熊本県 八代市 泉町(旧泉村) 五家荘
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雑文録

2017.09.03

山行

去年は椎原の川で、ヤマメ一匹何とか釣り上げたのだけど、今年の夏は一匹も釣れなかった。夏の終わり、折角釣りに行くのだからと、前日から必死で毛ばりを巻いて期待して出かけたのだけど、残念な結果に終わってしまった。五家荘の谷は深く、それに沿って流れる川の数は無限のように感じる。ヤマメはとても敏感で臆病で、人の足音、影にも気が付くと岩の陰から出てこない。つまりその川の上流に人がいると、その下流でヤマメを釣るのは困難となる。要するにヤマメの川は一人一本が理想なのだが、五家荘の川は当然のことながら何時行っても、独占状態だ。それでも釣れないのは、釣る人の腕が悪いのだろう。しかもフライフィッシングというスタイルで釣るのだから、わざわざ早朝から出かけていながら、自分で手かせ足かせ、ハンデを与えているようなものだ。

フライは鞭の要領で、いったん竿を後ろに返して、もとに戻す反動で川に針を落とす西洋式の釣り方だ。川幅が狭く、木々が両岸に生い茂る日本の川では、うまくいかないのは当たり前。竿を後ろに戻す段階で、伸びた釣り糸や針がすぐに木々の葉や枝に引っかかってしまう。そしてそのもつれた針をほどこうと背伸びをしているうちに、足がもつれ風がふいて、体に糸が絡みつき、老眼の自分は焦って眼鏡をはずすとどっと汗が吹き出し、うずくまり、山奥の川で一人、糸巻き虫のミイラのよう、ぐるぐる巻きになった悲惨な姿を、物陰に潜む猿や鹿にさらすことになる。

(熊本に今、いったいどれくらいのフライ人口がいるのか不明だ。今や専門店もなくなり、公に教える人もいない。僕はほとんど自己流だが、鞭の感覚で竿を操るのを覚えるのには相当時間がかかった。毛ばりにようやくヤマメが食いついても、それに合わせて糸を引くのもなかなか難しい)

で、その当日は、ミイラにまでならなかったが、行く川、行く川で、魚影見当たらず、毛ばりをくわえるアタリさえほとんどなかった。栴檀轟の滝の下部の川、椎原の川…そして最後にたどり着いたのが樅木のつり橋の上流の川。

この川は去年、紅葉を撮影に行く途中で見つけた川だ。民家の畑跡の空き地の向こうから川の音が聞こえ、草むらをかき分けていくと川に降りる小道を見つけたのだった。釣り道具一式身にまとい、(小道は途中で崩落していた)河原に(すべり)降り立つ。

目の前に広がる、ごうごうと苔むす岩々の間を清流が流れる美しい渓谷の景色。この川も、ほとんどアタリがない。主人公の見当たらない川。上流に向かうが、大きな岩が階段状に滝を作り、もう先には進めない。あきらめて引き返し、今度はカメラと三脚をもって同じ河原へ降り立つ。ヤマメは釣れなかったが、写真の収穫が数枚。

秋の紅葉時にまた来よう。この景色がどういうふうに色づくか今から楽しみなのだ。

「フライでヤマメが釣れるのはせいぜい、一日に一匹ですよ」これは負け惜しみではない、ミイラ同士が事実を語り合う言葉である。

2017.08.25

山行

8月11日は「山の日」ということで、誰が勝手にそう決めたのか、それなりの理屈はあるのだろうが、思うに、山の日以外にもいろんな記念日を誰彼ともなく言い出しているような気がして、世間の風潮も最近食傷気味なのだ。

「いい夫婦の日」とか、「いい買い物の日」とか。横文字の「プレミアムフライデー」とかもあるけど、そんな日は、つい「プレミアムモルツ」の日とかを連想して、金曜日にはビールを飲む人が増えることを期待した企業の商魂たくましい策略の一つのような気もする。

