熊本県 八代市 泉町(旧泉村) 五家荘
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雑文録

2019.05.07

山行

5月5日は先週に続き、また五家荘の川に行った。春先の出足の遅れを取り戻す気である。(何も競争しているわけではないけど)

もちろん激しい登山は頭の中が酸欠になるので、先週に続き、“山歩き”となる。それはそれで、深い森の新緑の中を歩くのは楽しい。コップに緑のインクを垂らしたように、山の尾根から緑がどんどん湧きだしてくる。そんな緑の中に、山藤の薄紫の花々が彩を添えている。さすがに連休で、車の往来も多い。春の到来を喜ぶ、山の鳥の声が車内に響く。

今回は砥用経由で、二本杉の峠に着き、雁俣山への小道を足慣らしに歩く。残念ながら、石楠花の開花はまだ。(あと1週間で満開になるだろう)途中で引き返し、目的の樅木川へ向かう。樅木川の春の景色を撮るのが今回の大きな目的なのだ。山女魚釣りに使っていたゴム長(ウェーダー)まで用意。撮影ポイントは秘密の場所で、山道から川に降りるのは少し危険なので、荷造り用の丈夫な平らなロープを4巻用意した。(我ながら大げさ)

この秘密の場所は、山女魚釣りする者ならピンとくる場所なのだ。釣りする者は山に入ると、川沿いの道に沿い、魚が居そうな場所をきょろきょろ物色しながら運転する。そして急に車を止め、林道をフラフラ歩きながら背伸びしたりしゃがんだり、不審な動きをする。気が付くとひょいとガードレールをまたぎ、草むらを嗅ぎまわり、腕を組み、にんまりとする。ついに川に降りる道を見つけたのだ。そういう川には地元の人や、釣り人がこっそりつけた足跡があるのだ。つまり、そういう道があるということは、広大な五家荘の数えきれない川の中で、「ここには魚が居ます」という見えない案内板を見つけたようなものなのだ。(魚が居ても釣れる保証はありません。)

今回の撮影ポイントも数年前に僕はピンと来たのだ。(相変わらず馬鹿か)草原に車を止め、ふっと茂みに入ると、それなりの川への小道があった。しかし、さすがに釣人は少なく、小道は途切れ途中で崩れていた。こういう崩落した道は、無理に川へ降りることが出来ても、這い上がるのが困難なのだ。足を踏ん張っても、足元がどんどん滑り、崩れて、我ながら必死の形相で、木にしがみつき、這い上がる羽目になる。ようやくつかんだ岩の隙間から蜂やマムシ君が出てきたら、誰も居ない沢に僕の悲鳴が響き渡ることになる。(その後の事は想像もできない)

今回は用意万端、4巻のロープをフルにつなぎ、ずるずると川に降りる。川の水も少なかったが、それなりの写真も撮れ、自己満足。見上げると若葉が美しい。緑の星が枝に幾重にも重なり合い、見えない風に揺れている。足元には無音の川の流れ。三脚を流れの中で立て、スローシャッターで時間を切りとる。このひと時、自分だけの贅沢な時間。気が付くと2時間半も経っていた。帰りもロープをつかみそんな特別な場所から体を引き上げ、日常の時に帰還する。樅木のつり橋の草原で遅い昼食。その後、国見岳への林道の下見、(横にも素敵な川が流れている!)久連子散策も検討したが、何事も用心が大事と、これまでなら突っ走る自分の気持ちにブレーキをかける。(来年の10月まで運転禁止の身)

今年の春は、烏帽子岳の石楠花、白鳥山の芍薬を訪ねて山歩きも良かったけど、また来年にしよう。次のチャンスは6月、それまでは我慢の日々なのだ。五家荘の山は、雨もいい。もちろん、大雨は嫌だが、小雨に濡れながら山の道をとぼとぼ歩くのも僕は楽しい。雨に洗われて洗われて、山の緑が濃くなる息吹を感じるのがいいのだ。

念願のクマガヤソウの写真も某所で撮影できて本当に幸運だった。(クマガヤさんにはもう会えないと思っていたので、良かった)二本杉の東山本店で、フキの佃煮やら、味噌やらも買えて良かった。運転を無理にお願いした家人に、「今日は母の日なのに」と感謝の意を伝えると、「今日は子供の日」と言われ、やはり自分の頭のネジは少し壊れていると思った。自宅に着き、樅木のつり橋の手前の茶屋で買った饅頭(きんぴらと、あんこ入りの2種)を頬張って五家荘の美味を噛みしめているうちに、確かに、今日はオジサンが山に遊んでもらった「子供の日」だったなと思い直した。

