熊本県 八代市 泉町(旧泉村) 五家荘
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雑文録

2016.12.10

山行

今年の秋はあっという間に終わった。

カメラを時々いじるしか能のない僕にも、今年はようやく、壮大な趣味が出来た。熊本の深山、五家荘の写真撮影だ。年明け早々、急坂にへたり込みながらも登り始めて、そして何度も雪道を滑り落ちながらもカメラのシャッターを切った。今にも泣きそうなみっともない汗まみれの顔も山では誰も見ていないからどうってことはない。

春になると道端の名も知らない花々を撮りまくり、初夏の若葉と水がはじけ飛ぶ滝も撮った、夏の猛暑もなんとか乗り切ったが、写真で一番期待したのはやはり紅葉の景色だ。秋が深まると山道の自然林の葉の色が一気に色づき、赤や黄色に変わるのだ。

久々に写真雑誌を買うと、全国各地の紅葉の特集が組んである。目の覚めるような絶景の写真が本の中で競い合っている。ある写真では手前の苔むす岩の上には美しく紅葉した落ち葉がいくつも重なり、敷き詰められてまさに錦秋を絵に描いたよう。その奥には白い滝がどうどうと流れ落ちて…これぞまさしく日本の秋の景色なのだ。

そして僕は微笑む…都会人のようにそんな景色を強いて探さずとも、五家荘の山々には当たり前のようにどこでも転がっているのだ。なんとぜいたくな田舎暮らしよ。今の僕は、昨年までの車道から景色を眺めてシャッターを切るだけの軟弱なカマラマンではない。なにしろ雪が降っている時から山に登っているのだ、カメラを担いで汗をかき、雨に打たれながらもシャッターを切ってきた男なのだ。本当の山の景色を撮るには、それなりの経験を積んだものしか資格がないのだ。あの山、この山、どんな山。ほんとうに紅葉の時期が楽しみだわい…と11月の初め、僕はわくわくしながら山に向かったのだが、今年はその肝心の紅葉の景色がないのだなあ。あの山、この山、どの山も今年は気候の変動が激しく、紅葉の葉の形も縮れて、近づくと色もくすんでキレイではない…足元に敷き詰められている落葉も、みんな茶色で全然美しくないのだ。

で…あたりは、紅葉どころか何故かキノコの山。あちこちにいろんな種類のキノコが百花繚乱(?)これはいったい、どうしたものかとキノコの写真を撮りまくって時間が過ぎる。(書店でキノコの図鑑を買うと、ほとんどが食用に適さぬ毒きのこばかりではないか。なんたることか。)

ようやく撮ったのがこの一枚。

僕はやらせと思いつつ、岩の苔の上に、ようやく探し出した赤い葉を数枚載せてシャッターを切った。あと1時間、いや30分でも頑張って、綺麗な葉を集め岩に敷き詰めればもっと絵になったのに…と、ちょっと悔やんだがバカバカしくなって止めた。もうよい、充分満足。

復習用にまた写真集を見ると入選作の中の審査員のコメントに、僕が当初狙っていた紅葉の敷き詰められた作品を見て、素晴らしい写真だが「よく頑張ってきれいな葉を集めた努力もすごい」と書かれてあった。よく見るとその「美しい写真」には枯れた葉が一枚もないのだ。自然の中の不自然な写真。しかし僕には不思議と怒りの感情は湧かない。卑怯とも思わぬ。撮影者が必死で葉を集めようがどうしょうが、仕上がった写真が綺麗で、素晴らしいから、ちゃんと評価されたのだろう。そして自分の中途半端な滝の写真も、まぁいいではないかと、思うのだった。

今度、大き目のバックも買ったし(また散財)、その中に簡易型のガスボンベを突っ込み、誰も居ない山の中で下手な写真を撮るばかりでなく、未完の景色を眺めながら苦い珈琲でも飲んでみようと思うのだ。

 

