熊本県 八代市 泉町(旧泉村) 五家荘
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雑文録

2020.08.07

山行

梅雨も明け、久しぶりに山に入った。左ひざの故障もあり、登山ではなく山歩きなのだけど、片道ぶらぶら歩いて3時間を限度にし、頂上を目指さずに時間が来たら、ぶらぶら帰路に就くことにした。それだけで充分なのだ。苔むした岩、樹の根の間の山の細道、杖を突きバランスを取りながら登り始める。大雨の後で山道の景色も大分変り、川の水量も増えている。崩落した沢筋には岩がごろごろ転がっている。通い慣れた道だが、何時通っても変化があり面白い。頭の上では鳥の声が追ってくる。

樹々の葉の色も濃く、見上げると星形の葉の形の重なりが青い空に浮かび上がり、とてもきれいに見える。誰もいない極私的空間。川から吹き上がる冷気も涼しく心地良い。1時間も歩かないうちに、1本の樹に付いた白いキノコの列に出くわした。その樹を見上げていくと、白いキノコの長い隊列が空を目指している。その隊列には何かリズムのようなものを感じる。そうだ、宮沢賢治の童話「どんぐりと山猫」の情景ではないか。

 

金田一郎君はある日、山猫から“めんどな”裁判の案内ハガキをもらい、裁判に参加すべく山に向かい、その途中で一本のブナの木の下に、たくさんの白いきのこが「どってこどってこどってこ」と、変な楽隊をやっているのを見かけ、道を尋ねるのだった。

一郎はからだをかがめて「おい、きのこ、やまねこが、ここを通らなかったかい。」とききました。するときのこは「やまねこなら、けさはやく、馬車で南の方に飛んでいきましたよ」と答えました。一郎は首をひねりました。「みなみならあっちの山のなかだ。おかしいな。まぁも少し行ってみよう。きのこ、ありがとう」きのこはみんないそがしそうに、どってこどってこどってこ、とあのへんな楽隊をつづけました。

 

僕が出会った楽隊は、足もとではなく、一本の樹の道を空に向かい「どってこどってこどってこ」と登って行く。何枚か写真を撮る。焦って撮らなくてもよい。きのこたちはじっと僕を見ている。風を感じ、森の息を感じる、この時間を感じるだけで充分楽しい。

そうして沢を行ったり来たりしながら、いつものなだらかな小さな滝の前に出る。本来はその滝を右に見て、大きな苔むした岩の隙間を登り、山頂へと向かうのだが、その苔むした岩に生える今まで見たこともない花を見つけ、写真を撮る。と、その岩の上から、滝の奥にある、隠れた滝の存在に気が着いた。この滝に行く道は、あまり知られていない山頂に向かう道だ。数年前、あるグループの登山に参加しこの奥のルートを辿ったが、急坂の途中で息切れ、酸欠。体が硬く重くなり、まったく歩けなくなり一人断念、引き返した思い出がある。頭の手術が原因なのだろう。どれだけやる気があっても体が動かなかった。

まだ時間があるし、少し引き返し、隠れた滝に向かうことにした。

森の陰に隠れて気が付かなかったが、その滝の前には先客がいた。今どきめったに見ない大きな三脚を構え、その上には、さらに珍しい、中盤フイルムカメラ (マニヤ)を乗せ、一人の男がカメラを構えていた。

暗い帽子に、体全体も暗いヤッケのようなものを身にまとっている。機材と言いカメラバックといい、相当使い込んでいるようす。長年山に通いつめ、写真を撮っている雰囲気のある影のような存在だ。ところが、その影はなかなか気に入った場所がきまらず、あたりをうろうろしている。時にうずくまり何かをしているようだ。

僕は足元を流れる小川のテーブル状になって水が落ちる景色が気に入り、しゃがんでカメラを構える。手前にふかふかした緑の苔の岩がある。こんな掌に乗るような箱庭のような景色もかわいいと思いシヤッターを切る。苔の上に蝶か虫が散歩していればなお良かったが、みんな忙しいのだな。

