2024.12.31
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12月27日付けの毎日新聞1面のタイトル。全国紙なので、当然国会やら外交などの硬めの記事が多いけど、時に極めて個人的なニュースを記事にしてくる。突然、ユニークな変化球が飛んで来る。(この出会いが新聞の良さなんだな)
80歳「忘れちゃうけど毎日新鮮」という衝撃的なタイトルの記事は、長野県上田市に住むアルツハイマー型認知症の女性Sさん(記事では実名)のインタビュー記事や、活動の紹介だった。Sさんは6年前に認知症に診断されたけど、おしゃべり好きで、認知症が集まるカフェ、子供食堂のボランティアなどの地域活動にもたくさん参加されている。
Sさん曰く「すぐ忘れちゃうからね、毎日が新鮮、それが認知症のいいところ」
彼女はもともと20年前から地域の仲間と認知症についての勉強会に参加して、自分が「認知症」に診断されたと仲間に打ち明けた時、仲間からは差別も偏見もなく「いずれ自分たちもなる」と受けいれられたそうだ。
僕のおじさん達もひどい認知症だった。家に閉じ込められ、おばさんの目を盗んで縁側の戸を開け、脱走。裏の竹林で筍、掘っていたり、徘徊し、コンビニで保護されたり。亡くなった後で聞く話は笑い話だけど、家族は大変だったろうと思う。
認知症については、脳の障がいが原因なので個人差が激しく、いろいろなパターンがあるのだろう。みんながみんな、Sさんのようには行かないのは当然の事で、まったく一人一人の発症後の事は分からない。認知症になるまでに「自分が発症したらどうなるか?」余りに不安だらけで怯えていれば、その前に精神的な病に陥るかもしれない。但し、Sさんの例を参考にすれば、発症するまでの環境(それまで社交的、おしゃべり好き)も症状に影響するのだろう。
「忘れちゃうけど毎日新鮮」というフレーズは、そんな恐怖心、猜疑心を和らげる、魔法のフレーズのように僕には聞こえた。
と、言うのも昨年の夏、どうも記憶が変だぞ…と気になり、隣の街の認知症専門の病院に検査に行った。家人からは、誰しも歳を取ると同じ症状がでるからそこまで、しなくてもいいと言われたけど。(診察を予約したはずの病院を早速間違え、受付で呆然自失)。みっちり2日に分けて認知症の検査を受け、結果は問題なしだったが、しかし、一緒に脳のCTを撮った時に、脳にちょっとした異変が見つかった。上からどんどん脳の輪切りの灰色の画像が変化していく中で、黒いどんよりとした影がはっきり映る。これは6年目前にクモ膜下のクリッピング手術を受けた時の脳のダメージと言う事で、クリップの周辺の脳にはっきりと灰色の影が映っていた。そして記憶を司る、海馬の画像。海馬は基本、左右同じ形なのだけど、僕の場合は形が違う。海馬の機能が認知症にも大きな影響を与えるらしい。ここ数年の僕の記憶の欠落の原因はこんなところにあったのかもしれない。
今年の秋に2度目目のCT検査を受ける。検査と合わせて認知症の検査もあった。どんどん間を置かずに質問してくる看護師の返答に焦る。ちょっとしたパニックで頭の働きが上手くいかない。診察日の日時、先生の名前、病院の名前…全部間違う。100から7を順番に引いて行ってください…これも答えられない。
ただ、診察の結果は問題なし…だった。日常生活には問題ないので無理をせずに暮らしていきましょう…と言われた。認知症と認められるには、もっと大きな症状が出ないと、認知症と診断されないわけなのだ…言い方を変えれば「気が付いたら認知症」の人でしか認知症ではないのだ。一旦、認知症になれば、正常な状態には回復しないのだけど。物忘れ…と認知症の中間に、行ったり来たりの中間点があるらしい。つまり僕のポジションは中間点。
ミスをしないように、日々を恐る恐る暮らす。ミスをしたことすら気が付かない。時間がかかる。相手の言う事が即座に理解できない。物事についての感覚が鈍る。そんな一年だったが、自然には癒される。林道を歩いていて頭上から聞こえる鳥の声に安堵する。足元に咲く、山野草の姿にも生気をもらう。写真のおかげで、細く伸びて途切れそうな触覚が揺れる。暮らしの中でも6匹の猫に刺激をもらう。彼らと同じ地平で生活している気がする。
ミスをしないように…と思ってもミスをするのだから仕方ない。(自分の都合の良いように考えると)すべて初めての事だからミスをしても仕方ないのだと思うようになった。最初から上手くいくはずはない。起床して自分に起こるすべての事は、自分にとって初めての事。新鮮な出来事なのだ。
そんな日々の中で目に留まったのが新聞の、80歳「忘れちゃうけど毎日新鮮」と言う記事だった。12月30日は僕の65歳の誕生日。つまり65歳「忘れちゃうけど毎日新鮮」となる。
毎日新鮮と言うのは、毎日出会いと、別れがある事。
出会いのときめき、別れの寂しさ。
今日、あなたと出会い、明日、あなたと別れる。
今年は10回しか、山に行けなかった。天候や災害の影響もある。冬になると、チエーンを巻き雪道を走り、凍り付く滝や樹氷の写真を撮り行ったが、今は行けない。今年1年の最後の写真を探していると、秋に撮った紅葉の写真があった。
赤い葉、黄色い葉、尖った葉、丸い葉、長い葉…
一枚、一枚の記憶の葉が折り重なっている写真が一枚あった。
森の小鳥たちよ、ありがとう。
そして、さようなら。
ハチケン谷の小さな滝