熊本県 八代市 泉町(旧泉村) 五家荘
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雑文録

2024.01.28

文化

今年、日本石仏協会に入会した。石仏協会はその名のごとく、日本全国の石仏の愛好者、研究者の集まりで東京に本部がある。1977年に開設、なんと47年の歴史のある会で日本唯一の石仏についての民間と研究者の集まり、オタク集団なのだ。年会費を払うと年に3冊、立派な会報誌が送られてくる。そんな協会を知るきっかけは、いつもの上通の古書店、河島書店の書棚でたまたま「熊本の石仏特集号」を見つけた事。協会は超専門的な内容から、素人向けの石仏探訪必携ハンドブックまで発刊している。ハンドブック1冊さえあれば、いつも通る道に鎮座する石仏の見方がよく分かる。石仏の解説はもちろん、石塔、石祠、石灯篭、梵字の解説…都市部ではシンポジウム、石仏見学ツアーまで企画されている。会員はほとんどが年配者だろうけど、みんな石仏に元気をもらっているらしい。(僕も)

石仏ファンというのは、自然の景色の中で、みんなの安全平和を願い、悪霊を追いはらってくれる素朴な仏像を愛でる人の事を言う。その石仏はきれいでもなくてもよい。長い間風雨にさらされ、目も欠け、鼻も欠けぼろぼろになり石の姿に戻ろうとも、その想いは美しい。博物館などで金ぴかに磨かれ拝められる仏像とは違うのだ。ひねくれた自分がそんな事をこのブログに書くのは、そんな野仏様に自分の煩悩を払い落として欲しい、邪念があるだけなのだけど。

去年まで僕は日本修験道協会にも加入していた。ただ修験道協会からは何の資料も送付されず、中央では頻繁に研究会、見学会が開催されているけど、熊本ではそういう催しも一切なく、うらやましいだけの会に終わった。日本石仏協会のフェイスブックには毎日のように会員からの投稿が湧いてくる。全国津々浦々の石仏ファンがネット世界でも頑張って居るのだ。石仏見てまわるにかかる費用は交通費だけ。石仏を眺め愛でて、みんな、朽ちた石仏を撫で、ぼんやり良い気持ちになり、帰路に就くだけのとてもよい趣味なのだ。

古代の人は山や巨岩、巨木に自然の神が居ると信じていた。要するに原始的山岳信仰というもの。古代の人々は、自然から自分たちも生まれて来て、死ぬという信仰なのだ。言葉がないの(仮説)で、ひたすら体全体で自然の神に祈った。この降り続く、冷たい雨が止みますように。日照りの乾いた焼けるような野原に雨が降りますように。ごうごうと頭上を吹きすさぶ風がやむように。山の木々に実がたわわに実りますように。死んだ人が生き返りますように。

日本に仏教が伝来したのは700年前後。自然の神を信仰するみんなに、お坊さん達は仏の教えを信じたら心が救えます、そのシンボルとして仏像があります、この教えをみんなで声を合わせてつぶやけば、元気になりますよ。さて仏像にもいろいろなランクがありまして…とかなんとか。その宗派の流れのいくつかが山岳信仰が密教と合体し、修験道という流れも生まれ、聖なる山で修行を積み、祈祷を行い、山に寝るから山伏と言い、山伏は各地の山を順番に拝んだで教えを広めた。もちろん五家荘の地域にも修験の道もあり、仏の道もあり、時にキリスト教の道もあったようだけど、遠い昔のことでそれらの道を辿ることは今ではなかなか困難なようだ。

ちなみに僕の住む町の隣の天草は相当数の修験の史跡があり、仏教からキリスト教、密教、修験道が混在している。熊本市内の研究者がその資料を去年、大著「天草の民俗信仰」にまとめられた。世界文化遺産の崎津の集落の中には、天草の乱から明治維新まで、修験の山伏さんが地域の面倒を見ていた場所がある。潜伏キリシタンが信仰していたのはキリスト教ではなく、マリア観音教なのだ。明治維新から数年後、信教の自由となった天草の潜伏キリシタンの信者のほとんどはカソリックに改宗されたが、それを拒否し、自分たちのマリア観音様の教えを守り、今は信仰も途絶えた「今富」という集落がある。今富の潜伏キリシタンの指導者「トクジ」さんは山伏なのだ。

僕は特定の宗教を信じない。何事も信じすぎるとロクなことはない。何千年経っても異教徒は殺し合ったし、宗派が違うと戦争しても平気なのだ。今でも虐殺されている人を助けるどころか、虐殺している方を応援したりしながら、平気な顔をしている宗教がある。あんまり歯向かうと平気で原爆落とすし。都合が悪くなると、神のせいにする。

去年の夏、栴檀の滝の下流で写真を撮っていた。緑の谷の奥に流れる清流の表情を写真に収めるのはとても難しい。(自己満足な写真ばかりな自分だけど、自己流ではどうしても水の写真は難しい。水は流れ、動き、揺らぎ、反射し、周りの景色を写すから、その瞬間が定まらない) 結果、思う写真は撮れずに、小さな滝でその白いしぶきが打ち付ける流れに、うずくまる白い仏さまを見つけた。単なる、三角形の岩に水が流れるだけに見えるけど、修験の人の滝行の姿はこんな姿に映るのだろうかと感じた。その滝へ向かう小道にはある観音様が祀られている。

 