五家荘の山の達人、M氏とO氏も、折角だからと山の日に五家荘の登山の企画をし、早速フェイスブックで募集をかけた。「ゴカコヤノ谷を遡り、熊本県最高峰の国見岳の頂上を目指す」というコースで、正直、ゴカコヤノ谷とか僕はこれまで聞いたこともない。もちろん地図にも載ってないわけで、だいたい谷の名前からしてややこしそうではないか。もちろん僕はそんなヤバソウナ谷の登山なんて、キツイに決まっているので誘われたら断るつもりでいたが、別件の打ち合わせ時、ジョイフルで抹茶パフェをえぐるようにすくい食べながら(いい年こいたおじさんですよ!)長いスプーンを口にくわえたまま、低いかすれた声でOさんが僕に向かい、「Tしゃんも、行くとだろ?」という脅しともとれる一言に、僕も(心に魔が差して、意思とは逆に軽い声で)「もちろん、行きますよ」と答えてしまったのだった。

だいたいそんなコースに人が集まるのか?当日、3人だったら嫌だな。煮詰まるな。これはいよいよ、ヤバイ谷だと思いながらも時が過ぎるに、参加者はどんどん増え続け、当日の参加者はなんと総勢34名にまで膨れ上がったのだ。(参加者の平均年齢はたぶん60歳、最高齢は伝説の山ガール、オババ様75歳)たいした告知もせずにフェイスブックでこれだけの人を集めるなんて、2人の情報発信力はすごい。(新聞の記事でも数人来たらしいけど)この大人数で、地図にもない「ゴカコヤノ谷」を登るのだ。まさに「ガヤガヤの谷」である。広場でMさんが手際よく、全体を4班に分け、各班のリーダーを決める。点呼を取りいよいよ出発だ。僕はどの班にも属さない(意味不明の)フリーという扱いになった。

1時間程林道を歩き、国見岳の頂上近くの稜線を目指し、ゴカコカヤノ谷を登る。道なき道、苔むす倒木をくぐり、よじ登り、滑る坂を踏ん張り、どんどん高度を上げる。緑に包まれた原生林の中を、沢からの涼しい風に吹かれながら行軍は進む。時に大小の滝も連なり、全員の足が停まる。岩の間から噴き出す生まれたばかりの清冽な水しぶきを浴びる。この水のしぶきが清流川辺川の一滴となるのだ。順番待ちの間に、三脚を立てカメラのシャッターを切る。こんな森の奥深さは、県内では五家荘でしか見られない景色だ。撮影で多少列から遅れても、次の滝の登りで行軍に追いつくことができて、最初から足の遅い僕にとっては幸いだ。

 

登山開始から3時間過ぎ、昼食後、すぐに稜線に出て最後の登りを頑張ると、丁度12時に国見岳の山頂に着いた。天気は晴天、九州山地の連なる山々を眺めながら、全員で記念写真を撮り、列を作り下山する。下山のルートも通常の踏み跡の着いたルートではなく、森の中をかき分けて降りるルートで少し遠回りだが景色は良い。林道に午後4時頃到着。これで朝4時起きの僕の山の日のイベントは終わった。

「ガヤガヤ、ゴカコヤノ谷」の登山…全身汗びっしょりで疲労の極致、足は途中半分つりそうで、ズボンはドロドロ、ボロボロになっても、それでも楽しいのが「山登り」なのだろう。

熊本県最高峰、標高1,739メートルの山頂から海抜ゼロメートルの我が家まで僕が帰宅し、飼い猫どもに「何があった?」というような驚いた顔で出迎えられた後、スマホでO氏のフェイスブックを見ると、すでに民宿、佐倉荘での大宴会は始まっていた。「ゴカコヤ旅団」の残党の大部分は一泊し翌日も五家荘の山に登るのだ。この人達のエネルギーはどこから湧いて出てくるのだろうか。僕は冷蔵庫から(プレミアムモルツではない)一番搾りを取り出し、ぐいと飲みほした。8月11日は、いい山の日だった。

 

 

