写真集を買って下さいね。

ここ一年は体調管理の都合で、「山登り」ではなく、「山歩き」に徹することにした。山頂を目指してばかりいると、森に鳴く、鳥たちの声をじっくり聴けない気がする。スマホの録音機能も品質が高く、たまに録音して楽しむことにした。

昨今、報道されているスポーツ界のパワハラ問題だが登山は他のスポーツに比べて「健康的」だと思う。速さを競うのではなく、みんな各人で汗をかき、景色を眺め、写真を撮り、無事に帰還できれば成功なのだ。ヒトはそもそも自然に勝てないのだから。

そんな登山界でも過去にはパワハラ事件が多々あった。実は僕は、高校時代山岳部(宇土高校)だったのだ。(なんと40年前!)その当時、登山ブーム全盛で、今と違い山に登るのはほとんどが若者だった。たまたま入部した山岳部では、猛特訓の日々。同級生やブロックを背負い、近くの山に登る・・・我が、宇土高校山岳部の伝統を汚すわけにはいかないと言うわけだ。今は見かけることもない「キスリング」という、厚い帆布でできた別名「カニ」と呼ばれる横長のリュックサックにパンパンに荷物を入れ、重い革靴を履いて、山道を登るのだ。(電車の改札を通るのに、キスリングでは必ず順番に引っかかったっけ)

そんな無敵な山岳部で、僕は阿蘇、九重、屋久島と3年の夏まで、九州の山々を登った。今から思い返すにその当時の「登山そのもの」について楽しい思い出なんかほとんどない。それを証拠に、その当時のメンバーで登山を続けているのは、わずか2、3人なのだ。(僕だって数年前に、登山を再開した)高校を出て京都に行き夏に一人で北アルプスを縦走した時の楽しさよ。もう伝統も、先輩も居ない!喉が渇いたら好きに水が飲めるのだ!荷物は重いが心は軽く歩みを進めると、異様な集団発見!全員丸坊主、細くて急な登山道を蟻のようにあえいで登る「カニ集団」その大きな甲羅にはマジックで「忍耐」「努力」「根性」と大書してある。その「忍耐」「努力」「根性」も文字がゆらゆら、僕の目の前で坂を登るのだ。これは登山ではない、訓練だ。(大人のバカな体験ビジネススクールでは今も見かける光景!)

そして、足下を見ると、雪渓を同じような荷物を背負い、あえぎ、登る大学山岳部!最後尾にフラフラしながら、山のような荷物を背中に積みながら、集団についていくのに必死な新入生・・・のお尻をピッケルで激しく叩きながらけしかける大先輩(は背中には軽いディパック…)そんなサイクルでの登山ブームが長続きするはずがない、若者をみんなでよってたかって、登山を嫌いにさせていたのだから。だから今の、逆襲ともいえる中高年の楽しい登山を僕は「健康的」だと思うのだ。

高校時代で登山に絡む、唯一、馬鹿で楽しい話を思い出す。仕事で知り合った原山さんも僕と同級生で、たまたま鹿本高校の山岳だった。原山さん曰く、「ほら、県内の山岳部が合同でキャンプする大会があったでしょ。その当時の慣例で、夜になると各高校のテントに訪問して、お菓子屋らジュースやら、楽しい話をするひと時があったでしょ」僕曰く「うちはそんなことは絶対禁止やった」原山氏デレデレ思い出しながら、「そら残念やねー」それで、僕らは第一高校女子山岳部のテントを訪問したわけ」「こんばんわーって、お菓子やミカンもって」「ほんで楽しい高校生同志の夜の会話も終わり、夜も更けて」「テントに帰ろうとすると、僕らのテントがないとよ、炎上してたんだよ。折角顧問の先生にお願いして買ってもらった最新型のドーム型のテントに、ランタンが倒れて大炎上、もちろん先生からは大目玉やった(当然やろ!)

