熊本県 八代市 泉町(旧泉村) 五家荘
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雑文録

2020.03.23

文化

五家荘にも春がそろそろやってきた、ようだ。

ようだというのは1月以来、山に行けず、山の知人のOさん、Mさんのフェイスブックによるリアルな登山情報、イベントなどから推測するだけなのだ。福寿草の時期も終わり、今では山桜がぼちぼち、今年は暖冬だからカタクリの開花はどうだろう。いろいろ想像するのも楽しい。今年はなんとしても、ギンリョウソウに会いたいものだ。(ぎんちゃん!)

左肩の腱板断裂も良心的な整形外科(セカンドオピニオン)のリハビリのおかげで手術せずにほとんど完治。リュックを背負っても痛みも感じなくなった。ところが1月の成人の日、駅前でこけて左膝の内側の靭帯損傷、全部切れたわけでないけど今も同じ整形外科でのリハビリが続く。悪運が強い自分だが、こうも次から次へと怪我が続くものか。(苦笑)さすがに五家荘の山には本当に登るのではなく、いざ、登山口を前にすると歩くのが精いっぱいなのだろう。それでも春の山が待ちどうしい。

年末に、いろいろ思いつくに、朝ドラマの影響もあり陶芸の世界にも冷やかしで手を出そうと思った。ネットはこんな時は便利でいろいろ検索するに、ちょうど五家荘へ向かう道の途中、氷川町の立神峡の公園の敷地内に、陶房があった。早速そこに陶芸体験の申し込みをする。12月の始め、電話で申し込んだのは僕一人、陶房の主の平木氏のマンツーマンの贅沢な指導を受けることが出来た。

その頃の僕は、縄文土器、土偶の魅力に取りつかれ、いろいろな資料をあさり読んでいた。縄文時代の荒々しい土器、土偶の作品のなんと素晴らしいことよ。縄文時代は今からはるか昔、1万5千年前から5千年前までの長い時間帯のなかにある。平均年齢は約30歳。彼らの短くて濃い生は自然とともにある。亡くなった命は祈りにより生まれ変わると思われていたようだ。もちろん、そんなだいぶ前の事、確証できる証拠はないのだけど。村に死人がでると、彼らは転生を信じ、祈りの言葉の後に、土偶を割り埋葬したようだ。埋葬方法は屈葬と言われ、狭い穴に膝を折り曲げ、胎児のような形で葬られ、、また転生して甦ることを期待されていたらしい。九州には本州(中部、東北に比べ)ほとんど縄文の遺跡はなく残念で仕方ない。

ちょうど頭の中が縄文君でいっぱいの時に、陶芸教室で作品作りを始め、先生の「どんな作品を作りますか?皿ですか?カップですか?」という質問に、つい「縄文土器です。」と答えてしまった。「じょうもんしき?ですか?…」絶句する師匠。僕の壊れた脳の中から「縄文土器の素晴らしさの言葉の連射攻撃が始まる」戸惑う師匠。

(こんなバカには、早く作業をさせるに限る)「ま、まず、土を丸くし、どんどんと、叩きつけ、ちぎり、今度はその土を引き延ばし、長いヒモをつくります…」

「これが縄文式土器の原型、大きなミミズのようなヒモですね」

同意する師匠。「そ、そうですね…そのひもを今度は丸く筒の形にぐるぐる積み上げ、カップの原型を作ります。」

(言うことを聞かないから後で失敗する)「このまま縄文土器の原型ですね。縄文土器の一部の物は火焔土器と呼ばれ、一番上部には、炎が舞い上がり、とぐろを巻き、炎が湧き上がるものがあり、これがなんとも言えず、すごいんです」重いろくろを回しながら、土のミミズを積み上げる。