2017.08.06

山行

五家荘の山は希少植物の宝庫と言われる。これまで希少植物と言われても、全然ピンとこなかった僕なのだけど、いったんその存在を知ってしまうと、どうしても見たくなるのが人情だ。山の先人のMさんやOさんのブログ、フェィスブックを見るに、これまで見たこともない花々がその時期になると、どんどん出てくる。どれも開花期間が短く簡単に会えないものが多い。気候や山行の都合でタイミングが合わなければまた来年、ということになる。で、またダメなら再来年。つまりある程度の種類を集めようとすると、何年かかるか分からないのだ。咲いている場所も一緒に山に登れば教えてくれるが、机上では無理。体で覚えろ…というわけではないけど、そう簡単に教えるものか、そうして簡単に教えられると、教えられた方も誰かに簡単に教える気分になり、その情報の連鎖でいつしか盗掘者に伝わる可能性もある。これまで、花の盗掘の被害も結構なものだそうだ。

クマガイソウ、フガクスズムシソウ、ヒゴイカリソウ、ショウキラン…カタカナで書くと単なる記号にしか見えないが、漢字で書くと、熊谷草に富岳鈴虫草、肥後碇草、鐘馗蘭…一瞬で希少植物に変身する。

春先に熊谷草(クマガイソウ)…「クマガヤソウ」とも呼べるとのことで、つい僕は「クマガヤ」さんと言ってしまう…がOさんのフェイスブックに載っていたので、いてもたまらず山に出かけた。そのコメントを読むに、林道のすぐ脇の草むらに咲いているとのこと。その林道もどこかで見た林道である。つまり、労せずすぐに「クマガヤ」さんを見る事ができると僕は一人ほくそ笑んだのだ。

「クマガヤ」さんの野生種は、環境省のレッドリストにも指定されるほどの希少植物だ。なんとも古風な顔をしたラン科の植物で、ほっぺたがふくらみ、平安時代の絵巻に出てくる貴族のような面持ちだ。名前は源平合戦の武士、熊谷直実に由来しているとの事。

「ははーん、あのあたりか…」車をどんどん山の奥に進める。ところが天気が途中で一変、雨に変わる。(僕は結構な雨男なのだ)そして本降りに。しかし、雨がなんだ、風がなんだ、(仕事がなんだ)、来た以上は「クマガヤ」さんを絶対探すのだと、僕の決意は固い。

ところが、行けども行けども、全然見当たらない。馬鹿みたいに林道を駆け巡る。森の奥の十二単をまとったクマガヤさんは何処に…。雨脚はおさまらない、あたりは暗くなり写真どころではない、もう時間切れ。悔しさを胸に、僕は山道を帰路についた。

後日、Oさんにさりげなく、「クマガヤ」さんのことを聞くと、

「なーん、あの写真はほれ、林道じゃなか、※※さんの家の横に咲いとるとたい。林道の写真は、時間があったけんイタドリ(山菜)を取りに行った時の写真たい」とOさんは答えた。

一週間後、その※※さんの家に行くと、すでに花の落ちた扇型の葉だけ残った「クマガヤ」さんが居た。絶滅危惧種が民家の庭先に咲いているなんて。(そう言えば、カタクリの花も民家の庭先に咲き誇っていた)恐るべし五家荘。

Oさんにはその後もお世話になった。7月には富岳鈴虫草(フガクスズムシソウ)を探しに某山に登った。この草もよく盗掘されているようだ。その名のごとく花びらの色が茶色で鈴虫に似ていることから名前が付いたのだろう。富岳というのは最初に発見されたのが富士山麓だったことかららしい。しかしこの花は地味すぎる。咲く場所というのも自然林の幹に生える苔にくっ着いて咲くという珍しい咲き方で、探すにもそれらしき大木を見上げて回らないと見つからないのだ。とても素人が見つけられる代物でもない。そんな途方に暮れかけた僕の目の前に、ひょっこり現れたのがOさんだった。(Oさんはれっきとした社会人なのだが週に2回は山に登っている猛者なのだ)その日は、暇だから山をぶらぶらしていたとのこと。標高1,600メートルの山が暇つぶしとは驚くばかりだが、Oさんは気前よく鈴虫草の咲いている場所を案内してくれた。まだ咲き初めの時期で群生は見る事ができなかったが、そもそもOさんと出会わなければその日も徒労に終わったのだ。ありがたく花を写真に収め、一息ついていると「先に下山しますけん」とOさんは忍者のように目の前からスッと消えた。

