熊本県 八代市 泉町(旧泉村) 五家荘
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雑文録

2018.12.02

山行

待望の写真集「五家荘図鑑」が間もなく発売!僕のてんかん発症事件もあり、予定より、一か月遅れになったけど、いよいよ12月中旬に世界同時販売となります!価格も予定より100円値上がりして(なんでやねん?)税込み950円。しかし、全国送料無料!「世界同時販売」(!)とはなんとほら吹きなと言う人あれど、堂々「アマゾン」での販売なのであります。※海外に発送する方法がないので、当面は国内だけ。

うちの老いた母は「アマゾン」と聞くと今もって、南米のアマゾン川から荷物が付くか、どこかの麻薬組織から危ないものを送り付けられていると半分信じている(苦笑)。実はアマゾンで本や物を売るのは簡単で、画像さえあれば、誰でも10分程度で出店ができるからすごいのである。友人知人の古本屋が息を吹き返したのも、アマゾンやネット販売で出店できたからであり、逆に、小規模の電気店を廃店に追いやった大手の電器量販店を苦境においやったのもアマゾンである。

世界同時販売と言って「誰にも知られないくせに」というなかれ、実は五家荘図鑑の事は、熊本、地元の人が誰も知らないくせに、世界中の人に知られているのである。証拠を見せろと言う人には証拠を見せることが出来る。僕の友人、O氏は熊本で知る人ぞ知る、ネット分析士であり、そのO氏に五家荘図鑑のホームページのサイトを分析出来るように「グーグルアナリティクス」を設置してもらったのだ。ネット関係者でアナリティクスの事を知らない人はいない。グーグルの無料、アクセス解析ツールで、そのサイトへの訪問者を詳しく分析することが出来る(個人の特定はできない)

ちなみに、今年11月1日~30日までの期間の五家荘図鑑の来訪者の累計は日本から368名、ロシア31名、アメリカ15名、香港1名、インドネシア1名、タイ1名なのだ。閲覧時間も計算され、アメリカ、タイはゼロなので、勘違いの来訪者で、他の国からはそこそこ見てもらっている。更にすごいのは各国の閲覧者の見ている都市名も数値化されている。日本では熊本市、八代市が一番多く、東京、大阪、神奈川と続く。(孤独なネット遊民者の僕は深夜一人、それを見てほくそ笑む)グーグルは誰も知らないところで、そんな作業をしているのだ。

年間にしたらその12倍の人々が居るわけで、しかも写真集だから、言葉が読めなくてもその雰囲気だけでもわかってもらえて、世界同時販売は半分嘘ではなくなるのだ。インターネットの世界はすごいと言うか(普段、僕はフェイスブックも開設しているものの、ネットでも「いいね恐怖症」「人見知り」で、友人は増やせない。コメントの追加もほとんどしない。)ネットはそんな性格の僕でも使い方次第で知らない者同士が通じ合う道具にもなり、趣味や仕事の可能性が少し開けるのだ。

で、なんでロシアの人が五家荘の事を知ったかだけど(プーチンに五家荘侵略の意図はなかろう)、これまでヨーロッパからの来訪者も多かったが、その理由はふとしたことで夏に判明した。たまたま熊本市や、八代市の特産品の海外向けの商品開発やコンサルをしている福岡のバイヤーKさんと知り合ったのだが、Kさん曰く、五家荘の特産品を海外に売り込む時に、僕の五家荘図鑑を見せながら、こんな山奥で出来た商品ということで僕の五家荘図鑑のサイトを合わせて紹介しているとのことなのだ。つまりKさんが海外の会社に紹介するたびに、僕のサイトにはその分、海外のアクセスが増えるわけなのだ。気さくな性格のKさん。「五家荘図鑑」が彼の仕事の役にたてば幸いだ。樅木川の景色は、アマゾン川に流れこむなり。インターネットは何が起こるか分からないものだ。そもそも図鑑の編集・デザインを依頼した熊本市の編集事務所のHさんを知るきっかけも、ネットで調べて依頼したからなのだ。そして素晴らしい本に仕上げてくれた。感謝!

※五家荘図鑑(A4横・全40ページ・オールカラー!)

2018.10.30

山行

2月のクモ膜下出血時、集中治療室のベットの上、僕の開頭手術は2日後になり、時間つぶしに家人がテレビをレンタルしてくれた。点滴だのいろいろな治療具やチューブが下がるわずかな隙間、レンタルしてくれたテレビの画面は僕の左の頭の真横にあった。何を見るか、基本NHKしか見ないので、たまたまつけた番組がタモリと芸人作家の又吉直樹氏が人間の脳内を探索するものだった。スタジオには脳内を模したセットが作られていて、その模様はまるでうっそうとしたジャングルだった。至る所に樹々が生い茂り、二人の頭上には様々な蔦や枝が絡まり、まっすぐ歩くこともできない。それが脳の血管や神経なのだ。そんな二人の背後から雷鳴が響き、フラッシュのような赤い灯、青い灯が瞬間明滅する。解説ではその光の明滅が、人の脳にアイデァがひらめいた時の光景だそうだ。作家の又吉氏の脳裏に物語がひらめくと、氏の脳内の神経の森にはいくつも光が明滅するのだ。