2019.05.01

山行

実は4月28日の山行が平成最後の山行だった。てっきり年度末の3月31日が平成最後だと勘違いしていた。知人の中でも同様の勘違い者が多数。恥ずかしいのは僕だけではなかった。(苦笑)実際、年号が変わる夜になると世間は想像以上のお祭り騒ぎで、(まるで2回目の正月!)自然界からみれば、人間どもの空騒ぎは理解不能に違いない。

また家人に無理を言い、海抜ゼロメートルの我が家から標高1,000メートルを超える白鳥山へ向かってもらう。相変わらず五家荘の山は静かで穏やかで深い。ウエノウチ谷の本格的な春到来まで、もう少し時間がかかりそうだ。天然林の若芽はまだ閉じて、谷の緑は枯れた枝でかすんでいる。沢の水は枯れ、岩苔の緑の色も心持沈んで見える。夏には谷をいくつもの緑の団扇のように大きく開いて彩る、羊歯類もまだワラビの時期、岩の上で茶色く毛だらけ、背を丸めたままで、その分登山道も見通しがいい。頭上では、山鳥たちのさえずる声が響く。何を話しているのか。鳥たちの声だけは明るく森に響き、春が本当に嬉しそうだ。

登山道から外れて、斜面で苔むす岩の裏側をこっそり覗きながら歩く。トランプのカードを一枚一枚めくるように。“当たり”がでると、ささやかな花たちの群生が見られてカメラを構える。

山の小さな寄り道は楽しいものだ。(大きな寄り道はつまり、遭難となる)森の尾根の向こうで、鹿の「ピィヨー・ピィヨー」という声がする。道から外れて彷徨う、怪しい人間発見と、仲間うちで合図をしているのか。小さな花たちの写真を撮るためには、這いつくばってカメラを構えなければいけない。道のあちこちで土の上でごろごろしてシャッターを押す。気が付くと1時間は経ったか。この道を頑張って登り詰めると、山シャクヤクの群生地だと、分かっていても、今回は道の途中でトランプのカードを何枚も引く。

登るにつれ、沢の向こうのあちこちで、「ブイ、ブイ」と声が聞こえてくる。イノシシが潜んでいるのかと警戒もするが、それでも沢の奥で、「ブイブイ」と響く声が途絶えない。これではイノシシの群れではないか(まさか!)。勇気を出し、その声を辿り、沢に降りると、そこにはワサビの群生が見られた。緑の苔に沢の雫がしたたり、ワサビの丸い若葉と白い花が濡れた岩肌の上にいくつも咲いていた。声の主はカエルか何か、虫の声なのか。不思議なことに、どこを探しても見つからないし、近づいても声は途切れないままだった。

遅い昼食後、登山再開。しばらく谷を上り、出会いで引き返す。こんなにものんびりすぎる登山者はいないだろう。子供連れの登山者が上から降りてくる。小さな子の元気な声が響く。その後、年配のおじいさんが一人、カメラを首に下げて下山してくる。ワサビの場所を教えてあげると喜んでいた。(ブイブイする声が目印ですよ。)各人各様の白鳥山の早春を楽しむ、一日だった。あと2日で令和時代。

2019.04.02

半年ぶりに五家荘の山に行った。正確には家内の運転で連れて行ってもらったのだが。三角町内しか運転できない者が、いつの間にか、熊本市内の病院まで右折せずに運転できる技術を身に着け、いつの間にか林道の落石を際どくよけながら、ハンドルにかじりつきながらも、五家荘に辿り着けるようになるまで進歩してくれたのだ。これはもう感謝するしかない。(しかし、二本杉の峠はまだ、越えられぬ)

ちょうど山桜の開花もちらほら、今週末~来週頃が一番見頃かもしれない。運良く某所でカタクリの開花も見ることが出来た。冷たい風が吹く林の枯れ葉の中から、恥ずかしそうにうつむきながらピンク色の花びらを開く春の妖精。もう少し日光が当たれば顔も陽に向かい、かすかな妖精の微笑みが見ることができたのだが。また来年会いましょう。

