2022.07.24
文化
3年に1回開催される、瀬戸内海国際芸術祭にあこがれたのは何時の頃からか。
芸術祭は2010年度からスタートし瀬戸内海の大小さまざまな島を舞台に世界中から芸術家が参加し、島民を巻き込み作品の展示がされ、全部見て回るには最低1週間はかかる芸術祭。
熊本から見学に行くには遠く、時間がかかる。(当然、仕事はホッタラカス事になる)
会社定年になってから、じっくり行こうとか、(こちとら自由業なり、死ぬまで稼がないかん)、いつか行こうとか、(そんなこと言うてたら、死ぬまでいけない)…
そんじょそこらの屋外(イベント)芸術祭とは次元が違う。瀬戸内国際芸術祭総合ディレクター北川フラムさんの本を読むと、準備に相当な時間をかけ、島民の方への説得、理解を得るのも大変だったらしい。(経緯を書いた本まで出ているくらい!)…
で、今年がその開催の年なのだが、やっぱり行けなかった。(仕事をホッタラカシて長野の縄文博物館に行った) せめて2年前に立神峡の陶芸家平木先生に、製造してもらったオブジェ「命名・森のしずく1号」を持って五家荘の山に向かった。2022年極私的芸術祭の極私的スタートである。
森のしずく1号の発想の起源は、瀬戸内芸術祭の本で見た、※「トムナフーリ」という作品で、「トムナフーリ」は森万里子氏の作品で、豊島の森の小さな池の真ん中に置かれた白いガラス質の米粒のような形のオブジェ。(高さ3メートル)
「トムナフーリ」は樹々の生い茂る暗い沼の中で、スーパーカミオカンデと接続し、宇宙で超新星爆発 (星の死) が起こると、光を放つ記念碑になるそうだ。つまり何時超新星が爆発するかわからないけど、参加者はその光が放たれるまで、その白いガラスの物体を眺め、その時を想像し待ち続ける事になる。
それに刺激を受けたのが、我が「森のしずく1号」なのです。
1号は五家荘に降る、森の雨の雫、新緑の朝露のしたたり、苔むす岩の間からこぼれ散った生まれたての水源の一滴。生まれ死にゆく鹿や猪、獣たちの涙。山に住む人の汗と涙が、雫型のオブジェに凝縮されている。
そして真ん中に空いた風穴は、時の流れを行き来する風の通り道。
7月の半ば、天気予報は曇りのち晴れ…ということで、白鳥山に出かけ登り始めて1時間小雨が降ってきた。だいたい僕が白鳥山に行く時の天候は晴天より雨が多い。しかし夏の雨は気持ちよい。カッパを来て目標の小滝に到着、写真を撮る。(岩に足を滑らせ左足が膝までずっぽり川に浸かる) 雨の為、あたりは薄暗い。滝を前に写真を撮ると、どこかの怪しい酒のポスターのようだ。次は苔の上に寝かせ、写真を撮る。
うだうだしていて昼前になる。なんとか山頂前の御池(みいけ)に着き、苔むすブナの茂みをさまよう。白いガスが湧き始める。本来ならそのガスに包まれる1号の写真も絵になりそうだが、道迷いの名所でもあり、調子に乗らずに撤退を決める。
まだ極私的芸術祭は未完。いつの日か深い森に「森のしずく」を置き、月の光が差し込みポタリと緑に輝く写真を撮りたいものだ。
下界に長く住むと、足のつま先から脳内まで「デジタル」の電波に侵されていく。宇宙の超新星の爆発に刺激を受けるどころか、無駄な電波、ノイズに反応し脳神経が傷み、気がついたらもう遅い、脳が赤く点滅し疲労が降り積もり、思考回路が絶縁、息が詰まる。
森の精で深呼吸せねば、僕の「タマシイ」は救われない気がするんだなぁ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
3年に1度、瀬戸内海の12の島と2つの港を舞台に開催される現代アートの祭典。2022年は4月14日開幕
※トムナフーリとは、古代ケルトにおける霊魂転生の場の意味。この場所で魂は次の転生までの長い時を過ごすと考えられている。
◆北川氏 談…(2016年)
正直言って、日本はすでに手遅れかもしれないとも思います。だから、伝統的コミュニティや文化的なインフラが残っているアジアの国々の人たちには日本のようにならないよう、何か少しでも支援できることがあったらしたいというのが、今の私の気持ちです。アジアの国々だったら、まだ間に合います。