2020.09.21
人
9月初めに上陸した台風9号10号の風は酷かった。海抜ゼロメートルの我が家は目の前の海から暴風が吹き、雨戸をいくら抑えていても丸く膨らみ弾けそうになる。通過した後も数時間にわたり暴風に家が揺れに揺れた。猫どもはのんびりしたものだったけど。人間は大変だった。(万が一があれば総勢7匹の猫を避難させなければならないが、その方法を考え付かない!)
ところが熊本市内ではほとんど無風、無被害だった。近年の自然災害はまるで悪魔がダーツを飛ばし矢が刺さった場所だけ大きな被害が出るような巡り合わせになっているようだ。10号についてはテレビラジオで50年に1度、いゃ、終いには100年に1度と言いだし、洪水実験だの、風速50メートルではペットボトルが飛び、壁にもこんな大穴が開きまっせ!という見本を繰り返し示していた。(何かを待ち望んでいるように)
そんな台風の報道のさなか、友人の住む鹿児島県の子宝島では自衛隊機のヘリを使った全島民の避難報道が流されていた。人口53人、世帯数32、 周囲4キロ、標高10メートル程度の島に、それ以上の高波が来る危険性が高まったからだ。子宝島は鹿児島県の十島(とから)列島に並ぶ一つの島で十島村に所属する。十島村は、屋久島と奄美大島の間に、有人七島と無人島五島からなる南北約160キロという「南北に長い村」。普通のアクセスは鹿児島港から出るフェリーで、便は1週間に2回程度往復し、その160キロの長い海路の島々を辿り生活用品などを配って回る。鹿児港から子宝島まで片道12時間。夜11時に出港し島につくのは翌日11時となる。普段から波は荒く、少しのシケでも岸壁に船が着船出来ず、そんな時の荷物は又来週になるそうだ。友人曰く、海水浴どころではない、沖に流される危険があるので海水浴はほとんどしないという。
その友人Sさんは、本来、山育ち(昔の地名で中央町の山奥育ち)で釣りの名人だった。ひょんなことから僕の住む小さな港町に引っ越してきて、ダイバーの仕事をしていた。閉鎖的で寂れた集落を朝に夕に犬の太郎君を連れ、毎日散歩するSさん。陽に焼け人懐こい笑顔を見せるSさんはすぐに打ち解け、人気者になった。町でマンゴー畑を始めたり、ログハウスを自作したりSさんは色々なことを取り組んだ。数年後、残念なことにSさんはダイバー仲間の誘いを受け、子宝島に引っ越すことになった。
Sさん家族が、小宝島に旅立つ前夜、集落では壮大な送別会が開かれた、老いも若きも歌いギターをかき鳴らし酒を飲み、別れを惜しんだ。最後はみんな肩を組み「あの素晴らしい愛をもう一度」を大合唱した。本棚の奥にしまっていた当時の写真を見ると、その肩を組むメンバーの中には80近くの亡父も居た。半島の突端の行き詰まり、もともとは明治にできた港で歴史なんてない、どこからかやってきた者が居ついてできた集落で、どこにもいけない老人たちは、我が身の旅立つ夢をSさんの背中に託したのだろうか。
ところで、十島列島にも平家伝説が残る。まさかこんな離島まで平家がと思うが、つながりが何かあるかもしれない。五家荘は山の魅力はもちろん、五家荘の持つ独特の謎めいた
伝説にも引き込まれるものがあるのだ。地方創生という名のもと、どこもかしこも同じデザインに画一化された町やイベント文化の中で、山の秘境、海の秘境の存在はとても貴重なものなのだと思う。
◆十島村に残る平家伝説の一部(ネットで浮遊中の要約)
・口之島
口之島の伝説はタモトユリ(袂百合)。平家の落人が白い香り高い百合をたもとに忍ばせて持ってきたとの言い伝えがあり、平の清盛の子孫が肥後姓を名乗り、口之島の住人の一番多い姓となっている。
・中之島
島に命からがら上陸しようとした平家残党の亡霊がブトになったという伝説がある。
・平 島
平家落人が列島で最初に流れついた島と言い伝えられ、島の東側の崖下の洞窟は平家の穴と呼ばれる。
・悪石島
源氏の追討を防御するために、島におどろおどろしい悪石という恐ろしい名前を付けたと言われている。
※悪石島の「仮面神ボゼ」は別格
Sさんは2年前、病気で亡くなった。島の病床でどんな夢を見たのだろうか。
「家が貧しくて、子供の頃、晩飯のおかずは母が川で釣ってくるヤマメや川魚でしたもんね。母親は釣りが上手くて…」そういいながら目を輝かせながら、目に見えない竿を操るSさん。
僕たちは、車を停めるとガードレールをくぐり、川へ降りる小さな道を木々の生い茂った道をかき分けながら進む。目の前は藪だらけだけど、足元をよく見ると村人がかすかに踏みつけた道が見える。(秘密の釣り場発見!) 奥で川の流れる音が聞こえる。釣り竿を木に引っ掛けないように、胸に抱きながら進む。五家荘の川は幅が狭く、木が頭の上まで茂っているので長い竿は使えない。短い竿をうまく手首を返しながら、パッとポイントに餌を落とすのだ。ヤマメは臆病で人の影や水を歩く足音にも身を隠し、一投目で失敗すると中々上に出てこない。結果、川を上に上にさかのぼっていく必要がある。そして行先にとても超えられそうにない大きな岩が立ちはだかると釣りは終わり。来た道を這い上がり、次の川を探すことになる。ようやく河原に降りて釣竿をつなぎ、リールをつけラインを結ぶ。ラインの先には手作りの毛ばり。河原の周りには水の中から羽化したかげろうたちが白い羽を広げて飛び交っている。水の中を歩かず、河原の岩の上を歩く。僕らの視線の先、苔むした岩の下には濃い緑の淵がある。その淵の前には岩があり、その岩から小さな滝のように流れは白い波を立てている。ヤマメはその波から湧き上がる虫を狙っているのだ。つまり、餌を落とすポイントはその白い波から少し離れた場所となる。Sさんは、息を止め身をかがめ、さっとその小さな渦の下に潜むヤマメの頭上に餌を落とす。その餌は小さな渦に沿いくるりと回る途中で、淵から躍り出たヤマメにくわえられる。バグッ!そのわずかなアタリの瞬間、竿はさっと跳ね上げられ、濡れたヤマメの体が宙に舞いSさんの手元に手繰り寄せられる。Sさんはニンマリいつもの笑顔に戻る。ヤマメは五家荘では「マダラ」と呼ばれる。黒い魚体に暗いまだら模様のガラが付いているからだ。僕はSさんと釣りの話をする度に、Sさんの手には見えないテカテカした愛用の釣竿が握られているような気がしていた。
五家荘の平家一族の家紋は「アゲハ蝶」。
前回の雑文録で書いた「アサギマダラ」は海を渡る蝶で、海を渡り日本から台湾まで旅する蝶と言われる。か弱い蝶が、日本の高山から台湾まで海上を休みもせずに行き交うことは不可能で、彼らは海に浮かぶ島々を辿り、蜜を吸い、休みながら台湾まで旅するのだろう。
人のタマシイも海を越え、どこかに飛んでいくのだろうか。
ふうわり、ひらり、ふうわり、ひらり