なんと皮肉な番組か、2日後、僕の額の右の頭蓋骨は丸く開頭され、血だらけの脳の中から、丸く大きく膨らんだ二つの動脈瘤の首がつまみ出され、三か所チタンのクリップで止められ、また閉じられたのだ。10時間にも及ぶ手術は成功し、奇跡的に僕の体は起き上がり、点滴を下げながら、ゆらゆら病院内をうろつき回った。それから1か月後、僕は熊本市内の病院を退院し、故郷の海を臨む丘の上の病院に転院し、リハビリを1ヶ月終えて、また日常生活に戻った。周りのみんなはそんな僕を温かく迎え入れ、口をそろえて「無理をしないように」と諫めた。命拾いをした僕だが、どこまでが無理で、無理でないか分からない。いつのまにか、これまで通り車を運転し、五家荘の山に向かい、酸欠で急坂は登れないにしても、何とか山歩きはできて、これまでもたくさんの美しい花々と出会うことができた。

そして11月。五家荘の山々が最も色付く最高の季節となる。五家荘図鑑の写真集の基礎作りも終わり、あと半月で完成する予定で、写真の整理を依頼していたJスタジオの徳永さんの事務所を出る時だった。僕は左頬の筋肉が固くなり、顔が崩れるのを感じ、その場で全身硬直し、倒れた。頭の上で徳永さんが「救急車!」と叫ぶ声が何度か聞こえた。

診断はクモ膜下の傷が原因だろうか、「てんかん」だった。てんかんの強直発作は発作の中でも一番激しく、脳には電気が流れているが、強直発作は脳全体の神経細胞のスイッチが一斉にオンとなり、過剰な興奮状態で意識が無くなり、体のコントロールも効かない状態になるとのことだそうだ。

悲しいかな、これから2年間は僕は車の運転は禁止となる。そしててんかんを抑える薬を飲み続ける必要もある。僕の脳は手術前のテレビの場面のように、いったんスイッチが入ると、脳神経の茂みの中には雷鳴が響き渡り、土砂降りの雨のぬかるみ状態となるのだ。往復2時間の通勤時間、何が起こるか分からない。まぁ、生きているだけで幸運と言うべきか、去年の遭難騒ぎから僕は3回も命拾いをして、今度は他人に迷惑をかける事は避けなければならない。

僕はベットに体を横たえ、ある谷の景色を思い出す。夏の日、苔むした流木の上に生い茂る緑の茂みの中に、僕は黄色い花弁の花を見つけた。今や希少となった、キレンゲショウマの花が二つ。峠の下にはネットで保護された群生地があるけど、自然の森の中のキレンゲショウマの花を見るのは初めてだ。僕は写真を撮るため、流木を抱きしめよじ登り、泥だらけでそっと這い上がり、無理な姿勢でシャッターを切った。翌週、僕はまた同じ森の中に居た。盗掘されていませんように。鹿に食べられていませんように。

黄色い蕾はすでに開花し、花びらが二組、緑の苔の上に散っている。僕はそっと指先で拾い上げる。周りをみると、そばにはまだ、青い蕾がある。緑の森で開花する天然のフェルトのようなキレンゲショウマの花の開花をどうしてもカメラに収めたい。純白ではない、純黄のやさしい花びら。僕は2年後、五家荘の山で、その蕾を探すだろう。雷鳴が鳴ろうが、雨が降ろうが、森で迷うことはない。そこは僕の秘密の場所なのだ。

※ぼくがてんかんを発症するとき、脳の外にも怪しい電波を発生するらしい。徳永さん曰く、僕を救急車で済生会病院に送り込んだ日の夜、激しい金縛りにあったそうである。電話で謝意を伝えたら、氏から「頼むから当分、大人しくしといてくれ」と懇願された。

2018.10.21

山行

五家荘図鑑というタイトルはハッタリである。正式な図鑑と勘違いして見知らぬ人にサイトに来てもらうための姑息な手段である。ホームページを見てもらい、なあんだ、これは図鑑ではないじゃないかと、期待を裏切る、俗に言う炎上商法である。が、なかなかサイトをみる人の数が増えない。と、いうことはそもそも五家荘に関心のある人、図鑑に関心のある人が少ないからではないかと最近自分を慰め言い訳をする。炎上どころか、枯れ葉がくすぶってのろしのような白い煙が一筋立っているように見えなくもない。それで、更に言い訳を考えたのが「極私的」というサブタイトルだ。(極道的ではない)何も誰から補助金もらっているわけなく、すべて自費、自己責任で極私的に勝手にします。

結果、11月に発行予定の五家荘図鑑アナログ版(写真集)では五家荘の花の名前(属、科、目)を表記しないことにした。本気で図鑑にしようと思い写真を撮ると、ピントを全体に合わせ、花だけでなく葉の形も正確に撮る必要がある。つまり、本物の図鑑片手に写真を撮る必要があるのだ。ピントの甘い、イメージ優先の僕の写真は、図鑑には絶対不向きだ。花の名前の検索も読者に一任。更に言えば、山の名前も滝の名前も記載しません。人工的、観光用のつり橋、建築物も写真集には掲載しません。山や森、花の写真で充分でしょう。五家荘がどこにあるのか、ルートも詳しく説明しません。時間通りに事が運ばないのが山の魅力なのです。