師匠…ついに、スマホで「縄文火焔土器」と検索始め「こりゃ、すごいですね」ツイツイとスマホの画面を指先で右に左に土器の画像を眺め始める。

しばらくの間…

「あの…一応、ツボのようなものが出来ましたが…」

「あのう…」師匠はスマホに見入っている。

「あ、そこからですね、水を手に付け、ろくろを回し、こうして内側から形を作り始めるとです…」いちおう、大きな湯飲みのようなものが出来た。(冷や汗)

「次はもう一個、お茶碗か何か作りましょう。さっきと同じ要領で、土をちぎり、大きなヒモを作り、もうだいぶわかりますよね?」理屈では分かっても、手が言うことを聞かない。何故かそわそわ焦り始める師匠。僕との縄文の会話で時間超過。どうやら次に予定があるらしい。

「ありゃぁーっ」やっぱり失敗。途中までお茶碗の形のものがだんだん、ふにゃふにゃに変形してくる。たまりかねた師匠。「ちょっと代わりましょう」

そういって僕の得体のしれない、茶わんなのか湯飲みなのかわからないものが、プロの手際のよい作業で、平たい皿に変身する。

そこで完全時間切れ。「後、やつときますから…焼き上げたら連絡します」

「あのー、色は?」

「あ、そうですね塗って仕上げときます」

「選べるのなら、青にしてください」「わかりました」その後、僕は近くの温泉に入り、バスがないことに愕然とするも、JRの有佐駅まで約1時間半、歩いた。

そうして年が明け、出来上がったのがこの作品。裏には勝手に「真」という印も押されてある。要するにほとんど、師匠が作陶したものだけど、参加費2500円で2個出来たので上出来なのだ。カップは本来、マグカップになる予定だったが、取っ手を師匠が付け忘れ(!)、座りのよい大きな湯飲になった。※付け忘れてもらって良かった。ぼくはマグカップがそもそも嫌いなのだ。

この2点をもち、苔むす森の中で写真を撮ったらどうだろう。滝の水を汲み、ドングリを並べ、木々の葉をならべたらどうだろう。もともと陶器は土から出来たもの。

これぞ、極私的芸術祭。もちろん希少な草花をちぎって皿を飾る愚行はしない。

修行時代、平木師匠は毎日、数百個の湯のみ、茶わん、皿を機械のように作った(仕事として作らされた)という。短気な僕には陶芸の才能も皆無、やってみて、これ以上は先に進むのも無駄と分かった。

先日、師匠から窯開きの案内をもらい、陶房を再訪した。そこで再考したのだけど、今度は僕の望む作品そのものを、師匠に形にしてもらおうと思った。頭の中で大まかな形をスケッチする。

深い森の中で、そのオブジェはたたずみ、風を通し、緑を映し、雨に打たれ、蟻が這い上がり、森の獣がにおいを嗅ぎ、星を眺め、苔むし…光る(ようなもの!)

その「ようなもの…」とは、縄文人が考えたものの足元にも及ばないが、そのようなものを通して五家荘の森の深さ、時の流れを感じることが出来ればいいなと思う。まさにこれからが山の「極私的」芸術祭の準備期間なのだ。

世相を見るに縄文人の方は現代人より、はるかに文化度が高い。1万年もの間、戦争した形跡はないし、時に埋葬した墓地を掘り返し、再度骨を集めて同じ場所に埋葬し直した遺跡も多々発見されている。要するに、血がつながっていなくても仲間同士を大きな家族とみなして共存する思想があったのだ。当時から犬を可愛がり、犬も家族の一員として暮らし、時に人と一緒に埋葬された。なんとやさしい人々よ。そんな時代の中で、土偶や土器、女性を飾る美しい勾玉など豊かで美しい発想が生まれるのは、文化度が高い証拠ではないか。

縄文時代は厳しい自然環境の中で1万年続いたけど、目に見えないウイルスに脅える現代人はあと何年生き延びれるのだろうかね。そんなときゃあ、ひとまず五家荘の森の中に逃げるに限る。

森のしずく

墜落のしかた教えます。

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