2017.12.04
山行
今年の登山もぼちぼち終わりかと思いながら、日曜日の数を数えていたら、本当に登れる日が残り少なくなっているのに気が付いた。貧乏暇なし、わが事務所も「枯れ木も山の賑わい」…の年末で、登れてあと2~3回くらいなのだ。
ただ、秋に読んだ「のぼろ」(西日本新聞が発行している山の雑誌)の秋号が五家荘の特集号で、その中で山の達人M氏が寄稿した「天空の縦走路」が頭の片隅でずっと気になり、のぼろか、のぼるまいか悩んでいた。原稿のサブタイトルには「ここを歩かずして五家荘は語れない」とある(そこまで断言するか…)。確かに、壮大なルートである。五家荘の盟主「国見岳」から「小国見」「五勇山」「烏帽子岳」と標高1,600mから1,700m前後の稜線をぐるりと大きく円を描きながら渡り歩き、スタートに戻るものなのだ。歩行時間7時間30分、結構ハードなルートだ。今年最後の登山になるか、ならないか。なにしろ「ここを歩かずして五家荘は語れないのだ」。紅葉も最後だろうし、結局、思い切って出かけることにした。
海抜0mの家を出たのは朝の5時前。登山口には7時30分に着いた。五家荘の山はとにかく早く取り付くに限る。国見岳の登山はいきなりの急登から始まる。朝4時起きの体はまだ硬い。あえぎながら登るうちに、尾根は冷たい強風にあおられてきた。紅葉見物どころではない、まるでこの寒さは冬ではないかと、上着のフードを立てて登るに、向かいの尾根が白くなってきた。「まさか…雪?」と驚くに、今度はどんどんガスがかかり始め、なんとあたりは霧氷に包まれ始めてきたではないか。初めて見る景色だ。登れば登るほど銀世界。冬枯れの木々の枝が氷ついてくる。こうも山の表情が変わるものか。つい先週までは、赤や黄色の葉で景色が彩られていたのに、今や真っ白の凍てついた世界。夢中でシャッターを切るも、空も一気に白い霧で覆われ、視界も悪くなる。
ようやく国見岳の頂上に着くも、強風と霧で何も見えない。2組の登山者とすれ違うも、どちらもカメラをいじる私を置いて、先を急いだ。国見岳から見る、小国見の霧氷の景色は美しく、何度もカメラを構える。これで空が晴天であれば言うは事ないのだが。いつまで待っても、谷底から白い霧が現れては風に流されて行く。もう限界と道を下る。ここからの稜線は初めてのルートだ。そしてM氏が書くように、まさに「天空の縦走路」だった。時に、切り立つ岩場の刃の上を歩くようなルートもあり、自然林に覆われた稜線を辿るルートもあり、国見から五勇山、烏帽子岳の縦走は素晴らしいものだった。
途中で空も突き抜ける晴天に変わり、振り仰ぐと木々の枝が霧氷で白く凍り付き輝いている。気が付くと風も止み、寒さも感じない。五勇山頂では、もう一人の五家荘の達人、O氏のパーティと会う。O氏は逆回りで、道標を設置しながら登ってきたのだ。O氏は登山道整備プロジェクトのメンバーで、時間があれば五家荘の山々の迷い易い箇所に案内版を設置して登山をしている。10月の僕の遭難事件でも迷惑をかけてしまった。O氏曰く、烏帽子岳からの下りが道に迷い易い箇所があるとのこと。忠告通り、新しい道標がなければ、道が途中で分からなくなる箇所が多々あった。もし山を下りるのが夜になったり、ガスがかかっていたら、危険度ははるかに増すだろう。五家荘の山は、道がしっかり踏み分けられている方が少ない。しかも見晴らしも良くなく、尾根が複雑で、谷は深い。改めて五家荘の地図を見ると本当にややこしい。そこが魅力でもあるわけだが。(苦笑)
O氏は「(僕の遭難事件の)いつか「現場検証」ば、せないかんですな」と言いながら森の小道に消えて行った。「時間が合えばお願いします」僕もそれに答える。あの場所の現場検証は、O氏の力を借りなければ確かに無理だと思う。今回の(僕には珍しい、すんなりとした)下山も、O氏のパーティの作業のおかげなのだ。感謝。それで、スタート地点に何時に還れたのかというと、なんと午後4時30分だった。歩行時間9時間。(昼食、撮影時間含む)それにしても、長い時間山を歩いたものだ。
帰宅して、湯船に浸かりゆっくり体を伸ばす。山の神は僕に美しい霧氷の景色と、全身筋肉痛というプレゼントを与えてくれた。飴と鞭とはこのことなり。