そうして念願の白鳥山へ。去年は5月にシャクヤクの群生を見ることができたが、開花はまだまだ早い。バイケイソウの緑色の葉がちらほら伸びて、枯れた谷を色づけている。今回は予行練習としておこう。登山口で標高1,000メートルは超え、薄着で来たので相当寒い。(去年は尾根の木の根には雪が残っていて酷く寒い目に会ったのに、山の厳しさをすっかり忘れていた)登山口から、ちょっと山道を歩き、すぐに引き返す。足元を見ると苔の間にネコノメソウが咲いていた。はいつくばりカメラを構えると、苔の緑も鮮やかに見え、じわじわと足元から森にも春が来ているのが分かる。

 

枯れた林の奥で美しい鳥の鳴き声が響く。「あの声は今年生まれたばかりの小鳥の声だ」というと、家内が「どうしてそういうことが分かる?」と聞く。何の根拠もないけど僕にはわかる。うちの家の裏山でも夜明け前の朝一番に、野鳥が鳴くのだ。小鳥たちだって春がくるのが嬉しいのだ。生まれたばかりの春。椿や桜の花の美味しい蜜を吸い、喉を潤し、そしてだんだん歌声が上手くなる。

退院後、毎朝僕は自宅2階のベットでその声を聞いていた。すると我が家の猫たちも騒ぎ出し、窓際に飛び乗り、ガラス越しにその鳥たちの姿を追う。カーテンが黒い影で揺れる。

猫にも色々な模様の猫がいるように、「ネコノメソウ」にもいろいろな種類、柄があり、帰宅して花の図鑑で調べていると楽しい。

これからの五家荘の森の山歩きが待ち遠しい。峰越から烏帽子岳又は白鳥山へ。石楠花越から山犬切、七遍巡りへ。ハンドルをしがみつかれながらも愛車、水色のイグニス(スズキ製)号はこれからも森の奥へと進むのだ。

2019.03.24

山行

なかなか身動きできない日々でもある。最近、通勤用のママチャリを買った。JRの新水前寺駅から出水の事務所までぼちぼち漕いで10分の距離である。最初マウンテンバイクを買おうかとも思ったが、周りから馬鹿かと猛反対された。ヘルメットだけはそれなりのデザインで、しかしママチャリに初老の男がヘルメット被って道路を漕ぐ姿は怪しくもある。昨日なんて、目の前の子供連れの自転車がどんどん、僕から逃げて行き、ついつい僕は負けじと追いかけてしまった。

山にまだ行けない分、アマゾンでカメラ雑誌の古書を買う。これまで全然写真の勉強をしたことない僕には、新鮮な情報をたくさん得ることが出来て面白い。五家荘図鑑を販売するに地元の知り合いのカメラマン、カメラ女史にも数冊送ったが反応がない。(長崎書店にも置いてもらった)もともと、みんな友達になりましょう!というオープンな性格でもないので、反応がないのは自業自得なのだ。

カメラ雑誌で面白いのは、結構、議論があることだ。風景写真とは何ぞや?スナップ写真とは何ぞや?(大上段に出れば)趣味の世界でも、過剰に相手を尊敬、ソンタクしましょうという空気、常識ばかり言い、本音が吐けない世界は衰退するのである、保身ばかりで何も新しいものは生まれてこないのだ。

事務所内で、私は「くまモン」の事を害獣呼ばわりし「いのししの駆除の前に熊本から害獣くまモンを駆除しないと、このままでは熊本人は思考停止となる、くまモンの経済効果は大嘘で、大本営発表に騙されるな!」と叫ぶと、1階からデザイナーの岩崎君がすっ飛んできて、「シィッ!聞かれてますよっ!」と止めに来る。「誰にだ!」「誰にって…」「だから誰にだっ!」と首を絞め詰問すると、イワサキ君はしぶしぶ「熊本県民にですっ…」と答えた。「明日から我が事務所は、開店休業となります」「それがどうしたい、至急、デザインしろ、ほら、あの、北海道旅行したことを見せびらかして、車に貼ってある「熊出没注意!」のシールを「くまモン出没注意!」のデザインにしたやつを作れ、そのシールを明日から自転車に貼って俺は町を走る!

