熊本県 八代市 泉町(旧泉村) 五家荘
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雑文録

2023.10.05

山行

 

NHKの朝ドラ「らんまん」が終わった。「らんまん」は日本の植物学の基礎を築いた牧野富太郎博士の史実を元に、博士の生涯をドラマ仕立てにした朝ドラなのだ。近年放送された朝ドラの中で、無理をしてストーリーを作らない、押し付けない、素直な内容だった。

 

僕が植物に関心を持ったのは、6年前、五家荘の山に入ってから。五家荘の山で見かける山野草はどうも下界のものとは違う…これは当然のことで標高1500メートルを超える場所に咲く花々と、下界の花々は植生がそもそも違うのだ…しかし五家荘にもツユクサがたくましくも咲いていた。植物音痴の僕は閉校になった小学校の空き地にも咲くツユクサの、丸い二枚の青い花びら、ちょっと化粧きつめの黄色いまぶた、宇宙人のような顔つきにも驚き感動し、カメラのシャッタ―を押していた。そしていつのまにか、町でも山でも、足元に咲くけなげな花たちを好きになった。初めて見る(その存在を知る)花々の事を「らんまん」の主人公、牧野博士と同じ「この子」と呼ぶようになった。「この子」はオタク同士の合言葉のようだ。園芸店で販売されている草花には、今もって何も感じないのだけど。

 

林道を歩いているうちに、気が付く「この子」

登りは全然気が付かなかったのに、帰りには何故がその存在に気が付く「この子」たち。

 

植物の研究者の中では、これまで気が付かなかった花の存在に気が付く事を、「目が合う」と言い方をするそうだ。

 

だんだん慣れてくると、岩の影でひっそり咲いている「この子」と目が合う。

「あー、君はこんなところにいたのか」もちろん返事はない。その花がきっかけにたくさんの群生やキノコを発見することもある。そんなこんなで、僕の山行は時間がかかるようになった。先を急がず、ぼちぼち歩いていると不思議に「この子」達と目が合うようになった。

 

五家荘の山の先輩たちの教えの影響も大きい。ただ、ネット時代の暗黙の了解で、珍しい花の居場所は絶対公開しないようになっている。どこで誰が見ているか分からないのだ。特別に教えてもらった場所はなおさら秘密厳守となる。五家荘の山野草も盗掘が絶たない。「五家荘図鑑」でも最初は花の名前や大まかな撮影場所を表記していたが、思い切って止めた。絶滅が危惧されている花たちは一旦、抜かれると、もう開花しない可能性が高い。気候変動が激しく、ただでさえ花たちの生活環境が厳しくなっていく中、自分の強欲の為に平気で盗掘する輩の無神経さは許せない。

 

春夏秋冬、五家荘の山はいろいろな表情を見せてくれるが、花も同じ。福寿草、カタクリの花ように季節の変わり目のほんのわずかな時期にしか咲かない花も多い。

 

僕が特に好きな花たちというと…

 

・オオヤマレンゲ

初夏の山頂近く。夏の青い空の下、木々の茂みの間から顔を出す、美しく高貴な白い花。大柄で大きな花弁の中から、魅惑的な瞳でじっと見つめられたら、誰もその瞳のとりこになるだろう。

 

 

・セリバオウレン

山の先輩Oさんから教えてもらった雪の結晶のような白い妖精。雪がまだ解けない杉林の暗がりを照らすように、線香花火のような、ちらちらした白い火花が飛び散っている。開花期間は短くなかなか出会う機会がない。

 

 

・アケボノソウ

この花をデザインした自然は天才だ。この水玉模様の造形美と色とりどりのバランスの取れた紋様は素晴らしい。林道を歩いていてふと目が合い、上から覗くとアケボノソウワールドに蜜を吸う蟻たちと彷徨いこむ。

 

 

・キレンゲショウマ

8月の「らんまん」では、キレンゲショウマが紹介されていた。(残念ながら番組は見れなかった) キレンゲショウマは山野草では珍しい黄色の花。硬くつぼんだ親指大の花はいつもうつむいていて、ようやく開花すると蜂がその固いつぼみの中へ入り、受粉する。

今や絶滅危惧種。宮崎県側の某斜面ではネットで保護されているが、僕の知る限り、五家荘ではたった一輪、自生している。これも山で、見知らぬ山人に指を差され、教えてもらった。苔むした倒木の上に、一人(一輪) 黄色い花が咲いている。倒木は斜面に係り、鹿も食べる事の出来ない高さにある。花を教えてくれた人は言った。「たまには、寄り道も面白いよ」

毎年、夏になると僕は決まってその谷に出かけ、キレンゲショウマの無事を確認しに行った。残念ながら、今年の夏は、その谷に向かう林道が崩落し、彼女の姿を見る事が出来なかった。

 

 

・ギボウシ

キレンゲショウマとほぼ同じ時期に開花するのが「ギボウシ」。平地でもギボウシは開花するのだけど、五家荘のギボウシはワイルド。巨木の枝の分かれ目に根を張り、濃い緑の葉を広げた中心からぐーいっと茎を伸ばし、白い花を咲かせる。山のギボウシは足元を探すのではなく、見上げるのだ。森を見上げ、山の神に吸い込まれるのだ。そのたくましさに僕は何時も圧倒された。この子も、一輪のキレンゲショウマと同じ谷に居るので、結果、今年も見る事は出来なかった。

 

 

今年は水害の影響で道路事情が最悪で、残念ながら、これらの花たちと会えない夏だった。仕方がない、時間があるので栴檀の滝に向かう。遊歩道横の川の水量が多く、滝や川の写真を撮ろうと思うが、なかなか思うような写真が撮れない。とうとう滝つぼの近くまで登って来た。滝の細かい飛沫でカメラのレンズもすぐに曇る。真昼なのに誰も居ない。一人ファインダーを覗くと、巨岩の上に一株の「ギボウシ」が咲いていた。滝の風圧に首を揺らしながらも立派な花を咲かせている。

 

 

山の草花はどこにも移動が出来ない。大雨で山が崩れ、川が氾濫しても。足元の土が揺らぎ、土砂もろとも自分の姿も谷底に崩れ落ちても。雨が降らず、日照りが続いても。それでも一輪の花を咲かせている姿がある。

 

一期一会、一輪の花。

 

五家荘の山に足を踏み入れなければ、一生、会う事の出来なかった、この子たち。

僕のこころは「らんまん」ではないが、君たちのおかげで、どんなにいやされたか。

 

最後のシーン。槙野博士がテレビを見ている僕の顔を覗き込み、目が合い、笑顔で

「おまん、誰じゃ?」と聞いて、話は終わる。

 

おつかれサマの、ヤマ。

晩夏の谷に赤い実、爆(はぜ)る

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