半信半疑で、事務所のI君が、「本当に写真集を出すんですか?と真顔で聞く」「もちろん本気と」答えると、「そんなお金どこにあるんですか?」と心配そうだ。「確かにないものは、ない。家猫も一気に3匹増え、合計6匹、彼らの食費も大変なのだが」「僕の葬式で販売し、暴利をむさぼる。みんな同情してたくさん買ってくれるかもしれない」「儲かったとしてもその時、僕は故人なのだがね」「そもそもすでに香典払わされていますから、そりゃあ押し売りですよ」とあきらめ口調のI君。(すでに、手伝わされるのを覚悟している)嗚呼、お金のことを考えると、頭がよけいずきずきするなぁ。(仮病ではない)

五家荘図鑑の写真集の中で、唯一、名前の表記がある標本写真がある。それは僕の事だ。図鑑の標本箱の中で、ガラス越しに、なんとも言えぬ、標本一人。ピンに止められて、山の森羅万象、みんなと一緒に閉じられる人生があれば、こんな嬉しいことはない。

こんなくだらない、あとがき書いて、実は長生きするつもりだが、そればかりは運命。何時どうなるか、わからない事情を脳に抱えて、これから紅葉の五家荘の山歩きのプランを楽しみに考えているのだ。写真に熱中しすぎて道に迷い、落ち葉に埋もれないように。

2018.10.12

山行

ひと月近くも山に足が向かないと流石に、気分が落ち着かなくなる。昨日はあいにくの雨だったが仕事のついでに五家荘に向かった。もちろん土砂降りの雨は苦手だが、昨日のようなしとしとと、濡れた雨は嫌いではない。まだ山には紅葉の気配がない。仕事のついでといいながら、自宅の宇城市から、二本杉(東山本店でいつもフキの佃煮を買う)、樅木の山女魚荘さん、椎原、五木 (山奥に突然!現る、新興振興住宅地!)を通り、山を降り、人吉駅の温泉観光組合で仕事をする古くからの知人Nさんに会いに行くというのが、僕の壮大な、自分勝手な仕事のルートである。五家荘の山道を運転する途中で、運よくいろいろな花々を見かけた。みんな、やさしい雨にしっとり濡れていい顔をしていた。その顔を写真に撮らせてもらう。そんなひと時が、僕にとっては本当に貴重な心穏やかな時間なのだ。カメラは二代目、ニコンのD7200に交代となる。先代のD300は僕の不注意から、ほんの一瞬で壊れた。病気を言い訳に最近僕は、しょっちゅうミスをする。しかし愛機D300 の故障はショックだった。大事なカメラが一瞬で壊れるとは。D7200は中古ながら、僕を慰めるように、カシャリカシャリと軽いシャッター音を響かせてくれる。山女魚荘の女将曰く、今年の樅木神楽は10月27日らしいが、残念ながら、今回ばかりは大事をとり家で大人しくすることにした。

五家荘から、五木までの途中、思い出の場所にたちよる。ほぼ20年前の春、僕は家族でたまたまその谷間の小さな木造の小学校に立ち寄った。運動場には大きな桜の木が一本、満開だった。木造二階建の校舎の廊下には小さな水槽があり、山女魚が泳いでいた。童謡に歌われるような夢のような景色だ。小さな娘は、その不思議な世界に浸るように校庭を駆け回った。その年の夏、我が家はその場所を再訪し、河原でキャンプをした。火をたくと孵化したばかりの羽虫が集まり、裏山では鹿が鳴いた。校門横では「花いっぱい運動」で表彰された、自慢の花壇に季節の花が咲き誇っていた。今でも悔やむが、その時、写真は一枚も撮っていない。その悔しさの分、当時の景色が壊れかけた僕の記憶に鮮明によみがえる、穏やかで幸せなひと時。翌春、桜の満開の景色を期待して訪れた僕の目の前に広がった景色は信じられないものだった。(その小学校の廃校の様子はNHKの番組でも特集されていた。)今回もわざわざ、その場所に僕は降り立ち、その時と唯一不変の錆びついた橋を写真に撮る。そして、花壇跡に咲く、名も知らぬ、ひっそりと咲く花の写真を撮った。がれきの山に封印された、人々の穏やかな時間。その場だけに生い茂るセイタカアワダチ草の黄色い花がお供えの花となる。長い長い寄り道。人吉に着いたのは夕方。相変わらずNさんは元気で、彼ならこの街をきっと豊かな街にしてくると信じて、高速道に乗り、帰路に就く。

 

 

2018.09.24

山行

 

五家荘図鑑を写真集として発行することに。極私的なので、もちろん私費での発行とナリマス。ホーページなので、写真をどんどん放り込めばいいのだけど、それと同時に過去の写真もどんどん消えていくような気がして、ここらで一区切り、アナログで残して自己満足に浸るのもいいかと思った次第。幸運にもネットで検索して、熊本でとても細やかで優秀な編集者の方と接点ができて、彼女なら丸投げもいいかと思ったのだ。五家荘図鑑の「図鑑」というタイトルで山野草の正式な図鑑と誤解される恐れもあるけど、極私的ということで勘弁してもらおうと思う。