…と、いうことで、最近感動したのは動物写真家の宮崎学さんというものすごい写真家の存在で、その宮崎学さんさえ尊敬する、写真家(愛称カメラばあちゃん)の増山たづ子さんの存在なのだ。

増山たづ子さんの故郷、岐阜県徳山村はすでにダムの湖底に沈み、今の日本地図には存在しない。増山さんは、太平洋戦争のビルマのインパール作戦で行方不明になった夫が、もし村に帰還したら、説明のしようがないので、ダムに沈む前の村の姿を写真に撮り残そうと61歳で初めてピッカリコニカを持ち、村の写真を撮り始めた人なのだ。フィルム、電池の入れ方も分からないおばあさんが「この人ともお別れ」「この風景ともこれでお終い」と、涙で曇った目でシャッターを切り、8万枚にも及ぶ写真を残した。

その写真を見た瞬間、冷酷、軽薄無知な僕の瞳も生まれて初めて涙で濡れた。こんな写真は絶対僕には撮れない。一人、一人の村人、老いも若きも、幼子も、山も樹も、鳥も草も花も、風も、季節も、木造の校舎も、犬も猫も、すべて増山さんのカメラに微笑みかけている。その微笑みを、増山さんは泣きながら写真に収めたのだ。

さらに、ダム建設中の村の写真も残している。満開の桜の樹が、重機に挟まれなぎ倒される写真、その瞬間、画面いっぱいにピンク色の花びらが、飛び散り、桜吹雪どころから、桜の血しぶきともいえる写真もある。建設中のダムサイトの岩盤断層にある大地震の亀裂の跡も残されている。

昭和62年、徳山村は地図から消え、増山さんも平成18年に88歳で亡くなった。

徳山村はダム底に消えても、増山さんの写真の中に永遠に存在する。

だから平成の終わる今、僕の記憶の中にも徳山村は存在する。

 

ダムで消えた村は熊本にもある。

だから道の駅に車を停め、村にやってきた人々は、「村はどこかと」あちこち動きながら、広い道路から額に手を当て、遠い山の向こう、川の底を探すのだ。間違っても害獣「くまモン」が飛び降りる、バンジージャンプの方角ではない。

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【増山さんの写真集の挨拶文(一部)】

町の者から見れば、「あんな山の中のどこが良いて」と思うだろうが、私たち(アシラ)には大事な故郷で、お互いに助けあい、物がなければゆずりあい、嫌な仕事でも結(ユイ)いをして、笑って、唄って働きました。生活は貧しくても心は豊かでした。

春は、まだ残雪があるのにブナの新緑、コブシ、桜、桃たちが一斉に咲きだします。あの時期のワクワクした気持ちは町の人には分からんだろうなー。谷辺のところに雪のトンネルが出来て、フキのトウなんか出ていると、「やぁ、お前たちよく寒い冬を頑張ったなー」と思わず話かけたりしました。

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4月には、ようやく五家荘に出かける予定だ。僕にとっては遅い春だが!

 

 

2019.02.21

山行

我が海抜ゼロメートルの猫屋敷にも少しずつ春がやってきた。春一番が吹いてもまだ朝夕の冷え込みが厳しい時があり、当分山に行けそうもない。そんな時間は、泉村誌のページの小道を彷徨うしかない。年末だか(もう記憶にない)テレビで「九州自然遺産」という番組で五家荘の特集を放送していた。もちろん登山道整備プロジジェクトの活動も紹介され、神楽あり、久連子踊りあり、盛りだくさんの内容だった。(森の紹介から、途中で山村過疎地リポートの内容に変更されていたように思えたのだけど。)

山女魚荘の親父さんも出てこられ、山女魚荘ならではの料理が紹介されていた。親父さんがぶらぶら裏山を歩くたびに、山菜が山盛り採れ、インタビュアーも驚いていたが、親父さん曰く「昔はもっとすごかったばい」「今は杉林になってから山菜も大分、少なか」とか言っていたように思う。要するに自然林から植林に変わると、こうも山の植生、形態が変わるものなのだろう。気が付いているのは親父さんだけ。

日本の森林の場合、国土の3分の2は森林で世界的にもその比率はとトップクラスとのこと、しかし原生林は森林全体の2.3%くらいで微々たるものだそうだ。55%近くが人間が手を入れた後に放置された森林で一般に自然林、天然林と呼ばれ、残りの41%の森は杉やヒノキの人工林、育成林と呼ばれる。

平成17年に発行された、泉村誌には、五家荘の森は世界遺産に登録された白神山地に引けをとらないブナ林、森だとも記述されているけど、さて今はどうか。当時の地元の人々の暮らしの為に、植林は必要だったろうし、もちろん森は生きているわけで、完全復活は無理だとしても、森の復活の種をまくことは出来る。

