2017.10.29
文化
台風接近により、あいにくの雨。熊本市内から車で約2時間半、旅館樅木山荘に投宿、夕食を食べ、午後7時前に樅木天満宮に向かう。
五家荘の夜は闇だ。街灯もなく足元さえまったく見えない。懐中電灯の明かりを頼りに坂道を登る。雨がボタボタ降ってくる。足元の小道はぬかるみ、歩きにくい。暗がりの中、木の鳥居が見えてくる。ゴーッという音が響いてくる。少し行くとようやく灯りがともる場所に出る。車がびっしり停めてある。さっきの音の響きは、駐車場を照らす発電機の音だった。車の間を通り抜けると、遠くに樅木天満宮の社殿が見えてくる。暗い木立の中、社殿の明かりを頼りに足を進めると、あたりは明々としたライトの光が強くなり、僕は闇の世界から解放された。
天満宮の建物は予想に反し、古い木造の朽ち果てかけた建物で、まさかこんな場所で神楽があるとは思っていなかった。歴史のある樅木神楽だが、最近の地域おこしの予算とやらで、社殿くらい今風にリフォームされているのではないかと僕は勝手に想像していたのだ。まさに苔むした昭和のままの雰囲気だ。
中をのぞくと更に驚く。こんな天気にかかわらず、畳の上はすでに地元の観客でびっしりと埋め尽くされていた。その数100人近く。さっきの闇と静寂とは全然違う世界がそこにあった。今か今かと神楽の始まりを待ち受ける老人たち。出番を前に緊張した面持ちの子供たち。忙しく動き回る、神楽の実行委員の人々。玄関で傘をたたみ、一人一人中に入り顔を見せる度に、あちこちから驚きと喜びの声がかかる。年に一度の天満宮の大祭。祭りは山の人々の再開の場でもあるのだ。昔話に花が咲く。山の奥で、ぽつんと一つ灯る明かり。集落の人たちの心の中に、年に一度、神様が舞い降りるのだ。傘に隠れて、すでにこの世にいなくなった人たちもやってきて、観客に交じって歓声を上げている気配さえ感じる。
この場にとって、僕はカメラを肩にかけた異物だ。ブログで紹介するのが主な目的だが、事前に実行委員会に断りを入れた。
「昔、新聞記者がやって来て写真ば撮る時に、神楽の邪魔ばして揉めたもんな」
「邪魔にならんごつ、撮るならそれでよか」
祭りをマスコミで紹介しようと思えば、どんどん前に出しゃばり撮るしかない。場所が狭い、観客は多い、シャッターを切るには明かりが暗すぎる。新聞社のカメラマンにすれば報道してあげるのだから、自分の思うままにさせて欲しいと思ったのかもしれない。しかし、樅木神楽の大祭はそんじょそこらの、客に媚びたイベントやフェスティバルではないのだ。あくまでも集落に伝わる、神聖な祭りなのだ。異物は異物らしく邪魔にならぬよう振舞うべきなのだと僕は思う。
神事が終わり、いよいよ神楽が始まる。下手に太鼓があり、音はそれのみ。
「タンタカタカタン、ダンダカダカダン。」独自のリズムが奏でられるが、いろいろな音の表情がある。そして、リズムに合わせて詠うような祝詞、神楽の舞い手の鈴の音が「シャンシャン」と鳴り響き、白地に家紋が染め抜かれた衣装をまとった4人の体がくるり、くるりと、舞い始める。
時々、「さぁー」と合いの手が入る。4人の体は、繰り返し繰り返し…体を交差し、すれ違い、出会い、回転する。白い衣が翻り、鈴の音が響き、大祭の御夜が始まったのだ。
老人の神楽を見る懐かしいような、嬉しいような表情。御馳走をほおばり、酒を酌み交わし、鈴の音に負けないように笑い声が響く。
「タンタカタカタン、ダンダカダカダン。」「さぁー」
「タンタカタカタン、ダンダカダン。」「さぁー」
舞台奥には四角に区切られた、スペースがあり、その狭いスペースで神楽は舞われる。そのスペースの真上には、同じく四角い枠が設けられ、いくつもの御幣が飾られてある。この中が、神の領域なのだ。
同じリズム、同じ動きのようでも、見ていてまったく飽きない。
「タンタカタカタン、ダンダカダカダン。ドンドン」
次の舞は、太鼓と謡いから始まった。
雨が強まる。社殿のまわりの闇が更に深くなる。
子供の神楽も奉納される。地元の泉第八小学校の子供は総勢8名。ここでは小学校に入った時から神楽の修業が始まり、舞台ですぐに舞う。子供たちは小学校を卒業すると家を出て、中学校の寮に入る。そこで一旦、神楽の修業も途絶えるが、大祭になるとまた帰ってきて、飛び入りで神楽を舞う。体が覚えているのだろう。学業を終え、地元で仕事に就けばまた、舞い手の一人となるのだろう。何時まで舞うのかと聞けば、足が上がらなくなるまでとのこと。つまり6歳から50歳過ぎまで、長い人で約40年以上舞い続け、こうして江戸時代後半より伝承された樅木神楽は現代まで生き続けてきたのだ。
神楽はどんどん佳境に入っていく。鬼の面を被った神が、地上に舞い降り、いい娘はいないかと探し始める。時に棒の先であたりをつつき、額に手を当て遠くをながめながら、観客の中をかきわけて相手を探して歩く。そこで現れたのが角隠しで顔を隠した、和服姿の女性で、二人は手にとり舞台に戻り神楽を舞う。あちこちで笑いが起き、私を連れて行ってと、観客の中で自分をアピールする女性もいて大いに盛り上がった。
御夜が終わったのは、日付が変わった午前12時半。
雨の降り続く中、闇に溶けるようにして、宿に帰る。
翌日もあいにくの雨。杉木立の間を、大きな滴が降り続ける。朝、9時から神事があり、神楽の始まりだ。観客は出だしこそ少ないが、次第に増え続ける。おばあさんが傘を差し、参道のぬかるみの中、重箱を下げてやってくる、一人、また一人。昼前に食事の時間があり、祭りで用意された猪汁と合わせて、おばあさんたちが持ってきた御馳走もふるまわれる。神楽の舞い手が一升瓶を手に、酒をついで回る。子供たちが母親の料理に舌鼓をうつ。
本祭は日曜で、久しぶりに帰郷した人々も加わり大きな同窓会のようでもある。また、神楽が再開されると、客席の老婆が一緒に、祝詞を謡いあげ、さらに賑やかに祭りは進行する。祭りの終わりの予定は午後3時。
終わりまで居ようかと悩むが、用事もあり、残念だが途中で帰ることに。後日、山女魚荘の若女将にお礼の電話をすると、
「あれからが盛り上がったとよ。踊り手も最後だけん、より真剣になって、神楽も最高によかったぁ」と言われてしまった。
たった一夜の祭り。深い森の奥に一点、明かりが灯り、また消える。そしてまた一年が経ち、村にはいろんな出来事があり、明かりが灯る。異物の僕がその一瞬の明かりを見ることが出来たのは何と幸運だったか。
(そして何と残念なことよ、悔しいことよ。どんなことがあろうが、僕は最後まで居るべきだった。)