そもそも図鑑を作るために山の花々の写真を撮っても、堅苦しい写真になるに違いない。あくまでも僕の頭脳の中に浮かび上がる図鑑なのだ。僕は植物について無知で、ツユクサを撮影して、この宇宙からやってきたような、厚化粧の女のような花はなんだと、(少し)感動したほどである。写真集の花に名前以外はつけないようにするつもり。見る人に、「これはなんだと思って欲しい」のだ。その花の注釈に、山間部の林道の周辺によくみられる花。多年草(要するにそんな珍しい花ではないもんね、気が付けば毎年咲くよ)とか書いてあったら興ざめではないか。自分できれいとおもったから写真に撮り紹介するのだ。あれこれ言う人は、それこそ正式な図鑑、写真集を買って下さいね。

ここ一年は体調管理の都合で、「山登り」ではなく、「山歩き」に徹することにした。山頂を目指してばかりいると、森に鳴く、鳥たちの声をじっくり聴けない気がする。スマホの録音機能も品質が高く、たまに録音して楽しむことにした。

昨今、報道されているスポーツ界のパワハラ問題だが登山は他のスポーツに比べて「健康的」だと思う。速さを競うのではなく、みんな各人で汗をかき、景色を眺め、写真を撮り、無事に帰還できれば成功なのだ。ヒトはそもそも自然に勝てないのだから。

そんな登山界でも過去にはパワハラ事件が多々あった。実は僕は、高校時代山岳部(宇土高校)だったのだ。(なんと40年前!)その当時、登山ブーム全盛で、今と違い山に登るのはほとんどが若者だった。たまたま入部した山岳部では、猛特訓の日々。同級生やブロックを背負い、近くの山に登る・・・我が、宇土高校山岳部の伝統を汚すわけにはいかないと言うわけだ。今は見かけることもない「キスリング」という、厚い帆布でできた別名「カニ」と呼ばれる横長のリュックサックにパンパンに荷物を入れ、重い革靴を履いて、山道を登るのだ。(電車の改札を通るのに、キスリングでは必ず順番に引っかかったっけ)

そんな無敵な山岳部で、僕は阿蘇、九重、屋久島と3年の夏まで、九州の山々を登った。今から思い返すにその当時の「登山そのもの」について楽しい思い出なんかほとんどない。それを証拠に、その当時のメンバーで登山を続けているのは、わずか2、3人なのだ。(僕だって数年前に、登山を再開した)高校を出て京都に行き夏に一人で北アルプスを縦走した時の楽しさよ。もう伝統も、先輩も居ない!喉が渇いたら好きに水が飲めるのだ!荷物は重いが心は軽く歩みを進めると、異様な集団発見!全員丸坊主、細くて急な登山道を蟻のようにあえいで登る「カニ集団」その大きな甲羅にはマジックで「忍耐」「努力」「根性」と大書してある。その「忍耐」「努力」「根性」も文字がゆらゆら、僕の目の前で坂を登るのだ。これは登山ではない、訓練だ。(大人のバカな体験ビジネススクールでは今も見かける光景!)

そして、足下を見ると、雪渓を同じような荷物を背負い、あえぎ、登る大学山岳部!最後尾にフラフラしながら、山のような荷物を背中に積みながら、集団についていくのに必死な新入生・・・のお尻をピッケルで激しく叩きながらけしかける大先輩(は背中には軽いディパック…)そんなサイクルでの登山ブームが長続きするはずがない、若者をみんなでよってたかって、登山を嫌いにさせていたのだから。だから今の、逆襲ともいえる中高年の楽しい登山を僕は「健康的」だと思うのだ。

高校時代で登山に絡む、唯一、馬鹿で楽しい話を思い出す。仕事で知り合った原山さんも僕と同級生で、たまたま鹿本高校の山岳だった。原山さん曰く、「ほら、県内の山岳部が合同でキャンプする大会があったでしょ。その当時の慣例で、夜になると各高校のテントに訪問して、お菓子屋らジュースやら、楽しい話をするひと時があったでしょ」僕曰く「うちはそんなことは絶対禁止やった」原山氏デレデレ思い出しながら、「そら残念やねー」それで、僕らは第一高校女子山岳部のテントを訪問したわけ」「こんばんわーって、お菓子やミカンもって」「ほんで楽しい高校生同志の夜の会話も終わり、夜も更けて」「テントに帰ろうとすると、僕らのテントがないとよ、炎上してたんだよ。折角顧問の先生にお願いして買ってもらった最新型のドーム型のテントに、ランタンが倒れて大炎上、もちろん先生からは大目玉やった(当然やろ!)