たとえは極端だけど、森は都会を模倣した地方によくある無国籍の取り返しのつかないシャッター商店街になるわけではない。しかし自然でも取り返しのつかない例もある。南阿蘇村の一心行の大桜の哀れな姿を見よ。昔は、道に迷いながら汗をかいて辿ったあぜ道の向こう、菜の花畑の間に薄桃色に花を広げた一本の大きな桜の古木の感動的な景色があったのだけど、今はまさに人口林、単なる桜公園に姿に改造され、ニセの感動を押し付ける記念撮影の場所に成り下がってしまった。

福寿草の時期が終わると、しばらくすると、カタクリの開花の時期が来る。福寿草もカタクリも「春植物」と言われ、花の寿命は一週間前後、周りの樹々の葉が茂って林床が暗くなる5月の半ばまで大急ぎで光合成を行い、その栄養を地下部に蓄え、翌年まで眠りにつくそうだ。別名、春の妖精、季節を渡り歩く妖精たちとも呼ばれているそうだ。

僕は残念ながらいつもカタクリの開花のタイミングを外してしまう。雁俣山のカタクリの写真を撮ろうと、あの丸太の直登も我慢するのだけど、毎回、どこをどう撮っても蕾で、泣く泣く帰路に就くのだ。途中、他の登山者が「昔は当たり一面、カタクリの花だらけだったばい」とつぶやくのを聞き、今度こそはと毎回挑戦するのだけど仕方ない。鹿の食害も影響するのか、バイケイソウの緑のかたまりがなんとも恨めしい!「春の妖精」の姿を求めて霧の中をうろつく僕の姿は、我ながら「春の亡霊」と呼びましょう。

春の亡霊、山に行けなくても頭の中は忙しい。別件で和製アロマ(精油)の資料を見ていたら、山女魚荘の親父さんが玄関先の囲炉裏端で、山の話を語りながら、プレゼント用に小刀でつくられているクロモジの爪楊枝があるのだけど、そのクロモジは「リナロール」というとても貴重な成分を含んでいる。(東京農大の成分分析による)リナロールは大腸菌、サルモネラ菌、黒カビ菌をはねのける力がある。

クロモジの歴史は長く、「茶道」とも深い関りがあり、あの千利休も豊臣秀吉にお茶とともに庭に植えたクロモジの木を小刀で刻み、和菓子に添えて進めた言われもあるそうだ。香りは沈静効果もある。茶室に漂う森の香り。

去年の夏、いろいろ思い立ち、事務所の面々の呆れ顔を無視し台風の中、車を運転、佐賀市内の某工房へ行き、体験学習に臨んだ。その体験とは水蒸気蒸留法で、クスノキの仲間「ホウショウ」の葉から精油を抽出するものだった。抽出の仕組みは単純、1時間でわずか、数ミリの精油ができた。今もその香りで仕事場の机の上で気分が舞い上がったら、気分を落ち着かせる日々なのだ。香りとともによみがえる、若い女性の講師が僕にマンツーマンで丁寧に教えてくれるあの姿よ。

正確に言えば、純粋な精油は化学成分「カルキ」を含んだ水道水ではできない。清流川辺川の水で、クロモジの精油を作る夢を見る、春の亡霊の僕でもある。3月にはいよいよ山へ、春の香りを嗅ぎに行く。

2019.02.03

文化

暖冬と言えども、まだまだ五家荘は冬ごもりの季節。自分は運転・登山禁止の身で、山の先輩OさんやMさんのフェイスブックでの情報、画像で、五家荘の冬山を想像するしかない。

時間が薬とも言われるけど、暇で仕方がない時がある。1月半ばに何とか待望の八代市図書館から「泉村誌」を借りることができた。通常は持ち出し禁止の大型本なのに、ネットで検索するに、運よく貸出可能になっていた。おそらく入力ミスのせいだろう。しかし、喜びもつかの間、八代エリアに住んでいる人以外には貸し出せないとのこと、それをなんとか、僕の地元の三角町の図書館から貸し出し依頼をかけてもらった。

僕の自宅から図書館までのバスは悲しいかな1時間に1本。帰りは更に待ち時間が1時間もあり、泉村誌をリュックに背負い、三角港に浮かぶ貨物船を見て時間をつぶした。
紺色のニット帽を被り、無精ひげを生やし、杖を突いてほくそ笑む中年男はかなり怪しい。