僕の心の声…「あ、Oさん、ここどこ?花は見れたけど、登山道から大分、外れてしまったようで、だいいちここは迷いやすい場所で有名ってOさん言ってたじゃない…なんでいきなり消えるかなぁ」

それから僕はおよそ30分、山中の藪の中を彷徨ったのだ。一つ尾根を間違えると大変なことになる、恐るべし五家荘。

その日は、道の途中でこれまた珍しい、鍾馗蘭にも会えた。ショウキランも県によっては絶滅危惧種に指定されていて、調べるに「葉緑体を持たず菌類に寄生する腐生植物」とのこと。言い換えれば、腐った苔などに寄生しておりながら、花は造花のように派手なヤツ。しかも肉厚。このピンクの花が苔むした緑の中にニョキニョキと顔を出し群生していた。この異様な“花の家族”も1週間でしおれるらしい。会えて良かった。来年、同じ場所で会えるかどうかは分からない。

今回、お盆にOさんらが企画した、川の源流を訪ねる日帰り山行に参加することにした。言わば、大人の夏休みだ。総勢30名の大所帯。日頃は単独行が基本の僕は、山の学校に転入してきた転校生のこころもちである。道に迷いやすい僕は、みんなに迷惑をかけないようにしようと思う。(しかも、雨男だし)

Oさんは、その山行の次の日には、また違う山に幻の「肥後碇草」(ヒゴイカリソウ)を探しに行くそうで…Oさんは五家荘の希少植物ならぬ、希少人物なのだろう。

2017.07.10

山行

雨の日はしょうがない。雨が降るのを止めることなんて誰もできやしない。それでも僕はひねくれものだから、山に行きたい時は行く。天気予報なんて信じるものか。雨の予報が晴天になる時だってあるじゃないか。そうしてカメラをバックに詰め込み、自宅を出て2時間半、五家荘の登山口に着くと天気予報通り、ものすごい雨である。写真どころではない。それでもえぃと、山道を登り始めるも、いつもの小道が形相一変、大河となり大きな岩がゴロゴロ転がり出してきてとても前に進めそうにない。頭上ではごうごうと地鳴りがしている。地すべりが起こるかもしれない。これ以上先には進めない。(当たり前だ)仕方なしに、また2時間半かけて家に帰ることにした。帰路はなんと遠く感じることよ(自業自得)。

そうこうして帰る途中、その豪雨もふいに小休止となり、梅ノ木轟の吊り橋の駐車場で一休みする。吊り橋の向こうに見える山々も、ぼんやりと緑の輪郭が現れ、絵葉書的に白いガスも湧き出して、左手前の樹がアクセントになり、まぁそれなりに雨の合間のしっとりとした山の写真が撮れた。

しかし又雨が強く降り出し、吊り橋から車に戻る。駐車場にはもちろん僕しかいない。時間はたっぷりあるので、そうだそうだとスマホを出して東京の友人が教えてくれた「キリンジ」というバンドの曲を検索して流す。「エイリアンズ」という歌で、生ギターをベースに、都会に住む人の孤独というか、疎外感というか、賑やかな街の雑踏の中で、どこからかやってきた「エイリアン」のような二人。ふと気が付けば自分の居場所のない、切ない思いを淡々と歌う曲を聴く。一人でも孤独、二人でも孤独。この友人(彼女)とは京都で知り合って30年過ぎ、今では5年に一度、仕事のついでに会うか会わないかの関係なのだけど、時にメールでやりとりをする。