原山氏と山の話をすると決まって出る思い出話。大企業の社員でもうすぐ定年の原山さん。

さりげなく僕に定年後の生活の心配をする。「なぁんもすることは、なか」と言うが。僕がどうしてやることも出来ない。山登りを再開したらどうかと勧めてみようと思う。

 

2018.08.12

山行

8月11日は山の日で、五家荘の先人O氏とM氏は昨年同様、山の日記念、登山のイベントを企画された。両氏の情報発信力はものすごく、フェイスブックなどであっという間に約30人近い山好きが五家荘に集合した。車のナンバーを見るに、熊本はもちろん鹿児島、宮崎、久留米の山好きが遠路はるばる集まったのだ。2人が立派なのは五家荘の宿に宿泊して登山するように企画されること。マイクロバスでやってきて、トイレだけ借りて、地元に何も落とさないのは何かよそよそしい。毎夜繰り広げられる大宴会の様子が一人一人の旅の思い出になるのだ。宿泊しない僕でも、五家荘に来たら、必ず帰りは二本杉の東山(とうやま)本店でふきの佃煮やら、フキのみそ漬け、山椒のオリーブオイル漬けを土産に買うようにしている。

で、何とか家の用事をすまし、2日目の山行き参加させてもらった。Oさんは地元の消防署の司令塔でもあり、日頃は五家荘の山の遭難事故の受付窓口のような役割を果たされ、遭難歴(苦笑)のある僕の山行きに、いつも反対する家人も猫も、今回ばかりは同意をせざえを得ない。もちろん問題なのは僕の体調だ。こんな怠け者の自分でも、よなよな瞑想で日頃の雑念を払い、毎朝、おこしき海岸の公園で(店員に怪しまれながらも)20分のウォーキングを行い、体力を鍛えて来たのだ。それでも万が一、途中でおかしくなったら、登山隊の行軍を邪魔しないよう、一人、自力で帰れるように特別に登山口に愛車イグニスを置かせてもらった。

久しぶりの白鳥山、ウエノウチ谷からの出発だ。やはり来てよかったなぁと、人目はばからず深呼吸をする。林道のわきにはわれらを歓迎してくれるように「ソバナ」の群生だ。星形の白い花、紫の花が下に垂れて風に揺れ可憐で美しい。僕は登山隊の最後尾に着く。最初の休憩まで、もくもくと川沿いの道を登る我ら山の旅団。あたり一面、白鳥山ならではの苔の世界が広がる。で、新ルートに入り、いきなり急坂に道が変わる。しばらくすると、どうも体の調子が悪い。体は動こうとしても、息が苦しく、どうにも、前に進まない。深呼吸しても、息がいっぱいで、体がどんどん重く動かなくなる。酸欠・・・。これでは頑張りようがないではないか。どう見ても先はない。新ルートを登り始めて数分。あっという間に、ギブアップ。Oさんの了解を得て、一人、引き返す。なんだか学校の遠足にはぐれ、自由行動になった気楽さもあるが。川沿いで写真をとろうとしたら、ツリフネソウの花の葉の上に、カゲロウだかなんだかの幼虫が羽を休めていた。カゲロウ君は「おっちゃん、またおいで(なんで関西弁か?)」と失意の僕を慰めてくれているようだった。

 

林道に出るとナナフシダカヒトフシだか「おっちゃん、がんばりや」といい、

 

ソバナを見ると蝶だと思うが「おっちゃん、元気でな」と言ってくれてるようで、日ごろはなかなか出会わない、山の生き物に会えて少し嬉しい帰路になった。

白鳥山はいつ来てもいい。次回からは酸素ボンベ必携か。こんな美しい、きれいな空気の中で。

 

2018.08.10

山行

物事には何でも最初と最後がある。生まれた時の最初の一息、息を引き取る間際の最後の一息。生まれて最初に登った山、最後に登った山。もちろんそんな最初も最後も誰も記憶にないはずだけど。特に最後の一息は、最後の最後でみんな死んでしまい、記憶どころか、何も残らない。さて、たまたま写真を始めた僕だの最後の一枚はどんなものか。最後の山行は当然五家荘の山になるはずだが、国見岳か白鳥山か、どちらになるのだろう。

ぼくはプロの写真家でもないが、仕事の都合上、何人かのプロのカメラマンを知っている。熊本でのプロのカメラマンというと、広告用の写真や団体の記念撮影がほとんどで、個展など写真で表現活動をしている人は少ない。僕の行きつけのカメラスタジオにはジャッドスタジオのTさんが居る。Tさんは熊本で自他ともに認める一番の腕前のカメラマンである。で、何が一番かというと、オヤジギャグの腕が一番で、残念ながらカメラの腕前ではない。Tさんに撮影を頼んだ人間はお客さんの前で歯に衣をきせぬTさんのギャグ、暴言で身を凍らせる体験をすることになる。僕の思い出したくない体験からというと、ある大会社の社長から会社の記録写真を頼まれ、社長室に通された僕とTさんは、その社長と向き合い、打ち合わせ時に、Tさんは社長の目の前(もちろん僕の目の前で!)いきなり、「社長のぼけ、ボケ、ボケ・・・」と言いながら口ごもったのだ。その瞬間、社長室は一気に氷ついた。その社長の頬は(何を言い出すかと)苦笑いしながら痙攣していた。それでも相変わらず、Tさんは「社長のボケボケ、ボケっ!」(僕は生まれて初めての土下座を覚悟した!)「あーっ!なんととんでもないことを!」Tさん曰く、「社長の体を引き立てるためには、社長の周りのボケ具合が肝心ですもんねっ!」と言い放った、のだ。理論的にはその意見はちろん正しく、人の姿を立体感を出すにはまわりは少し、ボケ気味にして絞りを調節するのが定番なのだが、いきなり社長の向かってボケとはなかろうと肝を冷やした。知人に聞くに僕と同様の凍り付く体験をした者は限りなく、Tさんは熊本でも写真より有名な写真家となった。すでに付き合いは20年近くになるけど、こんな不景気の中でもTさんが生き残っていけるのにはわけがある。氏はある時思いついて、大型のポスターの出力機や最新型のパソコンを仕入れてその人柄を生かして、撮影以外に力を入れたのだ。Tさんの事務所のスケジュールボードはいつみても撮影の予定は書かれておらず、いつも真っ白。Tさん曰く、「今日も静か御前ですたい」仕事の電話一本も鳴らない。しかし午後になると、不思議とカメラ好きのおじさん、おばさんのたまり場になり、持ち込まれた画像データをパソコンで加工しプリントしたり、パネルにしたり、本にしたりして時に賑わいを見せているのだった。