2016.07.05

山行

梅雨の晴れ間、

天気予報を信じて、白鳥山に向かう。

ちょっと晴れたのもつかの間
どんどん雨が降ってくる。

バサバサ、バサバサ…

最近の雨の降り方は昔と違う、
どんどん降ってくる。

右の谷は、大雨で
大きく崩落し、岩肌があらわに
大木が根から崩れ落ちて
これ以上登るのは難しい。

川沿いに登り始めるが
足元もゆるくぬかるみ
しばらくしてもう
退散を決めた。

バサバサ、バサバサ、
雨が僕の体を更に
たたき始める。

下り坂で足を滑らせ、
ちょうどいい感じの小さな
落ち込みに滑り落ちた。

折角来たのだから、
シャッターを押す。

変な形のキノコも居て
雨に濡れて傘をさしている。

足元には若葉が生まれて
苔の間から葉を広げている。

少し、雨がやんできたかと思うと
頭の上から早速鳥の声が聞こえてきた。

森は生きていて、
僕のような邪魔者にも
ちょっとだけ
居場所を確保してくれている。

(ちょいと意地悪に、若葉の先に手を触れたら
思った以上にしっかり根づいていた。)

 

2016.04.12

山行

ここ半年、熟睡したことがない。

大まかな睡眠時間、約5時間。一日のほとんどを仕事ですり減らし、疲れてはいるのだけど眠れないのだ。春になるとよけいに眠れなくなった。枕の向こう、夜が明けるのと同時に裏山で小鳥たちのさえずりが聞こえてくる。うぐいすの声しか知らないのだけど、色々な声があちこちで聞こえてくる。厳しい冬を超え、待ちに待った春、桜や椿の花の蜜を吸い、彼らは生まれてきたことが本当に嬉しくて仕方ないのだ。

僕の家の周りには数えるほどしか民家がない。過疎が進みいまや空き家だらけ。僕の体も60歳近く、どんどん痛んできたなぁ。よけいに今の時期、生まれたての声を聞くと、うらやましくもあり、その落差にやる気も起こらず、寝不足のよどんだままの頭を抱える日々なのだ。

先週、久しぶりに五家荘に写真を撮りに行った。

残念ながら春の嵐、大雨と大風で写真どころではない。激しい雨で山里もぐっしょり洗われたような風情だ。緒方家の近くをうろうろするも、何も撮りようがない。緒方家は平家の落人の末裔の棲家で、当時の藁葺の家がそのまま保存してある。

五家荘は秘境と呼ばれつつも、道は舗装され交通の便は良くなった。緒方家も観光スポットの一つとして、数百円払えば、誰でも上がりこめる庄屋の家となったのだ。言いかえればもう、主の居ないスッカラカンの史跡なのだ。写真を撮っても絵葉書のような写真しか撮れない。

僕が以前から気になっているのは、その緒方家から数十メートル先の民家だ。この木造の建物も相当古く、増築されたのか母屋から離れが突き出しているような複雑な作りをしている。周りの石垣も相当古く苔がはびこり、家全体の歴史を伝えているかのようだ。

この民家がどうしても気になりながらも正面からシャッターを切れない。家の人が見たら驚くだろう。見慣れぬ男が正面からカメラを構えているなんて。しかし、しかしだ。このどっしり構えた家の中はどうなっているのか、奥の奥はどうなっているのか気になって仕方がない。

土砂降りの雨に隠れて、数歩近づいてシャッターを切る。濡れた歩道が散った桜の花びらで埋まり、白い道となる。レンズが雨で白く曇り始めた。数歩進んでまたシャッターを切る。石垣には、紅い花が咲き誇り、その花が雨に濡れまた風情がある。この民家は仕事で擦り切れた、何の価値もない僕の時間とは違う、じっとり濃い時間が渦巻いているような気がしてならないのだ。

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誰か来たような気がする…縁側からほのかな光が射しこんでいる…雨の音が朝から聞こえてうるさい、ぼたぼたと庭木の葉を打っている、今朝は鳥の声も聞こえない…まさかこんな山奥に、人が来るなんて…体はほとんど動かなくなった、今日はどんよりとして時間も淀んでいるようだ。

ついさっきまで、延々と子供の頃の夢を見ていた。

誰か来たような気がする…あなたは何者か?

