2018.02.18
山行
2018年2月。五家荘の山は今、眠りの中にある。少し冷え込んだりすると、山の道路は凍結し、雪が降り積もる。五家荘の集落をつなぐ道は崖沿いの道がほとんどなので、車にチェーンやスタッドレスタイヤの装着がないと、数メートルも移動出来ない事態となる。
今の時期、下界のラジオの道路情報では録音された内容を繰り返し放送するかのごとく、「五家荘方面、二本杉峠の付近ではタイヤチェーンなどのすべり止めが必要です」と伝えている。「二本杉峠」というのは、町から五家荘へ向かう、北の入り口となる峠のことだ。地図にあるように、砥用町の早楠の山裾から、うねうねと蛇行しながら高度を上げ、峠を目指す。登るにつれ途中で道幅が狭くなり、車一台分の幅となる。道の片側は、落石防止の金網が張られた岩壁で、もう片側は崖だ。冬場は白く凍り付き、普通のタイヤではまったく怖くて進めない道となる。(つまり引き返すことも出来ない!)
ところで、二本杉峠と呼ばれる正式な地名は、二本杉という。国土地理院の地図でもそう記されてある。二本杉峠なる地名は地図上には存在しないのだ。NHKはもちろん、地元の民放のラジオは冬になると間違った地名を呼称しているわけだ。
高校時代の恩師のN先生は県内の地名の研究者でもあり、毎年冬になると辛抱たまらず、放送局に電話をかけていたそうだ。間違った地名をマスコミが延々と流布しているわけだから責任重大だ。そして、そのクレームの電話に手を焼いた放送局の担当者が、回りまわって熊本の地名の研究者であるN先生宅に電話をかけて、確認することなる。
「今朝も変な電話がかかってきて、二本杉峠という地名は存在しない、嘘を放送するなという内容なんですが、どうなんでしょうN先生」と。「その電話の主は、わしだ!」と、先生が答えたかどうかは知らないが、N先生の説明を聞いて、その放送局は翌日から二本杉と放送するそうだ。しかし結局のところ、担当者が変わると、また二本杉峠に戻る繰り返し。先生ももう70過ぎ、今ではさすがに電話をかけてないらしく、ラジオではどの放送局でも「二本杉峠」と伝えている。実際、峠の場所には堂々と「二本杉峠」という標識もあり、だいいち今更、そんなことを気にしてどうするというのが一般的な感覚なのだろうか。
ところで、どこで読んだか、N先生の資料かどうか、僕の記憶もあいまいだが、今ある峠の店の場所より、昔はもう少し下りたところにお店があり、経営者も違うそうで、その店の女店主が飛びぬけて美人だったという内容の本を読んだことがある。峠にはいろいろな思い出話もあるようで、以前泊まった宿の女将の話では、車道が開通する前は、馬の背に下駄や屋根の材料となるコケラを積み、砥用の町に降り、帰りは貴重な食料などを馬の背に積み替えて峠を行き来していたそうだ。ある日、義父さんが峠に着いたところで気が緩み、つい酒を飲みすぎて、せっかく積んできた荷物がばらばらになった話や、時には子供たちも馬の手綱を引きながら、町に降りて、一緒に買ってもらえる饅頭が楽しみで仕方なかったとの話も、今では実感の湧かない、物語の中で聞くような話になってしまった。
だからこそ、正式な地名がその土地の由来を現代になんとか繋いでいこうと踏ん張ってくれているわけなのだ。
五家荘の他の峠もそうだろう。子別(こべつ)峠はそのものずばり、子供を奉公に出す別れの場所だったろうし、烏帽子岳の稜線には「ぼんさん越」(越は峠の意味)があり、不幸があったときには向こうの村から「お坊さんを連れて」、葬儀に間に合うように、家族の若い者がぼんさんの荷物を持ち、峠をふうふう越えてきた苦難が想像出来るし、南部の石楠越(しゃくなんこし)は、石楠花は咲かない地質なのになぜそんな名前かと言うと、もとももとは百難(ひゃくなん)越という名前からして困難な名前が山人のしゃれで「石楠(しゃくなげこし→(しゃくなん)越」になったという。峠に限らず、山ならではの地名として、山犬切(やまいんきり)という地名もあり、もちろん山犬はオオカミのことで、奥深い産地ならではの地名なのだ。
ちなみに「峠」の語源は白川静の常用字解によれば、山道の上り詰めたところでまた下りとなる分岐のところを言う。
そこは神の居るところとして道祖神を祀り手向け(たむけ)をした。とうげは手向けの音の変化した語というと書かれてある。「越」の語源は鉞(まさかり)の元の字でまさかりの形。困難な場所をこえるのに鉞を呪器として、使うことがあったのだろうとある。鉞の呪力を身に受けていくことを越というとある。
言葉の力は怖くて深いものなのだ。「道」の語源はもっとすごい。古い時代には他の民族のいる土地はその民族の霊や邪霊がいて災いをもたらすと考えられたので、異族の人の首を持ちその呪力で邪霊を祓い清めて進んだのが語源なのだ。これで道に首の文字がある意味が分かる。
五家荘は希少植物の宝庫でもあり、山村の民俗学の宝庫でもある。昨今の世界遺産とやらのブームにおどらされることなく、研究する人にとっては宝の山となるのだろう。いいおじさんとなり時間切れ間近のわが身を振り返ってみれば、もうちっと勉強しておればよかったと悔やむことしきり。
越すに越されぬ二本杉。山の達人Oさん、Mさんのフェイスブックでは、久連子の白崩平の周辺に雪を割って咲く金色のフクジュソウの開花の情報をちらほら見かけることがある。
残念ながら病床の身。リハビリの目標は「登山を再開できますように」と七夕の短冊に書く願い事のような文言を書いた。まずは5月。山の小道に小さな花々が春の陽気の中で精いっぱい咲き誇る姿を見るために、病院の階段を一歩一歩登る日々なのだ。
今度二本杉を超える時は、峠の道祖神にお参りして山に登ろうと思う。