東京で一人で暮らしている彼女(細かい日常など僕は知る由もないが…)。僕は今、山の中で一人、「エイリアンズ」を聴いている。

長年の友人というのは、何年経ってもその時のまま、お互いを信じる気持ちを維持できている関係をいうのだろう。僕たちは京都で20歳の頃、演劇をしたり、絵を書いたり、酒を飲んだり、議論をした。そして彼女は大学を辞め、途中で東京に行ったのだ。僕らはあの時の気持ちのまま、だいぶ年を取ってしまった。

駐車場を後にして、ハチケン谷に立ち寄る。道端で「うつぼ草」を見つける。他にドクダミやキク科の花など。みんな雨に濡れてしつとり美しい。最後に茂みの中で、うつむいた名も知らぬ小さな花を見つけた。薄い硝子でできたような紫の花びらを五枚尖らせ、雨の雫を落としている。僕はシャッターを切りながらこう思った。今、東京の天気はどうなのだろうか。

2017.06.25

山行

6月18日に国見岳に登った。

オオヤマレンゲ(大山蓮華)が咲き始めたという情報を得たのだ。五家荘の山の先輩O氏のフェイスブックからの情報だ。O氏は毎週1回は五家荘に登っている猛者で、氏の情報を参考にすることで最近の僕の山行きにもロスがなくなった。五家荘の山行の達人ではもう1人M氏もいて、五家荘の山好きでこの2人を知らぬものはいない。

2人は広大な五家荘の山々を2日がかりですべて縦走し尽くすという、その名も「五家荘大縦走」という企画を毎年春先に行っており、その行程は凄まじいものがある。この企画の情報も僕はフェイスブックで事前に得ており、2日連続で朝5時に行動開始、夕方5時ごろに宿に着くという内容に、寿命を縮めたくない僕は、当然不参加とした。当日の状況も逐次フェイスブックに公開されており、参加者およそ10数名、その半分は(オヤジどもの参加する理由の一つか)なんと女性だった。みんなの元気のよいこと。急登ばかりなのに、全員笑顔なのには驚いた。僕が参加しておれば初日の午前中で脱落、参加者の笑顔も失笑、苦笑に変わっていたろう。足手まといの僕の体はどこかの窪みに埋められ落ち葉でカモフラージュされていたろうな(冬虫夏草の栄養源となる)。

まぁいい、僕はとにかく写真が目的であり、マイペース、基本は単独行でぼちぼち行くのが極私的なのだ。で、そのオオヤマレンゲだが、去年も挑戦したが、すでにほとんど落下していて跡形もなかった。O氏によれば今年はまだ咲き始めとのことだったが、山頂でたまたま知り合った若い女性を、オオヤマレンゲの花の茂み(何をするつもりだった?)に案内したというコメントと画像がある。つまり間違いなく一輪は咲いているのだ。その美しい姿を今年こそはなんとかカメラに収めたい僕は、前日の夜、興奮してか何故か眠りにつけず、まさに睡眠時間4時間、筋肉コチコチ、意識もうろうの状態で、国見岳登山をスタートしたのだった。

杉の植林地のいきなりの急登、急登。道は迷うことはない、ひたすら真っすぐ尾根を辿る。1時間後、植生が変わり若葉が広がる自然林の森となる頃、ようやく起伏も穏やかになるが、それでも登りの連続があと2時間、ようやく山頂に辿り着いた。去年もそうだったが頂上には雌鹿の先客が居て、僕の動きをじっと監視している。晴天下、1,739メートルの頂上からの景色は素晴らしい。気が付けば鹿の姿はなく、彼女の甲高い警告音だけが谷に木霊している。

僕の体はすでに硬化したゴムのようになっていて、ささいな小石に足元はつまずき、よろめきながらもミヤマキリシマやサラサドウダンの鮮やかな姿を写真に収める。バイケイソウの花々もふわふわ、柔らかくて美しい。バイケイソウは毒草で増殖を続け、あちこちで群落が見られる。毒草だろうが、なんだろうが綺麗なものは綺麗なのだが。

