熊本県 八代市 泉町(旧泉村) 五家荘
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雑文録

2017.07.10

山行

雨の日はしょうがない。雨が降るのを止めることなんて誰もできやしない。それでも僕はひねくれものだから、山に行きたい時は行く。天気予報なんて信じるものか。雨の予報が晴天になる時だってあるじゃないか。そうしてカメラをバックに詰め込み、自宅を出て2時間半、五家荘の登山口に着くと天気予報通り、ものすごい雨である。写真どころではない。それでもえぃと、山道を登り始めるも、いつもの小道が形相一変、大河となり大きな岩がゴロゴロ転がり出してきてとても前に進めそうにない。頭上ではごうごうと地鳴りがしている。地すべりが起こるかもしれない。これ以上先には進めない。(当たり前だ)仕方なしに、また2時間半かけて家に帰ることにした。帰路はなんと遠く感じることよ(自業自得)。

そうこうして帰る途中、その豪雨もふいに小休止となり、梅ノ木轟の吊り橋の駐車場で一休みする。吊り橋の向こうに見える山々も、ぼんやりと緑の輪郭が現れ、絵葉書的に白いガスも湧き出して、左手前の樹がアクセントになり、まぁそれなりに雨の合間のしっとりとした山の写真が撮れた。

しかし又雨が強く降り出し、吊り橋から車に戻る。駐車場にはもちろん僕しかいない。時間はたっぷりあるので、そうだそうだとスマホを出して東京の友人が教えてくれた「キリンジ」というバンドの曲を検索して流す。「エイリアンズ」という歌で、生ギターをベースに、都会に住む人の孤独というか、疎外感というか、賑やかな街の雑踏の中で、どこからかやってきた「エイリアン」のような二人。ふと気が付けば自分の居場所のない、切ない思いを淡々と歌う曲を聴く。一人でも孤独、二人でも孤独。この友人(彼女)とは京都で知り合って30年過ぎ、今では5年に一度、仕事のついでに会うか会わないかの関係なのだけど、時にメールでやりとりをする。

東京で一人で暮らしている彼女(細かい日常など僕は知る由もないが…)。僕は今、山の中で一人、「エイリアンズ」を聴いている。

長年の友人というのは、何年経ってもその時のまま、お互いを信じる気持ちを維持できている関係をいうのだろう。僕たちは京都で20歳の頃、演劇をしたり、絵を書いたり、酒を飲んだり、議論をした。そして彼女は大学を辞め、途中で東京に行ったのだ。僕らはあの時の気持ちのまま、だいぶ年を取ってしまった。

駐車場を後にして、ハチケン谷に立ち寄る。道端で「うつぼ草」を見つける。他にドクダミやキク科の花など。みんな雨に濡れてしつとり美しい。最後に茂みの中で、うつむいた名も知らぬ小さな花を見つけた。薄い硝子でできたような紫の花びらを五枚尖らせ、雨の雫を落としている。僕はシャッターを切りながらこう思った。今、東京の天気はどうなのだろうか。

2017.06.25

山行

6月18日に国見岳に登った。

オオヤマレンゲ(大山蓮華)が咲き始めたという情報を得たのだ。五家荘の山の先輩O氏のフェイスブックからの情報だ。O氏は毎週1回は五家荘に登っている猛者で、氏の情報を参考にすることで最近の僕の山行きにもロスがなくなった。五家荘の山行の達人ではもう1人M氏もいて、五家荘の山好きでこの2人を知らぬものはいない。

2人は広大な五家荘の山々を2日がかりですべて縦走し尽くすという、その名も「五家荘大縦走」という企画を毎年春先に行っており、その行程は凄まじいものがある。この企画の情報も僕はフェイスブックで事前に得ており、2日連続で朝5時に行動開始、夕方5時ごろに宿に着くという内容に、寿命を縮めたくない僕は、当然不参加とした。当日の状況も逐次フェイスブックに公開されており、参加者およそ10数名、その半分は(オヤジどもの参加する理由の一つか)なんと女性だった。みんなの元気のよいこと。急登ばかりなのに、全員笑顔なのには驚いた。僕が参加しておれば初日の午前中で脱落、参加者の笑顔も失笑、苦笑に変わっていたろう。足手まといの僕の体はどこかの窪みに埋められ落ち葉でカモフラージュされていたろうな(冬虫夏草の栄養源となる)。

まぁいい、僕はとにかく写真が目的であり、マイペース、基本は単独行でぼちぼち行くのが極私的なのだ。で、そのオオヤマレンゲだが、去年も挑戦したが、すでにほとんど落下していて跡形もなかった。O氏によれば今年はまだ咲き始めとのことだったが、山頂でたまたま知り合った若い女性を、オオヤマレンゲの花の茂み(何をするつもりだった?)に案内したというコメントと画像がある。つまり間違いなく一輪は咲いているのだ。その美しい姿を今年こそはなんとかカメラに収めたい僕は、前日の夜、興奮してか何故か眠りにつけず、まさに睡眠時間4時間、筋肉コチコチ、意識もうろうの状態で、国見岳登山をスタートしたのだった。

