2018.11.13
食
秋も終盤。五家荘の紅葉情報もフェイスブックや何やらで、どんどん入ってくる。みんな紅葉の森の中でたっぷり秋を楽しまれ、なんとうらやましいことか。二本杉の峠の状況はどうの、大金峰、小金峰はどうの。当方、病気で2年間の運転禁止の身。海抜ゼロメートル、家の窓からは秋の陽射しを銀色に反射する、波のうねる景色しか見えない。裏山の紅葉もちらほらだが、昨今の塩害の影響で、こころもち色がくすんで見える。
仕事に出るのも週に3日。休みの日は、ふらふら杖を突きながら、近くを散歩する。近所の目も気になる日々だ。「竹田さんとこ、ちょっとおかしかばい」「車も停まったまま」「仕事は辞めらした?会社首にならした?」「何か杖ついて、病気だろか?」「それにしても猫が多か(家に6匹)」「何匹飼ったら気が済む?(裏玄関に最低4匹)」「脳の病気?何をするか分からん人」これまで、これまで朝から夜までほとんど居ない人間が突然存在し、辺りをうろつきまわると特に目立ってしまうのだ。(自意識過剰、被害妄想的でもある…)
ついにたまらず、家人に懇願し、山まで車で運んでもらう。いきなり五家荘は無理で、五木村の入り口、大通り峠を降り、大滝まで紅葉狩りだ。まだ五木の山の紅葉は遅く、カメラを持つ気にならない。五家荘ならすごいだろうに。大滝に向かう小道に添った小川に降りて、それらしき景色を撮る。時間ばかりかかり、あきらめる。家人はひたすらドングリを拾い始める。山の空気を吸えるだけでも今は幸せか。
そういえば去年歩いた、石楠越から、山犬切、七遍巡り、水上越の紅葉は良かった。登山道に黄色く積もった落ち葉を足でかき分けながら、進むたびに、深山の秋は深まり、秋空を見上げると、両手を広げた木々の色づいた葉の隙間から秋陽が射し込み目に染みる。帰路の途中、林道の空き地に車を停め、車いすの人が画板を立て、赤や黄色に染まった稜線の景色を眺めながら絵筆をふるっている姿に気が付いた。つい僕も車を停め、その景色を写真に撮ろうとした。その人はコーヒー片手に、山のひと時を楽しんでいた。僕の下手な写真は一瞬で終わるが、画人の絵に流れる時は永遠のようだ。彼は今年も山に向かったに違いない。山は登らずともそんな楽しみ方もあるのだろう。
ほとんど収穫のない山行だったけど、気が付くと家の玄関の石榴の木にたくさんの実がなっていた。子供のころはその実をちぎって、よく食べていた。秋が深まると、裏山の三角岳にもアケビやうべの実がなり、小学校の友人達と、ナップサックを背負い、千切りに出かけたものだ。今、そんな季節だが、もう裏山には人影さえも見ない。僕一人、故郷に改めて帰ってきた気分なのだ。
今年の秋の色は赤く、口に入れるとなつかしく、すっぱい。
2017.12.24
食
「孤高の人」とは小説のタイトルで、戦前の登山家、加藤文太郎氏をモデルにした新田次郎の作品だ。加藤文太郎は単独行の登山家で神戸の六甲山から、日本アルプスの山々まで登攀した人だ。困難な山々のピークを次々と登頂し記録を作った。高校時代、友人の松ちゃんがえらく心酔して僕にもその本を紹介してくれた。要するに加藤文太郎は「孤高」で、えらくカッコいいわけだ。そして最後は劇的な死を山でとげる。それまで単独行しかしてこなかったのに、その冬山で初めてパートナーを組んだ結果の劇的な死なのだ。
僕は「孤高の人」を読んだ時の当時の感想なんてもちろん覚えてないのだけど、何か加藤氏の修行僧のような生き方、山の登り方はとてもついて行けそうな気がしなかった。そんな小説よりも月刊「山と渓谷」で掲載されていた、高田直樹氏の「なんで山登るねん」というコラムが大好きで、京都の登山家ならではの物事をちょいと斜めに見たような、高田氏曰く、東京の大学の山岳部チームは「出発(でっぱーつ!)」と気合を入れて出発するのに、関西(京都)のチームは「ほな、ぼちぼち、行きましょか」と出発するという、登山観の違いが面白く、僕は断然京都派だった。
僕も数十年ぶりに山登りを再開、「ぼちぼち派」の僕は加藤氏と同じく単独行が基本なのだけど、氏のように高みを目指す単独行ではなく、カメラ片手にぼちぼち、だらだら登る習性がゆえに、単独行をせざるをえないわけで、(正直…人との協調性もなく)僕はつまり「孤高の人」ではなく「孤低の人」なのだ。
で、山を通して知り合った五家荘の人々は「孤高の人」ほど、尖がっているわけでもなく、もちろん「孤低の人」でもなく、言わば「孤軍(奮闘)の人」が多い。秘境とも呼ばれるこの地では手助けしてくれる人が少ないわけで、何かやるには「孤軍奮闘」しかないのだ。
友人のNさんは「五家荘のおせち」を企画して販売を始めて今年で3年目になる。地元の宿の女将も巻き込み、山里ならではの食材を盛り付けて限定150食から200食を手作りしている。春先から山菜を集めほぼ1年がかり、最後は12月も末、雪の降る加工場で地元の女性陣を集めて深夜まで料理の仕込みに忙しい。
題して「五家荘の宝箱」。煮しめ、もみじ肉の角煮、ヤマメの燻製、うずらのごぼう煮、ヤマメの昆布巻き、ヤマメの卵(超珍味)、岩茸の酢の物、豆腐のもろ味漬け…こんなお節はどこにもない。
(極私的には豆腐のもろ味漬けが絶品なのだ)
ここまで手が込み、贅沢で、しかも限定200食で元が取れているのか。少し心配な点もある。しかし目先の利益を考えていては何も出来ない。このお節をスタートにして、地元が潤うような仕組みを考えなければいけないのだろう。
「出発(でっぱーつ!)」と気合を入れて出発したチームは途中で息切れして、みんなバテバテ。「ほな、ぼちぼち、行きましょか」と出発した京都チームは、後でそんなチームを追い越すのだ。必ず。
(※お節の写真はシモソヤマ氏)