さて、もう時刻も午後2時を過ぎ、帰路に着きたいものだが、一番の目的のオオヤマレンゲの花の姿が見当たらない。つぼみの姿も見えない。O氏は一体どこで見つけたのか。山頂から北へ山道を降り、もう時間切れで引き返そうと、あきらめかけて茂みの中を振り向いた瞬間、一輪のオオヤマレンゲの花が目に飛び込んできた。

たった一輪、見事に花開いたオオヤマレンゲ。まさに山の貴婦人。僕は何度もシャッターを切り、その姿を写真に収めた。純白の花弁の中、僕を見つめる大きな瞳。その瞳は見る者に、何か魔法をかけているようも思える。

梅雨の時期、開花期間は10日前後で、花の寿命は4,5日程度。会いたくても会えない夏の花の一つであり、僕は本当に運が良かったのだ。別名、天女花とも言うそうだ。

帰宅後、あらためて画像を眺めていると、この日は美しい花たちにたくさん出会えた一日だった。初夏の山頂は天然の花壇のようで、あちこちに人を酔わす花々が咲いているのだ。鹿も貴婦人の芳香に酔いしれていたのかもしれない。

2017.05.19

山行

ずっと気になっていた山間の役場に営業に行く・・・のだが、何故か車の後部座席にはカメラ一式と、登山靴が積み込んである。こんな営業なんてどこ探したって僕しかいない。結局は商談どころか、適当な挨拶、雑談で終わり、それ以上話は進まない。それでも気が付くと昼前まで時間がかかってしまった。あせりながら車で登山口に向かう。林道ではあちこちで鳥たちの声が響いている。春、真っ盛り。若葉の瑞々しい緑色が春のそよ風に揺れ、あたり一帯、花の密の甘い香りが漂う。足場の悪い、岩が転がる道をふらつきながらもボチボチ登り始める。

早速汗が吹き出し、足を止めふと空を見上げると、まるで新緑の若葉が頭上で渦巻いているように見えて、かすかにめまいを感じた。すでに午後2時を過ぎ、頂上まで向かうには時間が足らないので途中まで登って下界に引き帰すことにした。そもそもの目的は春の野草の写真撮影であり、無理をして山頂まで行くと市内の事務所まで帰り着くのは夜だ。

そうして、空を見上げたあと、視線は地面へ。今度はあちこちで咲き誇る小さな花たちの世界に、はいつくばってカメラを向ける。植物は自分で移動出来ないのだが、この枯れた大樹の幹と苔むした岩の間の小さな隙間にも、ちゃんとお花畑があり、どの花も生まれた場所で精いっぱい花を咲かせていて、僕の心を和ませてくれた。雌の鹿と、タヌキに出会う。タヌキは最初僕の姿に気が付かず、何やらいそいそと(それこそ)ケモノ道を登っていたが、僕の気配を感じ振り向いた途端、ものすごい勢いで茂みの中に姿をくらました。

 

2017.04.17

山行

久しぶりに、山に行った。

下界とは違い、山里では今、桜が満開だ。道沿いに大きな桜の古木を見つけた。桜の樹の寿命はいったいどのくらいなんだうか。都会の桜は寿命が短いのか、ある時期になると枯れてしまい、花見ができなくなる場所もあるとテレビで言っていたが、やはり品種により違うのだろうか。山では桜の樹だけが残って、人の気配がなくなったのが皮肉なものだ。延々と車で回ったけど、誰もいない。車を降りると野鳥のさえずりが谷間に割れんばかりの声で響きあっている。みんな、生まれて来て良かった、冬の寒さを生き抜いて良かった…とでも、歌っているようだ。この古木の花の蜜も吸ったのだろうか。樹々にも鳥の歌声は聞こえているのだろう、風に枝がそよぎ、花弁が舞い散る。