去年の9月に自分の不注意、思い上がりの結果として、またもや五家荘で遭難し皆さんに多大な迷惑をかけてしまった。広々とした道があるのに、頭の記憶回路が暑さですっ飛んで帰り道がどうしても思い出せなかった。何度もレスキューポイントを往復したが、手を打てない。ここは何処か?突然小雨も降り始め、遠雷の音も聞こえてきた。結果、馬酔木の茂みに赤いテープを見つけそのテープをたどり、枝を掻き分けると、杉林の間、足元の向こうに茶色の林道の筋が見えた。道に迷った時に出て来る赤いテープは魔物なのだけど…そうと分っていても足が進む。方向は逆だが、この林道は遠回りながらも国見岳登山口から樅木集落に向かう林道と確信し、杉林の中を駆け降りる。

まだ昼過ぎ。荒れた林道を膝をがくがくさせながら歩いて降りる。途中、爪でひっかいたような、谷底へ落ちる崩落の箇所があるが、木の根を頼りに体を引き上げ、足元がぼろぼろ崩れる中、一気に崖をよじ登る。もういいだろう勘弁してくれと、曲がり角を曲がると、又、激しい崩落地。突き刺さる杉の大木を梯子代わりによじ登り、崖の突端にしがみつき這い上がる。しばらく行くと又、崩落地、また足元の岩がぼろぼろ、崩れる前によじ登る。さっきまで明るかった林道の向こうの山の稜線に太陽は沈みかけ、ぼんやり夕暮れが僕の体を包み込み始める。残り5キロの標識を過ぎたところで道に大量の杉が重なるように横倒しになっている。その杉の木の間を這いつくばり、潜り抜け、幹のすきまに見えたのは林道が途絶えた、ものすごい、地滑りの跡だった。もしかしたら、何かの弾みでうつぶせの自分の体もごっそり杉と一緒に谷底に崩れおちるのだろうか、不意に恐怖心が湧き上がり、杉の枝に引っかかりながらも至急撤退!後ずさりした。

もう数メートル前の景色も見えなくなる。もう夜なのだ。最後の頼みと、いつも迷惑をかけているOさんの携帯に電話すると、奇跡的にこれまで圏外だった電話がつながり、現状を伝える。自宅にもラインをする。「とりあえずは無事だが、今日は帰れない」と。

もうじたばたしても仕方ない。山のふところ深い場所で、夜が明けるまで待つしかない。長い夜…何度時計を見ても時間が進まない。えーぃと合羽を着込み腕を組み、林道の真ん中に体を横たえる。頭上の木々の影の間からきれいな星が見える。途中、しとしと小雨が降って来たり、又やんだり…雨が落ちる音以外、不思議と物音がしない。さすがに9月でも山の夜は冷える。体から水分が抜けたのか、どうしてものどが渇いてくる。筋肉がこわばり硬くなった体を起こし、水の湧き出る、崖の近くまで歩こうと思い立ち上がる。バッテリーが消費するので携帯は使えない。暗がりの中をうろうろ歩き、倒木につまずきそうになる。メガネが曇る。

寝ていた場所まで戻る途中の道の真ん中に、丸くうずくまり、ぼんやり白い光を放つ老婆の後ろ姿がある。ドキリとする。崩落した大きな白い岩の姿なのだろうか?いゃ、さっきまではそこには何もなかった。その場に居続けるのは流石にまずい。「すいません…」と言いながら、僕はその白い老婆の横を急ぎ足ですり抜けた。後ろを振り返ると絶対ダメだと念じ、次の曲がり角まで急ぐ。更に夜の時間は長くなった。

縁起でもない話だけど、人は死ぬ。僕もリアルに考える歳になった…僕が死んだら、子供の頃、泳いだ海岸で石を3個拾ってきて欲しいと家族にお願いしている。生まれた町に立派な海水浴場なんてないから、子供の頃は家の前の海で適当に泳いで遊び、甲羅干しをした。そのどこにでもある海岸から、手の平に乗るくらいの大きさの石を3個拾ってきて、墓の代わりに置いてほしいと伝えている。そのうち1個は、裏山の見晴らしのいい空き地に置いて欲しい。小学生の頃、仲の良かった浜口ヤスオ君が大阪に転校する前の日に、丘の上から集落を二人眺め、一緒に弁当食べたあの場所に。1個は20代を過ごした京都の鴨川の河原のどこか、出町柳の橋の下でいい。悶々と、過ごした京都の夏。誰も知らない3畳半の間借りから僕の京都暮らしはスタートした。出町柳の駅から電車に揺られ、民家のすきまを縫うように電車は揺れながら、元田中、茶山、そして一乗寺駅。降りると名画座、京一会館があった。

最後の1個は、五家荘の白鳥山の谷の緑深い、森のふところに置いてもらうように。春になればたくさんの花が咲き、生まれたばかりの清流が岩の間を走り、頭上では春の到来を喜ぶ、冬に耐えた山鳥達の鳴き声が谷に響いて飽きない。アサギマダラも飛んで来るだろう。

五家荘の山々には、仏さまが居るのだ。これからは谷に咲く山野草と共に眠る、仏様も僕は写真に収めて行きたいと思う。何しろ日本石仏協会の会員なのだ。

 

仏体にほられて石ありにけり

 

僕が敬愛する、自由律俳人 尾崎放哉の句集で見つけた1句。

僕はそのまんまの石で充分なのだ。

久連子の小さな春

おつかれサマの、ヤマ。

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