熊本県 八代市 泉町(旧泉村) 五家荘
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雑文録

2020.02.23

【強運・不運半々な日々】

強運不運、半々の人生である。まったく、運がいいのか悪いのか。年末に左肩の腱板断裂で最初に診た医者からは「早く手術せな、いかんですよ。内視鏡で切れた筋をつなぐことが出来るのはわたしだけですから、早く、早く」「先生回復するのにどれくらい?」「入院、退院、リハビリ合計でざっと半年は必要ですな。」

仕方なしに知人の紹介の医者にセカンドオピニオンすればその医者、プクンと膨らんだ、雪だるまのような体をプルンと揺らし、まず、リハビリしますかな」と苦笑い。なんと3か月週に1回リハビリ通いで腱板は切れたままでも痛みはなくなり、普段の生活が可能になった。登山用のバックは背負えないにしても、かすかな希望が見えた。

が、正月明け、頑張って、駅前の公園を歩いていたら凍った草に滑り内股座り。左ひざからプチリと音がした。内側のじん帯損傷。歩くに、杖が必要になった。同じ整形外科でリハビリ開始。つくづく、強運、不運半分の人生。何にしても、まだ登山は無理で、部屋で寝っ転がり、昔の登山を思い出している。具体的に言えば40年も前。もちろん、その時の僕は存在しない。体内の細胞も全部交代だ。その時を思い出すに相変わらず、強運、不運のくりかえし。確かにあの時僕は墜落をした。その後の事は何も覚えていない。

【墜落の仕方教えます】

僕の中では全然盛り上がらないオリンピックなのだが。特に最近スポーツクライミングなるものがテレビでよく取り上げられて話題になっているが、見ていて全然面白くない。というか、飽きるのだ。よく飛びついたり、逆さになったりしているが、サーカスとどう違う?と思う。

室内の競技で自然を感じることは何もない。これが屋外の自然石でのボルダリングなら見ている人も面白かったろうに。陽の光、草のにおい、風の向き、雨…競技者のしたたる汗。どのルートを取るかは自由自在。自然では絶対安全なホールド、スタンスなど絶対ない。見ている方も、手に汗をかくだろう。登っている最中に蜂が来襲するかもしれぬ。

僕は今からなんと40年前、ちょうど18歳から20歳になるまでの2年間、(正確に言えば高校時代の3年間もあるが)よく山に登っていた。京都に行き、調子に乗って岩登り(今風に言えばロッククライミング!)をやろうと、本屋で手に取ったのが、「墜落の仕方教えます」※という本だった。隣で立ち読みしていた赤の他人が「あんた、墜落の仕方教えますって、そんな本…」とつぶやき驚いた。山登りの世界でもへそ曲がりで協調性がないのが僕で、本来、未来のある若者ならそんなクズのような本を読まずに、ロイヤルロビンス※らの正しい山道を登る本だったはずだけど。

墜落の仕方の本を開くと、最初からうさんくさい髭面の大男が、ザイルから逆さにぶら下がり、口を開け両手をだらんとぶら下がっている無駄な写真が目に付く。そんな写真を見て、クライミングがうまくなるはずはない。僕はその本を持ちレジに行きお金を払った。そして僕はその時から2年後、本の教えのとおり墜落したのだった。(リアルに言えば真冬の中央アルプスの宝剣岳で、岩場を下降中、アイゼンで氷を踏み抜き、サッとその瞬間、足元の氷と雪が暗い谷に消え、これ以上、進んだら死ぬと体が警告を発し体全体が固まり全く動かなくなった。)その後、どうやって下界に帰れたのかは記憶にない。当時、よく言われていたのが岩登りをはじめて数年が一番危ない。調子に乗り、どんな場所でも行ける気がして、運が悪ければ自然の洗礼を受け、死ぬということだった。

【こんぴら】

言い換えれば、バカは死ななきゃ治らない。京都には大原の近くに、金毘羅山(通称コンピラというゲレンデ・岩場のトレーニング場)があり、おおよそ30くらいのルートがあった。日曜になると大勢のクライマーが集まりカラビナをガチャガチャ言わせながら(時には悲鳴!)も岩場に挑んでいた。ルートにはピラミッド、チムニー、ジャイアントなどなど、ユニークな名前が付けられて、とても一日では登り尽くせない。コンピラは初心者から海外遠征をする大学、社会人の山岳部まで老若男女の理想的なトレーニング場だった。一見たやすいルートだと思われがちだが、中には難易度の高いルートが結構ある。夏休みに福岡の某大学の山岳部の先輩を案内したが、最初はバカにしていたが歯が立たず、途中で何度も墜落した。コンピラの入り口の戸寺というバス停の横にも垂直の壁があり、登って降りられなくなった若者が時々居たりした。バス停に着いたとたん不幸な出来事を目撃するのだが、クライミングを始めた頃は体が野生にもどるのか、調子に乗るとどんな壁も登れる気がして、気が付くとどんどん登ってしまう時期なのだ。