道沿いの斜面ではカタクリの花が咲いていた。カタクリの花の期間は短く、一週間前後。人知れず咲いて、散る。こんな花の生き方もある。誰もいない春、誰も知らない春。

2016.12.10

山行

今年の秋はあっという間に終わった。

カメラを時々いじるしか能のない僕にも、今年はようやく、壮大な趣味が出来た。熊本の深山、五家荘の写真撮影だ。年明け早々、急坂にへたり込みながらも登り始めて、そして何度も雪道を滑り落ちながらもカメラのシャッターを切った。今にも泣きそうなみっともない汗まみれの顔も山では誰も見ていないからどうってことはない。

春になると道端の名も知らない花々を撮りまくり、初夏の若葉と水がはじけ飛ぶ滝も撮った、夏の猛暑もなんとか乗り切ったが、写真で一番期待したのはやはり紅葉の景色だ。秋が深まると山道の自然林の葉の色が一気に色づき、赤や黄色に変わるのだ。

久々に写真雑誌を買うと、全国各地の紅葉の特集が組んである。目の覚めるような絶景の写真が本の中で競い合っている。ある写真では手前の苔むす岩の上には美しく紅葉した落ち葉がいくつも重なり、敷き詰められてまさに錦秋を絵に描いたよう。その奥には白い滝がどうどうと流れ落ちて…これぞまさしく日本の秋の景色なのだ。

そして僕は微笑む…都会人のようにそんな景色を強いて探さずとも、五家荘の山々には当たり前のようにどこでも転がっているのだ。なんとぜいたくな田舎暮らしよ。今の僕は、昨年までの車道から景色を眺めてシャッターを切るだけの軟弱なカマラマンではない。なにしろ雪が降っている時から山に登っているのだ、カメラを担いで汗をかき、雨に打たれながらもシャッターを切ってきた男なのだ。本当の山の景色を撮るには、それなりの経験を積んだものしか資格がないのだ。あの山、この山、どんな山。ほんとうに紅葉の時期が楽しみだわい…と11月の初め、僕はわくわくしながら山に向かったのだが、今年はその肝心の紅葉の景色がないのだなあ。あの山、この山、どの山も今年は気候の変動が激しく、紅葉の葉の形も縮れて、近づくと色もくすんでキレイではない…足元に敷き詰められている落葉も、みんな茶色で全然美しくないのだ。

で…あたりは、紅葉どころか何故かキノコの山。あちこちにいろんな種類のキノコが百花繚乱(?)これはいったい、どうしたものかとキノコの写真を撮りまくって時間が過ぎる。(書店でキノコの図鑑を買うと、ほとんどが食用に適さぬ毒きのこばかりではないか。なんたることか。)

ようやく撮ったのがこの一枚。

僕はやらせと思いつつ、岩の苔の上に、ようやく探し出した赤い葉を数枚載せてシャッターを切った。あと1時間、いや30分でも頑張って、綺麗な葉を集め岩に敷き詰めればもっと絵になったのに…と、ちょっと悔やんだがバカバカしくなって止めた。もうよい、充分満足。

復習用にまた写真集を見ると入選作の中の審査員のコメントに、僕が当初狙っていた紅葉の敷き詰められた作品を見て、素晴らしい写真だが「よく頑張ってきれいな葉を集めた努力もすごい」と書かれてあった。よく見るとその「美しい写真」には枯れた葉が一枚もないのだ。自然の中の不自然な写真。しかし僕には不思議と怒りの感情は湧かない。卑怯とも思わぬ。撮影者が必死で葉を集めようがどうしょうが、仕上がった写真が綺麗で、素晴らしいから、ちゃんと評価されたのだろう。そして自分の中途半端な滝の写真も、まぁいいではないかと、思うのだった。

今度、大き目のバックも買ったし(また散財)、その中に簡易型のガスボンベを突っ込み、誰も居ない山の中で下手な写真を撮るばかりでなく、未完の景色を眺めながら苦い珈琲でも飲んでみようと思うのだ。

 