杉の植林地のいきなりの急登、急登。道は迷うことはない、ひたすら真っすぐ尾根を辿る。1時間後、植生が変わり若葉が広がる自然林の森となる頃、ようやく起伏も穏やかになるが、それでも登りの連続があと2時間、ようやく山頂に辿り着いた。去年もそうだったが頂上には雌鹿の先客が居て、僕の動きをじっと監視している。晴天下、1,739メートルの頂上からの景色は素晴らしい。気が付けば鹿の姿はなく、彼女の甲高い警告音だけが谷に木霊している。

僕の体はすでに硬化したゴムのようになっていて、ささいな小石に足元はつまずき、よろめきながらもミヤマキリシマやサラサドウダンの鮮やかな姿を写真に収める。バイケイソウの花々もふわふわ、柔らかくて美しい。バイケイソウは毒草で増殖を続け、あちこちで群落が見られる。毒草だろうが、なんだろうが綺麗なものは綺麗なのだが。

さて、もう時刻も午後2時を過ぎ、帰路に着きたいものだが、一番の目的のオオヤマレンゲの花の姿が見当たらない。つぼみの姿も見えない。O氏は一体どこで見つけたのか。山頂から北へ山道を降り、もう時間切れで引き返そうと、あきらめかけて茂みの中を振り向いた瞬間、一輪のオオヤマレンゲの花が目に飛び込んできた。

たった一輪、見事に花開いたオオヤマレンゲ。まさに山の貴婦人。僕は何度もシャッターを切り、その姿を写真に収めた。純白の花弁の中、僕を見つめる大きな瞳。その瞳は見る者に、何か魔法をかけているようも思える。

梅雨の時期、開花期間は10日前後で、花の寿命は4,5日程度。会いたくても会えない夏の花の一つであり、僕は本当に運が良かったのだ。別名、天女花とも言うそうだ。

帰宅後、あらためて画像を眺めていると、この日は美しい花たちにたくさん出会えた一日だった。初夏の山頂は天然の花壇のようで、あちこちに人を酔わす花々が咲いているのだ。鹿も貴婦人の芳香に酔いしれていたのかもしれない。

2017.05.19

山行

ずっと気になっていた山間の役場に営業に行く・・・のだが、何故か車の後部座席にはカメラ一式と、登山靴が積み込んである。こんな営業なんてどこ探したって僕しかいない。結局は商談どころか、適当な挨拶、雑談で終わり、それ以上話は進まない。それでも気が付くと昼前まで時間がかかってしまった。あせりながら車で登山口に向かう。林道ではあちこちで鳥たちの声が響いている。春、真っ盛り。若葉の瑞々しい緑色が春のそよ風に揺れ、あたり一帯、花の密の甘い香りが漂う。足場の悪い、岩が転がる道をふらつきながらもボチボチ登り始める。

早速汗が吹き出し、足を止めふと空を見上げると、まるで新緑の若葉が頭上で渦巻いているように見えて、かすかにめまいを感じた。すでに午後2時を過ぎ、頂上まで向かうには時間が足らないので途中まで登って下界に引き帰すことにした。そもそもの目的は春の野草の写真撮影であり、無理をして山頂まで行くと市内の事務所まで帰り着くのは夜だ。

そうして、空を見上げたあと、視線は地面へ。今度はあちこちで咲き誇る小さな花たちの世界に、はいつくばってカメラを向ける。植物は自分で移動出来ないのだが、この枯れた大樹の幹と苔むした岩の間の小さな隙間にも、ちゃんとお花畑があり、どの花も生まれた場所で精いっぱい花を咲かせていて、僕の心を和ませてくれた。雌の鹿と、タヌキに出会う。タヌキは最初僕の姿に気が付かず、何やらいそいそと(それこそ)ケモノ道を登っていたが、僕の気配を感じ振り向いた途端、ものすごい勢いで茂みの中に姿をくらました。

 

2017.04.17

山行

久しぶりに、山に行った。

下界とは違い、山里では今、桜が満開だ。道沿いに大きな桜の古木を見つけた。桜の樹の寿命はいったいどのくらいなんだうか。都会の桜は寿命が短いのか、ある時期になると枯れてしまい、花見ができなくなる場所もあるとテレビで言っていたが、やはり品種により違うのだろうか。山では桜の樹だけが残って、人の気配がなくなったのが皮肉なものだ。延々と車で回ったけど、誰もいない。車を降りると野鳥のさえずりが谷間に割れんばかりの声で響きあっている。みんな、生まれて来て良かった、冬の寒さを生き抜いて良かった…とでも、歌っているようだ。この古木の花の蜜も吸ったのだろうか。樹々にも鳥の歌声は聞こえているのだろう、風に枝がそよぎ、花弁が舞い散る。

道沿いの斜面ではカタクリの花が咲いていた。カタクリの花の期間は短く、一週間前後。人知れず咲いて、散る。こんな花の生き方もある。誰もいない春、誰も知らない春。

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