社会人の山岳会に入った僕の師匠はビールを飲むといつも下痢する、一色さんという人だった。一色さんはいつも下駄ばきで登山口まで来て、壁を前にして、靴に履き替え、(薄毛隠しの)破れたチロリアンハットの上に、大きな金魚鉢のような赤いヘルメットをかぶるのだ。そしてしけた煙草火をつけ、ふぅーつと煙を吐き出し、岩に向かうのだ。一色さんはお調子者の僕の性格を読み取り「調子に乗るとえらい目にあうでぇ」と、いつも諭してくれた。

時々、やってくるのが農家の小島さんだった。小島さんは右手の指が3本しかなく、その指先で器用にザイルを結び、難しい、岩壁を難なく登った。一色さんの地味で確実な登り方とは違い天才肌だった。そんな小島さんでもある時会うと「こんまえなぁ。死にかけたんや。ピラミッドでな、ふいに気が抜けて足滑らしてな。頭から、ブラーんて、落ちてもうたんや。はって思って見たら、目の前に尖った石があんねん。もう少しで、みけんにその石の先が刺さって死ぬとこやったわ」ヘタヘラ人懐っこい、笑顔だった。僕もヘラヘラ笑った。小島さんはアウトローで、その後会ったときに「一人でアルプスの丸山東壁を登ったんや。その時も偉い、大変やったで。一人で登って、一人でザイルも回収せなあかん。えらいしんどかったわ」当時、小島さんとザイルを組むパートナーは誰もいなかった。(小島さんとザイルを組めば、たぶんえらいしんどい、下手したら死ぬかもしれんと誰も分かっていた。)

【ビビりフェイスにビビる】

コンピラの難関は頂上直下の「ビビリフェイス」と言われる。10メートルくらいの平べったい、垂直の壁だった。その名の通り、誰しも「ビビる、壁」で、途中までは難なく登れるが、垂直の壁、最後の数メートル。2センチほど突き出た岩の出っ張りに両足を揃えて乗せた時から「ビビリ」ははじまる。そこまでは楽勝、ところが壁の頂上まで、つるつるで何の手掛かりも見あたらないのだ。右に左に忙しく指先が騒ぎ始める。しばらくすると、緊張で両足がガタガタミシンを踏み始める。それでも手掛かりを探して落ち着いて指先を伸ばすに、数センチ先にふと指先に触れる、かすかな岩の出っ張りがある。ビビリフェイスをクリアする為には、背筋を伸ばし、その出っ張りに手をかけ、ガタガタ震える足を踏ん張り、体を持ち上げる「その勇気」があるかどうかなのだ。その勇気のない者はさんざんミシンを踏んだ後、だらーんと、墜落するはめになる。そのビビリ具合を見ようと、木の陰に見物人がたくさん集まってくる。ある日僕が見たのは大学の山岳部で、大きなリュックを背負い、冬用の手袋を着けおまけに冬用の登山靴にアイゼンを着けて登らされている新人だった。彼は靴先に付けた2本の爪で足場の岩にたち、厚手の手袋で岩にへばりついていた。そして最後の難関。どう伸ばしても手掛かりがない。ガタガタ足が震えだす。「はうら、もう少し手を伸ばしてみい、引っ掛かりがあるやろ、その引っ掛かりを引き付けてビビりを登るんや!もう少しやで!」罵声ともつかぬ、先輩からの励ましの声がする。新人君はようやくその指先に引っかかりに気が付いたが、冬用の手袋でなかなか掴めない。膝をがくがくさせながらつぶやく、「地獄や~地獄や~」先輩が叫ぶ。「おまえ、ええこと言うなぁ~おもろい奴や!」「やるかやらんかやで~はよう、登ってこんかい、本番やったら死んでるで」「ジゴクやジゴクや~」谷間に響き渡る、「ジゴクヤァ、ジゴクヤァ~」

そのあと彼がどうなったのか、僕にはったく記憶がない。まるで自分の墜落の記憶がないように。

 

愉しかりし山。その当時、日本で一番難易度の高い岩壁が、奥鐘山西壁と言われた。そのルート説明には「最後のピッチが最悪。木の枝をつかみ、回り込んで登る」とか、実際、登った人から話を聞くに「最後はなぁ、草や、草をつかんで草が抜けませんようにと祈りながら、体を引き上げて登るんや。ほんまにえらい岩やったで」当時、関西にはそのレベルの人がゴロゴロいた。難関のオーバーハングをいくつも抜け逆相の岩場をのぼり、途中の岩場でビバークし、体力も尽き果てた最後の1ピッチの締めは、草や草やで!…

スポーツクライミングはすべての足場やホールドが絶対取れないことが前提で競技場コースが設定され、大きな会場には冷暖房が完備されているのだろう。更に速度競技なので、見る方もあっという間。とにかく早い方が勝ち!そのあたりが僕には面白くない理由のひとつなのだが。

体の全細胞が入れ替わり、当時の僕とは別人となった僕は、情けなくも山を歩くことが精いっぱい。ベットに横になり、五家荘の深い森の中に居る夢を見る。今でも無意識に右手の指先を伸ばし、何かつかもうとする時があるのだ。幸か不幸か。

 

※墜落の仕方教えます ウォレン・ハーディング著 (1976年)。別名バッツオ。

※ロイヤルロビンス クリーンクライミング倫理提唱者、登山の神サマ。

森の極私的芸術祭 (嘘) 準備編

1月12日、しとしと雨

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