そんなある日、僕はTさんの事務所で一人のよれよれよぼよぼの老人(失礼、後で知ったが60過ぎ)とすれ違った。Tさん曰く、先程の人物は僕の先輩と言う。「先輩とは?」僕が聞き直すと、その老師は「二回も撮影中に脳梗塞で倒れ、今もリハビリ中とのこと」「僕はクモ膜下だし」「似たようなもんでしょう」「まぁそういわれれば、そうですがね」老師は有名なプロカメラマン、コンテンポラリーアート作家の田中栄一氏で、」氏のフレーザー島の砂の世界を大型カメラで捉えた作品は、オーストラリア、クイーンズランド州立美術館、熊本現代美術館にも所蔵されているほどの作品なのだ。そんな氏も去年暮れに2回目の脳卒中で、生活もなかなか大変らしい。それでも今はコンパクトデジカメで自宅の周りを写真に収めているそうだ。僕はその時、写真が本当に好きな人に生まれて初めて出会えた気がして、何か嬉しかった。Tさんは田中さんの暮らしの再建のサポートをしているのだ。次回田中さんを紹介してもらう約束をして、僕はお盆休みとなる。

今の僕の最後の一枚は、7月中旬、五木の仰烏帽子(のけえぼし)へ向かう途中の一枚だ。
山道は荒れ果て、道ではなく荒れた崩落した岩だらけの枯れた川をひたすら上り詰める山行で、体力は落ち、しびれた足でバランスを崩しながら、浮いた岩の上を歩き続けるのはさすがに辛かった。途中、ロープを伝い、崩れたガレ場を登る個所がある。よく持ちこたえたものだ。1時間過ぎ、とうとう撤退を決める。満足のいく写真も一枚も撮れていない。引き返すとき、一枚の若葉を見つけ、その若葉をバックに深い森と巨木を撮ろうと思った。そんなポスターのような写真が撮れるわけがない。若葉自体がそんなきれいな絵になるような葉の形をしていないではないか。ただ、僕はその時、そんな写真を撮りたかったのだ。全身、汗だらけ。何度もシャッターを押すが、何故か手が震えてカメラや三脚がぶれてしまう。あたりは森の中、スローシャッターでようやく明るく撮れるのだ。悩んでいるうちに、森の樹々の間から、奇跡的にその葉に向かい光が差し込む。緑の葉だけがようやく明るく映る。帰宅してパソコンで見るに、正直ひどい。だけど、その一枚が僕の最後の一枚なのだ。今のところ。

今度のお盆休みに、撮りに行く。もう一枚。もう一息。

2018.07.16

山行

もともと僕は変な奴なのである。だから山の花々の中でも、変な奴が大好きだ。

僕が若かりし頃、「舞踏」を始めた先輩がいた。夏休みが終わり、その先輩は突然、全裸にスキンヘッド、布切れ一枚をまとい、白塗りで大学のキャンパスに現れた。そしてデビューしたてのバンド「ポリス」の曲をカセットでガンガン鳴らしながら、二人、三人で体をくねくねさせながら舞踏を舞った。その当時、舞踏はどういうものか、明確な定義はなかったが、その不思議なクネクネ踊りが、僕にとっては舞踏だったのだ。そしてその先輩は、「これからは舞踏の世界やで、わいら東京に行き舞踏で一旗あげる」と言い残し、演劇部の機材一式、学校からの予算をすべて横取りし、夜に京都を旅立った。お人よしの僕と石丸君はせっせと先輩の引っ越しを手伝い、頑張って下さいと先輩の乗ったトラックを見送った。

そして翌日、僕はガランとした部室で一人愕然として立ちすくむ石丸君の姿を発見した。石丸曰く「みんな持っていかれよった、何から何まで。すっからかんや。これから芝居(演劇の事)やりたくても、なんもできへん」と泣き言を言った。「部の予算も一円も残ってへん。」僕はハイライトを一本吸い、煙を吐きながら「そら、大変やななぁ」と言うしかなかった。