原山氏と山の話をすると決まって出る思い出話。大企業の社員でもうすぐ定年の原山さん。

さりげなく僕に定年後の生活の心配をする。「なぁんもすることは、なか」と言うが。僕がどうしてやることも出来ない。山登りを再開したらどうかと勧めてみようと思う。

 

2018.08.12

山行

8月11日は山の日で、五家荘の先人O氏とM氏は昨年同様、山の日記念、登山のイベントを企画された。両氏の情報発信力はものすごく、フェイスブックなどであっという間に約30人近い山好きが五家荘に集合した。車のナンバーを見るに、熊本はもちろん鹿児島、宮崎、久留米の山好きが遠路はるばる集まったのだ。2人が立派なのは五家荘の宿に宿泊して登山するように企画されること。マイクロバスでやってきて、トイレだけ借りて、地元に何も落とさないのは何かよそよそしい。毎夜繰り広げられる大宴会の様子が一人一人の旅の思い出になるのだ。宿泊しない僕でも、五家荘に来たら、必ず帰りは二本杉の東山(とうやま)本店でふきの佃煮やら、フキのみそ漬け、山椒のオリーブオイル漬けを土産に買うようにしている。

で、何とか家の用事をすまし、2日目の山行き参加させてもらった。Oさんは地元の消防署の司令塔でもあり、日頃は五家荘の山の遭難事故の受付窓口のような役割を果たされ、遭難歴(苦笑)のある僕の山行きに、いつも反対する家人も猫も、今回ばかりは同意をせざえを得ない。もちろん問題なのは僕の体調だ。こんな怠け者の自分でも、よなよな瞑想で日頃の雑念を払い、毎朝、おこしき海岸の公園で(店員に怪しまれながらも)20分のウォーキングを行い、体力を鍛えて来たのだ。それでも万が一、途中でおかしくなったら、登山隊の行軍を邪魔しないよう、一人、自力で帰れるように特別に登山口に愛車イグニスを置かせてもらった。

久しぶりの白鳥山、ウエノウチ谷からの出発だ。やはり来てよかったなぁと、人目はばからず深呼吸をする。林道のわきにはわれらを歓迎してくれるように「ソバナ」の群生だ。星形の白い花、紫の花が下に垂れて風に揺れ可憐で美しい。僕は登山隊の最後尾に着く。最初の休憩まで、もくもくと川沿いの道を登る我ら山の旅団。あたり一面、白鳥山ならではの苔の世界が広がる。で、新ルートに入り、いきなり急坂に道が変わる。しばらくすると、どうも体の調子が悪い。体は動こうとしても、息が苦しく、どうにも、前に進まない。深呼吸しても、息がいっぱいで、体がどんどん重く動かなくなる。酸欠・・・。これでは頑張りようがないではないか。どう見ても先はない。新ルートを登り始めて数分。あっという間に、ギブアップ。Oさんの了解を得て、一人、引き返す。なんだか学校の遠足にはぐれ、自由行動になった気楽さもあるが。川沿いで写真をとろうとしたら、ツリフネソウの花の葉の上に、カゲロウだかなんだかの幼虫が羽を休めていた。カゲロウ君は「おっちゃん、またおいで(なんで関西弁か?)」と失意の僕を慰めてくれているようだった。

 

林道に出るとナナフシダカヒトフシだか「おっちゃん、がんばりや」といい、

 

ソバナを見ると蝶だと思うが「おっちゃん、元気でな」と言ってくれてるようで、日ごろはなかなか出会わない、山の生き物に会えて少し嬉しい帰路になった。

白鳥山はいつ来てもいい。次回からは酸素ボンベ必携か。こんな美しい、きれいな空気の中で。

 

2018.08.10

山行

物事には何でも最初と最後がある。生まれた時の最初の一息、息を引き取る間際の最後の一息。生まれて最初に登った山、最後に登った山。もちろんそんな最初も最後も誰も記憶にないはずだけど。特に最後の一息は、最後の最後でみんな死んでしまい、記憶どころか、何も残らない。さて、たまたま写真を始めた僕だの最後の一枚はどんなものか。最後の山行は当然五家荘の山になるはずだが、国見岳か白鳥山か、どちらになるのだろう。