泉村誌は僕にとって宝のような本だ、この1冊に五家荘の自然、歴史、文化の情報がびっしり詰まっている。こんな村誌はそうあるものではない。そもそも泉村という存在が魅力にあふれた博物館なのだ。

 

前回の雑文録で紹介した、久連子兵士の像の由来もすぐに分かった。像ではなく、墓と言うことも。これらの像は昭和12年、日中戦争で戦死された兵隊さんの墓で、久連子村の陸軍歩兵上等兵仲川武一、上田音次郎、川野菊己、陸軍歩兵軍曹中村源三郎、4氏の戦地での活躍を称え、記念するものなのだ。除幕式の参加者、村民約200名。

像はセメントで作られ、当時は鮮やかに彩色されていた。軍帽のふちは紅く、眉と瞳は黒く、唇は赤く、銃を執り背嚢(はいのう)を担いでいる。制作者は石工の梅田重作氏で、栗木村で製造され、久連子村民の手で難所の笹越峠を担いで運ばれてきたと記述がある。しかしその後、戦が長引くに連れ、村民の戦死者も急増すると合同町村葬が増え、新聞の「本日の町村葬」の記事も簡単になっていった。その慣行は太平洋戦争が終わるまで続いた。

像の建立は、地域住民の結びつきが強い五家荘ならではのものだろう。像を抱えて笹越え峠を越えた若者たちの思いはどんなものか。ついこの前まで、森の中でともに遊び、川で泳ぎ山女魚を釣った仲間達が、遠い戦地で亡くなるなんて。峠越えの急な坂道、額の汗をぬぐいながら、ぼたぼた涙もこぼれたろう。「みんなおかえり、よう帰ってきたな」「もうすぐ着くけんね」と。

僕の亡父は昭和2年生まれで、10代で戦争に行った。祖母は「なんでこんな子供が戦争にいかなんと」と嘆いたそうだ。父は三角線に乗って鹿児島に向かう。前夜の壮行会はそれなりに派手だったのだろうが、戦争末期の招集令状は、要するに死んで国土を守れとの指令なのだ。祖母は父におにぎりを持たせ、満員の列車に乗り込み、人にもまれた父が鹿児島駅に着いた時は、母の握ったお握りは半分腐りかけて、白い糸を引いていたが、父は頑張ってそれをほおばったそうだ。

それから父は沖縄に渡り、敗戦を迎える。ブルドーザーで沖縄の人々、日本兵の死骸を押しのけて整地する米軍の手伝いをして、骸骨のように瘦せ細って三角線で帰郷した。

今の沖縄の普天間基地は基地の仕事にありつこうと、沖縄の人が勝手に集まってきたという、デマを吹聴する者がいるが、もともと沖縄の人々の土地家屋を米軍が略奪、破壊して整地した基地なのだ。

戦争は誰しも嫌なものだけど久連子の兵士像のように、全国各地で個人の死を祀れば、日本中、ものすごい数の兵士像が建立されたに違いない。兵隊さんの死は、新聞のお悔み欄の1行で終わるものではない。

久連子古代踊りのルーツは念仏踊りとも言われ、主にお盆の出し物として舞われ、新盆に帰ってくる人の家の庭でも舞われていたそうだ。ドンドン、ドンドンという乾いた太鼓の響きが青い空に吸い込まれ、チーン、チーンとなり続ける鉦の音に慰められながら、久連子兵士の像も雪をかぶり、苔むし、朽ち果て、時の流れにほろほろ、ほどかれていくようだ。もう背負った重い背嚢は降ろしてくださいな。

2月の中旬は久連子では福寿草祭りが開かれ、福寿草を見に行く多くの登山客で賑わう。
福寿草の開花も久連子の里まで降りてきて、兵隊さんの足元にも春がやってくる。

残念ながら、泉村誌にも久連子岳へ向かう中腹に置かれた子供を抱いたお地蔵さんの由来(明治20年久連子村建立)は書かれていなかった。

 

◆極私的五家荘図鑑写真集・アマゾンで販売中

2019.01.09

ようやくアマゾンで五家荘図鑑が販売開始となりました。僕の入力ミスもあり、さすがに出版社の発行ではないので、途中、審査にかかってしまった。アマゾンがすごいのは、何度もやり取りをしてくれること。ブランドもプライドもない自分にも、同じ立場で対応してくれた。個人的にはいい記念となりました。五家荘図鑑第2号発刊を目指し、「極私的」に活動を続けようと思います。※アマゾンに入り、本➡五家荘図鑑で検索お願いします!

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