石丸君はその会話から2年後、その先輩を頼り東京に行き、全裸白塗りで先輩と一緒に全国津々浦々、キャバレー周りをすることになる。(今は東京で古本屋をしている。)去年、久しぶりに舞踏したいと言い出し、その推薦文を書いてくれと言われたが、もちろん断った。

その当時は、夏休み舞踏教室なるものもあって、夏休み、1ヶ月、和歌山の山奥の師匠の稽古場に泊まり込み自給自足、自然の中で舞踏を学ぶのである。(もちろん僕は行かなかった)最後はマッチとナイフだけでサバイバル(戦国自衛隊か!)したり、滝に打たれての修行があるそうだ。(ほとんど逃げ帰ったそうである)・・・そうしてわずかに生き残った者は、恥も外見も捨てることができるようになり、キャバレー周りのメンバーに昇格する。

山中で、そんな舞踏集団に会えたのが去年の夏、ある山の登山道の途中だった。

苔むす木の根の間からニョキニョキ、クネクネと舞踏を舞う花の集団がある。なんとも不思議なかたち、瞑想の森の緑の中でも不似合いなピンク模様。これは山の掟違反ではないかと、僕は心の中で叫び、ニヤリとほくそ笑んだ。全裸、スッポンポンで、顔に紅を差し、一人がこう体を曲げると、隣の一人はこう体をくねらせる・・・。なんと賑やかで饒舌な花の舞。花の名を調べるに「鍾馗欄(しょうきらん)という。※鍾馗蘭は、学名:Yoania japonica)はラン科ショウキラン属の多年草で、葉緑体を持たず菌類に寄生する腐生植物。葉は退化してうろこ状。1週間程度で黒くしおれる。共生により栄養を得ている。

育ち方も何ともユニークなのだ。僕は彼女らの前で膝をついて、夢中でシャッターを切った。舞踏公演、1週間限定。苔や木の葉の中から、ニョキニョキ、クネクネ顔を出し、真夏の森の中で美しく舞う舞踏集団、「愛の家族」。今年もぜひ、その美しい舞いと、彼女らのささやきに耳を澄ましに、山に向かいたいものだ。もともと僕は変な奴なのである。だから変な奴が大好きなのだ。

※あの夏の先輩の舞を僕は中古の8ミリで撮影し、編集し、田舎に持って帰った。そして両親兄弟の前で、ふすまをスクリーンに見立てて上映会を行った。(もちろん、家族全員無言で、凍り付いたようにに何も言わなかった)

※写真は2017年7月撮影のもの

 

2018.07.03

山行

先月、ある会合で昔からの知人、「出口」さんと会った。出口さんは或る有名大企業の管理部長、いつもは温厚誠実、明るい性格の出口部長、何故か少し暗い顔をしている。話を聞くに、氏は、典型的な管理職でリストラ担当役でもある。仕事では上部からの人格攻撃と部下の世話が大変とのこと。悩み、ストレスも相当溜まっているようなのだ。会合の席で、二人で延々2時間、お互いの過去、将来のことを語りつくし、僕のような、軽薄、能天気(!)でフリーの立場の人間とは話がしやすいらしく、会合の終わりには出口部長から笑いが飛び出し、最後に一言、そんな出口部長から最近の「ストレス改善方法」を伝達されたのだ。

瞑想と聞くと、誰しも何やら怪しい教えか、団体の勧誘かと疑われるのかもしれないが(昔僕はよく勧誘された。京都の河原町の行き帰りの人ごみの中で、同じ宗教団体の者に2回も声をかけられた・・・そうとう悩みが深そうだったらしい)出口氏曰く、そういう輩とは一切関係ありません!過去にNHKの番組でも取り上げられていた内容なのですよ。

その方法は、海外の著名人、グーグルなどのIT企業も採用し書物も多々あり、高い評価を得ているとのこと。その瞑想法はマインドフルネス瞑想法といい、3分間の瞑想で、体を前後左右に動かし中心点をさぐり背筋を伸ばし、大きく鼻で息を吸い、吐く、誰しも簡単な瞑想法でもある。もちろん、瞑想とは名ばかりで心に湧きだす雑念どもがいる。その対処法がラベリングといい瞑想中の心の中で暴れまくるる雑念にラベルを張り、随時処理していくのだ。仕事のことが気になったら「雑念」とラベリング、音が気になったら「音」とラベリング、過去の後悔は「過去」!とラベリング。(もちろんラベル名は任意)

そして、心の中に川の流れを想像しその川に、ラベリングした雑念を木の葉の船に乗せて流し去ることをイメージトレーニングしていくのだ。つまり、くよくよ悩んでも仕方のないことを頭の中で整理して、頭の中の空間をすっきりさせるわけ。それでもダメならストップ!思考で頭がいっぱいでラベリングが間に合わない場合は心の中で「ストップ!」と叫んで、頭の中を空っぽにする。いわば、その瞑想法は脳の筋肉トレーニング。心を落ち着かせ今、自分がここにいることを雑念に負けず、受け入れるようになること。なるがまま、頭と心のスイッチをオフにすること。

