2024.04.16
山行
3月末に五家荘の花の写真を撮りに行った。お目当てはカタクリの花なのだけど、満開の写真が撮れるかどうかは運次第。山も本格的な春の到来となる。今年は気候変動の影響か、山桜も満開であったり、すでに散ってしまったり、開花状態が色々。悲しいかな、年来の大雨で山道も荒れ、春になっても山の疲れも取れてない気がして、何か辛い気がする。(そう感じるのは僕だけか…)
今や僕の定番の散歩道はハチケン谷の周辺。時々、石が遠くの崖から音もたてず飛んで来るのでヘルメットは必携。気が付くと頭上の木の枝が揺れている。林に踏み入ると、ヒトリシズカが緑の葉を開き、シズカに開花。岩の影をこっそりのぞくと、コバイモ、ネコノメソウもこっそりと咲いている。左側の崖のむき出しの岩の間に咲く、タチツボスミレと目が合う。今回は何故かスミレの淡い紫色の集団にたくさん出くわした。
たかがスミレと言うなかれ、写真を撮るのと一緒に、その花の性質も調べると面白い。今回あんまりきれいに見えたので、以前買った本をあらためて読む。
不思議な事にスミレは2種の花を咲かせるそうなのだ。(全然知らんかったな)今の大きく紫に咲いた花を開放花と言い、いろんな虫を迎え入れ、(新しい遺伝子を得る為)受粉する仕組みになっている。花にある線の模様は蜜に至るルートを示す道標(みちしるべ)ならぬ蜜標と呼ぶそうな。
スミレの2段構えの術。なんと裏技がある。開放花が咲き終えた後、秋遅くまで、地味で目立たない、ストローのような閉鎖花を咲かせる。開放花でいろんな蜂や虫に「いろんな遺伝子、みんな集まれ!」と叫び、生き延びるための強い遺伝子を集め、閉鎖花では手堅く100%受粉し、スミレの遺伝子をキープ。低コストで子孫を残す仕組みになっている。
開放花、閉鎖花、どちらの実も熟すと裂けて、種を弾き飛ばし、実験では最大飛距離2メートル飛んだそうだ。更に更に、種には蟻に運ばせるためにエライオソームという甘い物質をつけ、更に種子を遠くに運んでもらう。植物は移動できないので、色々考えて、自分らが生存する為に、真剣に工夫をしているのだなとその本を読んで改めて感心した。研究者の熱意はすごい。スミレの語源は大工道具の墨入れ。つぼみの形が似ているから。
昔、ギンリュウソウの生態系を研究した人の論文を読んだことがある。その人は光合成をしない銀色透明の銀ちゃんの栄養素を誰が運ぶのか、数年間、這いつくばって研究した。(とんでもないオタク、その人、銀ちゃん以外、友達いないだろうな、多分)
…さて、肝心の「カタクリ」の花
某所で何とか撮影できたけど、カタクリの生態も不思議…というか、カタクリは耐えに耐えて、暗い木陰に花を咲かせるのだなと感心した。カタクリは春の妖精とも言われ、他の植物が開花する前に花を咲かせ光合成し、実が熟すと葉は溶け消え、種と球根が次の年の春まで地中でひっそり眠って過ごす。短期の光合成ではキチンと成長するには大変で、種から芽生えたカタクリの最初の葉は糸のような葉。翌年は少し広めの葉を広げ、球根にでんぷんを蓄え、7,8年後、ようやく葉を2枚だし開花するそうだ。(と、いうことはカタクリの研究者は少なくとも8年は研究を続けたわけだ)
花の中心近くの紫色のMの模様は虫に蜜のありかを示す蜜標。スミレと同じように、種子にはゼリー状の脂肪酸が付いていて、蟻に種子を運んでもらう。そのゼリーが運んでもらうためのオマケだそうだ。今年のカタクリは撮影のタイミングが遅く、ちょっと疲れた顔しか撮影できなかった。
カタクリの花園の近くの川沿いの小道を踏み進むと、ヤマメ釣りのフライフイッシングの二人組に会う。川は荒れ、以前ならヤマメが潜んでいた淵もなくなり、苔むす岩も流され、平坦で釣果はなしとの事。二人は山や川が荒れているのに嘆きながらも、川にゴミが不法投棄されている光景を嘆く。こんな小川の奥にゴミを捨てなくてもいいのにね。
山から下りて、自宅近くの漁村の海岸の近くの小道をぶらぶらする。海岸も牡蠣殻、漂着したごみ、ペットボトルが異臭を放っている。
その小道の脇には、スミレの花も、もちろんカタクリの花も咲いてはいないが、まだ名も知らない、野草がたくさん咲いていた。小さく尖がった黄色に、丸い紫、朱色に青色の点々の花たちが、春風にゆらゆら揺れている。
有名、無名…花には関係なし。みんな、みんな、花たちに春が来たのだ。
※勝手に引用、意訳しました。 参考文献 野に咲く花の生態図鑑 多田多恵子著 筑摩書房