そうこうしているうちに、奥の暗い影は違う滝の前に三脚を移動した。僕の正面に位置する場所だ。そして絶句する景色が目に入る。

驚くことにその男は、三脚の前にある伸びたばかりの細い樹を、バックから手慣れた手つきで鉈を取り出しなぎ倒したのだ。バサッバサッ、二度三度、鉈を振り下ろし、樹を倒す。樹は地上から30センチほどの短さに切り落とされ、男の手にへし曲げられ、緑の葉の付いた若い樹が、足元に放りだされた。それでも満足できずに、残った30センチの樹も腰をかがめ引き抜こうとして体重をかけるが、根は抜かれないまま、男はあきらめた。前の場所でうずくまるように見えたのも、同じように撮影に邪魔な樹を切り倒していたのだろう。僕は自分の撮影どころではない。久しぶりに頭に血が上るのを感じた。

自然を痛めた上で、自然を撮ろうとする意識は全く理解できない。

どうする?注意するか?喧嘩するか、罵倒するか、問答無用、滝に突き飛ばすか。死体を土に埋め、彼が切り倒した樹を墓標にするか。

僕は会話が苦手で、いきなりヤルしかない。相手が怒って鉈をかまえたら、このスティックで腹を突いてやる…と妄想する。

とりあえず、話、話をするべきだ。携帯のカメラを動画に切り替え、奴の仕業、姿を撮り、ネットでさらし者にしてやる。(しかし、そのさらし方が分からぬ!)

そうしているうちに男に気付かれ、それとなく会話が始まる。そうだ会話をしながら、注意すればよい。「あなた、さっき樹を切っていたでしょう、俺は見た、そんなことしていい写真が撮れるわけない…」

と、言うつもりがカメラ談義。「珍しいカメラですね。マミヤ…」「そうです」男はそういうと額の汗を拭いて笑い、帽子をかぶり直した。結構な老人、齢は70前後。どこかの病院の院長のような上品な風情、もしくは大学の教授風。

「今どき中版フイルムカメラですか」「そうです。フィルムは感度がISO50」「レンズはズーム?」「いえ、単焦点の35ミリなんです」結構、難易度高い撮り方だ。この場所と決めたら動けない。

「ここは、しょっちゅう陽がでたり陰ったり、なかなか撮りにくいですな」気さくなじいさんだ。「森の中は光があるようで、ないからですね。いったん陽がでればまたやり直し」デジカメと違い、フイルム撮影は大変。ちょっとの計算違いで画像は真っ暗になる。現像代もフィルム代もばかにならない。じいさんはもうあきらめたのか、てきぱきとカメラバックにしまいだした。もう山を降りるらしい。

で、鉈の話はどうした…

問答無用、滝に突き飛ばすのか、この爺さん気さくな院長先生を。許すな、痛みを感じない自然破壊常習者を。だまされるな、温厚な人柄の奥に隠れた凶暴さを、慈悲のなさを、若樹をたたき殺す残忍さを!今注意せんと、またやるぞ、このジイサン!彼はとっととリュックを背負い、道を降り始めた・・

無残、敗退、慚愧…僕はどうしたら良かったのか。どうせ、気まずくなるなら最初からずばり、叫べばよかったのだ。「樹を切るな、殺すなと」なんで言えなかった!自分のだらしなさ、勇気のなさにがっくりする。期待外れ。

 

近々、僕にも山猫からはがきが届くだろう。

「タケダ、シンジさま、明日“めんどな”裁判しますから、山に来てください、とびどぐもたないでください」

金田一郎君は、どんぐりどものくだらない争いを、スパッと解決、彼の判決にうるさいどんぐりどもはシーン、ぐうの音も出なかった。秋になると、森はどんぐりどもの叫び声で大騒ぎ。大きいのが偉い、背が高いのが偉い、丸いのが偉い!まさにどんぐりの背比べなのに、どんぐりどもは自分が一番偉いと大騒ぎ。人間の世界と同じ。そこで金田君は判決を言い渡す。

「この中でいちばんばかで、めちゃくちゃで、まるでなっていないようなのが、いちばんえらい!」と。するとどんぐりどもは、しいんとしてしまいました。それはそれはしいんとして堅まってしまいました。山猫が感心する。これほどの難しい裁判がたった1分半でかたづけてくださいました。どうかこれからわたしの裁判所の名誉判事になってください。

僕は裁判官の役で山に行くのではない。被告として出頭し、山の生き物みんなに囲まれ、裁判を受けるのだ。1本の樹を殺した犯人を見逃した罪で。裁判は長引きそうな予感がする。ハガキが着くたびに僕は山に出頭しなければならない。谷を出る時には鳥の声はしなかった。

森へ行こう。

雨の極私的芸術祭 (準備編)

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