正直、僕の心の中は悔恨だらけだ。瞑想するに、幼稚園の時の悔恨が思い出される、それから中学、高校・・・。みなさんゴメンナサイ!失敗だらけの僕の人生、瞑想すればするほど、悔恨の念が僕をどんどん追い込んでいく!何一つ、いいことはなかった僕の人生58年!ラベルが追い付かないぞ!「悔、悔、悔!」更に人の成功を妬む、うらやむ雑念が湧く、「嫉妬、嫉妬、シッ!」負けだらけの人生「敗、敗、敗!」ラベリングした雑念で木の葉の船が沈没寸前だ。流す川も梅雨の濁流となり堤防決壊寸前!出口さん、出口はどこだ!その雑念に耐えること1週間。瞑想法の結果・・・悪戦苦闘の日々・・・何か心に、少し、スキマが出来て何か余裕が出てきたような気が。

テレビのワイドショーを見て不快不安な思いが伝染しても悪口言わずに「雑念」ポイ!と処理。本によれば、そう簡単に雑念はなくならないらしい。本当の瞑想法が会得できれば、自分の吐く息、吸う息を体で感じることができて、自己の存在を心の中で客観的に望むことができるようになるらしい。(僕には何年かかるかは不明)

で、先日の日曜日に、雨の中、五家荘の白鳥山に行く。両手両足がこわばるが、何とかウエノウチ谷から、白鳥山の谷からの山道は登ることが出きる。ただバランスがなかなかとれない。白鳥山へのルートは五家荘の中でも、指折りの美しい谷だ。頂上までは行けずに、写真を撮りながら途中で引き返す。ぽたぽたと葉を打つ雨の音がする。苔むす岩を増水した水が噴き出す。少し雨が止むと、頭上で鳥たちのさえずる声がする。この森には僕しか居ない。濡れた岩に腰かけ弁当を食べる。お目当ての花たちには出会えなかったが、今度また来るときは、ごちそうと、美味しいコーヒーを持参し、谷の水でお湯を沸かし、目を瞑り、樹々から湧き上がる生まれたての空気を吸い込もうと思う。何とかお気に入りの写真が一枚撮れた。写真のタイトルは「瞑想の森」にしようと思う。

2018.06.24

山行

いよいよ登山シーズン到来。五家荘の山の達人、Oさん、Mさんのフェイスブックの情報によると、このお二人、毎週のように山に登っている。五家荘にとどまらず、祖母山、九重山、九州のめぼしい山を総なめにする勢いだ。そしてこの二人を渦の中心にして集まる、おじさん、おばさん、(中には70を過ぎたおばあさんも!)のエネルギーもすごいものだ。あまり人が登らない五家荘の山もこのグループが歩くことにより、道が踏みしめられているのかもしれない。僕と言えば、まだ急な坂を長時間登るのは困難なので、ぼちぼち行くしかない。

と、いうことで、梅雨の晴れ間をぬい、五家荘の山に写真を撮りに行った。

レンズも家人には内緒で2本買い、その映り具合も確認したかったのだ。僕の写真は自己流で、撮り方もいい加減だ。毎回失敗した後に後悔する。誰にも教わったこともないし、教えることもない。今回も失敗の連続だった。(冷汗)川や滝の流れを白くぼわーっと美しく撮るにはレンズにNDフィルターは必携と本に書いてあった。とにかくNDフィルターをつければ僕もぼわーっと撮れるはずなのだ。早速、わけがわからないままにアマゾンでそのNDフィルターを数枚買った。栴檀轟の滝、梅の木轟の滝・・・ところが何回撮ってもぼわーっとならないのだ。さてと、川の中で一人、試案にくれる僕。みんな、真っ黒・・・本来ならば、ぼわーっとした水の流れの横に苔むした色鮮やかな新緑が映えるはずなのに!後で考えるに、五家荘の川自体、そもそも樹々に覆われ暗いのでNDフィルターは不要。普通のレンズでぼわっーっとならない場合にだけ、NDフィルターをつければよし。そんなことも知らぬまま、自宅から3時間の川の中までそわそわとカメラを抱えてやってきたのだ。写真の楽しみはそんなところにあると、今になって自分を慰めるしかない。

今回買ったのは、そのフィルターと中古の標準レンズ1本。これは正解だった。川から上がり、史跡の緒方家の写真を撮る時に、正門の苔むした石垣を登り、石垣の間に見つけた人字草(ジンジソウ)※ユキノシタ。これが今回の自分のお気に入りの一枚。

人字草の不思議なデザインも大好きなのはもちろん、更に、写真好きの変態的な快感として右の白く丸いボケ具合が何度見てもいいのである。さすが、ニコン、中古でもレンズはよい。(これからレンズが増え、さらにリュックは重くなったが!)時代にぽつんと取り残された緒方家。

地区を治めた庄屋の藁ぶきの家屋。たくさんの人が行き来したであろう縁側の上、緑に覆われた庭の景色を眺めながら、冷えたラムネでも飲みたいものだ。まだ、セミの声も聞こえない、無音の空間。この村の記憶は、家屋を取り囲む緑の闇に吸い込まれて行ったに違いない。誰が積んだか、静かにほぐれゆく石垣。そんな空間を映し出すフィルターはどこにも売ってないから、自分の記憶のフィルターに収めるしかないのだ。

 

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