2016.07.05

山行

梅雨の晴れ間、

天気予報を信じて、白鳥山に向かう。

ちょっと晴れたのもつかの間
どんどん雨が降ってくる。

バサバサ、バサバサ…

最近の雨の降り方は昔と違う、
どんどん降ってくる。

右の谷は、大雨で
大きく崩落し、岩肌があらわに
大木が根から崩れ落ちて
これ以上登るのは難しい。

川沿いに登り始めるが
足元もゆるくぬかるみ
しばらくしてもう
退散を決めた。

バサバサ、バサバサ、
雨が僕の体を更に
たたき始める。

下り坂で足を滑らせ、
ちょうどいい感じの小さな
落ち込みに滑り落ちた。

折角来たのだから、
シャッターを押す。

変な形のキノコも居て
雨に濡れて傘をさしている。

足元には若葉が生まれて
苔の間から葉を広げている。

少し、雨がやんできたかと思うと
頭の上から早速鳥の声が聞こえてきた。

森は生きていて、
僕のような邪魔者にも
ちょっとだけ
居場所を確保してくれている。

(ちょいと意地悪に、若葉の先に手を触れたら
思った以上にしっかり根づいていた。)

 

2016.04.12

山行

ここ半年、熟睡したことがない。

大まかな睡眠時間、約5時間。一日のほとんどを仕事ですり減らし、疲れてはいるのだけど眠れないのだ。春になるとよけいに眠れなくなった。枕の向こう、夜が明けるのと同時に裏山で小鳥たちのさえずりが聞こえてくる。うぐいすの声しか知らないのだけど、色々な声があちこちで聞こえてくる。厳しい冬を超え、待ちに待った春、桜や椿の花の蜜を吸い、彼らは生まれてきたことが本当に嬉しくて仕方ないのだ。

僕の家の周りには数えるほどしか民家がない。過疎が進みいまや空き家だらけ。僕の体も60歳近く、どんどん痛んできたなぁ。よけいに今の時期、生まれたての声を聞くと、うらやましくもあり、その落差にやる気も起こらず、寝不足のよどんだままの頭を抱える日々なのだ。

先週、久しぶりに五家荘に写真を撮りに行った。

残念ながら春の嵐、大雨と大風で写真どころではない。激しい雨で山里もぐっしょり洗われたような風情だ。緒方家の近くをうろうろするも、何も撮りようがない。緒方家は平家の落人の末裔の棲家で、当時の藁葺の家がそのまま保存してある。

五家荘は秘境と呼ばれつつも、道は舗装され交通の便は良くなった。緒方家も観光スポットの一つとして、数百円払えば、誰でも上がりこめる庄屋の家となったのだ。言いかえればもう、主の居ないスッカラカンの史跡なのだ。写真を撮っても絵葉書のような写真しか撮れない。

僕が以前から気になっているのは、その緒方家から数十メートル先の民家だ。この木造の建物も相当古く、増築されたのか母屋から離れが突き出しているような複雑な作りをしている。周りの石垣も相当古く苔がはびこり、家全体の歴史を伝えているかのようだ。

この民家がどうしても気になりながらも正面からシャッターを切れない。家の人が見たら驚くだろう。見慣れぬ男が正面からカメラを構えているなんて。しかし、しかしだ。このどっしり構えた家の中はどうなっているのか、奥の奥はどうなっているのか気になって仕方がない。

土砂降りの雨に隠れて、数歩近づいてシャッターを切る。濡れた歩道が散った桜の花びらで埋まり、白い道となる。レンズが雨で白く曇り始めた。数歩進んでまたシャッターを切る。石垣には、紅い花が咲き誇り、その花が雨に濡れまた風情がある。この民家は仕事で擦り切れた、何の価値もない僕の時間とは違う、じっとり濃い時間が渦巻いているような気がしてならないのだ。

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誰か来たような気がする…縁側からほのかな光が射しこんでいる…雨の音が朝から聞こえてうるさい、ぼたぼたと庭木の葉を打っている、今朝は鳥の声も聞こえない…まさかこんな山奥に、人が来るなんて…体はほとんど動かなくなった、今日はどんよりとして時間も淀んでいるようだ。

ついさっきまで、延々と子供の頃の夢を見ていた。

誰か来たような気がする…あなたは何者か?

 

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