2017.12.24
食
「孤高の人」とは小説のタイトルで、戦前の登山家、加藤文太郎氏をモデルにした新田次郎の作品だ。加藤文太郎は単独行の登山家で神戸の六甲山から、日本アルプスの山々まで登攀した人だ。困難な山々のピークを次々と登頂し記録を作った。高校時代、友人の松ちゃんがえらく心酔して僕にもその本を紹介してくれた。要するに加藤文太郎は「孤高」で、えらくカッコいいわけだ。そして最後は劇的な死を山でとげる。それまで単独行しかしてこなかったのに、その冬山で初めてパートナーを組んだ結果の劇的な死なのだ。
僕は「孤高の人」を読んだ時の当時の感想なんてもちろん覚えてないのだけど、何か加藤氏の修行僧のような生き方、山の登り方はとてもついて行けそうな気がしなかった。そんな小説よりも月刊「山と渓谷」で掲載されていた、高田直樹氏の「なんで山登るねん」というコラムが大好きで、京都の登山家ならではの物事をちょいと斜めに見たような、高田氏曰く、東京の大学の山岳部チームは「出発(でっぱーつ!)」と気合を入れて出発するのに、関西(京都)のチームは「ほな、ぼちぼち、行きましょか」と出発するという、登山観の違いが面白く、僕は断然京都派だった。
僕も数十年ぶりに山登りを再開、「ぼちぼち派」の僕は加藤氏と同じく単独行が基本なのだけど、氏のように高みを目指す単独行ではなく、カメラ片手にぼちぼち、だらだら登る習性がゆえに、単独行をせざるをえないわけで、(正直…人との協調性もなく)僕はつまり「孤高の人」ではなく「孤低の人」なのだ。
で、山を通して知り合った五家荘の人々は「孤高の人」ほど、尖がっているわけでもなく、もちろん「孤低の人」でもなく、言わば「孤軍(奮闘)の人」が多い。秘境とも呼ばれるこの地では手助けしてくれる人が少ないわけで、何かやるには「孤軍奮闘」しかないのだ。
友人のNさんは「五家荘のおせち」を企画して販売を始めて今年で3年目になる。地元の宿の女将も巻き込み、山里ならではの食材を盛り付けて限定150食から200食を手作りしている。春先から山菜を集めほぼ1年がかり、最後は12月も末、雪の降る加工場で地元の女性陣を集めて深夜まで料理の仕込みに忙しい。
題して「五家荘の宝箱」。煮しめ、もみじ肉の角煮、ヤマメの燻製、うずらのごぼう煮、ヤマメの昆布巻き、ヤマメの卵(超珍味)、岩茸の酢の物、豆腐のもろ味漬け…こんなお節はどこにもない。
(極私的には豆腐のもろ味漬けが絶品なのだ)
ここまで手が込み、贅沢で、しかも限定200食で元が取れているのか。少し心配な点もある。しかし目先の利益を考えていては何も出来ない。このお節をスタートにして、地元が潤うような仕組みを考えなければいけないのだろう。
「出発(でっぱーつ!)」と気合を入れて出発したチームは途中で息切れして、みんなバテバテ。「ほな、ぼちぼち、行きましょか」と出発した京都チームは、後でそんなチームを追い越すのだ。必ず。
(※お節の写真はシモソヤマ氏)