ぼくはプロの写真家でもないが、仕事の都合上、何人かのプロのカメラマンを知っている。熊本でのプロのカメラマンというと、広告用の写真や団体の記念撮影がほとんどで、個展など写真で表現活動をしている人は少ない。僕の行きつけのカメラスタジオにはジャッドスタジオのTさんが居る。Tさんは熊本で自他ともに認める一番の腕前のカメラマンである。で、何が一番かというと、オヤジギャグの腕が一番で、残念ながらカメラの腕前ではない。Tさんに撮影を頼んだ人間はお客さんの前で歯に衣をきせぬTさんのギャグ、暴言で身を凍らせる体験をすることになる。僕の思い出したくない体験からというと、ある大会社の社長から会社の記録写真を頼まれ、社長室に通された僕とTさんは、その社長と向き合い、打ち合わせ時に、Tさんは社長の目の前(もちろん僕の目の前で!)いきなり、「社長のぼけ、ボケ、ボケ・・・」と言いながら口ごもったのだ。その瞬間、社長室は一気に氷ついた。その社長の頬は(何を言い出すかと)苦笑いしながら痙攣していた。それでも相変わらず、Tさんは「社長のボケボケ、ボケっ!」(僕は生まれて初めての土下座を覚悟した!)「あーっ!なんととんでもないことを!」Tさん曰く、「社長の体を引き立てるためには、社長の周りのボケ具合が肝心ですもんねっ!」と言い放った、のだ。理論的にはその意見はちろん正しく、人の姿を立体感を出すにはまわりは少し、ボケ気味にして絞りを調節するのが定番なのだが、いきなり社長の向かってボケとはなかろうと肝を冷やした。知人に聞くに僕と同様の凍り付く体験をした者は限りなく、Tさんは熊本でも写真より有名な写真家となった。すでに付き合いは20年近くになるけど、こんな不景気の中でもTさんが生き残っていけるのにはわけがある。氏はある時思いついて、大型のポスターの出力機や最新型のパソコンを仕入れてその人柄を生かして、撮影以外に力を入れたのだ。Tさんの事務所のスケジュールボードはいつみても撮影の予定は書かれておらず、いつも真っ白。Tさん曰く、「今日も静か御前ですたい」仕事の電話一本も鳴らない。しかし午後になると、不思議とカメラ好きのおじさん、おばさんのたまり場になり、持ち込まれた画像データをパソコンで加工しプリントしたり、パネルにしたり、本にしたりして時に賑わいを見せているのだった。

そんなある日、僕はTさんの事務所で一人のよれよれよぼよぼの老人(失礼、後で知ったが60過ぎ)とすれ違った。Tさん曰く、先程の人物は僕の先輩と言う。「先輩とは?」僕が聞き直すと、その老師は「二回も撮影中に脳梗塞で倒れ、今もリハビリ中とのこと」「僕はクモ膜下だし」「似たようなもんでしょう」「まぁそういわれれば、そうですがね」老師は有名なプロカメラマン、コンテンポラリーアート作家の田中栄一氏で、」氏のフレーザー島の砂の世界を大型カメラで捉えた作品は、オーストラリア、クイーンズランド州立美術館、熊本現代美術館にも所蔵されているほどの作品なのだ。そんな氏も去年暮れに2回目の脳卒中で、生活もなかなか大変らしい。それでも今はコンパクトデジカメで自宅の周りを写真に収めているそうだ。僕はその時、写真が本当に好きな人に生まれて初めて出会えた気がして、何か嬉しかった。Tさんは田中さんの暮らしの再建のサポートをしているのだ。次回田中さんを紹介してもらう約束をして、僕はお盆休みとなる。

今の僕の最後の一枚は、7月中旬、五木の仰烏帽子(のけえぼし)へ向かう途中の一枚だ。
山道は荒れ果て、道ではなく荒れた崩落した岩だらけの枯れた川をひたすら上り詰める山行で、体力は落ち、しびれた足でバランスを崩しながら、浮いた岩の上を歩き続けるのはさすがに辛かった。途中、ロープを伝い、崩れたガレ場を登る個所がある。よく持ちこたえたものだ。1時間過ぎ、とうとう撤退を決める。満足のいく写真も一枚も撮れていない。引き返すとき、一枚の若葉を見つけ、その若葉をバックに深い森と巨木を撮ろうと思った。そんなポスターのような写真が撮れるわけがない。若葉自体がそんなきれいな絵になるような葉の形をしていないではないか。ただ、僕はその時、そんな写真を撮りたかったのだ。全身、汗だらけ。何度もシャッターを押すが、何故か手が震えてカメラや三脚がぶれてしまう。あたりは森の中、スローシャッターでようやく明るく撮れるのだ。悩んでいるうちに、森の樹々の間から、奇跡的にその葉に向かい光が差し込む。緑の葉だけがようやく明るく映る。帰宅してパソコンで見るに、正直ひどい。だけど、その一枚が僕の最後の一枚なのだ。今のところ。

今度のお盆休みに、撮りに行く。もう一枚。もう一息。

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