 

2016.02.14

山行

先日、五家荘の久連子(くれこ)の山に、福寿草の花の写真を撮りに行った。

今年は暖冬で、いつもより開花が早いらしく、仕事でも使うのであせって支度をした。

今回が本格的な山登りの初日でもある。折角、大枚をはたいて道具を買ったのだ。
前日にも、つい調子に乗って杖を買った。今、山の写真を見るとみんなスティツクをついている。
膝の負担を軽くするらしい。店に行って驚いたが6千円くらいするのだ。しかし万が一(何が?)ということもある。山のイノシシと戦う時もある、かもしれない。そんな時にこの杖が役に立つのだ。

久連子は五家荘の集落でももっとも深いところにある。昨今の大雨で、崖が崩れ、その度に道路も新しくなり、またその道路が崩れてその道路が新しくなる…その繰り返し。思い切ってトンネルまで掘られて以前よりだいぶ近くはなった。

昔は、ここまでたどり着くのは至難の業だったろうと思う。まぁ今でも、最後は車一台分の道幅で落石だらけ、片方は崩落寸前の岩がむき出しになり、片方はガードレールがぼこぼこで、下には渓流が流れている。(マムシ君が泳いでる)要するに離合できない道をゴリゴリ石を踏みながら進むと久連子集落なのだ。

ガイド本のコピー片手にいよいよ、オコバ谷の入り口から登山が始まる。急登、急登と書いてあるがほんまかいな。登ってみて分かる、自分の甘さ、だらしなさ。そう…生涯こんな急登したことのないような、急登が続く。最後はとうとう5分おきに膝をつき、体を休めながらの急登となった。

稜線の近くの台地で、福寿草発見。

まだ2分咲きだが、やはり嬉しいものだ。枯れ葉の陰から黄金色の可憐な花が顔を出している。太陽の光を浴びて、花びらもピカピカツヤツヤだ。運よく雪割りの花の写真も撮ることが出来た。この斜面一帯に自然の福寿草の花が咲き誇るのだろう。名前も縁起がいいので山野草の愛好家には人気なのだ。(盗掘や異常気象で年々、花も激減しているらしい)

写真を撮り終え、来た道を戻るか尾根まで登り、違う道で帰るか迷うが、そのまま登ることにした。そして更なる急登、急登…もうへとへとだ。

オコバ谷分岐まで這い上がり、岩宇土山の頂上(1347m)を踏み、帰路に。それが、今度は急登の反対…急な下りの連続!谷間に張ってあるロープをつかみながら、足元の道がどんどん崩れていくのを誤魔化しながら、とにかく下る。いよいよ、ロープにぶら下がりながら下る…というより落ちる。全身、緊張の連続だ。前日に買ったこの杖がなければ、僕はすでに木の枝に引っかかって助けを求めていたに違いない…。

ようやく、ちょっと平らな場所にたどり着くと、そこには小さなお地蔵さんが祀られていた。いったん通り過ぎるが気になり引き返して写真を撮らしてもらう。

右の側面には二月十六日とあり、左には明治三十年、八代郡久連子村とある。正面をよく見ると、お地蔵さんは小さな子供の形を抱いているのが分かる。ほとんど消えかかっているけど。この場所でも標高1000m近くある。集落からは、登りで1時間以上かかる場所にポツンとあるのだ。

 

その場所からまた、ものすごい下りで、僕はようやく夕方5時過ぎに車を置いている広場にたどり着いた。

たまたま明日がお地蔵さんに刻まれた二月十六日で、もちろんその日に何があったのかは知る由はない。なぜあの場所にお地蔵さんが祀られているかも。

ちょうど、お地蔵さんのあたりも当時は福寿草が満開で、とてもきれいな景色だったのかも知れない。お地蔵さんの家族を囲む、金色の福寿草。もう百年以上も前の、山の物語なのだ。

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